『セルク・ラグナロク』
「フロリア!? お前、一体何しに来た!?」
「何って、そりゃ――……!?」
「――動かないで」
唐突なる登場に、とっさに体を動かすことが出来なかったウェイルに対し、アムステリアは実に素早かった。
フロリアがご機嫌に荷物を下ろした隙をついて背後を捉え、すぐさまナイフを喉元に突き当てていた。
「死にたい?」
「い、いやぁ、まだ死にたくないかなぁ、ルミナステリアのお姉ちゃん?」
万歳と手を挙げるフロリア。
しばらく警戒していたアムステリアだが、フロリアに戦う意思がないと判断すると、そっとナイフを収めた。
もっとも、いつでも喉を掻っ切れるように手元からは離さずにしていたが。
「何しに来たの?」
「何しにって、面白い情報を持ってきただけだけど」
ふう、と首をさすりながら嘆息するフロリア。
ナイフを収めたとはいえ、アムステリアの視線は厳しい。
「あんた、もしかしてこのタイミングを狙ってきた? 今ちょうどあんたの話をしていたところよ」
「へぇ、私のことを噂してくれるなんて光栄だね。私って愛されてるねぇ」
「あまり調子いいこと言うと殺すわよ?」
「ちょ、ちょっと待ってって! その目止めて、怖いって! ただでさえルミナスの本気顔は怖かったのに、お姉ちゃんの顔はもっと怖い!」
「顔が怖い……?」
ずんと、空気が重くなった、そんな気がした。
「あ。もしかして私、地雷踏んだ?」
「だな。フロリア、殺されて来い」
「ウェイル!? 助けてくれないの!? 情報提供者だよ!?」
「同時に敵でもある」
「そ、そんな~~!?」
涙目を浮かべるフロリアを、アムステリアはまるで猫を摘み上げるかのように、首の後ろを捕まえた。
「覚悟なさい……」
「ま、待ってってば! これあげるから許して、ね!」
バンバンと叩いたのは、フロリアが持ってきた大きな荷物。
「なんなのですか、これは?」
イルアリルマは不思議そうに、その風呂敷をつついていた。
「実はね、ウェイルにこれを預けておこうと思ってさ!」
フロリアが風呂敷を一気に取る。
「なっ……!? これは……!?」
ウェイルも思わず驚き、目を丸くさせる。
「ウェイル、これってもしかして……!」
風呂敷から現れたのは、見たことがある一枚の絵画。
「ああ、間違いない! こいつは――」
五体もの、色とりどりの龍が描かれた、この絵画こそ。
「――『セルク・ラグナロク』だ……っ!!」
――『セルク・ラグナロク』。
以前、王都ヴェクトルビアにて現在は焼け落ちたルミエール美術館に保管されてあった絵画である。
セルク最後の作品と言われ、この絵画を描いた後、セルクは一切筆を持つことはなかったという。
絵画には主に龍の絵が描かれていて、随所随所に女神や天使などの存在が散りばめられている。
さらに剣、大砲といった人間の持つ武器が描かれており、至る所に暗号のような模様まで描かれている。
「一体どういう風の吹き回しだ? お前らが一度盗み出したものを素直に返そうとするだなんて」
ルミエール美術館から盗み出したのはフロリア張本人だ。
ウェイル、並びにプロ鑑定士協会はすでに、これは敵アジトにあるものだと思っていた。
「どうしてお前がまだ持っている?」
「じ、実はねぇ……」
フロリアはどうしてか気まずそうにポリポリ頭を掻いた。
「イングの企てた任務は、誰かさん達のおかげで盛大に失敗したもんだからさ。生き残った私としては気まずくてアジトに戻れなかったんだよねぇ……。だからずっと隠し持っていてさ。今はアレス様のコレクションルームに隠してるんだよ」
「じゃあこれはなんだ」
「よく出来ているでしょ? 私が作った贋作なんだ! これをウェイルにあげようと思って!」
「あんた、本当に死にたいの?」
「え、ええ!? どうしてそうなるの!?」
背後からどす黒いオーラを噴出させるアムステリアに、フロリアは涙目で狼狽える。
「プロ鑑定士に贋作をプレゼントするバカなんて、大陸中探してもあなたくらいなものよ?」
「わーーー!! ちょっと、違うって! 私は最初から本物をウェイルにあげる気なんてサラサラないんだって! ……はっ!? つい本音が!?」
冷や汗したたるフロリアの背後には、アムステリアの強い殺気。
「い、いやぁ、今のは言葉の綾でして……」
「……お前さ、言葉の選び方が下手くそだからこうなるんだよ」
「覚悟することね」
「うぎゃああああ!!」
最初から胡散臭さの塊であるフロリアだ。
アムステリアに捕まって、団子のように丸く縛り上げられたところで、何も思わない。
「これじゃ歩けない!?」
