セルク最後の詩
「ただいま~」
「あ、フロリアの馬鹿、帰ってきましたよ?」
ラインレピア西地区にある隠れた宿。
豪華な装飾もなく、かといってボロ宿とも言えない、何とも質素な宿にフロリアの呑気な声が響いていた。
二人を出迎えたのは、ルシカとスメラギ。
「お帰り。フロリア」
「うん。 あ、スメラギ! 会いたかったよ~」
「私も!」
久々の再会とでも言わんばかりに、二人はひしっと抱きしめあった。
そんな様子を呆れた表情で見ていたルシカは、一度嘆息すると腕を組んでフロリアの横に立つ。
「フロリア、私に何か言うことはないですか?」
「ルシカに? う~ん、特にないかな。何かある? スメラギ」
「ううん。ないよ」
「ないわけないでしょ!?」
「……無駄、なの……」
フロリアをまともに相手しようとするルシカは何とも律儀と言うか。
そんなルシカを不憫に思ったのか、ニーズヘッグはルシカの肩を叩いて首を横に振っていた。
「……二人が仲が良いのは結構ですけどね。私には貴方に聞きたいことが山ほどあるんです! ほら、さっさと離れなさい!」
「うわぁ! 無理やり私とスメラギの仲を裂くだなんて、酷くない!?」
「酷くありません! フロリアが私達にしたことの方が酷いでしょ!?」
「……まあ、それは言い返せませんけども、はい」
そりゃ勝手に抜けたわけだし、ルシカが起こるのも無理はないけど。
でも尋問されるのも嫌なわけで。
「また逃げる?」
「うっ」
「ナイスです、スメラギ。そのまま捕まえていてね」
「うん。逃がさない」
「スメラギ、裏切った!? 私達の仲なのに!?」
「それとこれとは話は別」
「ううう……」
スメラギに首を掴まれては、逃げることは不可能だ。下手をしたら首を折られて死んでしまう。
もっともこれ以上逃げたところで今度は行くところもない。
ニーズヘッグを見ると、ルシカに頭を撫でられて嬉しそうで、これまた使えそうもない。
「もう逃げちゃダメ、フロリア」
何故かスメラギが涙目を浮かべているし、なんだかバツが悪い。
「逃げないよ。心配しないでね、スメラギ」
「うん。私、寂しかったんだ。フロリアいないと死んじゃう。ルシカと二人きりなんて飽きた」
「さりげなく酷いこと言ってますよね……。私、地味にショックですよ……」
「寂しい? ルシャブテはいないの? あれ!? そういえば全然人がいないけど!?」
「他の皆さんは個別に作戦を決行しに行ったのです! さっき説明したでしょ!?」
「あ、そうだったっけ」
『セルク・ブログ』を盗む前に、作戦を聞いていたことを思い出した。
だからこの場にいたのもスメラギとルシカだけであったのも納得だ。
「リーダーとアノエ、ダンケルクとルシャブテが組んでるんだっけな」
「私、るーしゃと組みたかったのに……えぐっ……」
組が発表された時は、ルシャブテと同じ組じゃなかったことに随分と泣き喚いて大変だったとルシカが教えてくれる。
「ほーら、スメラギ、我が儘言ってはいけません! これも全部イドゥさんの命令ですからね」
「……うん。だから我慢」
「イドゥってすごいんだねぇ……」
泣き喚くスメラギに言うことを聞かせるのはイドゥくらいしか出来ぬ業。
「それでルシカ達は明日何するの?」
「知らない」
「……説明、聞いていましたよね?」
ルシカのジトーとした目が二人に突き刺さる。
「ごめん! 忘れた!」
「私も!」
「堂々と言わないでください!? しかもスメラギまで……」
当の本人達は、そんな視線などお構いなしに「ねー♪」とハイタッチ。
いつまでも頭痛の止まないルシカに対し、説明を聞いていたかと問われれば、実のところ全く聞いていなかった二人は何とも能天気であった。
説明を聞いていなかった理由はと言うと。
「セルク・ブログなんて聞いたらそれしか考えられないよ?」
「フロリア、セルク好きだもんねー」
「一応マニア名乗ってるからねー!」
