狂乱のアイリーン
突然目の前に現れた、見知らぬ女。
着ているドレスを見るに、貴族か何かだろうが、ライラとフレスにこの女に関する記憶はない。
「……誰?」
「知らない」
「……あやつは……!!」
たった一人、事情を知るシュラディンだけが、さっと身構える。
「オジサン、知り合い?」
「下がってろ、ライラ……!!」
「あらあら、そうでしたね。直接お話するのは初めてでしたっけ」
女は一歩前に出ると、勝手に自己紹介を始めた。
「私の名前はアイリーンと申します。貴方の楽曲を盗んだ者といえば理解できて?」
「「え……!?」」
唐突すぎるその告白に、呆気にとられる二人。
「ライラ、フレス、とにかく下がれ! こやつは敵だ!」
「あら、敵だなんて失礼。私はラグリーゼ家の人間ですよ? ご存じでしょう? シュラディン殿」
妖艶なる笑みを浮かべて視線を飛ばしてくるアイリーン。
シュラディンの知る彼女からは想像もできないほど下品な表情だった。
「ライラにあれだけの狼藉を働いた癖によく言うことだ。それよりも今まで貴方はどこにいた?」
「お父様の元でないことだけは確かね」
「――ねぇ、オジサン、この人がライラの曲を奪ったって……本当なの……!」
詳しく教えろと言わんばかりに、フレスがシュラディンの裾を引っ張り会話に割り込んでくる。
「以前ラグリーゼ伯爵がライラに謝罪しに来たことがあるだろう。こやつはそのラグリーゼ伯爵の本物の娘だ。あのコンクール以来姿を消していたのだ」
「――へぇ、そうなんだ」
「……え? お、おい、ライラ!?」
フレスとシュラディンの背中を押しのけて、ライラはアイリーンの前に出て、堂々と腕を組んだ。
「泥棒が一体何の用?」
「平民風情が私にタメ語とは。教育がなっていませんこと」
「他人の曲を盗む人に教育を語られてもねぇ」
「あはは、それもそうですわね」
「……反省してないんだ」
「私のこと恨んでますの?」
「別に。代わりにもっと良い曲が作れたから。優勝も貰っちゃったし」
「なら私は反省しなくてもよろしいでしょう? 私のおかげで、その曲を作ることが出来たのですから」
「……話にならないね」
最初からわかりきっていたことではあるが、アイリーンに一切の謝罪の気持ちはない。
期待はしていなかったのでガッカリすることはないが、呆れる気持ちはある。
「ボク、君と話すことは何一つないんだ。もういいかな」
「ダーメ。私にはあるの」
「勝手だなぁ」
「いいじゃない。ちょっとくらい聞いてよね」
怪しげにウィンクを飛ばしてくるのが妙に腹立たしい。
「私ね。ピアノの腕だけはフェルタリア最高だと自負しているの」
「そうなの、そりゃ凄いじゃない。良かったね」
「貴方もそう思うでしょ? でもね、あのコンクールでは何かおかしいことが起こったの。知っている?」
「全然知らないよ。ボク、下らない話を長引かせるのは嫌いだよ?」
「フェルタリア一番、いえ、アレクアテナ大陸一番であるはずのこの私が、どこの馬の骨とも判らぬビチグソ平民風情に負けちゃったの。おかしいとは思いませんこと?」
「知らないよ、もう……」
「それで私、思いましたの。何か裏で汚いやり取りが交わされていたのではないかってね。王を含め審査員全員、買収されていたのかも知れないと。噂で聞くところによると、その優勝したゴミカスビッチ娘は、なんとあのゴルディアの血を引いている者だとか」
「どうしてそれを……!?」
王以外にそれを知っているのは、それを明かしたときにその場にいたフレスとシュラディンだけのはず。
「酷い話とは思いません? 実力がないことを補うために、賄賂を用意したということですから」
「そんなお金ないってば」
「お金は無くても、ほら、身体があるでしょう? 平民の女は金の為なら平然と身体を誰彼構わず差し出すと聞きましたわ」
「酷過ぎる偏見だよ、それ。もう君の話を聞くのはうんざりだよ。もう行くからね」
「ですから私、その真相を解き明かそうと思っているんです。手始めに、あの場にいた審査員の連中を尋問にかけましてね。全然真相を吐いてくれないから、思わずぶち殺しちゃいました。頑固な人って嫌ですよねぇ。お父様みたい」
「ひ、人を、殺したとでもいうのか……!?」
「ええ。言った通りですわ?」
信じられぬといった表情のシュラディン。
これにはライラも絶句だった。
「案外簡単に殺せるものなんですね。神器を使えば手を汚すこともないですし、殺した感覚すらないんですもの。それに殺した後、少しくらいは罪悪感を覚えるのかなと不安にもなったのですけど、全然なんてことはなかったです。むしろ興奮するというか、もっとやってみたいというか。ああ、癖になってしまいそうですぅ!」
