プロ鑑定士
「――絶景だ」
汽車の窓から映し出される雄々しき山々、それを写す輝く湖、麦を収穫する人々。
まるで次々と変化する魔法の絵画を見るかのような、そんな錯覚すら覚えてしまいそうな景色に、鑑定士であるウェイル・フェルタリアは感嘆の息を漏らした。
芸術の都と呼ばれるこの『アレクアテナ大陸』は、その景観も素晴らしい。
今回の旅の行先は、教会都市サスデルセルである。
アレクアテナ大陸に存在する大半の教会が本部を構えている教会都市だ。
今回ウェイルはラルガ教会という教会から、絵画の出張鑑定を依頼されたので、こうして汽車に乗りサスデルセルへ向かっている最中であった。
日々、鑑定依頼に追われて多忙な旅の中、ちょっとしたひと時に見る汽車からの絶景は、まさに癒しの一言。
――しかし、鑑定士とは時としてつまらない職業だ。
これほど美しい景色を目の当たりにしながら、無意識のうちにどこか疑いの目を向けてしまっている。
窓から見えるあの雄々しき山も、近づけばゴミが散乱しているかも知れない。
美しい湖だって、実はヘドロにまみれているという可能性だってある。
無条件に己の感性のままを受け取ることが難しい。
何事も疑いから入ることに慣れ過ぎているからだ。それは職業病とすら言える。
それらの真実がどうだろうと、窓から見えるこの景色は、変わらず美しいというのに。
「ここからの景色が良ければ、実際はどうだっていいか。鑑定士としては失格な意見だが」
鮮やかな景色を横目に、気持ちの良い風を浴びながら、お気に入りの本を読み耽る。
なんて高尚で優雅な時間なのだろうか。
――だがそんな優雅な時間は、無理やり終わりを告げられた。
「――おい、なんだこの壺は!? 贋作じゃないか!!」
耳が痛くなるほどの怒声が、和気あいあいとした車内に、突如として響き渡ったからである。
「……なんなんだ、この場違いな怒声は。せっかく人がのんびりしていたってのに……」
そのウェイルの小言は、またも響く激しい怒号にかき消された。
「贋作なんか持ってきやがって!! ふざけんなっ!!」
「贋作ではありませんよ! れっきとした本物です!!」
何事かと周囲を伺うと――なるほど、二人の男が口論を繰り広げている。
一人は少し痩型で、白い髪をした優男。
そしてもう一人はというと、見た目からしてガラの悪そうな筋肉質な大男であった。
白髪の優男は、ガラの悪い大男に胸倉を掴まれている。
大男の空いた手には、小さな壺が握られていた。
(車上売買絡みのトラブルか?)
――『車上売買』という取引方法がある。
その名の通り、汽車の中だけで売買を行う取引方法だ。
この取引方法には、互いの素性や肩書きを隠せる点と、取引後の足取りを掴ませない点という二つの利点がある。
昔はお忍びでやってくる他都市の王族や貴族が利用していた取引方法であるが、最近はもっぱら違法品取引や詐欺目的で行われることが多い。
贋作や違法品等を売りつけて、その足で逃げることが可能だからである。
(どうも怒鳴っている大男の方が怪しそうだ)
優男はまだしも、大男の人相はとても良くは見えないし、あれはきっと詐欺の類なのだろう。
贋作絡みの事件であれば、鑑定士として放っておくわけにはいかない。
ウェイルはしばらく状況を観察することにした。
「その壺のどの辺が贋作だって言うんですか!? 誰がどう見たって本物でしょう!?」
「フン、この壺の口の色を見てみろ! 俺の聞いた話では、本物のシアトレル焼きは口が黒くなるって話だ! だがこいつはどうだ? 灰色じゃないか! これこそが贋作である証拠だろ! せっかく大金を持ってきたってのに、これじゃ詐欺じゃねーか!!」
その大男の主張に、ウェイルは眉をひそめた。
「……おいおい、そんな理由であれが贋作だなんて、全くのデタラメじゃないか……」
ウェイルの呟きに、周りの乗客も頷いている。
「詐欺ではありませんよ! ほら、こうして公式鑑定書もあるのです! ですからこれは本物のシアトレル焼きの壺に間違いありません!」
白髪の優男は、大男に対して公式鑑定書を見せつけて、本物だと必死に主張し続けている。
しかし、大男は聞く耳など持っていない。
