中央階段での攻防
――時刻は午後七時半。
この時期の日の入りは早く、辺りはすでに闇の静寂に包まれている。
フェルタリア王宮――地下用水路。
正面の巨大門を回避して、その隣にある用水路用の小道から王宮へと侵入することにした一行は、フレスとミルの手から放たれる魔力光を頼りに薄暗い道を進んでいた。
「ここだ」
シュラディンはとある煉瓦造りの壁の前に立つと、そこに右手を当てる。
少しばかりの魔力光が生じたかと思うと、壁はズズズと音を立てて横にスライドしていく。
「フェルタリアは今でこそ『滅亡都市』と呼ばれているが、元々の二つ名は『神器都市』。神器の生産が盛んだった故についた名前だ。当然その中心たる王宮には数々の神器が使用されている」
「ここもその一つということだな」
「これより先は王宮内だ。目的地は王の書斎。場所は第三階にある、階段から北西の方向へ行ったところの三つの目の部屋だ。メルフィナはおそらくその部屋の奥の隠し部屋にいる」
「三階か……」
近づけば近づくほど判る、この王宮の巨大さ。
王都ヴェクトルビアの宮殿の二倍以上の大きさはあるだろうか。
「『異端児』の連中の内、すでに三人は倒した。残りのメンバーは何人だ?」
「メルフィナとイドゥ、それにアノエって女とルシャブテという男。そして光の龍だ」
「もし奴らと遭遇したら、皆で立ち向かう必要はない。何人かで食い止め、他は先に進むばいい」
「問題はティアが現れた場合だよ。龍はボクら龍でしか戦えない。だからティアが出てきたらボクとミルでやる。サラーがやっつけてくれていればいいんだけど、それでも万が一ってことを考えないと」
先に侵入したサラーの事、そしてイレイズのことも気になる。
「イレイズ、無事でいてくれたらいいんだが……!!」
何とかしてイレイズを救出してやりたいものだが、そんな余裕があるかどうかは判らない。
「行くぞ……!」
シュラディンを先頭に、ついに王宮へと侵入した。
――●○●○●○――
――フェルタリア王宮 第一階。
「第一階から上に昇る階段は中央広間にある。急ぐぞ」
シュラディンの後に続いて、皆無言で走る。
周囲への警戒を怠ることなく走っていたのだが、ウェイルの視線はというと王宮の廊下全体にあった。
こんな時に不謹慎かもしれないが、この故郷の光景に懐かしさを覚えていた。
(……そう言えばこんな所だったか……、なんだか自宅に帰ってきた気分すらある)
幼少期の記憶を辿ると現れる、王宮の内装。
かなり風化しているものの、当時の記憶そのままの光景だった。
フレスとミルの魔力光に照らされて映るは廊下に飾られた絵画たち。
この中にはもしかすればセルクの作品すら存在するかもしれない。
「あそこだ」
廊下を抜けると、大きな吹き抜けが現れる。
その奥には巨大な階段があった。
廊下は真っ暗であったと言うのに、この吹き抜けだけは、天窓から入る月明かりによって光り輝いている。
「……おでましだな……!!」
そんな光り輝く階段の中二階。
そこにギラリと怪しく艶やかにぎらつく銀色の刃を携えた少女がいた。
彼女の放つ圧倒的な殺意に、一同一瞬足が止まる。
月明かりを顔から浴びるかのように天を仰ぐ少女は、ゆっくりと背中の剣に手を欠けて、そして言葉を紡ぎ出す。
「待ってた。きっとお前達はここに来ると思ってた。イドゥとリーダーの邪魔をしに、ね」
ゾクッとするほどの冷たい声。
大人三人がかりでも担ぐのは困難であろう、超巨大な剣を、彼女はスラリと伸びる細い右手に持ち、床に振り下ろした。
ズガァンと床の砕ける音。ぴしぴしと亀裂の入る音。
そのどちらも発しながら、彼女は一同の前に立ち塞がった。
「アノエちゃんね? そこをどいてくださるかしら?」
彼女の放つ覇気など物ともしていないアムステリアが、不敵な笑みを浮かべてそう言った。
「貴方、私達にとってはとっても邪魔なの。またボコボコにして欲しいのかしら?」
「お前はアムステリア……!! 私はお前を絶対に殺す……!!」
「だそうよ、ウェイル。ということでここは私が引き受けるわ」