その瞬間、シュラディンはアイリーンの背後から輝いた魔力光を見た。
「――ライラ、今すぐそいつから離れろ!」
「うん――……え!?」
「ダメダメ。話は途中でしょう」
アイリーンの左腕から光が発生したと同時に、三人は猛烈な重みもその足に感じた。
「な、なんなの……!?」
「おい、お前! 一体ボク達に何をしたんだ!」
「最後まで話を聞いてもらうために、ちょっと縛っただけよ」
ライラ達の足には、魔力光を発する黄緑色の触手が絡みついていた。
「話を続けるわよ? そのゴミカスビッチ娘は、私に勝つためだけに八百長を働いていたのよ。ビッチらしくその身体を売ったのでしょうね。なんておぞましく汚らしい。そのせいで私は優勝することが出来ず、お父様に捨てられてしまった。才能のない私は、お父様には必要なかったのね。本当の天才が、大人の汚い取引のためにその才能を潰されてしまった。本当、酷い話とは思いませんこと?」
「無茶苦茶だよ……!! 全部自分が悪いのに……!!」
「私が悪い? それは違う。ライラ、悪いのは全部貴方なのよ? その薄汚れた卑怯な血筋で、私の栄光への道を潰したのだから。…………万死に値するわ…………!!」
唐突に語尾を強めたかと思うと、彼女は今度はナイフを抜いて、その切っ先をライラの首筋へと向ける。
「ああ、ようやくこの憎たらしいゴミカスを掃除できるのね。その腐った耳を削ぎ、雑音を叩くだけの指をはねて、その嫌みな目をくりぬくことが出来る。楽しみで私、興奮が止まらない!」
アハハハハハハハと狂気に高笑いをあげるアイリーン。
「く、この触手、抜け出せない……!!」
ライラは必死に足を動かそうとするも,魔力を帯びた触手の力は強く、ぴくりとも動かせそうにない。
「さ、コンサートの始まりよ? ピアノは貴方。奏者は私。さぞかし美しい音色で鳴いてくれるんでしょうね!」
「うぐぐ……、フレス……!!」
ナイフを握る手に力を込めて。
アイリーンは刃先をライラの耳へと突き立てようと力任せに振り下ろした。
「――ライラ、君はボクが、命を変えても守るよ!!」
「ワシも同じ気持ちだ!」
「な――、フ、フレス!?」
ふわりとライラの身体が宙に浮かび、アイリーンの刃が足下を通過する。
「なんですって……!?」
驚くアイリーンは、勢い余ってよろめいた。
「御嬢様、おいたが過ぎましたな」
「きゃっ!?」
アイリーンの腕にあった、触手を発生させる神器が光を失っていく。
「氷の剣……!?」
シュラディンの腕は氷の剣と同化し、大きな氷柱へと変貌していた。
氷の剣の一振りは、一撃で神器を破壊していたのだ。
「クソ、ライラは一体どこに!?」
「――アイリーンさんだっけ。君はライラばかり見過ぎだよ。ボクのことを失念していたら痛い目に遭うよ!」
声がするのは上空から。
地上から十メートルほどの所に、ライラとそれを抱きかかえる翼を携えた少女がいた。
「空を、飛んでる!?」
人間の背中にはあり得ない、蒼く美しい翼が一対。
「ふ、フレス!? 飛んでるの!?」
「うん、そうだよ。だってボク龍じゃない?」
「……今の今までフレスが龍だって事、忘れてた」
「そうなの!? う~ん、それちょっと複雑」
翼をはためかせ、ふわりと着地。
ゆっくりとライラを地上へ下ろした。
「ボク、ライラを傷つけようとした君のこと、絶対に許さないよ」
「ワシも同じ気持ちだ。これを言うのは二回目だな、フレス」
氷の剣を携えたシュラディンと、蒼い光を放ちながら両手に氷を集め始めるフレス。
その両者に囲まれた格好となったアイリーンは、歯がゆさで歯軋りが止まらない。
「龍が味方にいるなんてね……!! 王が貴方に執着していた理由も今理解できたわ!! ああああああああ、イライラする、この糞ビッチを、どうぶち殺してくれようかしらあああああ!!」
半狂乱で頭を掻きむしるアイリーン。
二人はアイリーンを確保するために、慎重に彼女へと近づいていく。
「もう逃れられん。すぐに王宮とラグリーゼ家に通報させてもらう。貴殿の罪、しっかり償われよ」
「はぁ? 罪を償う? 一体何の? 私は何一つ悪いことはしていないというのに!!」
今度は爪を噛みながら、ゆっくりと立ち上がった。
シュラディン達も一挙一動見逃さまいと、距離を詰める。
「……メルフィナ。もういいわよ。行きましょうか」
「あのね、お姉ちゃん。彼女はまだ大切な人なんだからさ。変なことしたらダメだよ?」
「「!?」」
突如として聞こえた新たな声。
