我らの師匠は、ただ一人。
「君は――――贋作なのさ」
そう言い放った仮面の男は、ウェイルの目の前で仮面を――外した。
「こんにちわ。僕の影武者君?」
「――――!?」
驚きと同時に横腹に痛みが走り、体が痛みでくの字に曲がる。
だが、ウェイルの脳内は今、痛みよりも激しいショックで支配されていた。
何せ、仮面を外した奴の顔は――
――ウェイルの顔そのものであったからだ。
「仮面外すのも久しぶりだ。でも君とはこうして話したかった。ね、僕の偽物君」
「はぁ、はぁ、にせ、もの、だと……?」
痛みは引き続きウェイルを襲うが、それ以上に仮面の男の話の衝撃は大きい。
「簡潔に言おうか。君はね、自分のことをフェルタリアの王子だと勘違いしているようだが、それは違う。本当の王子は、この僕なのさ。そして君は、僕を守るためだけに用意された、影武者なんだ」
「――――ッ!?」
こいつは一体、何を言っているんだろうか。
フェルタリアの王子が、自分だと? 馬鹿を抜かすな。そんなわけがない。
「僕の言うことが信じられないという顔だね? まあそりゃ信じられないかもしれないけど、現実だよ? さっきのフレスの態度がいい証拠でしょ?」
フレスは俺に、仮面の男の言葉を聞くなと、頑なに叫んでいた。
ボロボロの身体で、少しでも身体を休めなければならないあの場面で。
叫ぶフレスの顔は印象に残っている。
酷く、悲壮感に溢れていた。
「……そんな話、俺が信じるわけがないだろう……?」
「そうかな? なら一つ訊ねようか。君はフェルタリアのことをよく覚えているのかい?」
「……ッ!!」
フェルタリアのこと。
俺は漠然としか覚えていない。
ただ、大切な故郷だという認識はあった。
その故郷を潰した『不完全』という贋作士集団のことを恨み続けていたのも、そういう認識からだ。
しっかりとした、詳しい記憶は残っているか?
……………………。
…………。
……俺は、幼かった。だから記憶が曖昧なのだ。
そう、俺はそう信じきっていた。
俺の記憶に、フェルタリアの記憶は、あまり無かったのだ。
「ほらね、実はあんまり詳しく覚えてないでしょ? そりゃそうでしょ。君に与えられた仕事は、僕の影となることだけなんだから。君の世界を見る視野は、今と違ってとても狭かったはずだよ」
「…………」
……ああ、そうさ。
記憶が少ないのも、そりゃ王宮から出たことがないからだと、今なら判る。
俺は世界は、いつもいつも塀の中。
フェルタリアという都市を、城より外の世界を、じっくりと見たことなど、ただの一度もなかったのだ。
「フェルタリア王は君のことを大変気に入っていたよ。影として、君は実に優秀だとね。僕はほら、あまり優秀じゃなかったからさ。ぶっちゃけるとあの王家のことは嫌いだったし」
王の姿は、実によく覚えている。
とても優しく、温厚で、そして――父親だった。
だんだんと昔の記憶が蘇ってくる。
王は優しかった。
でも、周囲はどこかよそよそしい。
幼いながらも、何か違和感を覚えていた時期が、確かにあった。
結局、その後の『不完全』の進攻によって、全てをうやむやにされた。
自分の役割や存在を理解出来ぬまま、俺は故郷を失っていた。
残ったのは、『不完全』への復讐心だけだ。
「君はね、僕の贋作なんだよ。よく出来た贋作さ。プロ鑑定士本人が贋作なんて、笑っちゃう話だろ?」
「…………」
確かに笑える話だ。
それが本当なら、大笑いもいいところ。
だがどうしてだろうか。笑いが全く込み上げてこないのは。
――そうか。
俺はもしかしてなくても、こいつの話に納得している。
「ウェイルっ名前の由来、知ってる? 実は旧フェルタリア語から来てるんだ。調べてみれば判ると思うよ? その意味はね――ずばり、影って意味なんだ。君にぴったりだね」
ウェイル――それは影。
そうか。そういう意味だったのか。
こいつは俺と同じ顔をしていた。
奴の影だから、同じ顔なのも当然だ。
「本当の王子の名前は『ウェイル・フェルタリア』なんかじゃない。この僕――『メルフィナ・フェルタリア』さ。影と言う意味じゃない、本物の名前だよ」
メルフィナ――それは旧フェルタリア語で、光を意味する。
奴は光で、俺が影。
そうか。俺はフェルタリア王子の――――贋作だったのか。
どうしてだろうか。
奴の言葉はすんなりと心に響き渡り、強引どころか自然に納得している自分がいた。
身体に力が入らない。
怪我せいか? 無論それもある。
でも、それだけじゃない。
心にぽっかり、穴が開いた気分だ。
「ああ、今とても気分が良い。ウェイルにきちんと正しいことを伝えることが出来て、とても満足だよ。じゃあそろそろ終わりにしようか」