「誰一人通す気はない。全員ここで死ぬ」
「――来るぞ……!!」
アノエはぐっと剣を握りしめた瞬間、一気に床を蹴り、飛翔し階段を降りてきた。
その勢いをそのまま、剣に伝えて、床を思いっきり叩き付ける。
「凄まじい一撃……!! やるわね……!!」
剣の衝撃は王宮全体を揺らすほど。
直撃した床は粉々に粉砕され、その風圧で皆吹き飛ばされてしまう。
「皆、急いで! 彼女に階段を壊される前に昇るのよ!!」
「行かせない!!」
アノエの動きは異常なまでに素早かった。
巨大な剣を持っているというのに、その速度を目で捉えることすら難しいほどだ。
「階段ごとぶっ壊す!!」
「そうはさせんのじゃ!!」
思いっきり剣を振りかぶったアノエに、ミルが魔力を放つ。
ミルの力によって生まれた小さな植物は、瞬く間に生長して巨大な蔦となり、アノエの身体を縛り上げた。
「皆、急げ! 今のうちじゃ!」
「ありがとう、龍の娘! 貴方も早く行きなさい!! 貴方の相手は龍なんだから!」
「うむ!!」
折角ミルが作ってくれた好機だ。
一同一目散に階段を駆け昇っていく。
「――俺も混ぜてくれよ、アノエ」
どこからともなく声がしたと思えば、瞬時にアノエに纏わり付いていた蔦がバラバラになっていた。
「誰だ……!?」
コツコツと石畳の階段を下りてきたのは、赤い長髪の男。
長い爪を光らせながら、楽しげに唇を歪ませていた。
「お前は――ルシャブテ……!!」
「よお、また会ったな、糞鑑定士。真珠胎児の時の借りは返させてもらう」
「お前なんかを相手している時間などないんだがな!」
「下にはアノエとアムステリアか。面白そうだ。糞鑑定士、遊んでいこうぜ」
「だから時間がないって言ってんだろうが!」
「黙れ。お前に時間があろうがなかろうが、俺と戦うことは決定事項だ。……そうだな、こうすればやる気がでるか?」
「なにっ……!?」
突然、目の前にいるルシャブテの姿がゆらりと歪んだ気がした。
その直後、ルシャブテの姿が忽然と消え去る。
「消えた……!?」
「――きゃあ!?」
悲鳴の主、それはギルパーニャだった。
そしてそのギルパーニャを背後から押さえつけていたのは、目の前から消えたはずのルシャブテであった。
「この女を人質にすると言えば、少しはやる気が出るだろ?」
「ギルパーニャ!!」
ルシャブテは剣の様に伸びた四本の爪を、ギルパーニャの首に食い込ませていく。
「どうだ? 遊ぶ気にはなったか?」
「……ああ。かなりやる気になったよ……!!」
突然消えて、突然現れる。
人間の出来る芸当ではない。
ならばこれは何らかの神器の力だ。
ルシャブテの姿が歪んだ瞬間消えたことを思えば、脳裏に浮かんだのは大監獄『コキュートス』でのダンケルク達の空間転移。
「……転移型神器を使うのはお前だったか……!!」
「ま、そういうことだ」
非常に厄介なタイプの神器だ。ルシャブテを排除するならこの時しかない。
ウェイルの右手に魔力が集まる。
「師匠達は先に行ってくれ。ギルパーニャは俺一人で助け出す!」
「ウェイル兄! 何言ってるの! 私に構わず先に行かなきゃダメだよ! さっきそう誓ったんじゃないの!?」
「お前を見捨てて先になんていけるか!! それにこいつの神器は厄介だ。誰かがこいつを倒さなければならない!」
「ウェイル兄……!!」
「ウェイル、ボク達も戦うよ! ギルは親友なんだ、助けたいよ!」
「ダメだ。もうあまり時間は残されていないし、こんな所でお前の魔力を無駄にして欲しくはない。敵にはまだ龍がいる。フレスとミルにしか、龍の相手は出来ないんだ!!」
今のフレスは龍の姿になれない。
つまり一度で放出できる魔力の量には限界がある。
これから先に控えている強敵、光の龍ティマイアの事を考えれば、フレスは極力温存せねばならない。
いくらこちらがフレスとミルの二人で戦えるとしても、ティアは同族最強属性の光を持つ。
ここで少しでも消耗してしまえば、勝つ見込みはなくなってしまう。
「レイア、ミル、皆を連れてってくれ……!!」
