『クマ食べたい病』×2
「もぐもぐ……、ウェイル、明日のイベントのことなんだけどさ。……もぐもぐ」
「食うか喋るかどっちかにしてくれ」
「じゃあ食べる」
「…………」
黙々と食べ続けるフレスを待ち続けて二十分。
よくもまあこんな小さな体に、十人前以上もある量の食事が摂れるもんだと感心する。
しかしフレスの食事姿は見ていて爽快だ。空いた皿が重なっていくのは面白いとさえ思う。
とはいえ毎日のようにこんな光景を見せつけられているもんだから、流石に飽きてくるというもの。
皿を空っぽにして、お腹をさすって満足の意を表すフレスは、梨とライチの果汁を飲み干すと、改めて聞いてきた。
「明日のイベントのことなんだけどさ」
「……待ちくたびれたぞ……」
結局二人の内どっちかが待ちぼうけを喰らう羽目になったわけである。
……損な役回りはいつも師匠の役目だ。
「それで、どうかしたのか?」
「えっとね。明日のイベントって、確か大陸中の硬貨が集まるんだよね」
「そうだな。ルーフィエ氏はそう言っていたが」
「サウンドコインも、来るんだよね?」
「……おそらくな」
そもそもルーフィエはその硬貨を目当てにここに来たわけだ。
パンフレットにも掲載されていたわけであるし、間違いなく来るに違いない。
参考販売価格を見ても、ルーフィエ氏の本気が伺えた。
「ボクさ、あの硬貨をフェルタリアで見たことがあるって言ったよね」
「言ったな、間違いなく」
「あの時さ。ボク、確かにサウンドコインはフェルタリアで見たと確信出来たんだけどね。フェルタリアのどこで見たかって言うのは、ちょっと曖昧なんだ。たぶん、フレスベルグと記憶混乱を起こしているんだと思う」
フレスとフレスベルグでは、互いに記憶の引き出しが違う。
見覚えがあったとしても、フレスベルグが見た記憶であるとしたら、その詳細は判らない。
その記憶の扉は、フレスでは開き辛いのである。
「それにね、あの硬貨に書かれた詩も、なんだか聞き覚えがあるんだ。でもね、聞き覚えのある記憶は、多分ボクの記憶。フレスベルグの記憶じゃないと思う」
「フレスの記憶、か」
~ 現在判明している詩 ~
ド 赤 『時代の覇者は放たれる』
レ 黄 『黄金の鍵は龍の手なり』
ド 黒 『終焉は王の手によって』
~ ~
単体では意味不明のこの詩。
旧時代の神器であるサウンドコインに彫られた詩である。
「あの文字は確か旧フェルタリアの文字だった。ということは旧時代に聞いたんじゃないのか?」
フレスが聞いたとすれば、やはり旧時代の可能性が高い。
「う~ん、どうなんだろうなぁ。ただ、ボク、あのカラーコインの文字は全部解明しておきたいと思ってるんだ。何か意味がありそうでさ」
「それは俺も思ってるところだ。三枚が旧フェルタリア文字なんだから、他のもそうだと思うから、時間さえかければパパっと解読出来そうなんだけどな」
「解読と言えば、レイアさんが得意だよね。手伝ってもらえないかなぁ」
「どうだろうな。あいつはあいつで、今頃ミルと楽しくやっているだろうし、少し頼みにくい」
「だよねぇ」
かのインペリアル手稿をたった一人で解読したほどの実力を持つテメレイアならば、サウンドコインの解読も早いことだろう。
そう思った時、ふと別れ際のことを思い出す。
「……三種の神器、か」
スフィアバンクの貸金庫には、テメレイアの解読した三種の神器に関する記述があるという。
「ついでにカラーコインの依頼もしていれば良かったよ」
「……だね」
少しだけしんみりとした空気に。
「まあウェイル、それは明日のイベントで考えようよ。実際に最後のサウンドコインを見てみないと、どうしようもないしさ! それにそのサウンドコインが本物であるか判らないよ?」
「だな。折角今日一日は仕事のことを考えなくてもいいんだ。外の出店で掘り出し物でも探そうか」
