リーダー
それから一ヶ月。
絵画は無事に完成した。
作品は会心の出来で有り、金賞は無理でも、その下の銀、銅程度であれば十分狙える範疇の作品であった。
銅賞でも五十万ハクロアというまとまった金が手に入る。
喜ぶリーダーの顔が見たくて、また予想できて、アノエは少しだけ心弾ませながら、完成の余韻に浸りつつ眠りについた。
――――
朝起きると、目の前にリーダーの顔があった。
彼の顔は最近の彼にしては少し柔和で、初めてであった時の顔に似ていて、少しだけ照れてしまう。
だが、これでは絵画を描いていたことがばれてしまう。
昨日完成したばかりの作品を隠そうと思ったが、すでにここに男がいる以上、隠すのも不可能なので、とりあえず作品を見せようと作品を探した。
だが、昨日確かに作品を置いてあった場所には、何も無い状態になっている。
どこに行ったのか探そうと立ち上がったとき、アノエの肩に男の手が置かれた。
彼は開口一番「ありがとう」と口にした。
そして彼は「君が傭兵団の為に絵をコンクールに出してくれようとしたことは知っている」とそう続けた。
彼にはとっくにばれていたようで、恥ずかしさから赤面してしまうが、男は笑って彼女に「ありがとう」と口にし続けた。
彼が言うに、コンクールには早く出した方が有利になるということで、実は昨日の深夜にこっそりと部下を使い、絵画をヴェクトルビアへ投稿しにいったとのこと。
疲れているアノエに負担を掛けたくなかった、勝手な事をして済まないと頭を下げてくれたので、アノエも別にいいと笑って返した。
結果が出るのは一ヶ月後。
そこで彼の笑顔をもう一度見ることが出来れば、アノエにはもう何も要らなかった。
この時、すでにアノエの心は、人を斬る楽しさ以上の楽しいことを覚えていたのだった。
――――
一ヶ月後、結果が出る。
王都ヴェクトルビアにあるルミエール美術館に、作品と共に結果が張り出された。
傭兵団の皆は先にヴェクトルビアに向かったとのことで、アノエは一人遅れてルミエール美術館へと赴いた。
汽車の遅れもあり、アノエがルミエール美術館へたどり着いたのは、結果告知から三時間が経過した時であった。
ルミエール美術館へ入り、自分の作品があるか急いで探す。
「あ……!!」
そして――見つけた。
自分の描いた作品が、なんと金賞の所にあった。
嬉しすぎて涙が止まらない。
これでまたリーダーや仲間達の笑顔を見ることが出来る。
そう思い、一歩前へ出て作品を見たとき――とある異変に気がついた。
作品の下にある制作者の名前が――アノエではなかったのだ。
そこにあった名前は、リーダーの本名であった。
場内に歓声が上がる。
見ると、今まさに表彰式が執り行われていた。
金賞のトロフィーと、そして賞金を受け取り、ホクホクの笑顔のリーダーがそこにいた。
見たいと思っていた笑顔がそこにあったのにも関わらず、アノエはペタンとその場で腰をとしてしまう。
世界の全てが、一気に灰色に見えていく。
なんだか家族親戚を一気に失った、あの戦争の時に戻ったかのようだった。
――――
一足先にアノエは呆然とした足取りで、ルーテルスターのアジトへと戻っていた。
もう何も考えられない。何も信じたくない。
そんな気持ちが心を支配して、目に映った全てのものを腹立たしく思える。
大切に使っていた筆やパレット等の画材を、全て砕いた。
このアジトも全て怖そうと、ふらりとリーダーの部屋に入る。
そして何故か部屋にあった巨大な金庫が目に付いた。
確かの金庫は、リーダーが敵から手に入れた戦利品を保管している金庫だったはず。
部屋を物色すると、机の中にある隠し引き出しの中から鍵が見つかった。
錠に鍵を刺して回すと、カチリと開く音がした。
金庫を開けてみる。
そこには数々の神器が保管されてあったが、アノエの目に止まったのは、その中でも一際巨大な剣であった。
