神器『無限龍心』(ドラゴン・ハート)
大蛇を模した強酸が、アムステリアを呑み込んだ。
強酸によって石畳のストリートが解け、周囲からはシュウシュウと煙が立ち上っていく。
強酸の通った場所からは気配一つ感じない。
最後は一瞬胸が冷えた感じがしたが、それは杞憂に終わったようだ。
あの強酸を浴び、生き残る生物がこの世に存在するはずがない。
「アハ、アハハ! アハハハハハハハ!! 溶けた! 全部溶けた! 泥棒猫は、骨一つ残さず溶けた!! アハハハハハハハハ!!」
完全勝利。
ついに邪魔な女を始末出来た!
スメラギは勝利の余韻で笑いが止まらなかった。
――しかし。
「――うるさい子ねぇ。いつから勝ったと錯覚しているのかしら?」
「アハハハハ――…………え…………?」
唐突に響く、忌々しい泥棒猫の声。
「この声……!? ま、まさか、い、い、生きている……? そんなわけない! 強酸は直撃した……!!」
「ええ。直撃したわよ? 私はあの場所から一歩たりとも動いてはいないのだから」
白く上がる煙が消えていく。
アムステリアが元立っていた場所。
そこに、何故かアムステリアは何事も無かったかのように突っ立っていたのだ。
ただ二つ、先程と違うところがある。
彼女の身体が魔力光に包まれている点と、彼女の着ていた衣服が綺麗さっぱり消え去っている点だ。
「酸が、効いていない……!? そんなはずない!! どうして!?」
「さて、どうしてかしらね。種明かしをして欲しいなら、また攻撃してくるといいわ」
「ううううう!! お望み通りしてあげる!!」
再びスメラギは両手を天の向けると、巨大な酸の蛇を象って、アムステリアへ撃ち放った。
「よく見ていなさい?」
アムステリアは避ける体制をとることもなく腕を組み仁王立ち。
強酸の蛇は間違いなく、彼女を飲みこんでいた。
「今のは絶対! 絶対溶けた!!」
アムステリアの身体が溶けていく音もきっちりと聞こえてくる。
――だが。
「無駄ね。これしきの攻撃で私を殺せると思って?」
どうしてか、忌々しい声は消えてなくならない。
「あ、あああああああ!? ど、どうして!?」
「まだ判らないのかしら? 本当に頭の悪い子ね」
「あ、ああああ、あああああああああああ!!」
自分の攻撃は一撃必殺。
これまでこの技で溶けなかった敵はいない。
それにも関わらず、この目の前の女には強酸が一切効いていない。
アムステリアの不敵な笑いを含め、あまりにも彼女が不気味すぎて、スメラギは動揺していた。
「もう死んで! 溶けて! お願いだからその姿を見せないで!!」
今すぐ視界から消したい。
そう願い、スメラギは何度も何度も酸の大蛇を撃ち続ける。
何度も何度も、それこそ周囲の建物が完全に溶けてなくなっても、何度でも何度でも撃ち続けた。
それは彼女の持つ魔力が切れるまで、息が上がり、全身が汗と疲労感に包まれるまで、スメラギは続けた。
「はぁ、はぁ、はぁ…………!! これなら……!!」
「これなら、何なのかしら?」
「あ、ああああ、あああああああ!!」
己の全てを放出し、アムステリアを消そうとしたスメラギだが、その全ては全くの無為に終わっていた。
「もうそろそろ終わりかしら?」
白い煙に包まれ、シュウシュウと音を立てながら、その声の主は近づいてくる。
「あああ、あああああ!! ど、どうして! どうして死んでないの!? どうして声が聞こえるの!? どうして溶けてくれないの!?」
ヒュウと風が吹き、白い煙が晴れていく。
「……な……な…………!?」
アムステリアの身体が露わになった時、スメラギは全てを理解した。
「どうして、身体が――――再生しているの……!?」
そう、アムステリアは避けたわけでも、ましてや酸が効かなかったわけでもない。
彼女の身体は、それはもうバッチリと強酸の影響で溶けていた。
だが、彼女は死ぬことは無かった――いや、死ぬことを許されていなかったのだ。
「今日だけで十回以上は死んだわね、私」
シュウゥゥと音を立てながら、彼女のただれた胸元が修復されていく。
全身から煙と音が消えた時、彼女の身体は一糸まとわぬ美しい裸体を取り戻していた。
「私はね、死ねないのよ。この忌々しい神器の呪いがある限りね。だから貴方が私をいくら殺そうと必死になってもお生憎様。この通り身体は元に戻ってしまうのよ」
神器『無限龍心』により、アムステリアの身体は、いくら傷つこうともすぐに再生する。
スメラギの強酸の威力は凄まじかったため、あらかじめ魔力をある程度溜めていなければ、かなりまずかった瞬間もあったが、結局この度もアムステリアは死ぬことを許されなかった。
「あらあら、必死に魔力を使い切っちゃって、もう貴方ボロボロじゃない」
「ひっ……!?」
あまりにも異様なアムステリアの迫力に、スメラギは腰を抜かして、ずりずりと後ずさり。
「情けない姿ね。そんなんじゃルシャブテに嫌われるわよ?」
「い、嫌だ、それだけは嫌! 絶対嫌! 嫌ああああああああ!!」
(許さない。この女、この泥棒猫だけは絶対に!!)
顔中涙と鼻水でぐちゃぐちゃになるほど、恐怖とそして憎悪がスメラギの心を支配していく。
(るーしゃを、るーしゃの名前を汚す女!! 殺す! 殺す!! 殺す!!!)
ルシャブテの名前が出た瞬間、腰に力が戻った。
見れば今この女は丸腰。
――そうだ。今この瞬間はチャンス。
心臓に神器があるというのならば、そこを近距離から集中して射抜けば倒せる。
「しねええええええええええ!!」
残ったありったけの魔力を『強酸手袋』に込めて、それをアムステリアの心臓に目がけて――
「――もう付き合いきれないの――――逝きなさい」
「――――!!」
アムステリアの鋭すぎる蹴りが、スメラギの心臓を貫いた。
(る、るーしゃ……!! ――愛してる……)
心臓を蹴りぬかれ、温かい自分の血液に包まれて。
スメラギは、最後の最後、愛しい人の顔を想いながら、この世界から決別したのだった。
「……やっぱりこの子、楽な相手じゃなかったわね……」
スメラギの躯が倒れた後、アムステリアも膝が折れて崩れ落ちる。
「はぁ、はぁ、少し休まないと……」
いくら『無限龍心』が彼女の身体を修復したとはいえ、強制的に使用された魔力の量は膨大だ。
それは疲労感となり、アムステリアに襲い掛かっていたのだ。
「……寝ている暇はないのだけれど……、今は少しだけ……」
スメラギを倒すために全身全霊を賭けたアムステリアは、呼吸も絶え絶えに、吸い込まれるように眠りについたのだった。