オークションハウス ※
ウェイルは教会の帰りに、この都市最大のオークションハウスへとやって来ていた。
オークションハウスとは各都市にいくつも存在し、アレクアテナの市場を動かしている中心的な機関だ。
年中無休、昼夜問わず様々な競売が行われ大量の貨幣が動いている。
オークションハウスはオークションに参加する人々で賑わっていた。
その中で目的の人物を見つけたので声を掛けた。
「おい、ルーク。元気にしていたか?」
「ん? おお!! ウェイルじゃねーかよ! 久しぶりだなぁ! おい!」
ウェイルの背中をバンバンと叩く、体格の良い短髪であご髭を伸ばしている男。
名をルーク・ハリアウォーカーといい、この都市を拠点としているオークションハウス、『ハリアオークション』の経営者である。
若くしてオークションハウスを設立し成功を収めた、やり手のオークショニアだ。
気さくでノリが良いのだが、競売については決して妥協しない。
仕事とプライベートがきっちりしている、ウェイルの信頼している人間の一人だ。
「三年ぶりだ。どうだ? 儲かってるか?」
「ぼちぼちだ。今は降臨祭の関係で客が増えたけどな。一時的なものだろう。まぁ、立ち話も難儀だ、こっちへ来いよ」
ウェイルはこの都市で取引や鑑定をするときは、よくここで行っている。
それもそのはず、ウェイルは三年前までこのオークションハウスで専属の鑑定士をやっていたのだ。
ルークは自分の部屋にウェイルを招きいれてくれた。
「で、今回はどうしたんだ? またうちで働いてくれるのか?」
「それも魅力的な提案ではあるけどな。残念だが別件だ」
「いつでも帰ってきてくれていいぞ。お前ほど優秀な鑑定士に代わりはいないからな。まあ座れ」
ルークは大きなソファーに腰を掛け、ウェイルにも据わる様に促してくる。
このソファー一つにしても相当な値がつくに違いない。見渡せば部屋にある装飾品もアンティーク品ばかりだ。
日々アンティークなど見慣れているウェイルすら、少しばかり慎重になってしまう。
「それで、今回はどういった要件だ?」
「珍しい絵を手に入れたんだ」
ウェイルは今しがた手に入れた龍の絵画を披露した。
ルークはしげしげと見定め始める。
「おお、凄いな。こんなタッチの絵画は見たことがない。誰の絵だ?」
「それが俺にも判らないんだ」
バルハーから入手後一通り確認してみたものの、やはり作者のサインはどこにも見当たらなかった。
「だがお前が気に入り手に入れてきた絵だろ? 相当凄い画家の作品なのかもな」
「どうかな。ただ最初にこれを見たときは衝撃を受けたよ。こいつは凄いと素直に思ったからな。こんな感覚は久しぶりだよ」
「ん~、お前がそこまで褒める絵だ。確かに良い絵だとは思う。だが作者名が不明で、この保存状態。ここまで酷いと高く売れそうにないぞ?」
「売る気はないんだ。ただ精密な鑑定がしたくてな。機材を貸して貰おうかと思ったんだ」
ルークのオークションハウスには以前ウェイルが使っていた鑑定道具がたくさん置いてある。ウェイルがここを去った後もルークは残していてくれたのだ。
「なるほどな。自由に使ってくれよ。俺も興味があるしな。手伝うよ」
ルークは鑑定道具一式や顕微鏡を取り出し、ウェイルは額から絵を取り外した。
二人は薄い樹脂性の手袋を着け、ゆっくりと慎重に絵の鑑定を開始した。
――●○●○●○――
「ふむ。この塗料、油彩、水彩ではなさそうだ。だとすると石彩か。少し触ってもいいか?」
「構わないよ。どうせ大した価値ではないのだろうから」
石彩というのは、油彩、水彩とは異なり、特定の石の粉を原料にして製造された塗料を使用している絵画のことをいう。
石を砕き、粉にしたものを水で溶かして塗料にする。
「ふむ。青石英ではなさそうだ。海洋石でも空雲石とも違う。やけにサラサラとしている。青砂? いや違うな、それだともっとザラザラとするはずだ」
青石英、海洋石などは青い塗料として重宝されている石である。石を原料とした塗料は、鮮やかな光沢を放つ反面、ざらざらとした質感になる。この絵画には当てはまらない特徴である。
ルークの感想を聞き、ウェイルはじっくりと絵の感触を確かめながら自分の感想を述べた。
「だが表面を見ても油彩、水彩とは思えない。色合いを見ても石彩しか考えられない」
「だがよ、石彩だともっと感触が荒くなるだろ? これは何か違う。例えるなら――」
「氷みたい――だろ?」
「そうだ。冷たくない氷ってのがまさにこれだ。これ、どこで貰って来たんだ?」
「ラルガ教会だよ」
ウェイルはルークに仕事の内容をかいつまんで話した。
ルークは話を聞きながら顕微鏡で絵を食い入るように観察していたが、結局何も判らなかったのか、ついにさじを投げてしまった。
