幸せな日々は雨となりて
アムステリアが九歳になった頃。
贋作士として鬼才を発揮し始めた二人には、そこそこの財産が溜まっていた。
イドゥの持ってくる仕事の内容は報酬が破格で、しかしながら難しいものではあったのだが、生まれつきの手先の器用さを持つ二人には大した仕事に感じず、何の苦労もなくテキパキとこなしていた。
これに味を占めた他の幹部連中も次々に二人に仕事を依頼するようになっていた。
おかげで二人は故郷のリグラスラムに少しだけいる富裕層の住む地区『クラウド・エリア』に小さい家を建てることが出来ていた。
『クラウド・エリア』とは名の通り雲を示す。
貧民には決して届かない、雲の上の存在と、そういう意味で名づけられた地区だ。
無論貧民ばかりのリグラスラム住民からは疎まれる地区ではあったが、彼らの落とす金に助けられているのも事実で、彼らのもたらす貧民への恵みは、雲になぞらえ『雨』という。
『雨』を定期的に降らすことで、リグラスラム住人の感情をコントロールしているのだ。
アムステリアの家は、貧民街に非常に近い場所にあった。
元々貧民街出身の二人だ。
彼らの貧しさをよく知っている者として、頻繁に『雨』を降らせていた。
そのおかげか住民達と仲良くなるのに、時間はあまり掛からなかった。
――――
――
「お姉ちゃん、今日はどうするの?」
手には焼いたばかりのパイを持って、ルミナステリアがご機嫌に聞いてくる。
「お昼ご飯は皆で食べた方が美味しいし、行こっか」
「やったぁ!」
アムステリアの返答の前から、すでにルミナスは外出の準備をしていた。
いつも使っているお気に入りの手さげバッグに、焼いたばかりのパイを入れて、竹で出来た水筒に果物の果汁を詰め込む。
デザートに切り分けたフルーツを多めに入れて、いつもの準備を整えた。
「お姉ちゃん、早く行こ! リューリクがお腹すかせて待ってるよ!」
「慌てなくてもリューリクは逃げないって」
なんて言いつつ、アムステリアも作業する手を速めるのだった。
――――
――
「お邪魔するよ~、リューリク、来たよ!」
ご機嫌なルミナスが、バンと勢いよく扉を開く。
そこは貧民街の一角で、『ジャンク・エリア』ほどではないにしろ、かなりの貧困層が住まう場所であった。
二人の目的地であるその家。
壁のそこら中が崩れ、屋根もまばらな板が積み重なっているだけの小さな家であった。
そんな古屋であるが、この地区で言えばの平均レベルの住まいだ。
毎日この古屋に来ることが二人の日課になっている。
「リューリク、お昼ご飯、一緒に食べましょ?」
「あ、うん。いらっしゃい。テリア、ルミナス」
二人を出迎えてくれたのは、銀色の髪をした少年。
気弱そうだが、優しい笑みが可愛い、リューリクという名前の男の子だった。
リューリクはこの小さな家で、一人で住んでいる。
彼の両親は、貧しさから幼い彼を捨てて、どこかへ夜逃げしたという。
この小さい家だけが彼に残された。
二人とは、貧民街の闇市で偶然出会い、話をするとすぐに意気投合。
互いに両親がいなくて、子供だけで暮らしている。
そんな共通点のある三人が仲良くなるのに時間は全く掛からなかった。
それからいうもの、二人はことあるごとに、リューリクの元を訪れていた。
「いつもごめんね、二人とも」
「いいんだって。貴方は気にしなくても」
「でも、僕は君達が折角来てくれているのに、何もおもてなしが出来ないから」
「もう、リューリクってば! そんなの別にいいっていつも言ってるでしょ!」
ルミナステリアは嬉しそうにリューリクの腕を抱く。
「ちょ、ちょっと、ルミナス!? 何してんのさ!?」
「えへへ、もう、リューリクってば照れちゃってさ。可愛い」
「僕もう十歳だよ!? 二人よりもお兄ちゃんなのに、可愛いと言われても嬉しくないよ」