フロリアは『セルク・ブログ』のことで頭が一杯であり(ヨダレまで垂らしていた)。
「るーしゃと一緒が良かったよ……うう……」
「あらら、まだ引きずってるよ……」
スメラギは全力でルシャブテに抱きついていた(しかもルシャブテの臭いでほんわかしていた)からである。※(ちなみにルシャブテは肋骨へとのダメージで死にそうな顔をしていた)
「はぁ、もう一度言いますからよく聞いておいてくださいね! リーダー達はですね、イドゥさんの手伝いを、ダンケルク達は明日行われるイベント『アレクアテナ・コイン・ヒストリー』に参加するんです」
「コインヒストリー? あ、そうだったね。そういえば」
ウェイルに自分が教えた情報だと言うのに、それすらも忘れていた。うっかり。
「それで私達は手に入れた『セルク・ブログ』の情報を解析するんです」
「思い出したよ! 私達は今から『セルク・ブログ』の鑑定をするんだったね! さあさあ、早くやろう! 何してんのルシカ! 早く準備!」
「今私が言ったことを、さも自分が教えてあげたみたいな顔しないでくれますか? それに思い出したって嘘ですね。聞いてなかったんですから思い出す情報すらないでしょうし」
「……そ、そんなことはないよ……」
「視線が泳ぎまくっていますが。……まあもういいですよ、どうでも。早速これを開封してみましょうか」
これ以上は時間の無駄だと悟ったルシカは、自分のペンダントを机の上に置いた。
そしてペンダントの腕に右手の人差し指を置くと、少しだけ魔力を注入してみる。
すると、ペンダントは鮮やかな空色に輝き始め、その光は部屋全体を飲みこんでいった。
「うわあああっ!? まぶしーー!?」
「凄い……っ!?」
光り輝くペンダントは、さながら映画の映写機の様に、この部屋全体にルシカの記憶を写しだしていた。
「でしょでしょ、凄いでしょ!? この私のペンダントはね、二つの神器を内蔵していまして」
ルシカの持つペンダントには、自身のエルフの薄羽が、なんと二枚も内蔵してある。
エルフの薄羽は、ガラスを遙かに凌駕するほどの魔力伝導力があり、それを2枚も用いているからか、異なる能力の発動が可能となっている。
一つは周囲の感覚を奪い、自分の感覚を強化する神器『絶対感覚』(イマジン・イメージ)。
そしてこの光景を見せている神器は『刹那思考』《スピリット・ワークス》」という。
『刹那思考』は一度見た、聞いた話を瞬時に記憶し、後で映像として展開することが出来ると言う優れものだ。
持ち主の思考能力を飛躍的に向上させると言った効果もあり、元来ルシカは一度見聞いたことを忘れない超記憶能力を持っていて、神器の性能を100%以上に引き上げている。
このおかげでルシカは、この異端な連中の参謀役兼情報処理役を担っているわけだ。
「さあ、二人とも。この記憶をどんどん見て、気が付いたことがあればガシガシ意見してくださいね!」
こうして三人の(ニーズヘッグは寝ている為戦力外)記憶試写会がスタートした。
――●○●○●○――
集中祝福期間 五日目 深夜一時。
日付を跨いだ記憶試写会が始まっておよそ三時間。
「わからん!」←フロリア
「右に同じく」←スメラギ
「同感ですね」←ルシカ
贋作士としてはピカイチの実力を持つ彼女らであるが、鑑定士としてはド素人以下の三人が、古びた書物をどれだけ見ても、何が書かれているか一切見当すら立たず途方に暮れていた同じ頃。
――――――
――――
――
プロ鑑定士である二人は、『セルク・ブログ』の解析を大幅に進めていた。
この『セルク・ブログ』。
結論から言ってしまえば、内容の八割はただの日記に他ならなかったが、残りの二割はそうではなかった。
残りの二割についての解析は全くの手つかずだが、これを判明させるだけでも骨が折れた。
二人で顔を近づけて、一つの本に釘付けになりながら、あーでもないこーでもないと議論を白熱させていた。
