ライラの歌
テメレイアが発端となって鑑定前には一悶着あったが、いざ鑑定が始まると流石は大陸最高峰の鑑定士の集まり、すぐに皆真剣な面持ちとなっていた。
ウェイルとテメレイア、アムステリアにフレスと、各々が持つ情報や知識を惜しみなく出しながら、議論を交わしていく。
「さて、『セルク・ブログ』の鑑定を始めよう。僕はまだ内容を読んでないから、ちょっと貸してくれないかな?」
「ああ。フロリア、出せ」
「えー」
「さっさと貸せ。また簀巻きにされるぞ」
「へいへい、わかりましたよーだ!」
渋々と言った表情でフロリアはセルク・ブログをテメレイアに渡す。
「大切に扱えよこの野郎!」
「僕は野郎じゃないんでね」
「あ、こら! 15°以上ページを広げるな!」
「無茶言わないの。鑑定できないでしょ、それじゃ」
「唾飛ばすなよ! いいな!」
「君に突っ込むために喋ると唾が飛んでしまうかも。だから黙ってて」
「うしゃああ! なら黙っておく! いいか、私は黙っておくからな!」
「さっさと黙れ」
「あうっ!」
ゲスっとチョップを喰らわすと、多少静かになる。
静かになった部屋には、スッ、スッ、というテメレイアのページをめくる音だけが響いていた。
「いや、面白いね。セルクの日記にこんな癖があったなんて」
「……ウェイル、レイアさんの読むスピード早すぎない?」
「俺もそう思って驚いていたところだ」
先程からずっとテメレイアを観察していたが、本をめくるスピードの速さが尋常ではなかった。
速読できるとしても、あの難解なセルク・ブログをここまで早く読めるのはテメレイアくらいしかいないだろう。
様々な言語を組み合わせて書かれてあるのにも関わらず、テメレイアがページをめくるスピードは速く、そして常に一定だった。
「……ここだね」
そのペースが止まったのは、やはりというか最終ページ。
「『序』『破』『急』と、そして『焉』。どういう気持ちでこんな書き方したのかなぁ」
読んでいる仕草は、ワクワクしているようにも見える。
「よし、読んだ」
「は、はえー……」
「同感だ」
これにはフロリアの口もあんぐりである。
スピードが速すぎて、それに魅入り喋る事すら忘れていた。
「気になるのはやっぱり最終ページだね。興味深い内容がたくさんあった。でも僕が持ってない情報も必要になっているから、いくつか質問させてほしい。いいかな?」
「いいぞ。頼む」
いつの間にか鑑定の中心はテメレイアになっていたが、誰にも批判は無い。
彼女の実力であるならば、それも当然だとウェイルも思っている。
「セルクは三種の神器について、何か知っていた。たぶん何か、というよりはもっと具体的にだね。ウェイル、君は三種の神器について、どれくらい知っている? 具体的に頼むよ」
「具体的にか。まずはお前の操ることのできる『創世楽器アテナ』は知っている。能力もな。後は先日目の前で見た『心破剣ケルキューレ』。こいつの能力は、斬った者の心を破壊する力だった」
忘れもしない、忌むべき剣。
大切な弟子を奪った、恐るべき神器だ。
「うん。その名はすでにここに書かれてあるね。じゃあ最後の『フェルタクス』ってのは知っているかい?」
「いや、それについては名前しか知らない。お前がシルヴァンに残してくれた解読したメモに名前だけは書かれていたからな。その程度の知識だ」
「なるほどね」
テメレイアは口に手を当てて、何やら考え込んでいる。
