始まりの朝
――集中祝福期間 五日目 午前七時。
「ね、眠い……。眠すぎるよ……」
「言うな。言えば言うほど眠くなる……」
『セルク・ブログ』の内容に興奮しすぎた二人はというと、調子に乗って太陽が顔を出すまで鑑定を続けてしまっていた。
数えてみれば、何回――
「そろそろ寝るぞ。今日のイベントに差し障る」
「うん、だね。寝よう」
――という会話を交わしたか判らない。
途中からは言葉すらなくアイコンタクトで互いの睡眠を促していたのだが、
「……ウェイル、やっぱり『邪』って神器なんだよねぇ」
「他の文面から考えるにそうだろうな」
「ボク、その神器見たことあるのかなぁ?」
「どうなんだろな……って、そろそろ寝るぞ」
「うみゅうう……」
といった具合に、寝ようと思っても『セルク・ブログ』のことが気になって眠れず、結局二人は一睡も出来なかったのだった。
朝食のパンをスープに浸して、疲れた体をいたわりながらちびちびと食べ続けるフレス。
ウェイルの方も、あまり食欲がないのか、パンをちぎる手が重い。
「プロ鑑定士って、大変だね……。ウェイルは凄いよ、あまり眠くないんでしょ?」
「眠くないことはないさ」
「そうなの? ボクなんて食べながら眠りそうなのに、ウェイルってばなんだか余裕があるから」
「当然だが眠いさ。でも俺は慣れてるからな。鑑定に徹夜は付き物さ。こればかりはお前も早く慣れるしかない。まあ今回は時間がない関係上仕方なく徹夜になったわけだが……」
確かにウェイルも食事を摂る手の進みは悪い。
食欲がないのは眠気によるものだ。
時折口を押えているのは、欠伸をしているのを隠しているのだろう。
いくらベテランのウェイルとはいえ、眠いものは眠いのだ。
「これを食ったらすぐに身支度をしておけ。出発までは少しばかり時間があるから、身支度を終えた後、少し休もう」
「う、うん」
「食べ終わったら先に部屋戻ってな」
「うん」
大食いのフレスといえども睡魔には勝てないのか、今日は珍しく朝食を残して、そそくさと部屋へ戻っていった。
代わりに食堂へと現れたのは、今回の依頼主であるルーフィエ。
「お早うございます。昨晩はよく眠れ――なかったご様子ですな……。何かあったのですか? すれ違ったお弟子さんの顔色もよくありませんでしたが」
「……少し時間の掛かる鑑定をしていてな」
「左様ですか。この都市は芸術品もたくさんある故、鑑定士はさぞ大変でしょう。お仕事ですかな?」
「……ま、まあな」
別に他の鑑定依頼をこなしていたわけではないのだが、『セルク・ブログ』が関わっている以上正直には話しにくい。
そういうことにしておいた方が無難だろう。
「本日の件に支障はありませんな?」
「無論だ。プライベートはプライベート、仕事は仕事。そこはきっちりとやらせてもらうさ」
ある意味ではその為に徹夜したようなものだ。
ルーフィエは今日、サウンドコインの最後の一枚を手に入れるつもりだ。
そしてそのコインは、三種の神器に繋がる大きな手掛かりになり得る可能性のあるものだ。
どんな敵が狙ってくるかは判らないが、必ず死守し、手に入れねばならない。
「イベント開始ギリギリまで俺達は体を休める。この依頼、必ず果たす為にな。約束するよ、サウンドコインは絶対に手に入れてやる」
「ええと、……お願いします」
ウェイルが改めてそう宣言するものだから、思わずルーフィエの方が改まってしまっていた。
どうしてウェイルがここまで真剣になっているのかは定かではないが、ルーフィエとしては心強い一言で、先程までの大丈夫だろうかという懸念など吹き飛んでしまった。
「部屋に戻るな。また後で」
「はい。私は一足先に会場へ行っております。知り合いに顔を出さないと」
サウンドコインのことで、色々とコレクター仲間に配慮してもらっているルーフィエだ。
コレクター同士の繋がりは何よりも大切なはず。
「判った。気を付けて」
だからウェイルは引き留めなかった。
コレクターが仲間を失えば、集めている理由の大半が無くなるに等しい。
それはコレクターにとって死より辛いことだろう。
イベント会場がこれから危険地域になると予想していても、こればかりは止められない。
「本当に、気を付けてくれよ」
