腹黒王子とお人好しな龍
「聞いたか、イレイズ」
「ええ。レイリゴアは随分とウェイルさんのことを信頼しているようですね」
「信頼しているならこっちにその話は来ないと思うが。フレス達だけでは不安だから話をよこしたのではないのか?」
「逆だと思いますよ? 故郷の王を信頼できない人に託すと思いますか?」
「随分と信頼しているわけだ」
「つまりそういうことです」
「どうだかな」
クルパーカー王城、イレイズの私室。
レイリゴアから届けられた電信を肴に、二人は食後の酒を楽しんでいた。
もっとも、サラーはアルコールが苦手だというので、葡萄の果汁を飲んでいる。
「イレイズ、当然、行かないよな?」
「ええ、行きますよ」
「……返答がおかしいぞ。ウェイルには断られたはず」
「ウェイルさんは関係ないですよ? ちょっと散歩したくなっただけです」
「散歩で戦地に赴くのか、お前は……」
不機嫌そうなサラーに、対するイレイズは目を細めてニコニコしていた。
「そんなことしている暇などないだろう。カラドナの暴落は一旦終息したとはいえ、予断を許さない状況には変わりないだろうに」
「そうですね。でも」
イレイズはさらに細めて、窓を見ながらつぶやいた。
「関係ないですよ。そんな些細なこと」
「……まあ、些細なことに違いはないな」
都市の崩壊寸前まで陥ったことのあるクルパーカーだ。
この程度の危機、正直なところ屁でもない。
人が直接死ぬことがない分マシだと、二人は考えている。
「それでもお前は行かないほうがいい。王がいなくなる可能性が少しでもあるのはまずい」
「あら、『お前は』ってことは、サラーは行く気なんですね?」
「…………」
「やはり君は素直でいいですね」
「うるさい」
「フレスちゃん想いですね?」
「そうじゃない! ……それだけじゃないさ……」
頬を染めながら否定しても説得力のかけらもないが、サラーの様子だと、理由は本当にそれだけではないみたいだ。
「龍姫、ですか?」
「ああ。私やフレス、ニーズヘッグの他に龍が復活している。それが気になるだけだ」
「ニーズヘッグよりも気になる相手なのですか?」
「…………そうだよ」
「そうですか」
フレスはともかくとして、ニーズヘッグはクルパーカーにとっては悪なる存在である。
ニーズヘッグの闇が、どれだけクルパーカーに被害をもたらしたか、サラーとて忘れたわけではない。
そんなニーズヘッグよりも行動が気になるという、龍姫と呼ばれる龍。
「よし、決めました。私もやはり同行します」
「何言ってんだ!? 今の間で理解したのだろう!? ニーズヘッグよりも危険な龍が、敵側にいる可能性があると!」
「だからこそですよ。だからこそ」
「何がだからこそだ! お前がいないとこの都市はどうなることか!」
「そのセリフ、実は私も言いたかったんですよ?」
「……え?」
思わずキョトンとするサラー。
その顔を見て、やはりサラーは愛おしいと改めて思う。
「私は君、サラーがいないとダメな男なんですよ。どうなってしまうか判ったもんじゃない」
「な――」
惜しげもなく恥ずかしいセリフを吐くイレイズに、サラーは顔を背けてしまう。
下手な照れ隠し。無論、イレイズとてこの反応を狙ってのことであるが。
「さあ、そろそろ準備をしましょう。レイリゴアの電信だと、ウェイルさん達はもうじきソクソマハーツに潜入するそうなので」
「だから! お前は行くなって言ってる!」
「おい、バルバード、後はよろしく!」
イレイズが呼ぶと、間髪待たずに扉が開いた。
「承知いたしました。後はこのバルバードにお任せください。イレイズ様、お気をつけて」
こうなることを予測しているかのごとく早い反応だった。
バルバードも部下とともに扉の後ろで待機していたようだし、イレイズも当然それに気づいていた。
「バルバード! お前何言ってるんだ!? この都市の王が、自ら危険に飛び込もうとしているんだぞ!?」
「サラー様。イレイズ様は元々そういう性分だったではないですか。『不完全』の時もそうだったじゃないですか」
「はは、違いないですね。そういう星の元に生まれたんです」
笑いあうイレイズとバルバードに、歯がゆさを覚えるサラー。
「イレイズ! 今回は『不完全』絡みの事件の規模を超えているのは判っているだろう!?」
憤るサラーに、イレイズは笑顔を向けてこう言い放った。
「あの時、約束しましたよね?」
あの時とは、イレイズとサラーが初めて出会った日。
「君はこう言いました。これからは私が一緒にいる、私がお前を守る、と。覚えていますよね?」
「…………覚えているよ」
「だったら話は簡単ですよね? 私が危なくなれば君が全力で私を守ればいいんです。違いますか?」