「次だ。『破』の詩の中に、七色っていう言葉があるだろう? これについては?」
「心当たりがある。フレス、持ってきてくれ」
「うん」
フレスが机の上に広げたのはカラーコインのレプリカ。
「五枚あるね。これのことかな?」
「おそらくはそうだ。こいつについては異端の連中も狙っていたからな。事実奪われた」
「奪われた? ならこれは一体?」
「奪われたカラーコインのレプリカだ」
「本物は七枚あるのかな。比喩として虹が使われているし」
「いや、本物は八枚ある」
「あれ? そうなの?」
ウェイル達も最初は七枚だと思っていたが、カラーコインは実際には八枚ある。
「虹という表現を用いているのに八枚あるのか。ならこのコインは個々の表現とは関係がないのかな?」
「いや、それは無いだろうさ。ここにはこうあるだろう? 『七色の音を奏で』ってな」
「レイアさん、このカラーコインなんだけど、本物はサウンドコインだったんだ」
――サウンドコイン。
それは叩いて音を鳴らすと、一枚一枚異なる音階を奏でる硬貨のこと。
「なるほど。サウンドコインか。なら音を奏でるってところにも一致するね。でも八枚っていうのはどういうことなんだろう」
「それはたぶん、これのことだと思うよー」
話を聞いていたフロリアが、『セルク・ブログ』の一節を指さした。
「あのコイン、ダンケルクが盗んできた奴でしょ? 私本物を見たんだけどさ、あの中に黒色があったよね。黒ってさ、この『闇の一色に』ってところに掛かってるんじゃない? それに次の『急』にも、やっぱり色は八色だという暗示があるしさ」
「黒を闇と例えるか」
「他の七枚だって、別に虹と同じ色ってわけじゃないからね。茶色とかあるしさ。虹に茶色なんて関係ないでしょ? ただ単にセルクは、虹=七色だという風に例えただけなんじゃないの」
「……うん、その考えはおそらく正解だと思う。君、凄いね」
「伊達にセルクマニアやってないですもんねー!」
ヘヘンと自慢げなフロリア。
テメレイアは人を調子に乗せるのも上手い。
「そのコイン、どうして君の仲間は奪っちゃったのかな?」
「確かとある神器を動かすのに必要って、イドゥは言ってたなぁ。ある神器ってなんだろう?」
「…………フェル、タクス…………」
ぽつりと、ニーズヘッグが呟いた。
「ニーちゃん? 何か知ってるの?」
「……ううん。詳しいことは……知らないの……。でも、フェルタクスのことは、少し知ってるの……」
その発言に、皆一様に驚いた顔でニーズヘッグに注目した。
「知ってるの!? ホント!?」
「……だから詳しくは、知らない、なの……。……でも、見たことあるの……」
ニーズヘッグは、チラリとフレスの方を一瞥する。
その含みのある視線が、フロリアには少し気になった。
「フェルタクスか。一体どんな神器なんだ?」
「…………」
ウェイルの問いかけに、ニーズヘッグは一瞬言葉を詰まらせる。
しばらくの時間が空いて、そして。
「…………よく判らなかったの……」
ニーズヘッグはおずおずとそう答えた。
「よく判らない? 実際に見たのに?」
「……うん……。ピカピカ光ってて綺麗だったの……。良い音楽も鳴ってたの。凄く大きかったの」
「……何とも要領を得ないな」
断片的な情報すぎて纏めるに纏められない。
「ごめん、なの……。でも、本当に、これくらいしか、知らない、なの……」
(……あれ? ニーちゃん、何か隠してる……?)