転がることはできそうだ。だるまとほとんど変わらない。
「歩けないように縛ったんだから当然でしょ」
ふふんと縛る縄を手に、含み笑いを浮かべるアムステリア。
「早いな」
「ああ。さすがはアムステリア、すさまじい縄捌きだ」
アムステリアの縄捌きは尋常ではない速さであった。
だるまにするまでに、二十秒とかけていない。
「昔練習しまくったのよ。いつかウェイルを縛って監禁するために」
「勘弁してくれ」
こいつが言うと冗談に聞こえないから怖い。
……というかおそらく冗談じゃない。
「それで、結局あんた、これを渡しに来ただけなの? 舐めた話ね」
「あのー、反撃できない状況なのをいいことに、髪を変に結ばないでくれます? てか油塗って遊んでる!?」
「いいじゃない。面白いんだし。ほら、あんたもやりなさい。そうねぇ、モヒカンとかがいいかも」
フロリアの綺麗な銀髪の髪で、立派な山を作り始める。
「…………うん…………、おもしろそう、なの…………」
興味しんしんだったのか、ニーズヘッグも手伝い始めた。
「ちょっとニーちゃん!? あなたいつ私の敵になったの!?」
「ずっとフレスの味方なの」
「いらん。お前みたいなやつは」
「…………くすん…………」
人の部屋の扉を壊し、突風で部屋中吹き飛ばしてくれた連中たちは、何故かその部屋で遊んでいた。
「おい、いい加減にしろ、このバカどもが!」
「あら、怖い。でも怒ったウェイルも可愛いわよ」
「同感」
「やかましい!」
こういうところだけは息がぴったりな二人である。
「……お前は、不細工、なの……」
「フレス、こいつをぶん殴ってくれ」
「別に構わんが、私が殴ったらニーズヘッグの奴は喜ぶぞ?」
「……フレス、はやく、殴って……?」
「ほらな」
「…………」
呆れて言葉も失いかねない。
「まあいい、話を元に戻すぞ」
いい加減元の会話に戻さねば、脱線したままでは困る。
「それでフロリア、どうして『セルク・ラグナロク』の贋作を持ってきた?」
アムステリアの手によって、頭をモヒカンチックにされたフロリアは、ふぅと一息ついた後、こう告げてきた。
「ウェイルへの警鐘と、そしてヒントのため」
「警鐘と、ヒント……?」
「そう。ここから先の話は、本当に私を信頼してもらわないといけない。何せ突拍子すぎる話だから」
「俺達がお前を信頼しろと?」
「そうだよ」
これまでのフロリアのしてきたことを考えれば、彼女を信じるなど愚の骨頂だ。
しかし――
「信じてほしい。もう、アレス様は裏切れないから」
――この一言だけは、信用してもいいと思った。
「信じて、くれる?」
「本当は信じたくはない。だが、お前がアレスに対する想いは本物だと思うよ」
そうでなければ、危険を冒してまで、リベアブラザーズの時に介入してきた理由がない。
あの時のフロリアの行動は、全てヴェクトルビア国王アレスの為だけのものだった。
そこだけは信頼に値する。
「だから、アレスを裏切らないと言うのなら信じる。アレスを裏切るということはすなわち、俺を裏切るということだと理解していていいな?」
「構わない。私はね、ウェイル。正直言ってウェイル達のこと、結構好きなんだよ? 別に『不完全』という組織にこだわっているわけじゃない」
「あんた、もしかして自分の組織が潰れたってこと、知らないわけじゃないわよね?」
「知ってるよ。当然。だからこそ、私はここに来た」
アムステリアが目で探りを入れる。
どうやら、アムステリアも彼女が真剣だと踏んだらしい。
最低限の拘束以外を解いてやった。
「フロリア、あんた、私のこと知ってる?」
「昔はずっとヴェクトルビアに潜入していたから、詳しくは知らないけど、それでも知ってる。アムステリアは、私の先輩でしょ?」
――先輩。
この言葉で、アムステリアはある程度意味の把握は出来たようだ。
「あんたも、『異端』なのね?」
「そう。だから私はあなたの後輩」
「あんたが異端であることと、今回ここに来たことに関係は?」
「これが大有りなんだなぁ」
「なるほどね」
そしてアムステリアは完全に拘束を解いてやった。
「いいのか? アムステリア」
「いいのよ。それよりもウェイル、この子の話は、じっくりと聞いた方がいい」
アムステリアが真剣にここまでいうのだ。
先ほどの話と照らし合わせてみれば、ウェイルとてなんとなくだが理解できたところもある。
「分かった。お前を信じる。話してくれ」
「了解。じゃあまず何から話そうかなぁ」
「『セルク・ラグナロク』についてから話してくれ」
そしてフロリアはこれからしばらく衝撃的なことばかり口にし始めた。