その声と共に、アイリーンの周囲には黒紫の瘴気が立ち込め始めた。
「まだ彼女には仕事が残っているんだからさ」
「ごめんね、自分を抑えきれなくて。どうも最近殺気立っちゃってねー。今も殺したくて殺したくて殺したくて身体が震えているんだから……!!」
「はいはい。もうちょっと我慢しようね、お姉ちゃん。ニーちゃん、よろしく」
「うん……なの」
もう一つ、小さい声が聞こえたかと思うと、黒い瘴気が足下に浸食してきた。
「オジサン! ライラ! この黒いに触れちゃダメ! 危ないよ! すぐに離れて!」
瘴気の毒素に気づいたフレスが叫ぶと、二人はすぐさま距離をとる。
瘴気はどんどんと濃くなっていく。
まるでこの場だけ夜になったかのように、闇は深く染まっていった。
「この瘴気、ボク知ってる……!!」
これほどまでにドス黒い瘴気を放てるのは、フレスの知る限り一人しかいない。
「でもまさか……!!」
――そんな偶然があるわけがない。
そう信じたいが、この瘴気があの子の存在を証明していた。
瘴気がやんわりと薄くなった気がした時だ。
アイリーンの隣に、新たな二つの影が現れていた。
「やあ、シュラディンおじさん。今日もお仕事ご苦労様。そういえばさっき王宮の兵達が襲ってきたんだけど、あれはシュラディンおじさんの部下? 僕を見つけたら捕らえてくれっていう、お父様の命令かな?」
「メルフィナ様……!!」
アイリーンの行方には、同時期に消えたメルフィナと関係がある。
シュラディンはまさかと思いつつも、そういう想定を立てて、それを王にも伝えていた。
だから王は兵達に、メルフィナの拘束を命じていた。
唐突なメルフィナの登場に驚きもしたが、それ以上に改めてこの王子の異様さに寒気を覚える。
「メルフィナ様。聞きたいことがございます」
「ああ、それなら全部イエスと答えておくよ。これでいい?」
「…………こちらの質問がおわかりで?」
「部下の安否と贋作流通の件でしょ? おじさんの聞きたい事って」
「……そうです」
「だからどちらもイエス。部下達は無事だよ。寝ているだけ。贋作の件も僕がやったこと。お父様にも伝えているんでしょ? だからこそあの検問所が使えなくなったんだから」
「貴方様の目的は一体なんなのですか!? どうして『不完全』が貴方の後ろにいる!?」
「あのさ~、いくら僕が子供といっても、そんなことまで素直に答えるほど馬鹿じゃないんだよね。ま、僕の目的はいつも神器とだけ言っておくよ」
メルフィナが超のつくほどの神器マニアであることは知っている。
しかしまさか本当に神器のため、自分の好奇心を満たすためだけに、王子の座を捨て、フェルタリアを裏切ることにためらいがないとは、彼の狂気には恐怖すら覚える。
「さ、ニーちゃん、いこっか」
「……フレスがいるの……」
「あれ? 知り合い?」
「……うん。えへへ、フレスなの……」
瘴気を放つ張本人――ニーズヘッグは、フレスの方を見て、情けなくヘニャリと笑う。
だが、対するフレスの方は一歩距離をとると、右手に魔力を込めて身構えた。
「どういうつもりなの、ニーちゃん。どうして君が現世にいるの!?」
「どうしてって……結構前から……封印解かれてるの……」
「ニーちゃん、その女の人は悪い人なんだよ。ボクの親友の命を狙っている、悪い人。それなのに助けるの?」
「フレスの、親友?」
「そうだよ。ここにいるライラがそうなんだ」
「フレス、こんな時に止めてよ。照れくさい」
顔を染めながら、フレスの後ろに隠れるライラ。
「……しん……ゆう……?」
「…………――――!!」
ぞわり、とフレスの背筋が凍る。
ニーズヘッグの目の色の闇が、深淵へと落ちていくのが判った。
無意識のうちに右手を挙げて、ライラを庇っていた。
「ニーちゃんもダメだよ。ライラは本当に大切な人なんだから」
「…………」
メルフィナに諭されて黙りこくるニーズヘッグであったが、その目は未だに深い闇のまま。
「……帰るの」
「そそ。帰ろ。フレスを手に入れるのは、また今度ね!」
「……判ったの……」
闇が彼ら三人を包んでいく。
その間フレス達は一歩も動かず、ただ敵が消えるのを待っていた。
「ライラちゃんは絶対に私がぶち殺しますからねぇ! 楽しみにしていて下さいませ!」
そう吐き捨てるアイリーンの台詞だけを残して、彼らを包む瘴気はその闇を濃くしていった。
ライラとシュラディンを瘴気から守るためにフレスが魔力を放出すると、瘴気はそのまま霧散していく。
ニーズヘッグが飛んだのだろうか、まるで烏のような黒紫の羽だけが、後に残っていた。