あまあまフレス
「いやぁ、なんだかこの感覚、久しぶりだねぇ……」
目をトロンと蕩かして窓辺に項垂れるフレス。
心地の良い風が窓から入り、うんと深呼吸をすれば美味しい空気が肺を満たしてくれる。
「う~ん、景色は綺麗だし、風も気持ちいいし! 眠くなっちゃうねぇ……」
のどかでおっとりとした汽車の旅を、今まさにフレスは全力で満喫中。
「ほんと、のんびり出来て最高だなぁ」
汽車の窓から吹く風でたなびく髪を押さえながら、ゆっくりと体を起こして大きく背伸びをした後に、くるりと顔をこちらに向けて一言。
「……隣がテリアさんじゃなければ」
「あら、お邪魔かしら?」
「いえ、お邪魔でないです」
ヒシヒシどころかズバズバと鋭く突き刺さる極寒の殺気に、ついつい外の景色に現実逃避してしまっていたフレスである。
「ううう、隣が冷たいよ、ウェイルぅ……」
「……お前氷の龍だろ、我慢しろ」
「ぶるぶる……そんなぁ……」
「フレス、最近ちょっと私に対して調子に乗ってない?」
以前に比べてフレスとアムステリアの距離がかなり近づいたのは間違いない。
互いに認め合うところも出来て、対等な付き合いをしているのはよく分かるのだが、それでも互いに相容れない点もあるらしい。
その相容れない点の内実を、ウェイルとて何となくは分かってはいるのだが、それを口に出すのはおこまがしいというもの。
「ちぇー、折角ウェイルと二人で旅が出来ると思ったのにー」
なんて言いつつ、フレスはさっとウェイルの腕に抱きついた。
「ふー、やっぱりウェイルに抱きつくと温かいね! 今日の夜も一緒に寝よ?」
「その露骨なまでの挑発的な台詞と自慢げな態度は正直嫌いじゃないけど、少しは隠す努力をしたらどうなの?」
「いいんだもん。ボク、ウェイルの弟子なんだから。テリアさんもすればいいんだよ」
「ほんと、憎たらしくなったわね……!」
以前であれば殺し合いが始まっていたであろう状況ではある。
火花散らす二人のド真ん中にいるウェイルとしては堪ったものではない。
「おい、フレス、離れろ」
「嫌だも~ん」
ラインレピアの事件以降――厳密に言えば『フレス』の中から『フレスベルグ』が居なくなった後。
フレスはウェイルに対して、過剰に甘えるようになった。
「えへへ、すりすり……」
「頬ずりすんなよ……」
「えー、いいじゃない。ボクとウェイルの仲でしょ?」
「人前でやる限度ってのがあるだろう」
「ボク龍だから、人の限度なんて分かんないもーん」
ウェイルとて別に嫌なわけじゃない。
むしろ弟子に頼られて嬉しいとさえ思う。
しかしながら、今のフレスの状態はどこか普通とは思えない。そのことを心配している。
これはウェイルの推測ではあるが、フレスは今寂しいのだろう。
ずっと一緒に生きてきた相棒、いわば一心同体であった『フレスベルグ』が、彼女の心の中から消え去った。
フレスに言わせれば半身失ったも同然だ。
「はぁ……、どうにかしなさい、ウェイル」
「どうにかって言われてもな……」
フレスに何があったのか知っている為か、アムステリアもそんなフレスの姿を見て怒ることはなく、代わりに複雑な表情を浮かべながら嘆息するばかりである。
「えへへー、師匠―。だきだき……」
「ちょっとフレス、ウェイルが迷惑してるわ。そろそろ離れなさい」
「むぅ、いいじゃない。仕事や会議の最中じゃないんだしさ。こういう二人きりの時くらい、甘えさせてよ」
「二人きりじゃないから言ってんのよ!」
「だからテリアさんも一緒にウェイルに甘えたらいいんだよ! 問題解決だね!」
「勘弁してくれ……」
こりゃ駄目だと二人はさらに深いため息をついたのだった。
とりあえずひっつきもっつきして離れないフレスを無視して、ウェイルが真剣な顔をして切り出す。
「『ファランクシア』か。ダンケルクの時以来だな」
「そうね……」
考えてみればあの事件以来、二人は次に向かう都市、司法都市『ファランクシア』を訪れていない。
どこかでダンケルクを意識して、足を竦ませていたのかも知れない。
フレス以外の二人の空気が重くなる。
あの時ダンケルクを救えなかったことは、今なお二人を苛ませている。
「そういえばお前はエリクのことを知らなかったんだよな? サグマールの近くに奴が居たのに気づかなかったってことは」
「そうね。知らなかったわね。でもそれは仕方のない事よ? だって『不完全』の構成員は数十人規模どころじゃなかったんだから」
『不完全』という組織は、非干渉都市『ルーテルスター』に集まった、実力を持ったならず者が集まり出来た組織だ。
『ルーテルスター』という都市自体、どれほど人口がいるのか分からない。調べようとする者が誰もいないからだ。
「少なくとも数百人はいたわね。アジトだけでなくルーテルスターを始め、大陸各地の都市に潜入していたから。多分上層部も明確な人数は把握できてなかったでしょうね。ヴェクトルビアにもいたんでしょ? フロリアが」
「ああ」
それもアレス王の側近のメイド長という、あまりにも大それた立ち位置に、だ。
「正直な話、大した肩書きもなく、目立たないメンバーのことなんて、いちいち名前なんて覚えていられないわ」
「その通りだな」
ウェイルとて、いちいちプロ鑑定士協会に属する鑑定士の名前全てを覚えているわけじゃない。
それこそサグマールやナムルといった幹部、その他よく仕事を共にする連中くらいなものだ。
「てことは、エリクは下っ端だったということか」
「どうかしらね。彼女は『不完全』が龍をコレクションしていることを知っていた。そのことを考慮すれば、案外立場的には良いところにあったのかも。本当に末端の連中は、本部から伝えられた贋作製作の仕事をこなしているだけだから」
『不完全』という組織は、犯罪組織には違いないものの、その実情は贋作を製作・販売する一企業のような組織であった。
一部の、つまりは過激派と呼ばれる連中が、強引に芸術品や神器を集め回っていて、その結果人が死ぬということが発生したというだけで、およそ多くの、つまりは中立派と穏健派の連中は、贋作の製作・販売・流通に従事していた。
「組織の真の目的を知っているということは、何かしらの役職を持っていたと、そういうことだな」
「おそらくはね。まあ、直接聞いてみたら分かるわよ」
「エリクは『不完全』が潰されたことを知っていると思うか?」
「知らないんじゃない? そもそも『不完全』が潰れたと言うこと自体、未だに協会と治安局は公式な発表をしていないし、何より監獄にそんな情報を持ち込む物好きはいるのかしらね」
監獄には『不完全』の構成員はかなりの数収監されているはずだ。
もし組織が潰れたなどという情報が持ち込まれていたならば、大々的な混乱が起きるのは容易に想像できる。
監獄の治安、警備の面を考えても、それを収容者に伝えるというメリットは一切ない。
「ま、行けば分かるわよ」
結局、その一言が全てである。