たまにはゆっくりと自分自身の為に芸術鑑賞するのも悪くない。
そう思ってここの会計へと足を運んだ。
そこでウェイルは絶句することになる。
「…………はぁ!? 五千ハクロア!? ちょ、そんなに食ったのか!? フレス!?」
「そんなに食べたのです! えへん!」
そこそこお金を持ってきていたので多少は大丈夫だろうと高をくくり、品書きを確認せず好き勝手にフレスに飲み食いさせた結果がこれである。
朝食を抜いたフレスの食欲はというと、周囲の客が引いてしまうほどの大食いを繰り広げたのだった。
「……なんてことだ……。これじゃ外の芸術品が買えないじゃないか……」
「ふうう、満足満足。ウェイル、屋台見に行こうよ!」
「……見に行ったところで何も買えないがな……。為替所に行って金を下ろさないと……」
もう嘆息しかでなかったが、弟子を養うのも師匠の役目。
と、そう自分を言い聞かせようとしていたのだが。
「うん? ウェイル、お金ないの? まったくもう、しかたないなぁ。ボク、プロ鑑定士になってからお給料全然使ってないから貸してあげるよ! 次からはちゃんと計画的に使ってよね!」
「やかましいっ!!」
とまあ、フレスの何とも呑気な一言で、そんな役目を背負うのが馬鹿らしく思えたウェイルだった。
おかげでウェイルの財布は綺麗さっぱり、これまた見事な薄さとなったのであった。
――●○●○●○――
その日はウェイルもフレスも、初めて見る芸術品や観光名所に感嘆の声を漏らしながら、都市内見物を満喫したのだった。
もちろん、代金は全てフレス持ちで。
「お、お給料がぁ~」
「給料は計画的に使うんだぞ?」
「わ、わかってるもん!」
たまには弟子に奢ってもらうのも悪くはない。
――――
――
西に沈む太陽が、西の時計塔と影の階段を投影している頃、ウェイル達はルーフィエに用意してもらった宿へ帰り、食事を摂りながら明日のイベントに向けての打ち合わせをしていた。
「明日はどう動く?」
「イベント開始は午前9時からで、硬貨即売会が10時から開かれるのです。競売を介さないイベントである故に、入手は困難を極めますが、おそらくは手に入れることが出来るでしょう」
ルーフィエは、この度の『アレクアテナ・コイン・ヒストリー』の為に、同じ硬貨マニアに対してすでにある程度話を通しているという。
アレクアテナ大陸は芸術大陸だ。故にコレクターの数も膨大に及ぶが、硬貨コレクターの、それも莫大な財産を持つ者と言えば、それほど数がいるわけじゃない。
ルーフィエは他のコレクターの中でも一目置かれるほどのマニアであるし、何より他のコレクターから尊敬されているところもある。(硬貨がたくさん手に入るという理由だけで、危険地区であるリグラスラムに居を構えているところは彼が尊敬される要因の一例として挙げられている)
なので、この度の即売会について、ルーフィエは他のコレクターに、この硬貨以外の即売会には参加しないことを表明し、代わりにカラーコインの即売には自分以外は参加しないように働きかけていたのだ。
他のコレクターも、この提案を快く受け入れてくれたそうだ。
というのも、このカラーコインは、他のコレクターも、おそらくは何らかのセットになっていると考えていた。
セットの中の一枚を手に入れるより、その他の価値のある硬貨を買う方が、コレクターとしては正しい選択なのである。
むしろ他の参加者から言わせれば、単体では価値を持たない一枚を無理して自分で手に入れるより、すでにセット品を持っているコレクターに渡る方が、正しいと考えるほどである。
自力にしろ、他人の力にしろ、彼らコレクターという連中は、セット物は揃っておかなければならない、揃っておくべきであると思っている。
