立食パーティーの余興
神器都市『フェルタリア』。
このアレクアテナ大陸において、神器について右に出る都市はいないとされる、大陸随一の技術都市だ。
無論経済力も相当高水準であり、この都市に住まう人々は、何不自由なく暮らしている。
神器を扱うと言う都市の性質上、技術の漏えいを警戒して、他都市や他大陸との交易は厳しく制限されているが、神器技術の恩恵の大きさにより不満が出ることはまずない。
一つの都市ではあるが、内情的にはさながら一つの大陸と言えるような都市であった。
「ねぇ、ライラ! お使い終わったよ!」
「そう、ありがとう。机の上に置いておいてね。後、お釣りは返して」
「ええー、ちょっとくらいくれてもいいじゃない!」
「ダーメ! うちはあまり裕福じゃないのだから、フレスの無駄なオヤツ代は出せないの!」
「うみゅう……判ったよぉ」
ここはフェルタリア王家の住まう城下町の片隅にある、小さな集落。
その中の青い屋根が目印の小さな家が、フレス達の住まう家である。
「ライラ、ライラってば!」
「なに? フレス」
フレスにお使いを頼んだ張本人が、部屋の奥から出てきた。
金色の長髪をツインテールにした、眼鏡を掛けた小さな女の子。
彼女の名前はライラという。
そのライラはというと、目の下に大きなクマを作って、これまた大きな欠伸を一つ。
「ねぇ、ライラ、また徹夜しちゃったの?」
「そうよ。だから眠たくて仕方ないの。お買い物にも行く気力がなかったから、本当に助かったわ。ありがとう、フレス」
ご褒美とばかりに、ライラはその手をフレスの頭の上に置き、そして撫でた。
「うん! えへへ」
もはや恒例となったこの行為。
フレスも、その心地よさに悪い気はしない。
最初は弾こうかとも思っていたけど、考えてみれば最初の出会いの時からのこと。
仕方なくやられているうちに、今や病み付きにすらなっているほど。
「……手の傷、大丈夫?」
「傷? ああ、これね。もう大丈夫だから、心配しないで」
撫でていない方の腕をフレスは見る。
この手は、フレスが傷つけてしまった手。
初めて会ったあの日に、氷のクナイを突き刺してしまった。
「ごめんね、ライラ。ボクのせいで。まだ痛むよね」
「だから、フレスのせいじゃないって! あればボクのワガママ。それにもう痛みは全然ないんだから。ほらみて!」
ブンブンと手を振ってみせるライラ。
その顔に苦痛の表情は無いので、少し安堵したが、それでもフレスにとって罪の意識は変わらない。
「でも!」
「でももへちまもない! それよりもお昼ごはんにしましょ! フレス、お腹すいたでしょ?」
「……うん」
「ほーら、そんなに落ち込まない! ボクとフレスはお友達でしょ! 友達がそんな顔をしていたら、ボク嬉しくない。フレスはいつも明るい方が可愛いんだからさ、もっと明るくいきなよ。手はもう本当に痛くないんだから」
「……うん、判ったよ!」
ライラのこの笑顔に何度救われたことか。
すっかり笑顔を取り戻したフレスは、ライラと一緒に楽しいお昼ごはんを食べたのだった。
――●○●○●○――
『♪~~~~~~~♪』
心地の良いピアノの旋律が、昼下がりのティータイムに華を添える。
このライラ宅では恒例の、フレス一人の為の演奏会だ。
「うみゅ~、いい曲~」
ゆったりとした優しいメロディと、紅茶の心地の良い芳香に、フレスの瞼も重くなるというもの。
「うう、眠たくなってきちゃった……」
「こりゃ!」
「うひゃあ!?」
ピアノの音が無くなったかと思うと、今度は鼻を摘ままれる。
「にゃ、にゃにするのさ、ライラ!」
「寝ちゃ意味ないでしょ! ほら、感想をしっかりと頂戴ね!」
「え、えーと、いい曲だった!」
「フレスってば、どんな曲でもそういうじゃない! 感想はもっと具体的に!」
「え、えっと……」
指をずびっとフレスの頭に立てるライラに、フレスも申し訳なさそうにはにかんだ。
「だって、本当に良い曲だと思ったんだもん」
「だから、いつもいつも同じ感想じゃこっちも困るの! 折角コンクールに出るんだからさ! 感想を参考にしたいんだから!」
「仕方ないじゃない。ボク、音楽の専門家じゃないんだもの! ボクだってライラみたいにピアノ弾いてみたいよ」
「そう? なら弾いてみる?」
「う~ん、ボクは聴く専門がいいかなぁ」
「ならちゃんとした感想考えること! いい!?」
「わ、判ったよ」
ライラはこのピアノというジャンルで生計を立てているプロのピアニストなのだ。
ただピアノを弾くだけでなく、作曲も自分で行っている。
「さ、フレス、次の曲!」
「う、うん、頑張るよ」
二週間後、フェルタリア王家主催のピアノコンクールが開催されるのだ。
