最後の恩返し
――演奏終了まで、残り7分30秒。
「お久しぶりね、イドゥ?」
「こちらとしては会いたくなかったがなぁ、アムステリアよ」
「娘に会いたくないだなんて、父親失格よ?」
「とっくの昔に失格判定を受けているぞ。ワシは何人もの息子娘達の死を見てきたのだからな」
ふうっと嘆息し、イドゥは天井を仰いだ。
「……今回のことでも、何人もな」
「イドゥ、それは貴方のせいでしょう?」
「そうだな。ワシのせいだ」
その声は少し切なげではあったが、反面冷たくもあった。
「ワシは酷い人間だ。捨て子や孤児を集め、父親面して自分の都合の良い様に教育した。皆ワシを父親と呼び慕ってくれたが、それを利用して手駒にしてきたのだから。ワシにとってはただの駒に過ぎんかった」
「私もその中の一人だったけどね。それでも私は貴方に感謝していた。リグラスラムで、ルミナステリア共々暴漢から助けてもらったあの時から、その気持ちを忘れたことはないわ」
「あれだって、元々目をつけていた才能を是非とも我が物にと、そういう下心があったからしたまでのこと。下心だけで言えばお前達を襲った男となんら変わりはない」
「そうだとしても、よ。私達孤児は恩人である貴方の為ならば何だってする。したい。その話を皆にしても、きっと同じ答えが返ってくると思うわ。そこまで想われるほど、貴方は立派な父親だった。……そして貴方も、その事が嬉しかったのでしょう?」
「……ああ、嬉しかったさ。自分みたいな贋作士崩れが、こんな善人ぶったことをしてな。皆がワシを慕い、嬉しげに笑顔を向けてくる。なまじ自分が真っ当な人間にでもなった気分になってな。いつの間にか自分は父親らしく振る舞わねばならないと、そこまで考えさせられたよ」
「今はどうなの? 私達のことは駒だと思ってるのかしら?」
「……駒だ。そう、駒だと思いたい。だが、そうは出来なくなってしまったよ。ワシは真っ当な人間ではないが、真っ当な人間にはなりたかったのだ。……ワシは父親という真っ当な人間の立ち位置に、恋焦がれていたのかも知れん」
「なら貴方は立派な父親よ。自信を持った方がいい」
久しぶりの恩人との会話に、少しばかり楽しいとさえ思ってしまう。
やっぱり自分は今でもイドゥのことが好きだったのだ。
でも、だからこそ、けじめをつけねばならないこともある。
「貴方は立派な父親。だからこそ、貴方は今何をしなければならないのかしら?」
「……何を、か。無論、メルフィナの野望を叶えてやりたいとは思う。その野望はワシの野望でもあるからな。この腐りきった世界を浄化するという、ワシの悲願だ――」
そこまで喋り、一度イドゥは言葉を切る。
――そして。
「――だが先に父親としてせねばならんことがある」
「それは一体何?」
「ワシの為に死に、そしてお前達のせいで死んだ――可愛い息子娘の仇討ちだ!!」
バチバチと音を立てて、イドゥの右手周辺の次元が歪む。
その中から一本の長い槍が姿を現し、それを握りしめた。
「私のやるべきこと。それは間違った道へと進み始めた恩人を、真っ当な人間のままに死なせてあげること! それが私なりの恩返し! 来なさい、イドゥ。今こそ貴方に恩を返すわ!!」
ヒュンと足で空を切り、臨戦態勢を整えるアムステリア。
「我が槍を避けることは出来ん!」
イドゥの持つその槍は、あの時自分達を襲った暴漢を殺した槍。
ほぼゼロ距離に近い場所から、突然現れる槍だ。
事前の予測がなければ避けることすら敵わない。
「お前さんのことだ。避けられないなら身体で受けると、そう考えているかも知れんが、それは止めておけ。理由は判るか?」
「ええ。持っているのでしょう? 私の『無限龍心』の力を弱める神器を。その力には何度も痛い目にあったわ」
「神器『星牢獄の宝球』。こいつがワシの手元にある限り、お前は普通の人間だ。槍も受けられんし、避けられん。いくら問題児のお前さんでも、今回は厳しいのではないか?」
