フェルタリアピアノコンクール、開催
フェルタリアピアノコンクールは、盛大に開催された。
参加者人数、のべ百二十人。
フェルタリア都市内だけでなく、大陸各都市から将来有望株が集まり、自身の世界観を指先で奏でて表現していた。
コンクールもすでに中盤。
すでに五十名近くの参加者が演奏を終え、結果を待つばかりである。
「王。いかがですか、これまでの奏者達は」
審査員席横に用意された、フェルタリア貴族専用来賓席。
そこにフェルタリア王とラグリーゼ侯爵の姿があった。
「うむ。実に素晴らしい奏者ばかりだ。このコンクールがこれほどまでにレベルが上がるとは、開催当時は思いませんでしたな」
「同感です。誰の曲も演奏も、非常にハイレベルで素晴らしい」
「……しかし、それだけ、ともいえる」
「ほほう? それは一体?」
「上手だ。技術があり、練習をしっかりと重ねていることが良く判る。だが、それだけだよ」
「言いたいことは伝わっております。皆素晴らしい技術を持っております。ですが、何かこう、深みというものが感じられませんな。迫力に欠けると言いますか、物足りなさを覚えます」
「同じような音ばかりで、味気なさを覚えるのだ」
二人の感想は全くその通りで、誰も彼もが大陸トップレベルの演奏を繰り広げ、観客を沸かせている。
だがそれほどのレベルの演奏をずっと聴いていると、知らず知らずのうちに観客の基準が上がっていく。
どれほど素晴らしい演奏、素晴らしい作曲でも、周囲も同じであるのだから評価は一定になりやすい。
どれが優勝してもおかしくない。皆均等に上手いからだ。
しかし、だからこそ、同じような演奏ばかりで飽きが来てしまう。
どうせ次も同じような作品なのだろうと、食傷気味のような感覚に陥り、期待感が持ちにくい。
そう言った点が評価をさらに難しくしている。
「そうだな。なにかこう、下手でもいいから、心にグッと来る、いや心を鷲掴みするような曲を聞きたいものだ」
「レベルが高すぎる者も、集まれば烏合の衆にしか見えぬと、なるほど、難しいですな」
「そういえばそろそろでしたか? 侯爵の娘さんは」
「この演奏の次です」
「それは楽しみだ。何せアイリーンさんは我が都市きっての天才の一人だからな」
「…………」
国王がこれほど期待してくれているのに、ラグリーゼはどうしてか不安な気持ちが募っていく。
今の奏者の演奏が終わり、いよいよアイリーンの出番となった。
――●○●○●○――
アイリーンは今、これまでいないほどの充実した気持ちを味わっていた。
(これさえ、この曲さえあれば……!!)
人から盗んだ曲という罪悪感が、少しくらいは芽生えるかとも思ったが、いざ舞台に立つとそんなことは一切なかった。
まるでこの曲は自分自身が作曲したものだと、胸を張って言えるほど、それはもう堂々とした面持ちであった。
(この私の曲で、必ず優勝の栄光を我が家に……!!)
「続いての奏者は、ラグリーゼ=ノエル=アイリーン。作曲名は、――『誰よりも貴方に』」
アイリーンはドレスの裾を摘み、そっと小さく礼をした後、ピアノに向かってスラリと伸びる美しく白い手を伸ばす。
(――聞きなさい! これが私の演奏、私の曲、私の実力……!!)
そして演奏は始まった。
最初はたおやかな旋律で始まるが、その音にはどことなく不安げな旋律を入り混ぜて。
その旋律は、徐々に激しく鼓動を始める。
最大限にまで高まったテンションと共に、アイリーンは高らかに両手を挙げ、力強く鍵盤を叩く。
激しく、悲しく、慟哭するように。
(――酔いしれなさい!!)
旋律に酔いしれて、天にも昇る気持ちでアイリーンは演奏を続けた。
「…………!!」
演奏が始まるや否や、王は絶句していた。
「……こ、これほどまでとは……!?」
アイリーンに期待がなかったわけではない。
むしろ彼女は優勝の筆頭候補であった。
だがこの演奏は、あまりにも王の想定の、遙か上空を飛んでいた。
「ラグリーゼ侯爵。貴方の娘さんは天才だ……!! これほどの作曲技術があるとは……」
「…………」
王を含め、観客の誰もが唖然としながら、アイリーンの演奏に酔いしれていた。
――ただ一人、ラグリーゼ侯爵を除いて。
(……娘にあれほどの曲を、作曲できるセンスが本当にあるのか……?)
我が娘の事。
どのような旋律を好むか、どのような曲を作るか、ある程度の想像はつく。
だがしかしこの曲はどうだ。
娘がこれまで生きてきて、これほど奥の深い曲を作れたことがあっただろうか。
「…………あり得ない……!」
「どうしました? ラグリーゼ侯爵」
「……申し訳ない、王。少し用事を思い出しまして。席を外させて頂きたい」
「娘の演奏ですぞ? 最後まで聞いてはいかれないのですか?」
「はい。どうにもこの曲、私には聞くに堪えません」
王には失礼な態度だったかも知れないが、これ以上ここにいるのは気持ちが悪い。
ラグリーゼは周囲に挨拶することも忘れ、ただひたすらに会場から出ることだけを考えながらホールから出た。
『――うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!』
アイリーンの演奏が終わったのだろう。
会場からは盛大な歓声と拍手が聞こえてくる。
しかしこの歓声も、ラグリーゼの心に何も訴えてはこない。
娘が喝采を受けているのにも関わらず、だ。
「……何があったのだ、娘に……!! いや、我が娘は、一体何をしたのだ……!?」
ラグリーゼは、この曲から偽物臭さをかぎ取っていた。
正しく言えば我が娘の持つ色や味わいではないと、そう感じていたのだ。
それを確かめるため、ラグリーゼは足早に会場を去って行った。
(これで優勝はもらいましたわ……。後はあの平民の娘の情けない姿を見るだけ……!!)
父親が会場から出て行ったことを知らないアイリーンは、盛大なスタンディングオベーションに満足して、意気揚々と舞台を降りたのだった。
――●○●○●○――
王の率直な感想を言わせてもらうと、後は殆ど全てが消化試合だった。
あのアイリーンの演奏は、誰が聞いても今まで演奏の中でもトップで、それは他の演奏者自身も深く痛感したはずだ。
演奏を終えた者の中には、もう優勝はあり得ないとして会場を去る者も多い。
演奏を控えた者の中からは、演奏すらせずに帰り支度をしている者すら現れるほどだ。
アイリーンの演奏に酔いしれ、その興奮が身体から抜けず、後の奏者の演奏をまともに聞いている者は少ない。
「……本命は、後一人か」
王の中の本命。
それはただの平民の一少女。
最も遅くエントリーしたため、演奏順番が一番最後になった、天才少女――ライラ。
コンクールも終盤。
ライラが登場するまで、後三人となった。