シュクリアとシュークリーム
ウェイルが新たなシュークリームを買って帰ってくると、部屋の空気が神妙なことになっていることに気が付いた。
「……何があったんだ?」
シュークリームを食べまくって満足したのか、お腹をポンポン叩いているフレスに聞いてみる。……というかやっぱり全部食べやがったのか。
「あ、ウェイル、おかえり」
「どうしたんだ、この空気は」
「あのね、テリアさんの占いの結果が芳しくなかったんだって」
「なるほど。……アムステリアの占いは中々にシビアだからな……」
アムステリアの辞書に、配慮や遠慮という文字は、無くはないが、非常に薄い。
結構心に刺さることをズケズケと言ってくる。
「少し様子を見ているか」
ウェイルとフレスは、そーっと耳を澄ませて様子を窺った。
――――――
――――
――
「はっきり言うわ。この子の名前を付けるのは私には難しい」
「どうしてですか!? この子の父親の名前が、そんなに必要なんですか!?」
「子の名前の占いに、父親の情報が必要ないわけないじゃない。でも貴方は話してくれない。だから無理」
「……あの人のことは思い出したくないんです……!!」
シュクリアは一度男に捨てられて、その精神的なダメージから逃げるためにラルガ教会をすがっていた。
そのラルガ教会にも利用されそうになったのだ。もしこの赤子がいなければ、シュクリアの心は壊れ、挙句自ら命を落としてしまっていたかも知れない。
シュクリアにとっては全ての元凶ともいえる男のことなど、さっさと忘れてしまいたいに違いない。
「……判ったわ。でも私の占いでは名前が付けられない。貴方が自ら立派で素敵な名前を付けてあげたらいいわ」
ふぅ、とアムステリアは一息ついて、ウェイルの方へとやってくる。
「ごめんね。私じゃ期待に応えられないわ」
「いや、お前の言う通りだとは思うよ。なんだか悪かったな」
「あの赤ちゃん、本当に可愛いと思うから、良い名前にしてあげたいわね。私には無理だけど。ウェイル、貴方はもう少し付き合うんでしょ?」
「まあな。このままじゃ帰れない」
「そもそも名前って親が自らしっかり考えて付けるものよ。私なんかに付けていいものじゃない。占星術はあくまでもアドバイスだから。じゃあ先帰るわ。あ、一つそれ貰えるかしら」
アムステリアは占い道具をしまうと、シュークリームを一つ咥えて帰っていった。
残されたのは、さらに微妙な雰囲気となった三人。
「名前かぁ。そうだよね。シュクリアさんが自分でつけた方が、ボクもいいと思うな」
フレスも素直な感想を述べ、ウェイルも頷いていた。
「俺達の再会も久しぶりだよな。多分、その間にシュクリア自身も名前の候補があったと思うんだ。俺達の約束を覚えていてくれて、名前を付けてくれなかったことには素直に感謝するよ。期待してくれてありがとう」
「い、いや、そんな、本当は名前の候補がありすぎて自分じゃ決められなかっただけなんです。ウェイルさんに頭を下げられるのは困ります」
「ねぇねぇ、シュクリアさん、名前の候補が多すぎてって、どれくらい候補があるの?」
「えっとですね。少し待ってくださいね」
シュクリアが棚の引き出しの中から一冊のノートを取り出した。
「これ見てください」
「うん」
フレスがとりあえず一ページ目を開いてみる。
そこには小さな文字で丁寧に、そして膨大な量の名前が刻まれていた。
文字の多さでページも黒く見えるほどで、思わずフレスも面食らってしまう。
「……えっと、このページだけかな?」
「次のページをめくってみてください。フレスさんも良い名前を探してみてください」
「う、うん」
じっと文字の羅列を目線で追っていく。
ページをめくってもめくっても、その羅列は途切れることはない。
「も、もしかして……」
途中からは目で追うことすら止め、ページをめくることだけをしていた。
そしてようやく名前の候補が途切れる。
途切れるというのは正確な表現ではない。
ただノートに書くスペースがなくなっただけだ。
「一冊丸々名前が書かれてるよ……!?」
「一冊だけではなくて、後二冊同じようなものがあります。どうですか? 良い名前、ありましたか? 個人的には一冊目の25ページ8行目の名前と、二冊目の12ページ目の23行目の名前がお気に入りなんですけど。でもこの子のイメージとはちょっと違うかなって」
にっこりほほ笑むシュクリアの手には、さらに二冊のノートが握られていた。
「……ボク、文字を追うのを必死で名前が頭に全然入ってこなかったよ……」
「しかしまあ、よくこれほど名前を考えられるものだ。ネーミングセンスがあるといっても過剰にあるのは本末転倒になるんだな。名前の候補がありすぎるのも困りもんだよ」
ウェイルもフレスから受け取ったノートを見て、苦笑する。
これだけ候補があれば自分で名付けるのも難しいわけだ。
「しっくりくる名前はなかったのか」
「う~ん、色々と考えているんですが、どれもどうもな~って思いました。もっと可愛い名前がいいんですけど。ウェイルさん、なんだか良さそうな名前はないですか?」
「そうさなぁ……」
と言われてもそんなに簡単に思い浮かぶものではない。
「ねぇ、ウェイル、シュクリアさん、少し休憩にしない? シュークリームもあることだし」
「だな。シュクリア、休憩しよう」
