為すべきこと
「君の指輪はもう使えない。投降するべきさ」
「そうかな? 確かに指輪はもう駄目だ。だが俺にはまだこいつがある」
スッと背中から抜いたのは相思相愛剣。
「魔力が出せぬ以上、こいつはただの刀身にヒビが入った双剣だが、お前さんの首元を掻っ切る程度ならば問題はないだろう」
「な……! まだやるのか!? もう勝負はついた!」
じゃらりとポケットからガラス玉を取り出す。
「勝負はついた? いや、まだだ。終わってないさ。俺は今回本気だと言っただろう? 俺が死ぬか、お前らが死ぬか、そのどちらかになるまで戦い続けるさ。何せ本気なんだからな」
そう言うが早いか、ダンケルクは一気にテメレイアへと詰め寄った。
魔力自体は封じられていても、元々ダンケルクの戦闘能力は高い。
それに今までの戦いでは、ほとんど神器を用いていた為、ダンケルクに体力の消耗など一切ない。
如何にテメレイアが天才で、『アテナ』のコントローラーであろうと、彼の物理的な速さと強さには手も足も出ない。
「イドゥからお前さんは利用価値が高いから殺しては駄目だと言われているんだけどな。ま、多少怒鳴られちまうかも知れんが、殺しちまってもいいだろう。要は『アテナ』の魔力を引きだせればいいだけなんだろうからな。本だけ奪えばいい」
「…………!?」
相思相愛剣の切っ先が、テメレイアに迫る。
ガラス玉を構えていたのに、あまりにもダンケルクの動きが早すぎて、投げることすら敵わない。
さらにこの至近距離で爆発を起こせば、テメレイア自身ただでは済まない。
「御嬢さん、死んでくれ。心配はいらん。愛するウェイルも、すぐに送ってやるからな」
「ひっ……」
圧倒的なる殺意に当てられ、身の竦んだテメレイアに、ダンケルクの剣を避ける余裕などない。
「ウェイル……!! 助けて……!!」
死にゆく間際、とっさに漏れた愛しい人の名前。
「――勿論だ! レイア!!」
「……ウェイル……!?」
突然テメレイアの視界に細い氷の剣が見えたかと思うと、彼女の目の前で敵の剣は動きを止めた。
「ウェイルか、もう起きちまったか。お早いお目覚めだ! 女をギリギリで助けるなんて、実にヒーローみたいなやつだ」
「ウェイル!!」
テメレイアを庇うようにウェイルがスルリと二人の間に身体を入れ込み、ダンケルクの剣を受け止めていた。
「待たせたな、レイア。後は任せてくれ!」
「後は任せろ? 違うな。先に逝ってる。こう修正すべきだ」
「そうか。なら言い換えよう! 先に逝っててくれ! ダンケルク!!」
ウェイルは受け止めていた双剣を力いっぱい薙ぎ払った。
「うぐ……!!」
思わずのけぞるダンケルクに、ウェイルは氷の剣を大きく振りかぶる。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
「熱いねぇ、ウェイル!! 剣は氷だと言うのに、実に熱いねぇ!! こい、ウェイル!! 最後の勝負だ!!」
「ダンケルクううううううううううううううううううううッ!!」
ウェイルの『氷龍王の牙』と、ダンケルクの『相思相愛剣』が激突。
そして決着は一瞬で着いた。
「……卑怯だぞ? 最初は一対一でという話だったと思うが……!!」
「申し訳ないね。だが俺もレイアも鑑定士としては半人前でな。二人でようやく一人前と言うわけなんだ」
「……そうか? 俺から言わせれば、お前は随分前から一人前だったよ……。一人前の、最高の、後輩だった……!!」
ウェイルの氷の剣が、ダンケルクの肩から腹にかけて切り裂いていた。
「……いい剣だよな、その氷の剣……!! こんなになっても、まだこれだけ話せるんだから……!!」
氷の剣は切り裂いた場所から凍りつかせ、出血を食い止めている。
だがそれも時間の問題だ。
後から溢れ出る血は止まることはないし、ここまで重傷を負って無事で済むはずもない。
「……『相思相愛剣』も限界だったしな……」
ダンケルクは堪らず膝をつく。
傍らに落とした、刀身の砕けた愛用の神器を見ながら、力を抜いた。
「……すまんな、世話かける」
「別にいいさ。たまには頼って欲しいよ、先輩」
力なく崩れ落ちる身体を、ウェイルが抱きしめて支えた。
「ああ、実にいい気持ちだよ。なんだろうな、たまには頼るのも悪くは無いかも知れん」
「……ずっと頼って欲しかったよ、あの時だって……!」
ダンケルクの身体が徐々に冷たくなっていくのを感じる。
ずっと尊敬していた先輩を、この手で切り裂いた。
その罪悪感が、あの時ダンケルクを救えなかった自分自身の気持ちと重なり、ウェイルの瞳からは涙がボロボロ流れ落ちていた。
