いびつな笑顔
――朝。
シュラディンら三人のおかげで、何とか部屋は片付いたものの、室内には重苦しい雰囲気が漂っていた。
大切な楽譜を盗まれたライラは意気消沈のまま部屋へと籠り、その姿を無言で見送るフレスは、己の無力さに打ちひしがれ、椅子に体操座りで腰かけていた。
「お前達は、もういい。帰れ」
「い、いいのでしょうか……?」
アイリーンの刺客二人は、申し訳なさからか片付けの終わった後も、ライラの家の前に留まっていた。
吐いて捨てる様に言い放つシュラディンに対し、頭を下げ続けた二人が顔を上げる。
「我々を通報しないのですか……?」
「しかるべき罰は受けるべきかと」
「そんなことはしない。お前らはただ上の命令に従っただけだろう」
腹は煮えくりかえっているが、彼らもまたある意味では被害者だ。
これ以上彼らを責めるのも筋違いの無駄な行為。
「それにライラはお前達のことを、おそらくは許しているはずだ。ただ頭で理解していても、気持ちで納得はしていないのはが見てもわかるだろう。フレス、お前はどうだ?」
シュラディンは背後に座っているフレスに声をかける。
ずっと二人の事をどこか遠い目で見ていたので、彼らも気になっていたはずだ。
おずおずと立ち上がり、二人の前に出たフレスが口を開く。
「ボクは、お二人がライラに謝罪したから、もういいと思うんだ。それに君らだって、通報されたらまずいでしょ。帰るところ、無くなっちゃうよ」
「…………そんなことまで心配して……」
「早く帰った方がいいよ。でも、もうライラの前に姿を見せないで。ボクが言えるのはそれだけだよ」
「……はい」
彼らは悪い人間ではない。だが、ライラとフレスにとって気の許せる相手にはなり得ない。
「いけ」
シュラディンの一言で、固まっていた彼らは背を向けて、足取り重く帰って行った。
――●○●○●○――
「どうする、フレス嬢ちゃん」
「どうするもこうするも、ライラ次第だよ」
「そのライラはどうだ?」
「……ずっと部屋に籠もってる」
「……そうか」
大切な曲が盗まれた。
しかも盗み出したのは貴族と来た。取り返しに行くのも難しいし、そんなことをすればさらに酷い嫌がらせがライラを襲うことになるだろう。
「嬢ちゃん、ワシは一度王宮へ帰る。この事を王に報告せねば」
「――それだけは止めて」
突如甲高い声が響く。
二人が振り返ると、憔悴しきったライラがそこにいた。
「ライラ!? 大丈夫なの」
「大丈夫。ありがと、フレス。……叔父さん、王にはこのこと、言っちゃダメ」
「どうしてだ? このまま何も手を打たねば、何も持たぬままコンクールに出ることになるぞ!?」
「それでも、ダメ!」
ライラは頑なに、王にだけは話すなと、それだけを訴えていた。
「ボクなら大丈夫だから! だから王には! 王はボクの演奏を楽しみにしてくれているのに、失望させたくない!」
「曲はどうするんだ!」
「……大丈夫。今から作るから」
「そんな! 無理だろう!!」
「無理でもいいの! 作るの! もし王に喋ったら、貴方のこと、一生恨み続けるから!」
ライラに引くつもりは毛頭なさそうだ。
どれだけ自分が不利な状況に落ちようとも、ライラは絶対に負けるつもりはない。
「……判った」
シュラディンは、仕方ないと首を縦に振る。
「だが、条件がある。コンクールが終わった後、王に話す。それでいいだろう?」
「……いいよ。それで貴方が満足するなら。じゃあボク、曲作るから」
それだけ言うと、ライラはまた家の中へ入っていった。
「……叔父さん。王様には何も言わないでね」
「あれだけ釘を刺されたんだ。言わんよ。本当に悔しいがな……!!」
シュラディンがどれだけライラを大切にしているか、彼の拳の震えを見ればよく分かった。
だからフレスはシュラディンを信頼し、王宮への帰りを見送ったのだった。
――●○●○●○――
――ラグリーゼ邸。
コンクールを明日に控え、ナーバスになっているはずに違いないと、家主のラグリーゼは娘アイリーンの部屋の扉をノックしていた。
「アイリーンよ。調子はどうだ?」
声を掛けてみるものの、返答はない。
中からピアノの音が聞こえるので、ノックの音が届いていないのだろうと、ラグリーゼは扉を開けて部屋に入った。
「アイリーン!」
鍵盤を一心不乱に叩くアイリーンの後ろ姿に声を投げかける。
普段ならここで音が止み、娘は愛らしい顔を父に向けてくれるはずなのだが、今回はどうしてか演奏が止む気配がない。
「アイリーン?」
少しばかり様子がおかしい。
そんな彼女の異変を感じ、ラグリーゼはアイリーンへと近づき、その表情を見た。
「なっ……!?」
一瞬のうちに、背筋が凍りつくような悪寒。
ラグリーゼは、そこで初めて、娘の本当の姿を見た気がした。
アイリーンは目を見開いて、周囲の事など一切お構いなしに乱暴に鍵盤を叩き続けていたからだ。
その姿はまるで何かに取り憑かれたかの様。
「おい、アイリーン!! アイリーン! 聞こえないのか!? 止めないか!」
演奏を続ける娘の手首を掴んで、無理矢理演奏を終わらせる。
「あら、お父様。どうされました?」
演奏を中断され、こちらを見上げてくるアイリーンの顔は、なんだかいつもよりやつれている様な気がした。
いびつな笑顔があまりにも不自然だ。
「アイリーン、お前なんだか様子がおかしいぞ。ピアノを弾いているお前の姿は、なんだか危なっかしくて仕方が無かった」
「危なっかしい、ですか。それはそうかも知れませんわね……!」
フフッという含み笑いも、何か裏に意味があるような笑い方。
「それで、用件は?」
「いやな、コンクールを控えナーバスになっているのではないかと心配してな」
「ナーバス? 私が? それは大丈夫ですよ。何せこの度の曲は自信作ですから!」
「そ、そうか……」
「それだけ?」
「いや、もう一つ聞きたいことがあってな。ここ最近、お前は私の私兵を使ったか?」
「……いえ。使ってないですけど」
「そうか。いや、最近ガルーカスらの様子がおかしかったものでな。何かあったのかと」
「何もありませんわ! それよりも明日のコンクール、必ず優勝して見せますわ。ラグリーゼ家の為に!」
「あ、ああ」
「それでは私、もう少し練習いたしますので」
「判った。帰るよ」
半ば追い出されるようにして部屋を出るラグリーゼ。
「……どうもおかしい」
アイリーンの様子も、部下達の様子も。
特におかしいのは、昨日帰ってきた二人の兵。
皆がアイリーンのコンクールについて話しているのに、その二人だけ暗い顔で落ち込んでいた。
「何か知っているのだろうか」
ラグリーゼはその私兵二人を探しに行くことにした。