「……判りました……!!」
念押しするウェイルに、ルーフィエもある程度悟ったのか、今度はしっかりと頷いてくれたのだった。
――●○●○●○――
「この調子のまま、イベントに行っても大丈夫なのかな……?」
部屋に帰るなり、ぐでーとベッドに寝そべっていたフレスが聞いてくる。
「だから少し体を休めておけ」
「ウェイルもね。慣れているったって、辛いものは辛いもん」
「……まあな」
ウェイルも真似して転がるも、その視線が向かうは『セルク・ブログ』ばかりで、体を休めるどころか、さらに鑑定を続けてしまいたくなる。
「ウェイルも職業病だよねぇ」
「ああ、気になって仕方ないよ」
「実はボクもなんだけど」
二人して『セルク・ブログ』の方を眺めていたというわけだ。
「お前もなんだかプロっぽくなってきた」
「えへへ、そうだと嬉しいな」
寝そべったままの視線は、今度はフレスへと向けてみると。
「「あ」」
これまた揃って視線を交差させていたわけだ。
なんだか少し照れてしまう状況だが、当のフレスはというと、そういう感じの顔ではなかったのだ。
「ねぇ、ウェイル。ボクさ、三種の神器のうち、一つを知っているって言ったよね」
「以前そんなことを言ってたな」
三種の神器の一つ『アテナ』に関わっていたとき、フレスはそう漏らしていたのをウェイルは記憶している。
「あれって『アテナ』のことじゃないのか?」
「うん。『アテナ』のことなんて全然知らなかったよ。ボクが知っているのはただ一つ」
フレスはそこで一旦合間を挟む。
そして絞り出すようにその名を告げた。
「――――心破剣ケルキューレ。人の心を切裂く、神の刃だよ」
フレスはわずかに目を細めた。
まるで何かを後悔しているかのように。
「……ケルキューレ」
ウェイルにとってその名前は、初めて聞く名前ではなかった。
その剣の持つ力だって、多少なりとも知っている。
それは全てテメレイアのおかげで解読に成功した『インペリアル手稿』から得た情報だ。
「インペリアル手稿には確か剣の形をした神器だと書かれていた。その能力や使い方についてはあまり詳しくは書いていなかったが、フレスが今言ったことと似たようなことが書いてあった」
「他には何か書いてなかったの?」
「実のところインペリアル手稿を読むことが出来たのは、レイアがすでに解明した所+α程度だったんだよ。時間もなかったし、何より解読方法が難しすぎた」
「ウェイルがじっくり読んだところって、つまり『アテナ』の記述ばかり?」
「大体がそうだな。あの時のレイアは俺にヒントを与えるために解読方法を示してくれたに過ぎない。事件に直接関わっていたアテナの情報をメインに解読していて、俺もそればかり読んでいた。他の二つについては、時間の許す限りの量しか読めていない。レイアは全部読んだのかも知れないが」
「そういえばウェイル。レイアさんから何らかの情報を貰ったんじゃなかったの?」
「ああ、貰ってる。インペリアル手稿と、そして神器封書に書かれた情報を保管している貸金庫の番号をな」
まさかこれほど早くテメレイアの情報が欲しくなるとは思いもしなかった。
出来ることならば今すぐにでもスフィアバンクへと赴いて情報を手に入れたい。
だが目先のイベント、もとい事件のこともある。
「結局今からのイベント次第だな。無事に済めばいいんだが」
「うん」
それからしばらく、二人は全力で体を休めることにした。
眠気など、とうの昔に吹き飛んでいた。
これから確実に何かが起きるであろうイベントが待っているわけだ。
例えウェイルやフレスと言えども、何かあると判っている以上緊張をせない。
「そろそろ時間だ。フレス、行くぞ」
「がってん、師匠!」
ウェイルはいつものように腰にベルトを巻いて剣を携えて。
フレスはワンピースの皺を伸ばして、部屋から出る。
――不安、緊張、恐怖。
それらすべてを覆すほどの、二人は好奇心は強かった。
――三種の神器。
――カラーコイン。
――秘密結社メルソーク。
――『異端児』。
これら全てに関係する事件の発端が、今目の前から始まるのだ。
「鬼が出るか蛇が出るか」
「はたまた龍が出てくるかもね!」
そんな冗談でも、冗談に聞こえないから困る。