サラーの涙
「――ということだ。この後のことは詳しく知らない。とにかく必死でここに来てお前たちを待っていたんだ……」
語り終わると、その場に腰を落としたサラー。
よく見ると憔悴していることが伺えた。
突如としてイレイズと引き裂かれることになったのだ。
彼女の精神的なダメージは相当なものだったのだろう。
そして彼女にはイレイズと志を共にする目的がある。
「……もう間も無く、『不完全』はクルパーカーに攻め込む。私はそれを止めなくてはいけない! イレイズと約束したんだ! ……でも私一人では無理なんだ。必死に電信を打ってお前たちを呼ぶだけで精一杯だった。イレイズは言っていた。お前たち二人に協力を求めろ、と。でも、イレイズが言っていたからお前たちに頼むわけじゃないんだ! 私が、私自身がお前たちに力を貸して欲しいんだ! イレイズの故郷を救うのを手伝って欲しい。お願いだ! ウェイル、フレス!」
サラーはウェイル達に向かって頭を下げた。
――違う。彼女はウェイル達に対して土下座したのだ。
あのプライドの高いサラーがである。
それほどまでに、サラーは追い詰められていた。
イレイズを助けられなかった不甲斐なさと、イレイズから託された国を守るという責任。
その二つに苛まれ、サラーはこの小さな体で悩んでいたのだ。
「サ、サラー!! 頭を上げてよ!! ねぇ、サラーってば!!」
フレスが必死にサラーに頭を上げるように求め続ける。
それでもサラーは無言で、頭を地面に擦りつけるように頭を下げていた。
ウェイルからしてみればイレイズの部族のことなど、本来どうでもいいことである。
だがウェイルはすでに知ってしまっている。
彼らがこれまでどれほど辛酸を舐めてきたか。どれほどまでに精神を切り刻まれてきたか。
「ウェイル!! ねぇ、ウェイル!! なんとか言ってあげてよ!!」
沈黙を貫いていたウェイルは、頭を下げるサラーに向かって重い口を開いた。
「……治安局が厳戒態勢をしいている。その中をイレイズが逃げ切れるとは到底思えない」
「ウェイル!! 何で今そんなこと!!」
抗議するフレスを無視してウェイルは言葉を続ける。
「ましてやクルパーカーのことは俺には全く関係ない」
「ウェイル!!」
フレスは憤りを隠せない様子だった。目を見開いてウェイルを睨み付けてくる。
フレスにとってサラーがどんな存在なのか、ウェイルは知らない。
しかしその絆は決して脆くないことをウェイルは感じ取っていた。
友人、いや親友なのだろう。
親友の痛み、悲しみ、怒りを損得なしに共有できるフレスの強さに、ウェイルは羨ましいと感じていた。
そんなフレスにウェイルは優しい笑みを浮かべ、そしてサラーの頭にそっと手を置いた。
「……だがな、相手が『不完全』であるとすれば話は別だ。奴らは俺達鑑定士にとっても最大の敵だからな。そうだろ? フレス」
ウェイルの言葉にフレスは一瞬キョトンとしていたが、言葉の意味を理解するや否やその顔はパァっと笑顔に包まれていった。
「そうだよ! あいつらは悪い奴なんだ! サラー、ボク達も協力するよ!」
「……恩に着る……!!」
涙を隠そうともしないサラーに、ウェイルは優しく頭を撫でてやったのだった。
「サラー、お前はよく頑張った。これからは俺達がお前を助ける。だからもう心配するな」
「そうだよ。ボクがついてるからさ! 安心してよ!」
「うう……うううあああ……ううわああああああああ!!!」
その言葉を聞いたサラーは、堰を切ったように声を上げてフレスの胸に飛び込み、涙を流したのだった。
――●○●○●○――
サラーの涙が止むのを待ち、三人はプロ鑑定士協会本部内にある、ウェイルの個室へ移動していた。
「おおおーーー! 凄く広い部屋だね~~~!! それに本もたくさんあるし!!」
「……全く無駄に広いな。鑑定士ってのは無駄が嫌いなんじゃないのか?」
すっかり涙も乾いたサラーは本来の辛口を取り戻していた。