「避けられない? ええ、私だけではそうでしょうね。だけど――リル!」
「はい。察覚で僅かですが時空の歪みを検知できます。テリアさん、三歩下がった後、一メートル程真上に飛んでください」
イルアリルマの指示通りに身体を動かす。
見事にイドゥの槍は目の前と、そして足元を通過した。
「へぇ、予想はしてたけど、一本ではないのね?」
「……一発で気づくか。やはりワシの娘の中でも一番の問題児だっただけのことはある。凄まじい洞察力だよ。ならば」
イドゥの視線がアムステリアから、後ろにいたイルアリルマの方へ向く。
イルアリルマの周囲の時空が歪む。
それを察知し、イルアリルマは軽い身のこなしで避けながら、ズンズンとイドゥの方へ迫った。
「お久しぶりですね。尤も貴方は私を覚えているかは判りませんが」
「……申し訳ないが、覚えていない。どこかで出会ったかな?」
「貴方がルシカに視力を与えた時のことを覚えていますか? 私はその時逆に視力を奪われた方の者です」
「……おお、そう言えばハーフエルフの少女を利用したな。思い出した。なるほど、その時の少女か」
「思い出していただけましたか? それは光栄です」
「その少女がどうしてここまで来たのか。視力を奪われたことへの復讐か?」
「いいえ、視力については別にいいんです。私は視覚と触覚、この二つを失くしたことで、逆に多くのことを知り、また経験しました。そのおかげでプロの鑑定士さんにもなれちゃいましたし」
「ならば何用だ?」
「二つです」
指を二本立てて、ニッコリと微笑んだ。
「一つはルシカのこと。私の大切な親友の人生を狂わせたこと。もしかしたらルシカは幸せだったのかも知れません。ですけど、貴方と出会わなければ、彼女はもっと幸せになれたかも知れません。少なくとも最後は親友の手でということは無かったと思います」
「……二つ目は?」
「二つ目は、私の母のことです。と言ってもこれは貴方一人だけのことでは無いかも知れませんが。私の母は『不完全』に裏切られ、奴隷として売られました。その結果出来たのが私と言う存在です。私は母のことが嫌いでしたけど、それでも母に苦しい思いをさせた者を許せない。貴方一人に全て罪を着せるのも酷い話かもしれませんが、貴方を倒すことで仇討ちとさせて下さい」
「……よかろう。是非そうしなさい」
「感謝します」
ぺこりとイルアリルマを頭を下げ、頭を上げた瞬間にすぐさま横へステップを踏む。
無限とも思えるようなほど、イドゥの槍は様々な空間から連続して現れる。
何処からどの角度で現れるか、それを察するイルアリルマの指示で、アムステリアは難なくと言った様子で槍を避けていた。
「ほう、やるの。実は今槍を四本使っておった。ワシは全部でこの神器を十本持っていてな。一本はさっきフロリアに折られてしまったが、後五本ほど追加して使用できる。これを躱すには当然そこのハーフエルフの指示がいるだろうが、果たして指示が間に合うかな?」
時空と空気を斬り現れる槍の数は、今の時点で四本。
もしこれが後五本追加となれば、攻撃の手数は今の倍以上。
到底避けることも、ましてや全てに指示を出すことも不可能だ。
だが、それを知ってもアムステリアとイルアリルマの表情に陰りはない。
むしろ上等だと言わんばかりの表情を浮かべていた。
「『裂け目隠れの聖槍』九本全てだ! 奴らを串刺しにしろ!」
ビュンビュンと飛び交う槍の数が倍以上に。
もはやその様子は四方八方から集中砲火を受けている格好だ。
――だがしかし。
「……当たっておらん……!? どういうことだ!?」
当たっていない。それどころか掠りもしていない。
一撃必殺の槍の集中砲火の中、二人は一滴の血も流すことなく、ゆっくりとイドゥに近づいてくる。
「な……何故だ!?」
目の前に迫った二人に、イドゥが狼狽え、一瞬だが槍の雨に隙が出来る。
「今です! テリアさん!!」
「うらああああああああああああああああああああ!!」
――ズンッ……!!