たどたどしく喋るニーズヘッグの癖として、会話の合間に間が出来ることが多々ある。
だから皆さっきのウェイルの質問に対しての間は、その癖によるものだと思い込んでいた。
――しかしフロリアは気づいた。
今の間は、本当にニーズヘッグが言葉に詰まったことで生まれた間なのだと。
何か知っていることを隠しているような、そんな間であったのだと。
「……役に、立たなくて……ごめん、なの……」
「……そうか」
落胆の色が広がるが、次のテメレイアの発言が、その色を一気に変えることになる。
「――実は僕、フェルタクスの正体についてはある程度の目星がついているんだ」
その発言に、一同は一斉にテメレイアに注目した。
「――何だと!? 何を見てそんなことを!?」
「まあ、落ち着きなよ。えーと、その話は後でじっくりとするさ。まずこのカラーコインを見てみようじゃないか」
ルーペを使い、じっくりとレプリカを見回すテメレイア。
「それ、贋作なんでしょ? あまり鑑定しても意味ないんじゃない?」
「いや、それは違うよ、アムステリア。贋作でも、これが本物そっくりに似せて作られている以上、見るべき点は多くあるのさ。事実判ったことがあるから」
「贋作を見て判る事?」
アムステリアも、要領を得ないと首を傾げる。
「確かに贋作である以上、塗料や材質などについては考慮にあたらない。だけど、見た目はほとんど同じに作られてあるよね。今回はその見た目が大切なのさ。特に大切なのは、この模様」
カラーコインの模様。
ウェイルが鑑定した結果、これはイラスト風に描かれた文字であることが判っている。
「これ、文字だよね。それも旧フェルタリア語だ」
「お前、読めるのか?」
「少しだけね。昔暇つぶしに見た文献に載っていたのさ」
「す、すげー……」
フロリアの口は、再びあんぐりである。
「贋作だし、文字もちょっと潰れかけているけど、何とか読める」
ルーペを使ってじっくりと見ながら、テメレイアは解読したままを音読し始めた。
「……『時代の覇者は放たれる』。えっと、次は……『黄金の鍵は龍の手なり』かな? 一体何を表しているのやら」
「あれ? その歌……」
テメレイアの音読を聞いて、フロリアが何かに気付いた。
「ニーちゃん、この歌、この前歌ってたよね? 確かスメラギ達と『セルク・ブログ』の解析を進めているときに」
一同がまたも一斉にニーズヘッグの方を向く。
「知ってるの……」
もぞもぞと、自信なさそうにそう答えた。
「ニーズヘッグが、知っている……?」
その事実は、フレスに違和感をもたらした。
そんなフレスの表情を見てか、ニーズヘッグはフレスにこう告げた。
「フレスも、たぶん、知っているの……」
「ボクも知っている……!?」
今テメレイアが音読したフレーズを聞いても、何も思い浮かばなかったというのに、ニーズヘッグはそんなことを言ってくる。
「ボク、こんな詩知らないよ!?」
「ううん、知ってるの。聞いて欲しいの。思い出して欲しいの……!!」
ニーズヘッグは唐突に立ち上がったかと思うと、両手を前で合わせて目を閉じて、そして歌を歌い始めた。
――『時代の覇者は放たれる』――
――『黄金の鍵は龍の手なり』――
――『五つの円は滅びの歌に』――
――『女神と剣から信仰集め』――
――『創世の光が世界を洗う』――
――『哭けや憂いや人の器ぞ』――
――『畏れや崇めや神の器ぞ』――
――『終焉は王の手によって』――
ニーズヘッグは歌い方はたどたどしく、お世辞にも上手いとはいえない、というより凄まじく音痴であったのだが。
「…………ッ!!」
それでも、この歌はこの場にいる者を圧倒させる。
皆が皆息を呑み、言葉の羅列を一つ一つ噛みしめるが如く、その意味を探っていく。
特にフレスは、体中から冷や汗が噴き出るほどの寒気を覚えていた。
「フレス、知ってるはずなの」
「し、知らないよ、ボクはこんな歌!!」
記憶にはない。でも、なんだか懐かしいような――
「……フレス、知ってる。だって――」
一同がフレスを見て、そして理解した。
理解できていないのはフレス本人だけだろう。
何故ならフレスは――
「ボク、本当に記憶にないんだよ!」
「だってフレス、今、――――泣いているの」
「……え……?」
フレスは手を顔に当ててみた。
「……あれ? なんで? なんでボク……泣いてるの……?」
拭いても拭いても、涙が止まらない。
対するニーズヘッグは頭を抱えて青ざめていた。
「に、ニーちゃん?」
心配になったフロリアが、彼女の身体を支えてやる。
体重が一気に掛かってきたことを見るに、ニーズヘッグも倒れる寸前だったようだ。
「ボク、ボク、どうして……? 本当に何のことだかわからないのに……!!」
そんなフレスに、ニーズヘッグは顔を苦痛で歪めながらも、言葉を絞り出した。
「フレス、思い出すの。この歌は、……ライラが完成させた歌、なの……!!」
「――ライラの歌……ッ!!」
その名を聞いた瞬間だった。
フレスの脳に、鮮やかに蘇る光景。
大好きな親友ライラが、ピアノを弾きながら、フレスに歌ってくれた詩。
二人仲良く作曲した、あの楽しかった日々を。