ホッとする反面、生意気な性格が戻ってきて、思わず苦笑するウェイル。
「無駄言うな。ここにある蔵書は全部鑑定に必要なものだからな。……まあ部屋の広さに関しては同感だがな……」
――プロ鑑定士協会本部は、この競売都市マリアステルのシンボルになるほどの巨大建造物だ。
一度廊下に出ると、廊下の奥は肉眼では見えないほどだし、移動も基本的に神器を利用する。
ウェイルがプロ鑑定士になりたてのことは随分と迷ってサグマールに迷惑を掛けた。
鑑定士として板についてきた今でも、一度も入ったことのない部屋は数えきれないほどあるし、もっと言えば上がったことのないフロアだってあるのだ。
それほどの巨大な建物なのだから、当然部屋だって広くもなる。
ちなみにプロ鑑定士に合格すると、自分専用の個室を一つ貰える。
そこには門外不出の貴重な蔵書だって持ち込むことが出来るし、各部屋には鑑定道具一式が、最新式の状態で保存されてある。
食事だって頼めば持ってきてもらえるし、掃除だって行ってくれる。寝るためのベッドだってある。
下手な宿より快適な空間を鑑定士の為に演出されてあるのだ。
そのためプロ鑑定士の中には、自分の個室から出ることをせず、部屋の中だけで仕事を行う者もいるほどだ。
もっともウェイルはこの個室を有効利用しているとはお世辞にも言えないのだが。
「……広すぎて殺風景だ」
「俺はここをあまり使わないからな。物をあまり置いていない」
「わーーーー!! このベッドふかふかだよ~~~。…………ねよ」
「寝るな!!」
言ってるそばから寝息を立て始めるフレスを無視することにして、ウェイルは話をこれからのことに移した。
「サラー。お前は本来ここに入る資格のない者だ。下手に外を出歩いて誰かに見つかると大変だ。だからしばらくここに隠れていてもらう」
「しばらくって、それはいつまでだ!? 早くしないとイレイズが!!」
「そう焦るな。俺にも調べたいことがある。今この都市で何が起きているかを、な。お前の話から外の治安局の行動の意味については理解できた。だが、競売禁止措置については不明のままだ。誰かに詳しいことを訊いてきたい」
「……その間、私は一人でここの留守番をしていろと!?」
「留守番じゃない。隠れてるんだ。それに一人じゃないだろ?」
「ぐーーー……すぴーーーーー……」
間抜けな寝顔を浮かべるフレスへと指をさす。
「…………私が……フレスと、だと……」
「嫌ならいいさ。俺がフレスを連れてくから。でもお前に部屋の外をうろつかれては困る。フレスが監視役として不服なら、俺はお前を縄で縛りつけるだけだ」
「おい、ウェイル! そんなことしたら焼き尽くすぞ!?」
「嫌なら指示に従え。フレス、サラーの監視、頼んだぞ」
「……Zzz……」
眠るフレスの頭を撫でると「うみゅう」と返事が聞こえてきた。
「……全く、頼りがいのある返事だ」
ウェイルはサラーの手を取り、眠るフレスの隣に座らせた。
「……フレスは疲れている。少し連れ回しすぎたからな。だからフレスを一人にするのは不安なんだ。サラー、こいつの隣にいてやってくれないか?」
ウェイルの真剣な言いぐさに多少信頼を厚くしてくれたのか、
「……判った。フレスのことは私に任せろ……」
顔を赤くして了承してくれたのだった。
「じゃあ、俺は少し調べてくるから」
「……ああ」
ウェイルは部屋から出てクスリと笑う。
フレスの隣で、頬を緩ませて微笑むサラーがとても可愛かったからだ。
「……イレイズ、お前もいい相棒に恵まれたよな」
お前『も』を少し強調した独り言。
ウェイルの笑みはもう少しだけ濃いものになっていったのだった。
「ぐーーーー……すぴーーーー……くまーーーー……、ガブッ」
「いてええええ!! お前、フレス!! 私はくまじゃない!! 噛み付くな!!!」
「ふみゅう…………ぶた? ……ガブッ」
「ぎゃあっ!! や、焼き尽くすぞ、てめぇ!!」
久々に腹の底から笑ってしまった。
(……他の鑑定士に奇異な目で見られたことは黙っておこう……)