鈍い音がイドゥの身体から響いた。
「ご、ごはっ…………!!」
イドゥは身体をくの字に曲げ、崩れ落ちる。
今の蹴りで、イドゥの肋骨が何本か折れて内臓に突き刺さった。
堪らず口から血を吐き、痛みで呼吸も絶え絶えになる。
それと同時に二人を襲う槍は姿を消していった。
「……な、何故……!?」
虫の息となりつつも、イドゥはそう問うてきた。
「ルシカの力をお借りしたんです」
「る……るしか、の……?」
イルアリルマは首から下げていたネックレスを外して見せた。
「……それは……ルシカの、神器……!?」
「彼女の遺品です。私が貰うことにしました。この神器の力で、私の感覚をテリアさんに、そしてテリアさんの感覚を私に、互いに感覚を共有したんです。ですから私が指示を出さずともテリアさんは槍の場所が判るし、私もテリアさんと同様に機敏に反応できました」
「……そ、それには……エルフの薄羽がいるはず…」
「ええ。だから使っていますよ。ハーフエルフである私自身の薄羽を、ね」
そのネックレスの中央には、入れたばかりのイルアリルマの薄羽が光っていた。
「イドゥ。苦しいと思うけど、もう大丈夫。すぐに楽にしてあげるから」
「…………!!」
本格的に口から血が溢れ、自らの血で溺れそうになっていた。
「イドゥ、最後に聞いて欲しいの」
ふっと表情を緩めたアムステリア。
その時の彼女の目は、イドゥがずっと恋焦がれ続けてきた、娘が父親に向けて送る視線。
「貴方がいなければ、私はあの時リグラスラムで死んでいた。この命は貴方に貰ったもの。だから私は親孝行がしたかった」
何故だろうか。
アムステリアの言葉を聞いていると、痛みがすぅっと消えていくこの感覚は。
「『不完全』にいた時も、脱退した後も。ずっとずっと貴方に会いたかった。会って恩返しをしたかったの……!!」
アムステリアの瞳から、大粒の涙が浮かび、その涙は血に汚れたイドゥの顔を洗っていく。
「まさかこんな形で、恩を返さないといけないなんて思いもしなかった。本当はこんな恩返しじゃなくて、もっとイドゥが幸せになる、そんな恩返しをしたかったのに……!!」
――ああ、可愛い娘が泣いている。
リグラスラムで出会ったあの時の様に、頭を撫でてやらなくては――
震える手を伸ばして、アムステリアの頭に手を置いた。
「…………イドゥ!!」
懐かしいあの時の手。
最初はキョトンとしたけれど、本当はとても嬉しかった手。
堪らず、イドゥを抱きしめた。
「イドゥ、イドゥ!! イドゥ!!」
もう名前しか出てこない。
子供の様に、流れ出る涙を隠すこともなく、ただ感情のままに恩人の名前を呼んだ。
ぽんぽんとアムステリアの肩が叩かれた。
震えるイドゥの身体から離れると、イドゥはさらに多くの血を吐いた。
苦しい筈だ。 それは彼の吐いた血の量を見ても判る。
それでもイドゥは最後まで、ニッコリと父親が娘に向ける笑顔をアムステリアに向けていた。
「……イドゥ。これが私の恩返し。受け取って……!!」
アムステリアはイドゥの心臓の上に、そっと手を置いた。
そして泣きながら、最後は彼女も笑顔を彼に向けて、そして言った。
「私を救ってくれて、ありがとう――――お父さん……!!」
クッと手のひらに力を込める。
それだけで老いた人間の心臓を止めるには十分であった。
だらりと力なく腕が落ちる。
アムステリアは手拭いを取り出して、イドゥの顔の血を拭ってあげる。
そして頬っぺたにそっとキスをして、立ち上がって自分の涙を拭った。
「……後、何分くらい?」
「おそらく三分くらいです」
「そ。そのネックレスでイドゥの記憶の情報はとれた?」
「はい。大丈夫です。……それで……あの、私なんて言ったらいいか……」
「リル。それは全部後回し。今はすべきことをしないとね」
「そ、そうですね……。……テリアさんって本当に強いです」
「アハハ、今更そんなこと言われてもね。知っていたでしょ?」
それは気丈な口調であったが、彼女の肩は小さく震えていたことを、イルアリルマは知り、そして見ていないふりをすることにした。