「だって、本当に可愛いんだもん。ね、お姉ちゃん?」
「うん。リューリク、可愛い」
「全くもう……」
照れてどんどん赤く染まっていくリューリクの顔を見るのが、二人の楽しみの一つだ。
「さ、今日はパイを焼いてきたの。安くナッツが手に入ったから、中に入れてあるわ。早く食べよう?」
「じゃあ私はパイを切り分けるから、お姉ちゃんは果汁をコップに入れて? ほーら、リューリクは皿を用意する!」
「う、うん」
アムステリアの作るパイは、いつもいつも美味しいのだが、やっぱりこうやってリューリクを入れて三人で食べると、格別においしい。
「どう? 口に合うかな?」
「うん! テリアの作るパイはいつも格別だよ!」
「むむ。じゃあ私が作るのは美味しくないっての?」
「ち、違うって、ルミナスの作るパイも最高だって!」
「お姉ちゃんと比べたら?」
「……テリアの方がおいしい」
「もう! リューリクの馬鹿!」
「ほらほら二人とも、食べながら喧嘩しないの」
そんな賑やかないつも通りの食卓だったが、急に空気が変わることも多々ある。
「ゴホッ、ゴホッ……!!」
リューリクが突如として強い咳をし始めたのだ。
「リューリク!」
ガタッと椅子を下げて立ち上がったアムステリアは、すぐさまリューリクの背中を撫でてあげる。
ルミナスもコップに水を注いできて、リューリクがすぐに飲めるように待機していた。
やがて咳も止まって、リューリクも幾分楽になったのか、笑顔が浮かび始めた。
「あ、ありがとう、二人とも」
「もう、何笑ってんの!? 心配、したんだから!」
「リューリク、死なないよね……?」
泣きそうなのはルミナステリア。
手に持ったコップを片手で握りしめ、空いた手で涙を拭っている。
「ほら、もう大丈夫だからさ。二人とも、悲しい顔しないでよ。いつもの奴だからさ」
――リューリクは生まれつき体が弱い。
こうやって時々、かなり強い咳をする。
しかもその頻度は日に日に多くなっていた。
リューリクには医者に掛かるお金はない。
「本当に大丈夫なんだよね……! 私、いざとなったらお医者様を呼ぶからね!」
「それだけは駄目だよ……! 僕にはお金がないから……!!」
「何言ってんの! お金なんてどうでもいいじゃない!」
「テリア、この都市ではお金は命よりも重いんだよ? そんなこと言っちゃいけない」
アムステリアは私達が治療費を出すと何度も提案していたのだが、リューリクは一度として二人から治療費を受け取ることはなかった。
あくまでも対等で友達だ。その中にお金の貸し借りはしたくない。それがリューリクの主張だった。
アムステリアやルミナステリアにとっては、お金などどうでも良かった。
この親愛なる友人さえ無事ならば、いくらでもお金など分けてあげたかった。
それは『雨』として。
でもリューリクは『雨』を快く思ってはいなかったのだ。
だからリューリクは結局、一度も医者にかかったことはない。
温厚で、優しいリューリクだったが、そこだけはかなり頑固であった。
「もう楽になったからさ、ご飯の続きしよう? ルミナス、パイ、もう一切れくれる?」
「う、うん!」
「リューリク、もし貴方に何かあったら、私達、容赦なくお医者様を呼ぶからね。お金だって、貴方の為に出すんじゃない。私が、私の為に出すの。それなら文句ないでしょ?」
「僕、そこまで君達に想ってもらえて、本当に幸せだよ。ありがとう」
「リューリク……」
それからしばらくは発作もなく、平穏な日々が続いて行った。
二人がリューリクをからかって遊び、リューリクが照れ、そして笑い合う毎日。
いつもと変わらない、小さな幸せのある日常だった。
こうして二人はいつもリューリクと一緒に遊び、日々の仕事の疲れを癒していた。
二人にとってその幸せは、かけがえのない『雨』であった。