ぐっと掴んでもびくともしない。
動かすことすら出来ない剣だったが、不思議とこの剣が気になって仕方なかった。
そんなところに、笑顔が収まらない様子のリーダーが帰ってきた。
リーダーとアノエの視線が、ぴたりと交差した。
「……アノエ、お前は一体ここで何をしている?」
「それはこっちも聞きたい。リーダー、どうして私の名前で投稿しなかった」
「どっちだって一緒だろう? 結局金は俺の元に来るんだからな。ならばついでに金賞という名誉も頂いておきたかった。今後の飯の種になる可能性もあるからな。どうせお前は名誉なんて必要ないだろう? 勿体ないから俺が利用した、それだけのことだ」
「……いけしゃあしゃあと、よくもそんな事……!!」
「最初からお前は俺に金をくれるつもりだったんだろう!? ならいいじゃねえか! ……それよりお前こそ、この部屋で何をしている。その金庫をどうして開けている?」
「さあ。この剣が気になっただけ。それだけだ」
アノエは生まれて初めて、頭の芯から熱くなるような怒りを覚えていた。
自分では最初気づいていなかったが、彼女の身体にはギンギンに魔力が漲っていた。
ぴくりともしなかった剣が、少しだけ軽くなった気がした。
「出て行け、全てを置いてな。金は手に入った。もう用はない」
「……どうして私をこの傭兵団に誘った!!」
「お前の狂い壊れた心は金になると踏んだからだ。この業界、世間から『異端』という烙印を押された者ほど、活躍できるんだからな。事実お前は戦争中、本当によく稼いでくれた。それでいてお前にはちんけな小銭を渡せばいいだけなんだから、これほどいい使いっ走りはいない。最後はこうして大金を俺の所に持ってきてくれたしなぁ!!」
「……そうだろうな……、私は、一体何を期待していたんだろうな……」
そうだ、考えても見れば傭兵という生き物は、全て金を中心に生きている。
少しばかり彼らに暖かくされ、ちやほやされて、自分は少し勘違いをしてしまっていたようだ。
この瞬間、彼女の心にあった『楽しみ』の全てが無に帰った。
それと同時に、とある衝動が心を支配していく。
アノエは思い出した。
自分が傭兵になったのは『人を斬りたい』という願望であったことを。
「全てを置いて出て行け。お前のような危険で『異端』な者は、もうここには置けん。お前には百万ハクロアも稼がせてもらったし、このまま出て行くなら命は取らない。俺なりのせめてもの慈悲だ」
「は、慈悲!? 傭兵にそんな心があるなんて驚きだ! 貴様はもう傭兵ですらない。ただのしがない盗人だ! 金は渡してやる! その代わりこの剣はもらう!!」
「……馬鹿女が。お前に選択権などない。生きたいか死にたいか、それだけを聞いている!」
「お前を殺す。それ以外選ぶ気は無い!!」
アノエの身体は完全に怒りに支配され、心は人を斬るという欲望に支配されていく。
魔力がさらに充実し、身体が軽くなる。
それに呼応するように、握りしめた剣がさらに軽くなっていった。
「者共! 全員集まれ!!」
リーダーの男の号令で、数十人もの男が部屋に入ってくる。
「アノエを殺せ」
「ボス、殺す前に犯してもいいか? あいつ顔もスタイルもいいからな、ずっとやりたくてたまらなかったんだ!!」
「俺もだ!!」
「好きにしろ。だが最後は必ず殺せ。いずれに復讐に来てもらっては困るからな」
「了解。さ、お前ら、楽しもうか?」
じりじりと滲み寄ってくる、下種な顔を浮かべるかつての仲間達。
昨日までのアノエであれば、彼らを殺すことを躊躇したかも知れない。
だが、今のアノエはそうじゃない。
彼らのを顔を見ると、昔身体を売って、その際に殺した連中達の事を思い出す。
(……なんだ、こいつらも一緒だったんだ)
もうアノエには、彼らのことがただのおもちゃにしか見えない。
ブゥンと魔力が剣に漲っていくのを感じる。
