慟哭と狂乱
拘束された賊二人は、ぽつぽつと語り出す。
「……そこのライラとかいう女に、我らが主の娘が懸命に作曲なされた楽曲を盗まれたと、隊長はそう仰った」
「はぁ!? ライラが楽曲を盗む!? どういうこと!?」
「そもそも主は誰だ?」
「ラグリーゼ侯爵だ」
「あのラグリーゼ家だと!? ラグリーゼ家がどうしてこんなことを!?」
ラグリーゼ家は芸術や音楽を愛していることで有名で、王とも懇意にしている名家。
まさかこのような悪事を企てるとは思いもしなかった。
「ラグリーゼ家の娘アイリーン様は、コンクールのために作曲された渾身の新曲を、そこのライラに盗まれたと泣いておられたと。隊長にどうにか取り返して欲しいと懇願なされたと聞いた。隊長は盗人から曲を取り返すために、今回の作戦に出たのだ」
その言葉で、ライラとフレスの顔は青ざめた。
敵の狙いはフレスではなく――。
「ライラ! まさか……!!」
「……うん……! 調べてくるよ……ッ!!」
嫌な予感による冷や汗がフレスをも凍らせた。
ライラは急いで自室へと戻る。
――そして二人の嫌な予感は現実になっていた。
今日、ついさっき完成したばかりの新曲の楽譜が、綺麗さっぱり消え去っていることに気付いたのだ。
「ない! ボクの曲が、どこにも!!」
「なるほど、そういうことか……」
「どういうことなの、叔父さん!」
一人納得しているシュラディンに、フレスが泣きそうな顔でしがみつく。
「フレス、この二人を自由にしてやってくれ。こいつらは悪い奴じゃない。こいつらも騙されているだけだ」
「……え? 何言ってんのさ! この人達はライラの曲を!」
「落ち着きなさい」
強くしがみつくフレスの肩に手を置いて、落ち着くように促す。
「……お前達はアイリーンの盗まれた楽曲を取り戻しに来た。上からの命令で。ただそれだけだったんだな?」
「ああ、そうさ。俺達はお嬢様の大切な曲を取り戻しにきただけだ。決して悪ではない。むしろ悪は先に盗みを働いた方だろう」
「……そうか。あの娘、中々に外道なのだな。フレス、離してやりなさい」
「……オジサンがそう言うなら」
フレスは言われたとおりに、二人の頭から手を離す。
「いいか。お前達は隊長を含め全員アイリーンに騙されている。ライラがアイリーンの楽譜を盗んだと言ったな。そんなことがあるはずないだろう! ライラはずっとここで、フレスと一緒に時間を掛けて自分の曲を作っていたのだ! そもそもライラは平民だ。どうすれば貴族の、それも飛びっ切りの名家の娘であるアイリーンと接触を持つことが出来る!? そのことからしてまず不可能に近いだろう!」
「「…………!!」」
シュラディンの指摘は、まさにその通りであり、彼らも愕然としていた。
平民であるはずのライラが、アイリーンに近づくのは相当難しいことだ。
貴族と平民の間には、当然のこと大きな壁がある。貴族の屋敷の敷地に入ることすら敵わない。
そんな状況であるのに、ましてや大切にしているであろう新曲の楽譜を、どのようにして盗み出すのか。
そもそもどこに隠しているのか、知る由もない。
実の親でさえ見つけるのは難しいであろうその楽譜を、部外者過ぎるライラがどうやって盗めるのか。
「……不可能だ」
「だが、アイリーン様は確かに隊長に泣きついてきたと……」
「だから全員騙されておるのだと言っておる! その隊長諸共、アイリーンにな! 大方ライラの才能に嫉妬したアイリーンが、ライラを潰すために企てたのであろう」
「そ、そんなわけが!」
「アイリーン様が嘘をつくようなことは!」
「ではその目の玉ひん剥いてよく見てみろ! お前らが屑だ最低だと罵りあげたライラという子が、自分の楽曲を盗まれて悲しみに暮れる姿を!」
トボトボと居間に戻ってきたライラの顔は、これまで見たこともないほどの悲壮感に包まれていた。