「……任せてくれ」
「いくぞ、フレス! 急ぐのじゃ!」
ミルはフレスの腕を引っ張ると階段を上がっていく。
だが、そんなテメレイア達をルシャブテは逃すつもりはなかったようだ。
ルシャブテの背後の空間が歪む。
次の瞬間、テメレイア達の行き先を塞ぐように空間が歪み、そこから巨大化した爪が壁を為すように出現したのだ。
「こいつにはこういう使い方もあってなぁ。俺は全員と遊びたいんだ。勝手に逃げるなよ?」
「……ルシャブテ……!!」
「さて、全員のやる気を一気に出すには、この女に死んでもらうのが一番いいか? 怒りという感情こそが、人間を最も狂気へと駆り立たせてくれる。さぞかし楽しい宴になるだろうよ!!」
にやりと嫌らしい笑みを浮かべて、ルシャブテはギルパーニャの喉を舐めるように爪で撫でた。
「ちょっと、後ほんのちょっと指に力を込めるだけで、この首は胴体から離れるだろうよ。その後でゆっくりと目をえぐらせてもらおうか。集めているんでなぁ」
「や、止めろ!!」
ウェイルは腕を伸ばしてルシャブテを止めようと試みた。
だが、すでに爪を首へ当てているルシャブテより早く動くことは物理的に不可能だ。
「さあ、お嬢さん、お別れの時間だ!!」
ルシャブテは高らかに宣言し、指に力を込めた。
「ギル―!!」
フレスの咆吼が轟き、最悪の瞬間が皆の脳裏に過ぎった、その時。
「――相変わらず趣味が悪いですね、貴方は……!!」
突如として天井から何かが降ってきたと思えば、その降ってきたものは巨大な音を立ててルシャブテの爪に衝突していた。
あまりにも強い衝撃だったのか、ルシャブテの爪は粉々に砕け去る。
どさりとギルパーニャが床に落ち、ルシャブテも衝撃にのけぞっていた。
それと同時に立ち塞がっていた爪の壁も消え去る。
「お嬢さん、無事ですか? 何とか間に合いましたか」
「わ、私、助かってるの……?」
首筋を確認すると、少し切れているだけで、首と胴体は繋がっている。
「だ、誰が助けてくれたの……?」
ウェイルでもフレスでも、誰でもない。
目の前に現れていた白髪の男が、自分を助けてくれた。
「ウェイルさん、ここは私に任せて下さい。彼女も私が助けていきますので、ご安心を」
「お、お前……、い、イレイズか!?」
「はい! お久しぶりですね」
「イレイズさん!!」
天井から降ってきた男、その正体はイレイズであった。
右手をダイヤモンド化させて、ルシャブテの爪をへし折ったのだ。
「お前、一体どうして!? それにサラーは!?」
「急いでいるんでしょう? 話は全部後です。先に行って下さい。貴方の大切なお嬢さんは、私が命を懸けて守りますから」
紙一重で助かったとは言え、ギルパーニャはまだルシャブテの足下にいる。
それに見るとギルパーニャは今動けそうにない。
今受けた強烈なる恐怖によって足が震えているからだ。
「……行って下さい。私は彼女を守ります。ですからこちらからもお願いです。サラーを助けて下さい……!!」
「サラーを助ける!? サラーに何があったの!?」
「私を助けるために、敵に捕まってしまいました。敵は光を司る龍。到底私には勝てません。勝てるのは同じ龍であるフレスちゃんだけです。ですから私は私が出来ることをします。例えばこの三流贋作士を倒すこととか、ね」
「イレイズ……!!」
「サラーのことはお任せします!! お二人とも! さあ、行って下さい!!」
「行かせねーっつってんだろ!!」
鞭のようにしなる爪が伸びてくるが、それらは全てイレイズのダイヤモンドの腕が盾となってくれた。
「行こう! 後はイレイズ達に任せよう!!」
「ああ。イレイズ、俺の妹のギルパーニャは任せた!」
「お名前はギルパーニャさん、ですね。判りました。お任せを!」
もうウェイル達は後ろを振り返ることはしなかった。
仲間を信じ、全てを託す。
そして託された想いを背負い、階段を上へ上へと昇っていく。
ウェイル達が階段を上がりきった瞬間だった。
巨大な衝撃音と共に、一階の階段が崩壊したのだった。