狂気の策略
仕事も終わり、たんまりと報酬の入った巾着袋をポンポンとお手玉しながらライラとフレスはご機嫌そうに帰路についていた。
「いやあ、やっぱりライラのピアノは最高だよ! いい曲だった!」
「フレスってば、いつもそれなんだから。まあいいや、王からたっぷり報酬をもらったし、今日はうんと豪華の晩ご飯にしようね!」
ずっしりとした重みの巾着袋に、ライラのニヤニヤは止まらない。
「なんでも御馳走してあげる!」
「え!? ホント!? 何でもいいの!?」
「任せて任せて!」
「じゃあボク食べたいものがあるんだけど!」
「なになに!?」
「――くまのまるやき!」
「……それは無理」
「そ、そんな~」
アハハハと仲良く笑いながら王宮から帰る二人を、見守る影が一つ。
「……私はあいつなんかに負けないわ……!! 貴族の私が平民ごときに負けてなるものですか……! 絶対にお父様や王を見返してやる。どんなことをしてでも……!!」
爪がそのたおやかな肌に食い込むほど拳を握りしめて、二人を睨むアイリーンの姿があった。
――●○●○●○――
「お父様!」
広々としたラグリーゼ邸に、耳をつんざくヒステリックな声が響く。
「お父様! どこにいらっしゃるの!?」
「ここじゃ。どうした、アイリーン」
「どうしたもこうしたもないわ! 私はコンクールで一番にならなければならないの! 協力して下さいませ!」
「アイリーン……またか……」
あの夜。
あの立食パーティー以降、娘のアイリーンが妙にヒステリックな行動をとることが多くなっていることに、ラグリーゼは頭を抱えていた。
「アイリーンよ。少し落ち着いたらどうだね」
「これが落ち着いてられるとでもおっしゃいますの!?」
娘が杞憂する存在は、あの夜のピアニストに違いない。
あれは真性の天才だ。
アイリーンとて天才には違いない。
だが、彼女の音は、そんなアイリーンの実力を遙かに凌駕している。
彼女に負けたくない。その気持ちはラグリーゼとて尊重はしたい。
「アイリーンよ。ワシとてお前は自慢の娘。誰にもピアノの腕では負けないと信じておる。お前は音楽界の歴史に残る天才だと。だがな、今はまだその時ではない」
「今はまだ!? 私はもう、立派なピアニストですわ! お父様だって、この前の演奏会でそうおっしゃって下さったではないですか!」
「お前は立派なピアニストだ。だが、天才と称されるのはまだ早いと、そう言っておるのだ」
「何を仰いたいのです!? 私は何が何でも勝つために、お父様の力をお借りしたいと思ってこうして探していたのです!」
「ワシの力を借りて、か。それはもうお前だけの実力ではないだろう。そんな勝利に意味はあるのかね?」
「ありますわ!」
諭そうとした言葉に、アイリーンは堂々と返答した。
「私たち貴族が、あんな平民ごときに負けること自体が、そもそもの間違いなのです。そんな間違いは、どんなことをしてもたださなければなりません。平民に負けたとあっては、大貴族ラグリーゼの名も地に落ちるというもの!」
「アイリーンよ、それは間違っておる」
「何が違うと言うのです! 私はただ、自分の持てる力を総動員して勝利を掴むだけ! お父様の力を借りるのも、私の力に他ならない! なら構わないでしょう!?」
凄まじい剣幕のアイリーンに、ラグリーゼは説得することを諦めた。
「アイリーン、少し頭を冷やせ。芸術や音楽の世界に、そのような平民に対しての偏見をこれ以上持ち込むのならば、ワシはお前を失望せねばならん。よく言っておくぞ。ワシはこの件について一切手助けはしない」
「お父様!」
ラグリーゼはアイリーンを一別した後、自室へ戻って鍵を掛けた。
「お父様! 私はまだ話を終えてませんわ!」
扉の奥からドアノブを回す音。
ラグリーゼは、正直恐怖していた。
娘のアイリーンに恐怖している訳ではない。
アイリーンだって、あの夜までは素直で真面目、それでいて負けず嫌いの素晴らしい娘だった。
貴族であることを鼻にかけるような物言いなど、当然したことはなく、誰にでも優しい娘であった。
勿論、それは今だって変わってはいないと信じている。
ただ、あの夜の演奏会が、アイリーンの何かを壊した。
自分には持ち得ない、天性の才能を突きつけられたアイリーンの心中は、想像するだけでも哀れに思える。
アイリーンも恐怖し、そして焦っているのだ。
あの恐怖すべき、平民の娘の才能に。
「王よ、少しだけ恨みますぞ……」
あの才能を発掘した王の才能に、ラグリーゼは嫉妬する以外なかったのだった。
――●○●○●○――
「お父様は私のお願いを聴いてはくださらない。ならば私自ら動かねば……!!」
アイリーンは自室に戻ると、此度のコンクールでどうすれば自分が大賞を取れるか、必死に考えていた。