「フレス……、ボクの曲、どこにも見当たらないんだ……」
「ライラ……ッ!!」
酷い手の痛みすら耐えながら、文字通り必死になって作り上げた曲。
それを突然奪われたライラの悲しみを、誰が共有できるものか。
「フレス、フレス……!! ボク、全部失っちゃったよ……! フレスと一緒に作った思い出の曲、盗られちゃったぁ……!! う、う、うわあああああああああああああああああああああッ!!」
「ら、ライラ……!!」
――慟哭。
そう表現するのが相応しいと思えるほど、ライラは声を上げて泣いた。
そのライラを、ただ抱いて共に泣くフレスの姿。
二人の姿を見ているだけで、シュラディンの瞳からも涙が溢れて止まらない。
「お前達はッ!! あれほどまでに全てを音楽に捧げている少女達を見てッ!! まだライラを屑だと表現するかッ!! 人の曲を盗んだ者が、あれほどまでに悲しむことが出来るのかッ!? おい、どうなんだッ!!」
「「う……」」
「彼女の涙は、果たして偽物かッ!? お前らはそれすらも見抜けぬのかッ!? このたわけものめッ!!」
「「…………!!」」
やはり、この二人は悪い人間じゃない。
何せこの二人の目からも、二人の姿を哀れんで、涙が溢れていたからだ。
ただ主に従って行動していただけ。
その主人こそが、最低だっただけだ。
「わ、悪かった……!! 俺達は本当になんてことをしてしまったんだ……!!」
「ライラというお嬢さん。心の底から謝らせてくれ……!! 君は屑なんかじゃない! 屑なのは俺達の方だった……!! 俺達の目が腐りきっていた……!!」
二人は、自然にライラへ土下座していた。
「フレス、フレス……!」
「ライラ……!!」
この日、二人は夜通し泣いていた。
部屋の片付けは全てシュラディンと、敵だった二人が、せめてもの償いにと行ってくれた。
コンクールまで残り二日を切った夜の出来事だった。
――●○●○●○――
「アイリーン様、無事曲を奪還して参りました」
「まあ! ご苦労様、ガルーカス。助かりましたわ!」
「コンクール楽しみにしております」
「さあ、練習しなければ。ガルーカス、下がってよくってよ」
「はっ!」
ガルーカスが部屋から出て行くのを見送った後、アイリーンはベッドに身を投げ込む。
「やったやった! これで私の優勝は間違いなし……!! しかしこれ、どんな曲なのかしら?」
一通り目を通してみる。
それだけアイリーンの背筋は凍り付いていた。
「な、何なの、この曲……!! わ、私が、これを作曲したということに……!?」
――その曲。
時代が時代であれば、名曲として様々なコンサートで使われてもおかしくないほどの完成度であった。
あまりにも完璧すぎる楽曲であったため、アイリーンは、今となって自分のしたことの重大さに気がつく。
「これを、私が……!!」
これを発表なぞしてみたら、たちまち彼女は天才として祭り上げられる。そう確信出来るほどの曲だ。
「……クッ……」
だが、それによって栄光を掴んだとしても、それは偽りの栄光。自分の実力など、どこにも関係が無い。
今更ではあるが、この楽譜を使うことに躊躇してしまう。
「これをもし演奏すれば、私は……」
一生罪の意識を持ったまま、暮らしていかねばならない。
――だが、彼女はその意識すらも、すでに超越していた。
「ク……ククク……アーッハッハッハッハッハッハ!! それでいいじゃない! 罪の意識!? そんなもの、糞喰らえだわ!! 天才としてデビューすれば、ラグリーゼ家は一生安泰! 何も問題ないじゃない! 私なら出来る! 嘘で自分を彩る事も、嘘で自分を誇示することも!! アーッハッハッハッハッハッハッハ!!」
軽い狂乱状態に陥ったアイリーン。
彼女だって、天才の一人だ。初めて見た楽譜だろうと、演奏することは可能だ。
この楽譜を自分のものにするために、アイリーンは凄まじい気迫で演奏を始めたのだった。