もうこの大剣は、普通の剣と同じくらいの軽さになっていた。
「まずは俺からやらせてもらうぜえええええええええええ!!」
「しねえええええええええええええええええええええええ!!」
真っ先に飛び出してきた男に、アノエは大きく剣を振りかぶり、そしてそのまま振り下ろした。
剣は男の顔に直撃。
それはもう切断ではなく、踏みつぶす形だった。
「あ、あの剣は!! 俺達が三人がかりでも運ぶのが大変だったはずなのに!!」
「ど、どうしてそんなに軽々と……!?」
「次はお前だああああああああああああああ!!」
アノエは軽々と大剣を振り回し続ける。
周囲にある机や置物も粉々にしつつ、人を斬る快感を久しぶりに満喫していた。
時間にしておよそ一分。
わずかそれだけの間に、この場にいた男全員が、ただの肉塊と化していた。
リーダーの男は逃げたようだが、まだこの近くにいるはずだ。
ブンと剣を振ると、その衝撃はだけで壁が崩れた。
アノエは壁を破壊しながら突き進んでいく。
そしてついに最後の部屋へと追い詰めた。
この部屋は何の因果かアノエの部屋だった。
部屋に入ると、リーダーの男が部屋の隅っこで丸くなっていた。
先程から続く巨大な破壊音に恐怖を覚えたのだろう。
「ここにいた。殺す」
「ま、待ってくれ! 金なら返す! その剣もやる! だから命だけは見逃してくれ! なぁ、また二人で組んで傭兵家業を続けようぜ、なぁ、そうしようぜ!!」
この期に及んでそんな甘いことを言ってくるリーダーに、アノエは大声で嘲け笑った。
「アーッハハハハハハハ!! お前、傭兵の癖にそんな事言ってるの!? もし同じ事を戦場で言われて、お前はその敵を助けるのか!? 傭兵が敵を助けるなんて、大笑いも良いところだろう!?」
「あ、アノエ、頼む、命だけは!!」
「ダメだ。お前の命は、私とこの剣にとって初めての戦利品なんだから!!」
大きく剣を振りかぶって、そして――
「貰い受ける」
そう呟いて、アノエは剣を無慈悲に振り下ろした。
リーダーから飛び散った血は、アノエからの破壊を免れた白いキャンバスに真っ赤なアートを描いていた。
――――
血塗れとなったアジトから一歩出て、煉瓦の壁に肩をつけてズルズルとのさがり腰を落とす。
剣に付いた血を拭き取ることもせず、ただ呆然とアノエは徐々に沈む夕日と空を眺め続けた。
大陽が山に半分隠れる位になったとき、長い影がアノエの近くへと伸びてきた。
その影はアノエの前で止まり、そして声を掛けてきた。
「うん、君もすっごく『異端』な人間だね」
「……誰?」
声を掛けてきたのは、まだ幼さの残る声をした青年。
顔に仮面を付けているので、表情は判らないが、普通の人間でないことだけは判る。
「僕? 僕は君と同じ、どこか心がおかしい、この世界では『異端』とされる者さ」
「『異端』……?」
それは、リーダーも自分に向けて使っていた言葉。
「そう、私、『異端』だったんだ」
だから今もこうして一人でいるのか。
『異端』とされている者は、どこまでも孤独なのだろう。
「だからさ、僕と一緒に来ない? 僕らみたいな『異端』な者は、寄り添い生きていかないと、孤独になってしまう。だからさ、寄り添おうよ」
「いいの……? 私、多分また一人になるよ」
「ならないよ! 僕の仲間は君かそれ以上に壊れているんだ。だから壊れている者同士気が合うって! どう?」
「……判った。行く。どうせ行くとこもないし。……貴方のことをなんて呼べばいい?」
「リーダー! そう呼んで!」
「リーダー……。うん、判った」
――リーダー。
その呼ぶ相手が、昨日と今日で変わった。
だがアノエにとってそれが誰であれ、リーダーとまた呼べる存在が出来たのが嬉しかった。
こうしてアノエは『不完全』に入り、メルフィナの事をリーダーと呼び、慕っていった。
新たなリーダーは、アノエの心の寒気を、全て取り払ってくれる存在になっていった。