「その他のカラーコインは、最後のコインを手に入れ次第、一緒に展示することになっておるのです」
ウェイル達が預かっていたカラーコインは、すでにルーフィエに返却している。
このイベントが終わった後、また鑑定を依頼してくれるとのこと。
ちなみに今カラーコインはどこにあるのかというと、イベント運営本部の金庫に保管されているそうだ。
大事な看板展示だ。ルーフィエとしても手元にあるより運営に管理を任せた方が安心できる。
「仲間達もそのことを知っていますし、即売会で他の参加者にとられることはまず無いと思いますぞ」
ルーフィエが断言するのだ。間違いないのだろう。
「問題は、それが贋作であるかどうかだな?」
「左様。あのカラーコインが、本当にラの音色を持つサウンドコインかどうか、ウェイルさんに鑑定して欲しかったのです。信頼できる鑑定士である貴方に、ね」
ウェイルに鑑定をして欲しいとルーフィエは言うが、それは半分建前に違いない。
正しく言えばウェイルにしか鑑定できないと、そういうことであるわけだ。
カラーコインの鑑定は、おそらく今のアレクアテナ大陸の鑑定士の中では、ウェイルが最も知識を持っているはず。
カラーコインに描かれている文字すら、ウェイルは把握しているのだから。
「了解した。明日の9時には会場に行こう。カラーコインの鑑定は下見段階である程度済ませたいからな。音については、鑑定は難しいが、隠れてこっそりつついてみる分には問題ないだろう。此方には、地獄耳を持つ弟子がいるからな」
「うん、ボクに任せてよ!」
会話そっちのけで肉を頬張っていたフレスは、ゴクリと口の中の物を飲み下すと、力強く頷いた。
カラーコインの音を知るには、フレスの耳は欠かせない。
「それともう一つ。明日この宿には400万ハクロアが銀行から届けられる手筈となっております。ウェイルさん、申し訳ないが、この現金の警備をお願いしたい」
プロ鑑定士には、このように現金輸送を任される仕事も多い。
「それも承知した。フレス、大金だ。全力で死守するぞ」
「うん。ウェイル、400万ハクロアって、どれくらいのお金なの?」
「お前が以前ギルと稼いだお金が41万だったろ? その十倍だよ」
「うみゅう……ボク、あのお金結局自分の為に使った訳じゃないからなぁ……、どれくらいのお金か判んないよ……」
「そういえば騙されて株券買ったんだったな……」
マリアステルにて価値のないリベアの株を買ってしまったフレス。
結局その株券は、リベアに勝利する切り札になったのだが、フレスはそのお金を自分の為に1ハクロアも使うことが出来なかった。
プロ鑑定士なったとはいえ、フレスは龍だ。
人間の銭勘定は、まだまだ苦手である。
「ボクに判りやすく例えると?」
「そうだな……」
フレスがピンとくる物と言えば。
「くまのまるやき400匹くらい食えるんじゃないか?」
「な、な、ななななななな、なんですとおおおおおおッ!?!?」
クマで目を輝かせるのは龍たる所以か。
「凄いだろ? 400万ハクロア」
「死守するよ、ボク! クマ食べたいもん!」
「いや、守っても熊は食えんけどな」
今の会話を聞いたルーフィエは、面白い冗談をいう弟子ですなと大笑いして、明日はよろしくと挨拶を済ませると、自分の部屋に戻っていった。
「むう、ボク、別に冗談でクマ食べたいとか言った訳じゃないのに」
「いや、普通は冗談に聞こえるって」
事情を知らないルーフィエの反応は、至極普通のことである。
「まあいいもん! ボク、プロになったわけだし、お金もらえるわけだし! お給料でクマ買うもん!」
「売ってないと思うぞ。うん」
「うわああああん、クマ食べたいクマ~~!! クマ―」
以前にもあったことだが、フレスはよほどクマが好きらしい。
