価値の暴落、『不完全』の暗躍
夕食後、二人で仲良く皿洗いをしているところに、シュラディンがやってきていた。
「なんだ、もう食べ終わったのか。どうせならワシの分も欲しかったところだな」
「オジサン、残念でした!」
「ちゃんと持ってきてくれた?」
「ああ、ばっちりだ」
シュラディンは歌詞の入っている封筒を、ポンと机の上に投げ置く。
「ちょっと! もっと大切にしてよね!」
「中に入ってるのは紙数枚だぞ? 大したことはないだろう」
「それでも一応王様からの配達物だってのにさ!」
「オジサンって、結構適当なんだね―」
濡れた手をハンカチで拭きながら、ライラとフレスは居間に戻ってきた。
「さて、早速拝見しましょうか!」
「しましょうかー!」
封筒を開けて、中に入っていた紙を取り出し、文面を目で追っていく。
「う~む……」
すらすらと読み進めるライラとは対照的に、フレスは最初の一枚から目が離せない。
……というよりも最初の一枚も読み進めることが出来ていない。
「うみゅう……。そういえばボク、フェルタリア語読めないや……」
復活して早々と言うことで、この時代の文字を読むことが出来ないフレス。
「……フレス嬢ちゃん、そういえばどうして文字は読めないのに、会話は普通に出来るのだ?」
「それね、一種の魔法でボクの言葉と声と、そして想いを直接みんなの頭に伝えているからなんだ。長い時を生きる神獣なら、皆この魔法は使えると思うよ」
「なんと。初めて聞いたわ、そんな魔法」
「そりゃボクだって意識して使ってるわけじゃないんだよ。自動的に発動しているんだからさ。魔法を使っているという自覚すらない神獣ばっかりだよ」
「ふむ……。奥深い。その力を何かの神器に応用できないものか……」
ブツブツと妙な考察を始めたシュラディンは放っておこう。
「ねぇ、ライラ、ボクにも判るように読んでよ!」
「えー、音読するのって、結構恥ずかしいんだけど。まあいいけどさ」
ライラが読み上げた、その歌詞とは――
『時代の覇者は放たれる』
『黄金の鍵は龍の手なり』
『五つの円は滅びの歌に』
『女神と剣から信仰集め』
『創世の光が世界を洗う』
『哭けや憂いや人の器ぞ』
『畏れや崇めや神の器ぞ』
『終焉は王の手によって』
「なんだか変な詩だね」
「そうかな。ボクにはむしろ、この詩には何らかの意味があるように聞こえる。なんて言ったらいいのかな。普通の曲だって歌詞に意味はあるだろうけど、その意味ってのは人の気持ちのことだよね。愛や悲哀、憤怒といった感情を言葉で表現するのが歌詞なんだ。でもこの詩にはそれが無い。酷く無機質な詩だ」
「え、えっと……ライラ、もっと判りやすくお願い」
フレスには少し難しい話のようだ。
「う~ん、ボクだって上手く言えないんだけど。この曲はなんだか人工的なんだ。何か目的があって書かれた、そんな感じ。もっと深く考察すると、ボクにはこの歌詞は、果たして何かの説明書のように感じる」
「説明書……。何かの神器の、かなぁ?」
「それが正解だと思う」
ライラは何度も何度も歌詞に目を通すと、少しずつ鍵盤を叩いていく。
耳にはせていたペンを握って、一度くるりとペンを回し、スラスラと楽譜に音符を連ねていく。
「出来そう?」
「多分、ね。集中して一気に書き上げたいから、しばらく声掛けないでね」
「見ている分はいい?」
「いつも通りでお願い。限度は二十四時間で」
「うん! 判ったよ!」
詩を手に入れたライラは、水を得た魚以上に生き生きと目を輝かせて作業に取りかかっていた。
「は、早すぎるぞ……!? これがライラの作曲スピード!?」
いつの間にか妙な妄想から帰ってきていたシュラディン。
ペンを手に取った後のライラの姿を見て、まず驚きのあまり呆然とし、そして彼女の姿に見惚れていた。
「これは本物だ……!」
「でしょ? ライラってば天才なんだからね!」
ライラの作曲風景を初めて見学したシュラディンは、その作業の早さと、試し弾きのクオリティの高さに、ずっと舌を巻いたままだ。
――●○●○●○――
日も落ちて、夜が更け、空が白く染まり始める頃。
Zzzというフレスの可愛いイビキと、ライラのピアノの旋律が朝を告げる鳥達よりも清々しいメロディを奏で、一晩中起きていたシュラディンを癒やしていた。
「……凄まじい集中力だ。飯にも手をつけないとは」