このコンクールは少し特殊なコンクールで、既存の楽曲を使用することが許されない。
演奏から作曲まで、全て己の手で行わなければならないものである。
故にこのコンクールの舞台に立つだけでも、相当な実力者といえるわけだ。
無論これの優勝ともなれば、音楽会における最高の栄誉が与えられる。
フェルタリアのコンクールはトッププロへの登竜門的なコンクールだ。
ライラも音楽を志す以上、このコンクールに向けて、日々練習と作曲に明け暮れているというわけだ。
「♪~~~~~~~♪」
ライラのピアノ演奏は続く。
彼女が最高の栄誉を得ることが出来るように、フレスも出来る限りの協力を惜しまない。その気概だ。
「さ! フレス、今の曲、どうだった?」
「いい曲だった!」
「…………」
今日の演奏会は、昼下がりのティータイムどころか、夜遅くまで続けられたのだった。
――●○●○●○――
――フェルタリア王家、立食パーティー。
今日はフェルタリアの設立から160年に当たる記念式典が、昼に王宮にて行われ、夜は貴族達を集めてのパーティーが開催されていた。
「今年のコンクールも楽しみですなぁ、王」
「そうですな、ラグリーゼ侯爵」
立食パーティーの主催者であるフェルタリア王は、音楽を愛することで有名である。
演奏と作曲を同時に行うという珍しいコンクールを始めたのもこの王だ。
「今年は有望株が多いですからな。ラグリーゼ侯爵の御嬢さんも、その内の一人ですぞ」
「いやはや、王にそう言ってもらえるだけで、親の私としては鼻が高いというもの」
「期待しております。……それに、今年はあの娘も」
「……あの娘? どの娘でございましょう? どこかの侯爵家の御嬢さんだとか?」
「いやいや、平民の娘です。王宮にはたまに仕事でピアノ演奏に来る娘でしてね。ピアノの腕は抜群なのです。これまではコンクールの出場に難色を示していたのですがね」
「平民の娘、ですか」
「以前からあの娘の才能には気付いてましてな。何度もコンクールに出よと言っても、平民如きがおこがましいと拒否されてましてな。ですが、今年はどうも気が変わったのか、出てくれることになりましてな。楽しみなのですよ」
「王がそこまで期待なさる才能とは……」
王が気にするほどの平民とは、一体如何ほどのものなのか。
王の興味は自慢の娘よりも、その平民に向かれている。
そのことにラグリーゼは悔しくもあったが、純粋に興味も沸いてきていた。
「今から判りますぞ。今日のパーティーにも来ているはず」
「平民がこのパーティーに?」
「あの娘は特別でしてな。色々と個人的に頼んだ仕事もありまして、近況報告のついでに参加せよと私が誘ったのです。無論、この場の皆と同様に扱えば彼女も困ろうから、表向きはパーティーに華を添えるピアノ演奏の仕事と言うことで」
「そ、そうだったのですか」
「――お父様!」
歓談している二人に、声が掛かる。
振り向けば、真っ白な肌がよく映えるスカイブルーのドレスを纏った、金色でカールの掛かった髪を携えた少女が、笑顔を振りまきながら此方へやってきていた。
「おお、アイリーン、此方に来て王に挨拶しなさい」
「はい、お父様」
アイリーンは長いまつげに主張させるかのように目を閉じて、王に頭を下げた。
「私、ラグリーゼ侯爵の一人娘、アイリーンと申します。国王陛下にお会いできて、これ以上の幸せはございません」
「はっは、此方こそ嬉しいですぞ。我がフェルタリアの誇る天才ピアニストに会うことが出来て。今度のコンクールにも出場するそうで、楽しみにしています」
「まあ、本当!? 嬉しいです! 是非王の期待に添える演奏を行いますわ」
「アイリーン、折角だ。今ここで王に披露してみなさい」
「良いのですか?」
魅力的な提案だと目を輝かせるアイリーン。
だが、王はその提案に首を横に振る。
「非常に嬉しい提案だが、さっきも言ったようにこれから私の招いたピアニストが演奏を行いますのでな。無論アイリーンさんの演奏に興味がないわけではない。ただパーティーのお客様にピアノを弾かせるのはどうも気が引けるのです」
「わ、私は一向に気にしませんが」
「私が気にしますのでな。それにこれから演奏する彼女を呼んだのは私の我が儘でして。ラグリーゼ侯爵。すまないが我が儘に付き合っていただければ助かります」
「……承知しました。アイリーンもいいな?」
「え、ええ、お父様……」
そこまで話した時、会場にアナウンスが入る。
『皆様、これより余興であるピアノの演奏会を行います。御静聴いただければ幸いです』
会場の明かりが落とされて、壇上のピアノにスポットライトが当たる。
「あれが今言った娘ですよ」
そしてピアノの前に立ち、少し雑に礼をしたのは――ライラだった。