「はい。甘いものでも食べて考えましょう」
「そうだよ! 六つあるから一人二個だね!」
「フレス、お前のはないぞ?」
「なぬ!?」
「さっきの奴全部食べやがって。お預けだ」
「そ、そんなぁ~~!?」
シュークリーム一つで涙が止まらない我が弟子の姿に、ウェイルは本当にこいつをプロ鑑定士にしていいのか不安に駆られてしまう。
「シュークリーム食べたい、シュークリーム食べたい!!」
「ダダこねてんじゃない。お前すでに六個も食ってんだぞ!?」
「いいじゃない! ウェイルのケチ!」
「やかましい!」
シュークリームの入った箱を抱えたウェイルと、ヨダレを拭い、目に炎を宿らせるフレスが睨みあう。
「こうなったら……奪ってやる!」
「させるか!」
「なんのおお!」
「うおお!?」
シュークリームに対しての執念だろうか。
普段は中々見せない機敏な動きを見せて、ウェイルを惑わせ、見事に箱を奪い取った。
「フッフッフ、まだまだ甘いよ、師匠!」
「おい、それは俺の!」
「へへん、三つもあるんだから一つくらい分けてくれたっていいじゃない!」
「返せ!」
フレスは、ウェイルのシュークリームを鷲掴みにして、そそくさと逃げ出す。
「はぐはぐ……ごくり。もう食べちゃったもんね!」
「こいつめ……!!」
シュークリーム一つを巡って、大の大人と龍の少女が互いの頬っぺたを引っ張りながら言い争っている中、シュクリアは何故か残されたシュークリームの箱を見つめていた。
「……あの、お二人とも」
「あんだ?」
「あに?」
頬っぺたのつねり合いをしている二人が、何事かとシュクリアの方を向く。
「私、良い名前、思いつきました」
シュクリアは目を輝かせながら、シュークリームを見つめている。
もしかして、とウェイルは思ったが、どうやらそれが正解の様だった。
「シュークリームから名前を取ろうと思います! シュクリムって名前どうですか!?」
その堂々たる宣言に、一瞬だが二人の時が止まる。
「…………」
「…………えっと……」
互いのホッペを持ったまま、思わず顔を見合わせたウェイルとフレス。
(凄まじいネーミングセンスだよな)
(シュクリムって、そのままじゃない? ……しかも親子で名前がそっくりだよ)
しかし、そのフレスの懸念事項も、シュクリアに言わせれば逆に気に入った理由であるらしい。
「私シュクリアと名前がそっくりですし! 私に似た可愛い子ですし! シュクリムって名前、最高です!」
「地味に自分を褒めてたよな、今」
シュクリアの親馬鹿スイッチが、またも唐突に入ったらしい。
目を煌めかせ、たった今名前を決めたシュクリムを抱きながら、クルクルとステップを踏み踊っている。
「ウェイル、もう本人が気に入っちゃったんだからいいんじゃないかな」
「……だな」
「ありがとうございました、ウェイルさん。おかげでこの子の名前をようやく付けることが出来ました!」
「シュークリーム買ってきただけなんだが」
「さあシュクリム、おねんねの時間ですよ。ママと一緒に寝ましょうね!」
「あのー、ボク達はどうするの?」
「すみませんがお二人とも、この子が起きてはいけないので、そろそろお引き取りください! お礼はまた後日にでも致しますから!」
「あ、ああ。判った。お暇するよ。フレス、帰るぞ」
「う、うん。でもいいのかなぁ」
「いいんだよ」
この日、シュクリアの赤ちゃんの名前がシュクリムに決定した。
シュクリムが大きくなったとき、名前の由来をシュクリアに尋ねた時こう答えるのだろうか。
――『シュークリームからとったんですよ、私の名前にそっくりで可愛いでしょう?』と。
なんだか自分の持ってきたシュークリームの影響で、人の名前が決まってしまったことに複雑さを覚えるウェイル。
原因の発端となったフレスも流石に言葉数が少なかった。
「良いお名前だよね?」
「可愛らしいとは思うぞ。母親の名前にも似ているし。ただな……」
「だよね……」
名前の由来が微妙すぎるとは、二人は口が裂けても言えなかったのだった。
――その帰り道。
「シュークリームでも買って帰るか?」
「ううん、なんだか今はシュークリームを食べる気分にならないよ……」
「実は俺もだ」
なんて会話があったことを、シュクリアは知る由もなかった。
――――――
――――
――
「ねえ、どうしてウェイルはウェイルって名前なの?」
唐突にフレスが訊いてくる。
「……さあ、どうだろうな。名付け親はもういないしな」
「……そうだったね、ごめん」
ウェイルの故郷は、すでに滅亡した都市フェルタリア。
名付け親は、フェルタリアの王である。すでに亡くなっている。
「いや、謝るな。確かに自分の名前の由来は気になる。何か意味があるんだろうさ」
「フェルタリアの言葉かな?」
「かもな。現代の言葉ではないだろうから、旧時代の言葉かもしれない」
「そっか。でもボク、ウェイルって名前好きだよ。ちょっと知的な感じでさ」
「そうか、ありがとな、フレス」
この時ウェイルはまだ旧時代のフェルタリア文字のことを知らなかったのだ。
ウェイルが旧時代のフェルタリア文字を知るのは、これから株式総会が行われた後の、図書館都市『シルヴァン』での事である。
旧フェルタリア文字には、『ウェイル』という単語があった。
その意味をウェイルは、これより相当後に知ることとなる。