作業の邪魔にならぬ机の上に、彼女の夕食と夜食を置いたのだが、ライラは結局一口も手をつけることがなかった。
「ボクが食べるー!」
冷め切った料理を美味しそうに処理するのはフレスの役目だそうだ。
フレスが言うには、この光景もいつものこと。
「ライラってば水すら飲まないんだもん。凄い集中力だよね」
「よく身体が保つことだ」
「最初にライラが言ってたじゃない? いつも通りで、限度は二十四時間って。これ、作業が一日以上になる場合は、強制的に作業を止めてくれって意味なんだ。ライラってば、自分じゃ制御出来ないみたいでさ。ボクが無理矢理作業に割って入るんだよ。ライラ、すっごく怒るけどね」
「結構損な役回りだな」
「ライラの為だもん。何だってするよ! それにライラが文句言ったって、心の底から言ったわけじゃないのを知ってるからさ!」
「良いコンビなのだな」
それは見ていて微笑ましく、そして羨ましく思えるほどに。
彼女達は、心からの親友なのだろう。
それからシュラディンは、作業を続けるライラと、それを楽しそうに眺めているフレスを見て、二人がまるで娘にでもなったかのような錯覚を覚えながら、いつの間にか口元が緩んでいるのに気づき、そんな父親のような感情を覚えた自分に苦笑しながら、そっと二人を見守ったのだった。
――●○●○●○――
「ライラ、すとーーっぷ!!」
「ええい、今いいところなの! 離して!」
「だめだって! それ以上続けると死んじゃうよ!」
「これが終わったら死んでもいいから!」
「ボクがダメなの! えい!」
「くふっ」
ポカリという表現をすれば嘘が過ぎると思えるほどの、結構きつめな殴打音がライラの脳天に振り下ろされ、ライラは机に屈伏した。
「さあ、とりあえずご飯食べて寝て! 食べさせてあげる!」
「わあぁ、フレス! 自分でやるから!」
「いいからいいから!」
ありがた迷惑な甲斐甲斐しいフレスの世話に、ライラは文句を垂れつつも身をゆだねていた。
「お休み、ライラ」
「う、うん。明日は曲完成させるから」
「楽しみにしてるよ」
すぴーっとライラが可愛い寝息を立て始めて、ようやくフレスも肩の荷が下りたとばかりに彼女の隣へ横たわり、ランプの灯を消した後眠りについたのだった。
――●○●○●○――
――深夜。
静寂なる夜の風景を邪魔せんとばかりに、フェルタリア王宮は慌ただしく事件の対応に追われていた。
その事件とは、以前から話題になっていたフェルダーの価値の暴落事件。
これまでフェルダーの価値は、大陸の貨幣信頼度では第三位についていた。
ハクロア、レギオン、それに続いてフェルダーが名を連ね、その次にリベルテが位置していた。
だがこの日、ついにフェルダーの貨幣価値がリベルテと並んだのだ。
ハンダウクルクスの中央為替市場並びにスフィアバンクにある為替銀行からもたらされたその情報に、王を始め関係大臣、閣僚は対応に迫られていた。
「この度の価値の下落について、皆の意見を聞きたい」
王は円卓に手をついて、皆に視線を流す。
その中にはラグリーゼ侯爵の姿もあった。
最近は娘の件で、あまり強気な発言は控えていたラグリーゼであるが、この都市の危機に瀕してはそうも言ってはいられないと、まずラグリーゼが発言を始めた。
「現在の王宮政治の影響ではありますまい。年間発行貨幣総数や、発行都市債は例年の通り。税の滞りもなく、全て円滑に言っておるように思えます」
ラグリーゼの言葉に、一同頷いた。事実フェルタリアの政治力は、並の都市より優れている。
政治が傾いて経済が混乱したなんてことは、歴史上一度も無いのだ。
「ではやはり原因はあの噂でしょうな」
あの噂と聞いて、この場にいる者全員の顔が強ばる。
「神器省の報告を聞きたい」
フェルタリアには神器省という、神器のみを管轄する機関が存在する。
フェルタリアは神器都市と言われるだけあり、神器の精製、販売において、大陸トップの座を手にしている。
練金都市サバティエルでさえ、神器の販売においてフェルタリアの足下程度に存在するのが現状だ。
フェルタリアで流通している全ての神器には、それ固有の番号がつけられており、所有者、所有場所、神器の能力、価値等をこの神器省は管理・記録しているのである。
無論神器に関する事件もこの神器省が行うことになっており、神器の贋作流通が発覚した後、神器省はこの捜査に全力を挙げて取り組んでいた。