「どうしてあの時、俺達を待ってくれなかったんだ!! そうしたら、今俺はこうやって尊敬すべき先輩を殺さずに済んだのに……!!」
「……まだ尊敬していてくれたのか……。実に嬉しいねぇ……! やはりお前さんは最高の後輩だったよ。…………ぐはっ……!!」
「ダンケルク!!」
ダンケルクは口から大量に血を吐いた。
そんなことはお構いなしに、ウェイルはさらに強くダンケルクを抱きしめる。
「お、俺はな、ウェイル……、俺は、お前と、ア、アムステリアには、本当に感謝してたんだ……。さ、裁判所でお前とすれ違っただろ……? お前は俺の無実を証明するための材料を、必死にかき集めてきてくれたんだろ……? 俺は涙が出るほど、本当に嬉しかったんだ。……それで思った。プロ鑑定士協会には、まだ、お前達がいるんだって……! 俺がいなくたって……協会は安泰、だって、な……!!」
ヒューヒューと息も絶え絶えになり、ダンケルクの声も小さくなる。
それでもウェイルは、最後の一声たりとも絶対に聞き逃さないようにと、ダンケルクの口元に耳を寄せる。
「……聞け。イドゥや、リーダーは、『フェルタクス』という神器を使って、この世界と異世界を繋ぐ気でいる。……フェルタリアで昔起きた事件のようなやり方で、な……!!」
「ダンケルク……? お前!」
「お前さんの過去と大きく関わりがあるんだろう? つまり、リーダーはこの世界を消す気でいるということだ……!! ……先輩からの最後の忠告だ……!! イドゥの神器に気をつけろ……! 奴は、未来を知ることが出来る……!!」
「どうして、今それを俺に!?」
「あの時の御礼をしたまでだ……! 後輩に借りを作ったままでは死ぬに死ねんからな……!!」
ダンケルクはもう限界だと言わんばかりに瞳を閉じる。
凍り付いていた傷口からも、ついに大量に出血が始まる。
ダンケルクは本当に最後の力を振り絞り、震える声で、こう告げた。
「……俺を殺してくれたのが、俺を止めてくれたのが、ウェイル、お前で実に良かった……」
「――ありがとうな……」
それだけポツリと呟くと、それがダンケルクの最後の言葉となった。
「ダンケルクッ!!」
血塗れの身体のダンケルクを揺さぶり、何度も声を掛けた。
だがダンケルクにウェイルの声はもう届かない。
「ダンケルク!! 畜生、どうして! どうして俺達が戦わなければならなかったんだ!!」
「ウェイル……!!」
ずっと見守っていたテメレイアが、堪らずウェイルに寄り添った。
「尊敬していたんだ! ずっとずっと、俺はダンケルクを尊敬していたんだよ!! 心の底から頼れる兄貴分で、そして親友だったんだ!! そんなダンケルクを、俺は……、俺は……!!」
「ウェイル!! もういいんだ! ウェイルは悪くない! 為すべきことをした! それだけだ!」
背中にテメレイアが抱きついた。
それすらも今のウェイルには鬱陶しく感じた。
「俺が為すべきこと! そうさ! ここに来たのは故郷を守る為! 『異端児』達を止めるためだ! でも、決して尊敬する先輩を殺す為じゃない! これは為すべきことなんかじゃない!」
「それは違う! だって君は、僕の命を救ってくれたじゃないか!!」
ぎゅっとテメレイアの握力が強まる。
「君がダンケルクを殺さねば、きっとダンケルクは僕を殺していた……!! 君に助けられなければ、今頃そうやって血塗れになって地に伏しているのは僕だった!! ウェイル、君は為すべきことをしてくれたんだ! そのおかげで、僕はこうして生きていられる! 君を愛していられる!!」
「……レイア……、お前が俺の免罪符になってくれたってことか……」
「違う! そうじゃない! ウェイルは決して罪人なんかじゃないさ! だって、ダンケルクの顔は、本当に穏やかそのものじゃないか!」
息絶えたダンケルク。
その表情は――憑き物が取れたかのようにスッキリとした穏やかな顔だった。
「君は僕の命と、そしてダンケルクの魂を救ってくれたんだ……!! だからウェイル……! 今は素直に悲しんでいいんだ。自分のせいだとか、為すべきことだとか、そんなことを抜きにしてさ。大切な先輩が、いなくなったことを、悲しむんだよ……!!」
「………………ぅう…………!!」
ウェイルはテメレイアに胸を借りて、静かに慟哭した。
大切な先輩はもういない。
損得なしに自分を信頼してくれる、大切な友人を一人失くしたのだ。
都市を飲みこもうとしていた燃え盛る火も、ダンケルクの死と共に収まっていく。
炭と化した街並みから上がる白い煙が、ダンケルクを送る焼香になっていた。