「駄目だ。この塗料が何か見当もつかない。そもそも俺は鑑定士じゃないしな。競売品さえ高く売れたらそれでいい」
いかにもルークらしい言葉を戴く。
オークションハウスは競売品の販売額の一割を手数料として得る。販売額が大きいほどハウス側に入る金も増えるということだ。
「無理もないな。俺ですら分からん」
ウェイルもお手上げとばかりに肩を竦めた。
するとルークがしみじみとばかりに口を開いた。
「それにしても教会はよほど儲かっているんだねぇ。お前に鑑定を依頼するくらいの絵が大量にあったんだろ?」
ルークは棚から取り出したアンティークのカップにコーヒーを淹れ、ウェイルに薦めてきた。この香りはどこかで嗅いだことがある。
「サクスィル産の豆か」
「そうだ。何故判った?」
「香りだな。香りに香辛料のような香ばしさがあるのはサクスィル産の豆だけだ」
「さすがプロ鑑定士。コーヒーの豆までお手の物ってか?」
「何、サクスィルで豆の取引に立ち会ったことがあるだけだ。何せサクスィルの取引の七割以上はコーヒー豆だからな。それよりもルーク、俺はコーヒーが苦手だと知っているだろう?」
「そうだっけか? まぁ、俺の淹れるコーヒーは旨いから大丈夫だろ?」
ウェイルはあまりコーヒーが好きではない。だが不思議とルークの淹れたコーヒーは飲めるのだ。
そういえば昔、商談相手や競売客に振舞うためコーヒーを淹れる練習をしたと自慢していた。
コーヒーを美味しく淹れることの出来るオークショニアは成功すると聞いたこともある。ルークを見る限りそれは迷信ではなさそうだ。
互いにコーヒーを口にしながら会話を続けた。
「かなり有名な画家の絵がたくさんあったな。特にセルクの作品を見たときは驚いたよ」
「セルクか!? おいおい、そりゃ凄いな。俺も生で見たことはそうないぞ。国王や貴族にもファンが多いあの絵画だぞ。本物だったのか?」
「セルクの番号から見ても間違いなく本物だ」
そりゃ凄いねぇ、と皮肉にも取れる呟きを漏らす。
「相当儲かっているんだな。これも全て噂のおかげだな」
またしても聞こえてきた噂という単語に、ウェイルは反応せざるを得ない。
「悪魔の噂って奴か?」
「そうだ。本来悪魔って奴は教会の宿敵のはずなのに、その宿敵のおかげで儲かっているのだから複雑だよな」
「そうだな」
ルークはぼやきながらコーヒーを一口。
(……ん?)
「――って待て待て、悪魔のおかげで儲かっているって、一体どういうことだ!?」
ルークがあまりに何気なく言ったので、危うく聞き逃すところだった。
ルークは「あれ? 知らないのか?」みたいな顔でこちらを一瞥、そして教えてくれた。
「"ラルガポット"は知っているだろう?」
ルークは棚からラルガポットを一つ取り出してウェイルに見せた。
「もちろんだ。有名な美術品であり、神器だからな」
プロ鑑定士なら誰もが知っている常識中の常識だ。
「だがそいつは大したレートじゃない。せいぜい二万ハクロア程度だ」
「だと思うだろ? だが今のこいつは本当に大したレートになってんだ。ラルガポットの噂も知っているだろ?」
そう言えばヤンクとステイリィが言っていた。
「悪魔を追い払う効果があるという奴か」
「そうだ。今この都市では悪魔の噂の事で皆恐怖している。そんな中、悪魔を払うとされるこのラルガポットは、当然人気の品となるだろ」
「……そういうことか」
つまり需要が増えたことで、販売レートが上がっているということだ。
「だから今やこいつの値段は相当なものだ。もはや一般人に手が出せるレベルじゃない」
「いくらくらいだ?」
「聞いて驚くなよ?」
ルークは握りこんだ拳を前にかざし、ゆっくりと全ての指を立ててみせた。
「五だ」
「五万か。かなり上がってるな」
「違うぞ。これ一つでなんと五十万ハクロアだ」
「五十万ハクロアだって!?」
ありえない金額である。ウェイルの予想を遥かに超えるほどの。
「すごいだろう? こんな小さい真銀の塊が五十万ハクロアだぜ? それなのに毎日買い注文が殺到、教会はぼろ儲けだよ」
「教会では販売してなかったぞ? それどころか悪魔の噂そのものを否定されたくらいだ」
「それはそうだ。教会としても悪魔を野放しにしていると認めると威厳に傷がつくだろ。それに教会は全てのラルガポットをオークションハウスから流しているんだ。そっちのほうが手に入る金額も大きいからな。俺らとしては動く金のでかい、ある意味最高の顧客だよ」
「――そういうことか……!」
ラルガポットは神器である。
真銀の浄化効果にラルガ教会の呪文印を施し、神の洗礼を受けさせる。そうすることで悪魔を払う効果が現れるとされる。
ただし呪文印を施すことが出来るのはラルガ教会本部の、それも最上位司祭のみと聞く。