「判りました。報告させて頂きます」
神器省職員により、円卓メンバー全員に分厚い書類が配られる。
「資料は行き渡りましたでしょうか。それでは一ページ目から説明させて頂きます」
神器省大臣が説明を始める。
書類には多くのことが書かれていたが、王の知りたい情報は、端的に言えば一言で済むものであった。
『―― 贋作組織『不完全』がフェルタリアに贋作を持ち込んでいる ――』
『不完全』という名前に、一同眉間に皺を寄せていた。
「奴らがフェルタリアをターゲットにした、と」
「いや、あの贋作士連中は以前からフェルタリアへ流入を試みようとしていた。今まではずっと阻止できていたはずなのだが」
「検問が上手く機能していないということか!?」
このフェルタリアに持ち込まれる芸術品や神器は、全て検問を通さなければならない。
そのセキュリティや否やとにかく強固で、最低でも二カ所以上の検問の審査を受け、合格を得なければ都市内で流通させることが出来ない。
フェルタリアには優秀な鑑定士が沢山いる。
シュラディンなんてプロ鑑定士協会に属する鑑定士の中でも、五本の指に入るほどの実力者であるし、そんな彼の教えを請おうと集まってきた鑑定士も沢山いる。
また神器とすぐ隣り合わせで生きてきたフェルタリアの住人達は、神器についての知識も中々に深く、見慣れた神器であれば贋作とすぐに区別することが出来る。
そんな高いレベルの目を保つフェルタリアの検問を、そう易々と突破できるはずがないのだ。
「検問が機能していないことなどありえない!」
「だが現実に贋作は蔓延しているんだ! これをどう説明する!?」
円卓が段々と騒がしくなっていく。
その喧噪を打ち消すように王がダンッと机を叩いて、皆の注目を集めた。
「流入させた責任や原因を特定するのは後だ。とにかく最優先は現状をどうにかすることだ。このまま貨幣価値が下がるのであれば、この都市は崩壊する」
貨幣とはそれを発行している都市の力のパラメータを計る指標だ。
価値を落とし続ければ、フェルダーを求める者もいなくなり、そうなればこの都市の経済活動は大幅に縮小、最終的には崩壊するだろう。
この情報は公のものだ。
フェルダーを蓄えている者達の不満は募っていくことだろう。
これ以上価値を下げるのであれば、不満は爆発し暴動が起きてもおかしくはない。
「各省庁は連携して原因と流入場所を探れ。そして神器省はこれより贋作の破棄に全力を注げ。一度検問を通った神器も、もう一度神器省の検問を経由しなければ流通できないようにしろ。時間は無い、即刻行え。一同、理解したか!?」
王の語気が強まる姿を、一同はあまり見たことがない。
それだけ今回の事件は王宮にとって非常事態であると言うことを痛感した円卓メンバーは、声を揃えて理解したと叫ぶと、すぐさま部下へ命令を出すために王宮から去って行った。
この場に残ったのは王と、そしてラグリーゼだけである。
「どうかしましたかな、ラグリーゼ侯爵」
「……王、お伝えせねばならないことがございます」
「伝えること。それは円卓会議では話せなかったことか」
「……はい。とにかく今は王だけに伝えとうございました」
人払いをした後の、王とラグリーゼだけの部屋でラグリーゼは衝撃的な事を王に話した。
「それは誠か!?」
「はい。我が部隊の隊長、ガルーカスからの情報です。彼の話は信頼に足ります」
「だが、それが本当のことだとすれば……!?」
「大混乱、でしょうな……」
ラグリーゼが王以外に隠していた理由は、それが王とラグリーゼに深く関係しているに他ならなかったからだ。
「どうしますか、王」
「すぐさま捕まえるしかあるまいな。ラグリーゼ侯爵、申し訳ないが、貴殿の私部隊、私に貸してはくれませぬか。王宮の兵を用いるのは、周囲の目を考えれば使いにくい。頼めるのは自由に動ける貴方の部隊だけだ」
「無論でございます。この件、私にも大いに関係すること。このラグリーゼを含め、王の思いのまま使用下さいませ」
「助かりますぞ……!!」
王とラグリーゼにとって、この事件の解決の際にはそれなりの責任が問われることになる。
だが、それは親として当然の責任だった。
そう、ラグリーゼの手に入れた情報とは――
―― メルフィナとアイリーンが、『不完全』と手を組んでいた ――という情報だったのだ。