無邪気な邪龍 ティア
イドゥが三階に降りると、そこにはすでにティアの姿があった。
ただし、その姿はというとあまりにも常識からかけ離れたものだった。
着ていた純白のワンピースは返り血で真紅に染まりきり、彼女のあどけない顔と、すらりと伸びた手にも、尋常ならざる量の血液がこびりついていた。
そんな姿で、純粋無垢な笑みを浮かべてくるものだから、いくらイドゥでも悪寒を覚える。
「ティア嬢ちゃんよ、お前は一体、何をしていたのだ……?」
ティアは何をしでかしたのかと、イドゥの質問する口調は、やけに慎重だった。
対するティアはというと、遊び疲れた子供の様の如くテヘヘと笑ってこう返してくる。
「えへへ~、ちょっと遊んでたんだ~」
周囲を見回すと所々に血だまりがある。よく見ると切断された何者かの腕さえも。
これを遊んだと表現する彼女の神経は、一体どうなっているのだろうか。
「どうして口まで赤い?」
「久しぶりに人間食べてみようと思ったんだよ。でも全然美味しくなかった。残念。イドゥも食べる?」
「い、いや、遠慮しておく」
そう言って彼女が指差したのは、無残にも身体を引き裂かれた躯だった。
流石にイドゥでも、このティアの行動と姿には戦慄すら感じる。
まさしく狂っている。
この龍は、根本的に、心のどこか壊れているに違いない。
――『こいつが敵じゃなくて良かった』ではなく『味方で助かった』なんて、この歳になって初めて感じた心境だ。
「服、汚れちゃった」
血塗られた手でワンピースを掴むものだから、汚れはさらに酷くなる。
もう洗っても落ちるレベルの状態じゃない。
尤も、普通の精神ならば洗ったところで、こんな服をもう一度着たいなんて思わないだろうが。
「……後でもっと可愛い服を買ってやる」
「ほんと!? イドゥおじさん、だ~い好き!」
血塗れのまま抱きつくなと言いたいが、ティアの機嫌を損ねることはもっと勘弁しておきたい。
血で汚れることもいとわず、甘んじて受け入れてやる。
「……ティア嬢ちゃん。このフロアの人間は殺さなくていい。判ったな」
これ以上の惨劇を出すのも気分がよくない。
人の死に慣れているイドゥでさえ、そう思ったほどだ。
「は~い。十分遊んだし、ティア少し疲れちゃったから殺さない」
「良い子だ」
無邪気にじゃれてくるティアの頭を撫でた後、イドゥは目を瞑って、ピアスに魔力を集中させた。
『――三階二番ホール準備室に幹部の男が一人。詳しい話はそいつに』
「……よし。行くぞ、嬢ちゃん」
「うーん、イドゥ、だいじょーぶ? ちょっと疲れてるみたい?」
「心配するな。行くぞ」
神器を使った代償というのもあるが、それ以上にティアのことが精神的に来ていた。
いつの間にかグッショリとかいていた汗を手で拭う
新たな情報を仕入れた二人は、情報にあった目的地へと向かった。
――●○●○●○――
「ここか」
三階二番ホール準備室。
時計塔内部には演劇用ホールがいくつか用意されていて、この部屋はその演劇に際しての準備物を置く部屋となっている。
内部はそこそこに広く、衣装や小道具を置くスペースもある。
二人はその部屋の前で、部屋の様子を窺っていた。
「ティア、中の声、聞こえるか?」
「やってみるよ」
龍の耳は、こういう時に非常に役に立つ。
扉に耳を当てて、ティアは内部の様子を窺った。
「どうだ?」
「聞こえるよ。男が一人に……女も一人いるかなぁ。多分中に二人いるよ」
「二人……?」
情報では一人の予定。残り一人は誰なのか。
「あ。一人出て行ったよ。女の方だ」
「……ふむ。これで一応情報通りか」
先程仕入れた情報と少し食い違いがあり、その女とやらがかなり気にはなったものの、これで情報通りの状況となった。
「どうする? まだ様子を窺う?」
「いや、もう行こう。急がねばまたイレギュラーなことが起きかねん」
これ以上、状況の変化を待つのも、何が起こるか判らない分怖い。
「ティア、扉をぶち壊してくれ」
扉には鍵が掛かっていた。入るには手っ取り早く吹き飛ばすのがいい。
「なるべく小規模に頼むぞ」
「は~い! ティア、頑張ります!」
ティアが扉の前で、両手を合わせて合唱のようにする。
すると手と手の隙間に、さながら太陽の様に輝く小さな球体が出現した。
「おじさん、ちょっと下がっててね。消し炭になっちゃうよ?」
「……うむ」
一見比喩に聞こえて、おそらくそれは比喩じゃない。
眩くて見ているのもキツイくらいの光の球だ。本当に炭になってしまうほどの威力があるのだろう。
球体はまだ豆粒程度の大きさだが、それでも感じる膨大な魔力。
「えいっ!」
ティアはその作り出した球体を宙に浮かべると、デコピンの要領で打ち放った。
―― ジュンッ ――
光の豆粒は、扉に衝突するや否や、瞬時に扉を消滅させた。
正直イドゥにも、今目の前で起きた現象が理解できなかった。
扉が光で焼き尽くされたのか、それとも木端微塵にされたのか。
扉は残骸一つ残していない。
これはまさしく消滅。
その表現しか見当たらない。
ティアの光の力、それは消滅を生む力であった。
「さーさー、中にいる人ー、出てきてー」
どしどしと敵のいる部屋に乱入していくティアの姿に、イドゥは再び戦慄する。
龍のことは多少なりとも知識があったとはいえ、この龍はあまりにもイレギュラーだ。
以前『不完全』にいたサラーや、ニーズヘッグとは明らかに一線を画する存在。
そして思う。
この力と対等、いや、それ以上の力を持つ三種の神器とやらは、如何ほどな代物なのかと。
「……益々欲しくなるな」
――震える腕は、ティアから受けた戦慄か、それとも武者震いか。