そのため量産はまず出来ないし、販売額も全てラルガ教会本部が定めた値段でしか販売できない決まりである。
しかし個人的にオークションに流すことに関しては何の制約もない。自由なのだ。そこを上手く利用したのだろう。
「教会にとっては噂が流れている方がいいのさ。ポットが飛ぶように落札されるからな。噂を認め、自ら悪魔を退治しようとは思わないだろう。手間もかかるし儲からない。だからしらを切るのさ」
「なるほどな。教会も金のためなら悪魔だって放任するようだ。……自分で言って思うが酷い話だな」
ルークも全くだ、と深く嘆息した。
悪魔の噂で儲けた金で、セルクや他の絵も買ったのだろう。
そう考えると呆れてものも言えない。
「ラルガポットは量産が出来ないから数に限りがある。しかもこの噂だ。ラルガポットの高騰は留まることを知らない。つまり恐怖に怯える一般人が手に入らない状況が続いているんだ。神も悪魔も人々を苦しめるってのは、本当におかしな状況だよ」
ルークは飲み終えたコーヒーのカップをテーブルに置いた。
「明日はまた教会が大量にラルガポットを流しに来る。全くどれだけ儲けるつもりなのかね、教会は。まあ俺としても儲かるからいいんだがな。悪魔万歳ってか?」
「おい、その言い方は不謹慎だろ。犠牲者が出ていると聞いたぞ」
「すまん、少し口が悪かった」
ルークがふざけて言っているのは分かるが、ウェイルはこういう冗談が好きじゃない。
「教会の出品だから俺達も丁重に扱わないとろくな目に合わないんだよ。この後も明日のオークションに向けて準備をしないといけないしな。正直な話ラルガポットの大量出品だなんて、降臨祭と被るこの時期には勘弁してほしいものだよ」
「オークショニアも大変だよな」
「儲けの為に仕方ないさ」
そこまで話したところでウェイルは話の中の矛盾に気がついた。
(ラルガポットを大量に出品させる……?)
「おい、ルーク。大量に、とはどういうことだ? ラルガポットは量産が出来ないはずだぞ」
「さあな。俺にもよく判らん。なんでも急に大量入荷出来たそうだ。この都市の噂を聞いて本部が大量に製造したんじゃないか?」
大量出品。ウェイルが気づいた矛盾はこれだ。
教会はある程度ラルガポットのレートを保つために、製造する数を年毎に決めている。 一つ一つ作るのにもかなりの手間を要するラルガポットだ。大量生産なんて本来有り得ない。
とすれば考えられる可能性は一つ。
(贋作を作ったということか? それも有り得ないと考えるのが普通だ。呪文印の贋作など、"並"の贋作士には到底出来ない)
だが、ウェイルには"並"の贋作士ではない"真"の贋作士に心当たりがあった。
――そう、"あの贋作士連中"ならやってのける――。
ウェイルは自分の心の底から、ドス黒い感情が沸き上がってきたことを自覚していた。
(あの贋作士連中が絡んでくるとなると……)
教会のラルガポットが贋作だと、さらにあの連中が関わっていると決まった訳ではない。
しかし悪魔の噂とラルガポット、この二つの因果関係が教会にとって都合の良すぎる展開になっている。そのことがどうしても気になった。
今、ルークにそのことを指摘しようかと一瞬迷ったが、ここは止めておくことにした。
下手に指摘をして、もしルークがあの贋作士連中に目を付けられることになれば、命の保証は出来ない。
それにこのラルガポットが贋作だと考えた場合、奴らは教会と組んでいることになる。この都市に潜んでいる可能性は非常に高い。無駄なリスクを増やすことは賢明ではない。
全く証拠もない推理ではあるが、ウェイルにはこの違和感を拭い去ることは出来そうに無かった。
そこである考えを思いつき、ルークに提案する。
「明日、俺もラルガポットのオークションを見に来ていいか?」
「ああ、構わないよ。オークションは明日の午前十時から行われる。それよりも早く来な。現物を拝ませてやるよ」
「わかった。じゃあそろそろ帰るよ。明日の準備で忙しいんだろ?」
「かなり忙しいさ。客人の帰りを急かすような真似をしたつもりはないが、今回は本当に忙しくてな」
「いやいや、俺の為に時間を割いてもらって悪かったな」
「なんのなんの。いい絵を見せてもらったからおあいこさ。それより、気をつけて帰れよ。悪魔に襲われるかも知れんぞ」
「それは怖いな」
(襲われるかも、か)
悪魔の噂。ラルガポットの大量出品。
プロ鑑定士としての感が告げている。あの贋作士連中が近くにいると。
もし奴らが悪魔の噂に関係しているのなら、悪魔に襲われた方が奴らに近づける可能性が出てくる。だからむしろ襲われる方がありがたいなどと不謹慎な想像をしながら宿へと戻った。
結局、幸か不幸か襲われることはなかった。