メルフィナは剣を一振りして感触を確かめた後、その切っ先を俺の首に当てつけている。
「そろそろ贋作君の出番も終わりだよ。フェルタリアも、そしてこのアレクアテナも、もうすぐ消えてなくなっちゃうんだ。僕の影なんて必要なくなる。だから、もう休ませてあげるよ」
メルフィナはニッコリと微笑みをくれてくる。
腹立たしい。
腹立たしいが、どうしてだろうか。何もする気がしないのは。
剣が首にあてられているというのに、何の対策も講じようとは思わない。
「…………そっか。そういうことか……」
今、判った。
俺は今、絶望してるんだ。
自分の正体が、あれほど憎んできていた『贋作』だということに。
「さて。折角だ。ケルキューレの力を試してみよう。これに斬られると心が壊れるんだってね。今の君にはある意味丁度いいのかも。斬られた方が幸せかもね。ね、ウェイル?」
光と影を放つ剣が、ウェイルの頭上へ振り上げられた。
もう避ける体力も、気力もない。
ただ呆然とその切っ先を見つめることしか出来ない。
美しい刀身が光を放つ姿は、とても綺麗だった。
最後に美しい芸術品が観賞しながら逝けるのは、確かにこいつの言う通り幸せなのかも知れない。
そう思い、ゆっくりと目を閉じて、最後の一閃が身体を貫くのを覚悟した。
「お別れだ、ウェイル。僕の影。今までご苦労様」
メルフィナは、そんなウェイルに容赦なく剣を振り下ろす。
――ドシュウッ……!!
生々しい音が、耳に響いた。
「…………?」
……おかしい。
音がしたというのに、身体に痛みが全く走ってこない。
何が起こったのかと、ウェイルはゆっくり瞼を開ける。
「なっ…………!!」
目を疑う光景がそこにあった。
「…………フ、フレス……!?」
「あらら、フレスを刺しちゃったみたいだね」
メルフィナの持つケルキューレは、ウェイルではなく――フレスの身体を貫いていたのだ。
「ふ、フレス…………!?」
意識を失い倒れていたフレスが、どうして自分の身代わりになっているのか。
「フレス! どうして!?」
「――違うな。我はフレスベルグ。フレスじゃない。無事か、ウェイルよ…………」
ケルキューレの輝く刃は、フレスではなく――フレスベルグに突き刺さっていた。
「……ふぐ……!? やはり小娘の身体ではこれが限界か……!!」
師匠の身の為に、自らの身を捧げた弟子の姿がここにあった。
「お、お前!! それに刺されるとどうなるか判ってるのか!?」
「心が壊れる。知っているさ」
「ならどうして俺を庇った!?」
その問いに、フレスはニッと笑ってこう言った。
「庇うのは当たり前だろう。お前は我にとっても大切な――――人だからだ……!!」
「……フレスベルグ……!!」
ぽたり、ぽたりと、フレスの血が顔に掛かる。
フレスを貫くケルキューレが、輝きを増していく。
「……クッ……、ああ、ああああああああああッ!!」
「……フレスベルグ!?」
「アハハ! 始まった♪」
ティアが微笑む。
その光景を見て、まるで仲間が出来ることが嬉しいみたいに。
「あああああああああああああああああッ!!」
「フレスベルグ!!」
――心が、壊れ始めた。
気高く気品があり、頼りがいがあって――少しの間だけど、その可愛さも知った、フレスとは違うもう一人の弟子。
その弟子が今、自分の命を救うために、その心を捧げた。
「……ま、まだだ……、まだ全部伝えてない……!! 我にはまだ、ウェイルに伝えることがある……!!」
苦痛に顔を歪ませながらも、フレスは続ける。
「……ウェイルよ、もうじき我の心は消え去るだろう。だが大丈夫だ。我にはもう一つ心がある。フレスなら、我の大切な相棒なら、きっとウェイルを救ってくれる」
「フレスベルグ……!!」
ウェイルはただ、彼女の名前を口にするだけ。
「ウェイルよ、貴様は確かに影かも知れない。だがな、これだけは覚えておけ! 我らの師匠は、この光の名を持つ者でなく、影の名を持つ、お前だけだ。他の誰でもない、今ここにいる、ここで生きている、ウェイル、お前だけなんだ! だからな……」
ケルキューレの魔力が増大するのが判る。
壮絶な痛みのはずだ。それでも、フレスベルグは最後に、ウェイルに微笑みをくれた。
そして。
「フレスのこと、頼むぞ――――我が最愛のお師匠様――――」
ばさっと、フレスの身体が重力に従って落ちていく。
――フレスベルグの、心が壊れたのだ。
「フレス、ベルグ…………ッ!!」
師匠と、そして相棒のフレスの心を守るために。
神龍フレスベルグは、その心を散らせた。