「ピアノの腕…………で負ける気はないけど、それでも当日の調子次第。これはどうしようもない。とすれば、他には……」
フェルタリアのコンクールの募集要項をしっかりと吟味してみる。
「演奏は自分、作曲も自分……。そういえばまだ作曲が途中でしたわね……」
半分白紙の楽譜を見て、つい嘆息してしまう。
「後十日……。難しいですわね……」
真っ白な楽譜を触りながら、期限までにどうやって仕上げようか考えた、その時だった。
「…………難しい……? そうですわ……!!」
閃く。
この状況を最も容易く、最も効率的に、最もあくどい方法を。
何という悪い知恵なのだろうか。
清純真面目で生きてきた自分が、ここまで黒い考えを思いつくとは、自分自身でも驚いていた。
これを行動に起こそうとするだけでも手が震える。
「私はなんとしても勝たなければならないの……!! 全てはラグリーゼ家の為に……!!」
そう口にすると、自然と震えが止まっていく。
「大丈夫、証拠は絶対に残さないし、コンクールさえ終わったら、後はうやむやになるだけ……!!」
アイリーンはすぐさまメイドを呼びつけて、とある人物を招集していた。
――――
――
招集の一時間後。
「アイリーンお嬢様。何か緊急の用件があるとか」
現れたのは、屈強な身体に髭を蓄えた四十代くらいの中年男性。
胸にはフェルタリア王家より与えられし勲章が光る。
「来たわね、ガルーカス隊長。個人的なお願いがあるのですが、よろしいでしょうか」
「無論でございます。このガルーカスを筆頭に我らが親衛隊全員、ラグリーゼ家へ忠誠を誓っておりますので。如何な願いも叶えてみせましょう」
ガルーカスと呼ばれた男は、アイリーンの前で跪いた。
彼はラグリーゼ家が独自に組織した親衛隊の隊長をしている。
普段は王宮の兵士として勤めているが、ラグリーゼ家の招集があれば、すぐさま応じる、アイリーンにとっても便利な組織だ。
「お嬢様。我々が来たからには、万事解決です」
「ガルーカスが来てくれて、私はとても安心しました。早速お願いを聞いてもらいたいのですが」
アイリーンは、そのお願いというのをガルーカスに話す。
先程思いついた、密なる味の闇の策略。
「なるほど。お嬢様の楽曲を盗み出した輩がいて、それを取り返すと」
「ええ、その通りよ。犯人は平民の娘。名はライラ」
「その者こそお嬢様が作曲なされた曲の楽譜を盗んだ不届き者……!! 許せませぬ。ラグリーゼ様はこのことを?」
「いえ、お父様は何も知らないわ。ガルーカス、お父様には秘密にしておいてくださらないかしら? お父様には無駄な心労を掛けたくないから。全て秘密裏に動いて下さらない?」
「お、お嬢様がそこまでラグリーゼ様の事を心配なさっているのです。私がその努力を潰すような事がどうして出来ましょう。絶対に秘密は漏らしませぬ。全て秘密裏で行動させて頂きます」
「ありがとう、ガルーカス。出来れば曲を取り返すのは、コンクールの二日前にして欲しいの」
「それはどうして? お嬢様には練習の時間が必要でしょう? 何でしたらこれからでも」
「私なら二日あれば大丈夫です。それよりも私、少し怒っていまして。曲を奪われたとき、どうしていいか分からなくなりました。その苦しみを、罪人達にも味わって貰いたいのです。私としてはこの度のことを治安局に通報するつもりはありません。私は貴族。平民を守る立場ですから、権力を振りかざす事を良しと思わないのです。ですが私とて人間。このままでは悔しすぎます。ですので、私からのささやかな仕返し、ということでお願いできませんか?」
アイリーンの話に、ガルーカスは時折同情の視線を送ってきていた。信じ切っているに違いない。
――どうしよう、笑いを堪えるのが大変です。
いざ口から嘘を吐き始めると、その嘘は洪水の様にあふれ出す。
しかも、その嘘達は聞く者からすれば、とても誠実で潔いもの。
反対する者などどこにもいない。この目の前で跪くガルーカス隊長であろうとも。
「お嬢様。私感銘を受けました。お嬢様の罪人をも許す懐の深さ、貴族としての誇り、全て私の心を振るわせます。承知いたしました。このガルーカス、命に代えても、アイリーンお嬢様の願い、叶えてみせます」
「ありがとう、ガルーカス」
感動しているのか、ガルーカスの礼はいつも以上に深かった。
「ぷ、ぷぷぷ、……アーーーッハッハッハッハッハッハッ!!」
ガルーカスが部屋から出て行った後、アイリーンは大声で高笑いをあげた。
「何これ、楽しい!! 癖になっちゃいそう!! ……ライラ、覚悟しておいてね……!! 私の前に立ち塞がったこと、後悔させてあげるわ! アーーーハッハッハッハッハッハッハッハッ!!」