「セルクという人間は、かなり頑固な人間だったのかもな」
「だねぇ。ボクなら途中で飽きそうだよ」
セルクはよほど几帳面だったのか、一日たりとも日記をつけることをサボってはおらず、ノートの最初から最後までびっしりと文字が埋め尽くされていた。
そして肝心の日記の内容だが、なんと全ての日記は詩の形式で書かれているのだ。
その日経験したことを、セルクなりの詩にして、毎日想いを綴っていたのだろう。
「芸術家には変人が多いと言うが、セルクも例外ではないな」
「頭良かったんだね。羨ましいよ……」
「こんなに読みにくい日記を読んだのは初めてだ」
「人の日記なんて、あんまり見るもんじゃないよ? ウェイル」
「そういう常識は知ってるのな……」
解析を進める上で最も困難な壁となったのは、詩という形式で書かれていたからというわけじゃない。
「まさか毎日違う言語で書いているとは……」
「セルクさん、よほど日記を見られたくなかったんだねぇ」
ウェイルの言った通り、『セルク・ブログ』は、日によって使用する言語が変更されていたのである。
中には旧時代の文字であろう言語も見受けられ、解読は困難を極めそうだ。
使用されている言語の頻度に、規則性があるのかと問われれば、簡単に頷くことは出来ない。
もしかしたら規則性があるのかも知れないが、ぱぱっと見る限りバラバラに書かれてあるのだ。
同じ言語が二日続けて使われている場合もあれば、十日以上離れている場合もある。
その文字の中に、フレスは見たことのある言語を発見した。
「ウェイル、この文字って、旧フェルタリア語だ」
「だな。他の文字もあらかた読めなくもないが、時間がかかりそうだ。とりあえず旧フェルタリア語から見ていこうか」
以前旧フェルタリア語を解読したウェイルである。他の言語よりも解読は早いだろう。
フレスは別の文字を担当することにして、二人は多少時間を掛けつつも、徐々に内容を読み解いていく。
大きな欠伸を噛み殺しながら続けていくと、次第に内容が判明してきた。
「……普通の日記だな」
「普通ではないけどねー。……こんな読みにくい日記は見たことないよ……」
「人の日記なんて」
「判ってるってば! ボクの台詞使わないで!」
詩という形なので、少しばかり抽象的な表現も多く、詳しく内容を記された日記とは言えない。
「さっぱりだ。ホントに何か書かれてるのか? これ。フロリアの嘘とかじゃないよな?」
「信頼できる人じゃないからねぇ。そっか。そっちもかぁ」
ウェイルが旧フェルタリア語の解析を行っていた時、フレスもまた別の文字のページの解析を行っていた。
フレスの担当分は、現代フェルタリアでも使われていた文字であったので、解析はスムーズに行えたのだが、フレスの表情も芳しくない。
どうやらフレスの方も似たような結果だったようだ。
あらかたのページは調べ終えたのだが、やはりというべきか内容は普通の日記。
「日記の中に暗号を仕込んでいるんだよね?」
「どうかな……。もしかしたら俺達は変な固定概念にとらわれているのかもしれん」
「固定概念?」
「セルクのブログだから暗号が隠れていると、勝手に思い込んでるのかも知れない。もしかしたら、このブログ、暗号なんて一切なくて、暗号にしたい部分をありのまま書いているのかも」
「う~ん、ちょっとよく判らないや」
ウェイルの言った意味は、簡単な話、暗号など一切なく、普通の日記なのではないのかも知れないと、そういう意味である。
ただそれだと『異端児』の連中が狙う意味も分からない。
「暗号なのに隠してないとか?」
「その可能性もあるってこった。フレス。もう一度見直してみてくれ」
「うん。ウェイルは?」
「俺はこのまま旧フェルタリア語の解析を続けるよ」
眠気覚ましにと苦手なコーヒーも我慢して飲みながら、二人は解析を続けていく。
こうして鑑定士達の夜はさらに更けていったのだった。
――深夜三時。
「くー……、ぴー……」