というより最初から彼の言い分など聞く気はなかったのだろう。
むしろ壺は贋作であると、決めつけているかのような態度だった。
「こんな小さな紙切れが公式鑑定書だと? 笑わせるな!」
「鑑定士のサインまであるんですよ!?」
「誰なんだ、鑑定士は!! 聞いたことないぞ!! どうせ無名の三流鑑定士なんだろう? そんな鑑定書、信頼できるわけないだろう!!」
「そんな無茶苦茶な!?」
「それよりも俺は明日までに本物の壺を仕入れないとならないんだよ! これでもし俺の取引が破談になったら、お前はどう責任取るつもりだ!? ああっ!?」
大男は優男から公式鑑定書を奪いとると、そのまま破り捨てた。
「ちょっとこれは見過ごせないな」
このアレクアテナ大陸において、公式鑑定書を破るという行為は、その鑑定品の価値を無にする――つまり破壊するのと同等の行為である。
例え鑑定品が破損としても、公式鑑定書を勝手に破棄することは許されない。
正当な手続きの無い限り、一度つけられた鑑定結果を破棄することは禁止されている。
ウェイルは席を立つと、二人の間に割り込んで、大男の肩に手を置いた。
「――ちょっといいか?」
「――あ?」
大男はウェイルをきつく睨み付けたが、ウェイルは涼しい顔そのもの。
そのまま大男が持っている壺をしげしげと観察した。
「ふむ、なるほどな」
「な、なんなんだ、お前は!?」
威圧にも屈せず、勝手に壺を眺めるウェイルに、大男も戸惑ったのか声が裏返っていた。
「お前は今、この壺は口が灰色だから贋作だと主張していたな」
「だ、だからなんだってんだ?」
「その主張は致命的に間違っている」
「なんだと……!?」
「シアトレル焼きの壺は口が黒くなると、そう言っていたな。確かに口が黒くなる品は多い。だが全部が全部口が黒くなるなんて、そんなわけはない」
「その通りです」と、隣の優男が必死に首を縦に振る。
「シアトレル焼きの口の黒さは、アトリエの焼き窯によって全く違う。同じアトリエで作られたとしても、作品によって色に個性が出てくる。全て黒でないといけないという理由はどこにもないんだよ」
本来焼き物とは、焼き釜の癖や焼く時間、材料の泥や燃料の木材によって、微妙に色の違いは出るものだ。
「この壺は間違いなく本物だよ」
「どうしてそう言い切れる!?」
「シアトレル焼きの壺は釉薬を使わないからだ。壺の表面を見てみろ。釉薬の艶が全くないのが一目瞭然だろう? このアレクアテナ大陸で釉薬を使わない焼き方をするのは、シアトレル焼きくらいなもんだ。これだけでシアトレル焼きだと素人目でも判る」
ウェイルの指摘通り、壺の表面には全く艶がなかった。
「それにこの模様を見てみろ。これは薪の炭が溶けて流れ出し、付着して出来る模様だ。模様にはアトリエによって特徴があってな。この焼き癖や炭の色には心当たりがある。何ならこれを製作したアトリエの名前まで言ってやろうか?」
「アトリエまで判るのか……!?」
「確かにシアトレル焼きの贋作は存在する。だが手間や利益を考えると、贋作士がわざわざ贋作を作るほどの価値があるものじゃない。せいぜい、素人が遊びで真似して作る程度だ。元々の価値だって、出回っている数を考えればそう大したものじゃない。贋作製作費に対して割が合わなさすぎる。この贋作を作るより本物を買った方が、明らかに安いし手っ取り早い」
ウェイルの淡々とした説明に、周囲の乗客から感嘆の声と拍手が飛ぶ。
皆、興味津々にウェイルの話を聞いていた。
――目の前の大男を除いて。
「なんだテメェ! この俺にケチつけるってのか!?」
大男の目に殺気が宿る。
優男から手を離して、本格的にウェイルを見下してきた。
だがウェイルは全く怯まない。むしろやれやれと溜息をついている。
長年鑑定士を続けていると、この手の目には慣れてくる。
何せ鑑定結果が悪かった鑑定依頼者の大半が、こんな目をしてくるからだ。
「どう見ても本物の壺を贋作と言い張り、取引を破談させて違約金を搾取する。そんな詐欺集団が今巷を賑わせている。その手口の大半は車上売買だそうだ。今の状況と同じだな?」
「な、何が言いたい!?」