クマの前では羞恥も捨ててしまうのか、よほど恋しいのかは定かではないが、泣いて喚いてを繰り返すのである。
ウェイルはこの行動を『クマ食べたい病』と呼んでいた。
「おい、フレス。そろそろ泣き止め。周囲の客の視線が痛い」
「うぐうう、ひっく、だって、クマ、現代に封印を解かれてから一度も食べてないんだもん……」
「……流石にフェルタリアにもなかったのか。熊」
いつものように豚肉を買えばいいと諭していた、その時のこと。
「いやああああああああああ、クマ、クマ食べたいいいいいいいいいいいい…………なの」
「あのね、ニーちゃん。熊なんてね、そう簡単に食べることは――――」
「「――――あっ」」
ウェイルの背後の席、そこにはフレスと同じようにクマについて泣き喚くグループがいて、そしてその宥める方同士が視線を合わせてしまった。
「お、お前、どうしてこんなところに……!? い、いや、ラインレピアに行くと言ってたから、あながち偶然ではないのか……?」
メイド服こそ来ていないものの、そこにいたのは間違いなくフロリアであった。
クマと連呼していたのは、やはりと言うか龍、ニーズヘッグだったようだ。
「ウェイル!? 何でこの宿にいるの!? もしかして……ストーカー!? ……って、ウェイル? 冗談ですけど?」
今回のウェイルの行動は迅速だった。
さっと身体を引いて、ナイフに手を掛けて、フロリアがいつ、どう動いても対応できるような態勢をとった。
「ニーズヘッグ……!?」
「……やっほー、フレス……」
虚ろな目を浮かべて、やんわりと手を振ってくるニーズヘッグに対し、フレスは拳を机に叩きつけて、ニーズヘッグを睨み返した。
「ウェイル、ちょっと、物騒だって!? 言ったでしょ!? 次やり合う時は敵としてあった時って! 今は敵じゃないから!」
「信用できるか。お前は『異端児』って連中の仲間なんだろ? 今お前がここにいるということは、その仲間だって近くにいるということだろ。いるならさっさと出てこい……!!」
周囲の客が騒然とする中、ナイフに置いた手に力を入れるウェイル。
いつでも『氷龍王の牙』を展開できる状態だ。
「ちょーっと! 違うって! 確かに『異端児』の連中とは会って来たけどさ! 今は別行動何だって!」
「だから信頼できないって言ってんだろ……。フレス、気を抜くな! こいつらは『不完全』を潰した連中だ」
「大丈夫だよ、ウェイル。ボク、いつでもこいつを殺れるから……!!」
すでに周囲の温度は氷点下にまで達しているだろうか。
フレスから漏れる冷気は、すでに尋常ではない。そしてその殺気は、ニーズヘッグにのみ向いている。
「ウェイル……フレス……、違う……話を……聞いて……なの」
「そうだよ! もう、判ったよ! 全部話すから! 本当に私が今個人行動を取っていることを証明するからさ!」
仕方ないとばかりに、フロリアは恥ずかしげもなく、胸元へ仕舞っていたとある本を取り出して、机の上に置いた。
「これを手に入れてから、他の連中を置いてきたんだよ。多分もうバレただろうし、今更戻り辛いしさ」
「……これは何だ?」
ウェイルはナイフから手を話し、フレスに一度視線を送ると、その本を手に取った。
フレスは相変わらず、激しい冷気をフロリアとニーズヘッグに向けたままだ。
手に取った本は、フロリアの体温で少し生暖かったが、周囲の冷気に、すぐさま冷たくなっていく。
だが、その本の表紙を見たウェイルは、思わず胸まで冷やしてしまうことになる。
「お、おい、フロリア、お前、なんてもん持ってんだ!?」
「あ、やっぱりウェイル、それ知ってんだ。たぶん本物だよ?」
フロリアが持っていた本。それは大陸全土で知らぬ者がいないとまで言われた、超有名芸術家の日記。
「それはね。オークション会場から持ち出した――セルク・ブログ、だよ」