複雑な鑑定に力尽きたのか、可愛らしい寝息を立てて眠るフレスの横で、ウェイルは最後のページの解析に取り掛かっていた。
フレスが気になったページの内容をノートに纏めてくれていたおかげで、解析した文章との照合もだいぶ楽に出来ている。
「ズズ……、……なんともまずい」
すっかりと冷たくなったコーヒーは格別にまずかったが、そのまずさのおかげかウェイルは何とか寝落ちせずに作業を進めることが出来ていた。
最後の詩の解読に取り掛かる。
「最後の詩、ってことは、この次の日がセルクの命日ってことか……」
最後の日記。
そう考えると、なんだか感慨深いものがある。
自分の死期を悟ったセルクが、最後の力で書き上げた力作だからなのだろうか。
最後の日だけ、文字数の上限である五百文字を軽く超えているのだ。
筆圧も強めで、手が震えていたのかところどころ歪な文字もある。
解析には難儀しそうだ。
「……そうか、これがこういう意味で……、あ、これは確か……」
今までのページと照合して、ついに意味のある文字列をかき出せそうだ。
「……えーと、……あれ? 最後の日記だけ普通の詩じゃない……!?」
その内容の冒頭は、以下のことであった。
『――我が生涯は、もはやここまでだろう。
我の体はすでに軋み、心が裂け、魂が朽ち果てそうだ。
しかし、我死すれども、この美しき大陸を死せるわけにはいかない。
あのメルソークの連中にアレクアテナを奪わせるわけにはいかない。
願わくは最後の日記を、読むことの出来た選ばれし者だけに、我の遺言を聞いて欲しい。
願わくは最後の日記を、私利私欲に溺れた者から、我の遺言を消し去って欲しい。
ここにこれまで手に入れた我の知る全ての三種の神器に関する情報を記す――』
「――――っ!?」
思わず手に持ったフロストグラスを落としそうになる。
一瞬時が止まったかのようにすら思えた。
空いた口が塞がらない。まさかの三種の神器の登場に、鳥肌さえ立つ。
「フレス! 起きろ! フレス!!」
あまりの驚きに、眠っていたフレスの肩をガンガン震わせてしまう。
「う、うみゅうう……、どうしたのさ、ウェイルー」
「馬鹿フレス! これが眠ってなどいられるか! 早く起きろ!」
「馬鹿って酷いよぉ……、だから何があったの……?」
「『セルク・ブログ』に三種の神器のことが書いてあるんだよ!!」
「な、ななな、なんですと!?」
これにはフレスの眠気も吹き飛んでしまったようで。
「どうしてセルクが三種の神器を知ってんの!?」
「それは判らん。だがこの最後の日記に間違いなく何らかのヒントがある。フレス、手伝ってくれ。お前の神器に関する知識が必要だ」
「がってん! 師匠!!」
時間はすでに深夜四時。
「……この詩は四つの小節に分けて書かれているのか」
「さっきウェイルが驚いたのは、この『序』の部分だよね」
「ああ。残りの解析鑑定も急ごう」
「うん!」
この時、フレスは初めて実感したのかも知れない。
なんだかこうやって、ウェイルと対等に二人で鑑定することが、とても楽しくて仕方がない。
イベントを控えているし眠いけど、こんなに心躍る時間は他に知らない。
いつまでも二人で鑑定していたいとさえ思う。
「エヘヘ」
「ん? なんだ、フレス。ご機嫌そうだな」
「うん! ボク、今ちゃんとプロ鑑定士してるなぁって、そう思っちゃってさ」
こんな時間がいつまでも続けばいいな、と願わずにはいられない。
「お前は立派なプロだよ。もっとも、永遠に俺の弟子には違いない。図に乗るなよ?」
「乗らないよ~。……でも、そうだね。ボクはこれからもずっとウェイルの弟子だもんね。それがウェイルとボクの仲なんだからさ」
「……さっさと鑑定するぞ」
ウェイルの顔が少しだけ赤くなっていたのは、フレスの気のせいではないだろう。
明日、いや既に今日となったイベントを控えているにも関わらず、二人の鑑定は太陽が朝を告げるまで掛かったのだった。