「お前、その詐欺集団の一味だろ? そいつらにはな、共通の刺青があるんだよ。鷲を模った刺青が右肩に――な?」
ウェイルは掴んでいた肩の服をグッと引っ張り、無理やり腕をまくってやる。
予想はまさに的中。
その男の肩には、バッチリと鷲を象った刺青が刻まれていた。
「決まりだ。詐欺の現行犯で逮捕する」
「……チッ、バレちまったら仕方ない……!!」
大男は壺を抱くと、その体格に似合わず素早く走り出した。
「おいおい、ここは走る汽車の中だぞ? どうやって逃げるつもりだよ。素直に捕まってくれないか? 職業柄、お前を逃がすわけにはいかないんだ」
「うるせえ! しかしこいつを持ってきて良かったぜ……!!」
大男は一定の距離を取ると、右手にしてある指輪をこちらに向けた。
「この指輪が見えるか? こいつは『狐火の揺らめき』っていう神器でな。炎を操る魔法が使える神器だ。俺がその気になれば、この車内にいる乗客は全員炭になっちまうぜ?」
「つまり何が言いたい?」
「乗客の命が大切ならば、このまま俺を逃がせ。駅についた後も治安局には通報するな。簡単だろう?」
「ああ、実に簡単だな」
「……聞き分けのいい奴だ。賢い選択だぜ」
ウェイルがあまりにも素直だったため、大男は少し安心したのか、表情が一瞬弛緩した。
――その隙を、ウェイルは見逃さない。
「――だがな。お前をぶちのめす方が、もっと簡単だよ」
ウェイルは護身用のナイフを抜くと、男めがけて投げつけた。
ナイフは真っ直ぐ空を切り、男の服に刺さって、そのまま壁に突き立てられた。
深く刺さったナイフは、男が少々服を引っ張ったところで抜けることはない。
「テ、テメェ!? この神器が見えねーのか!?」
大男がナイフに気を取られた直後、すでに彼の目前にはウェイルの姿があった。
「しっかり見えてるさ。没収しないとな」
「なっ!?」
炎が一瞬だけ揺らめいたが、それが燃え盛る前にウェイルは大男の指をへし折った。
「ぐあああああああああああっ!?」
男が悶絶する中、指輪を奪い取る。
「壺を返して自首しろ。そうすればこれ以上怪我をしなくて済む」
痛みで悶え苦しむ男に、ウェイルは見下しながらそう言う。
「もう武器になる神器もないんだろ? 勝ち目のない戦はするな」
「クソがあぁぁ!!」
男はもう逃げられないと判断したのか、ウェイルの言葉を無視してナイフの刺さった服を破り去り、壺を床に置くと戦闘態勢を整えた。
「勝ち目がない? お前みたいなチビにこの俺が負けるわけがないだろう! 指一本くらいで勝った気になるなよ! 次はこうはいかない! この場でお前を始末して壺を持ち帰ればいいだけのことよ!」
言うが早いか大男は懐からナイフを抜いて、襲い掛かってきた。
「やれやれ、俺は優雅な汽車の旅を楽しみたかっただけなんだがな」
ウェイルはギリギリまでナイフを引き寄せると、スッと身を翻し、その勢いのまま右拳を男の鳩尾に叩き込んだ。
「ふぐっ……!!」
「残念。もう一つ怪我したな」
続けざまに鳩尾にもう一発。
大男は身体をくの字に歪めた後、白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
「ふぅ。これで少しは静かになるか」
大男が倒れたのを見て、見守っていた乗客達から歓声が上がる。
その歓声に少しだけ応えつつ、壺を拾って優男に手渡してやった。
「ほらよ」
「あ、ありがとうございます! おかげで助かりました!」
白髪の優男は深々と頭を下げてきた。
「気にしないでくれ。これも仕事のうちだからな。お前さんに怪我がなさそうで良かった。あの男はサスデルセルに着いたら治安局に突き出しておくよ」
大男が自ら破った服を用いて、両手を縛り拘束する。
詐欺の現行犯逮捕。
これも鑑定士の職務の一つだ。
「いえ、そこまでしてもらうわけには……。治安局へは私が行きますので」
「別にいいんだ。丁度サスデルセルで仕事があるからな。それに今言ったように、これは俺の仕事なんだ」
「仕事ですか? そういえば先程の素晴らしい鑑定といい、貴方は一体何者なんです?」
「――俺はプロ鑑定士のウェイルという者だ」
プロ鑑定士の存在は、このアレクアテナ大陸に平穏をもたらしていた。