「…………違わないさ」
「なら問題ないです。約束ですから、君は私のことを全力で守りなさい」
「わかったよ、もう」
頑なで頭の切れるイレイズを言い負かすのはもう無理そうだ。
サラーは一度大きくため息を吐くと、サラーは目を細めた。
「約束を持ち出すのは卑怯だぞ」
「私が腹黒いことも知っているでしょう?」
「嫌という程な」
なんて言いつつも、サラーの表情は穏やかだった。
「時間もありません。急ぎましょう」
「だがどうやっていく?」
「今から馬車を走らせても間に合わないですね。ですから最終手段を取ろうと思います」
「……まさか」
「そのまさかです」
イレイズはサラーの手の甲にそっとキスをした。
その時のサラーの顔は茹でダコ以上に真っ赤だったと、後でバルバードが言っていた。
丁度この時、ウェイル達はソクソマハーツ周辺の、治安局駐屯地行きの汽車に乗り込んだところだった。
――●○●○●○――
――ソクソマハーツ西部、治安局駐屯地。
テメレイアの予測するアルカディアル教会が動き出す時まで、残り36時間。
「お待ちしておりました。プロ鑑定士殿」
ステイリィの連絡がうまく回っているようで、ウェイル達が治安局駐屯地を訪れると、ほとんど検査もなしに中へ迎えてくれた。
しかし、それでも治安局員の顔は険しい。
それもそのはず、今やこの地は厳戒態勢の敷かれている、対アルカディアル教会の最前線。
誰もがいつ始まるかわからない宗教戦争に臆し、緊張を続けているのだ。
そんな中、呑気にも敵地に侵入しようとやってきた鑑定士に、彼らは当然難色を示していた。
「鑑定士殿。ここまでおいでいただいて進言するのもおこがましいですが、止めておいた方がよろしいです。いくらアルカディアル教会が違法品を大量に所持している可能性があるとはいえ、今は時が悪すぎます」
「……ステイリィの奴、ナイスだな」
ステイリィはウェイル達が合法的にソクソマハーツに入れるよう、違法品所持があるという真っ当な理由を作ってくれていたようだ。
「治安局には迷惑をかける」
「……本気、なんですね」
「これもプロ鑑定士の仕事なんでな」
治安局員も、薄々とだが感じていることだろう。
ウェイルがここにいるのは、任務以外にも別の目的があるということを。
「判りました。我々は我々の仕事をするだけです」
ウェイル達の覚悟を見定めた彼は、今までの真剣な表情とは打って変わって、柔和な笑みを浮かべてくる。
「お二人を全力でソクソマハーツに入れること。上官から課せられた任務です。我々にお任せください」
その拳をドンと胸に当て、任してくれと言ってくれたのだ。
自分達の都合に巻き込ませてしまうことに、ウェイルは罪悪感から、
「……すまないな」
と、つい漏らしてしまう。
対する彼は、そんな辛気臭い顔をするなとでもいうように、ウェイルの肩を叩いてくる。
「謝るくらいなら最初から無理しないで下さいよ」
「……まったくだ」
「今からその調子だと、貴方の任務に支障を来しますよ。我々がソクソマハーツまで送ります。ですからご安心を」
嘆息する治安局員に、もう一度「すまない」と謝ると、彼も「謝りすぎですよ」と笑ってくれた。
「ステイリィ上官の命令ですからね。我々も貴方方のように無理をせねば、後で怒られてしまいます」
彼がそう言うと、駐屯地局内から数人ほど武装した治安局員が現れた。
「彼らと私が、貴方方をソクソマハーツの都市部まで案内します。道中、敵に遭遇する可能性も有ります故、護衛というわけです」
「そこまでしてもらわなくてもいい。後は俺達だけでなんとかできる」
「そうおっしゃられても困ります。言ったでしょう? 貴方方に怪我一つでもされたら、ステイリィ上官にどれほどどやされることか」
ニハハと笑うステイリィが脳裏に浮かぶ。
なるほど、厄介な上司を持つ彼らは苦労する。
それでもウェイルはステイリィを羨ましく思えた。
なんだかんだ言って、ステイリィは部下から慕われているのだ。
でなければ、一触即発の空気漂うソクソマハーツに、命令とはいえ護衛に来てくれるなどあり得ない話だ。
「それに、我々も近いうちにソクソマハーツへと進行を開始します。その下見ということで。ですので、あまりこちらのことは気にしなくてもいいです。任務ですから」
「すまないな」
再度ウェイルは彼らに頭を下げると、彼らも満足げに頷き返してくれた。
「ソクソマハーツへの治安局の介入はもう間もなく始まります。そうなればソクソマハーツは戦場になることは必至です。できる限り急ぎましょう」
「ああ、頼む」
治安局にも色々と思惑があったのか、ソクソマハーツ行きの許可はすぐに下り、ウェイル達はソクソマハーツへ潜入することが出来るようになった。