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龍と鑑定士  作者: ふっしー
第三部 第十一章 宗教戦争完結編 『君が為に』
260/500

ある雨の夜 ※

第三部最終章突入です。

「はぁっ、はぁっ……!!」


 少女は走る。

 冷たい雨が、凍える風が、うっそうと覆い被さる闇の帳が、彼女を攻め立てながら。


「はぁ、はぁ、どうして……!!」


 もう何十回も口にした、その疑問。

 少女は目に涙を浮かべ、唇を噛みしめて、それでも力のある限り走り続けた。

 ゆらり、と闇夜に灯りが浮かぶ。

 いくつもいくつも、灯りは浮かぶ。

 闇夜と比べて、なんて明るく、暖かい色なのか。

 それでも彼女は、その灯りの元へ行くことは出来ない。

 その灯りは、彼女の天敵となる存在だから。


「お~い、龍姫様、出てきてくださいませんか~~?」

「何もしませんから、ね?」


 のんびりとした口調。

 雨は激しさを増すというのに、あまりにも呑気な言葉。


(騙されちゃダメだ……!!)


 彼女は走る。

 だが、そろそろ彼女の体力は限界を迎えつつあった。


「あっ――!?」


 しまった、と思ったときは、すでに体は宙に浮いていた。

 重力に逆らうことは出来ず、そのまま硬くて冷たい地面へと、体を打ち付ける。


「……ううう……!!」


 胸を強く打ったようだ。一瞬だが息が出来なかった。


「はぁ、はぁ……」


 ズキリと足も痛む。今の衝撃で足をくじいたようだ。


「龍姫様~~ぁ?」


 耳に触る気持ちの悪い声が近づいてくる。

 とにかくその場から離れようと、必死に足に力を入れて踏ん張るも、思ったように体は動いてくれない。

 痛んだ足が、枷となり自由にならない。


(い、急がないと……!!)


 ざざっ、と草木をわける音がした。


「龍姫様。み~っけ」


「――ひっ!?」


「お~い、ここだ、ここだ、見つけたぞ~」


 男は仲間を呼んで、そして少女の足を乱暴に掴んだ。

「やめろ、離せ!」

「どうして逃げるんですかぁ? 我々と貴方はとてもとても仲が良かったではないですかぁ」


 抑揚のない声に、腹立たしさと共に寒気を感じる。


「違う! わらわは今みたいなお主達など大嫌いじゃ! 離せ!」

「そうは行きませんよぉ? みんなも来てしまいましたしぃ」


 気が付けば、少女はぼんやりとした灯りに囲まれていた。

 その灯りから浮かぶのは、生気のない見慣れた顔々。

 誰も彼も、その目は虚ろだった。


 そんな人々の間から、薄気味悪い笑みを浮かべながら現れる一人の男。

 彼女を見下し、蔑む目を向けてきた後、周囲の者達に微笑んだ。


「よくやってくれましたね。お手柄ですよ?」

「ラクドス様、なんとありがたいお言葉……」


 ラクドスと呼ばれた細身の男に、ありがたやと周囲の誰もが頭を下げた。


「ささ、龍姫様。覚悟は決まりましたか?」

「ラクドス、貴様、許さない……!!」

「ん? 一体、何に対してです?」

「貴様であろう!? この人達をこんなにしたのは!!」


 少女を捕まえた男は、まるで人形のように固まっている。

 目の焦点は合わず、口からは涎すら垂れている。

 さながらグールと化しているようだった。


「何をした!?」

「何って。軽い洗脳ですよ。これの力でね」


 ラクドスが見せたのは指輪型の神器。

 赤い宝石が怪しく煌めく、精神介入型の神器だ。


「どうしてこの人達を!?」

「それは彼らを使う方が都合が良かったためですよ。彼らは面倒くさいことに、龍を差し出すように求めても拒否してきたのです。偉大な神々の命令に背いたわけです」

「何が偉大じゃ!! 神は悪い奴じゃ! あ奴らの言うことを訊くことがそもそもの間違いじゃ!」

「龍の分際で、我らが神を侮辱しますか。元々万死に値する存在ですが、これはじっくりと念を入れて痛めつけて差し上げませんと。やりなさい」

「ふぁぁああい」


 先程の男がナイフを取り出し、少女に向けて突き付けてきた。


「や、やめ……!?」


 少女は当然、それを躱そうとしたが、それを阻止する者がいた。


「なっ!? は、離せ!!」


 少女の周囲にいた連中が、少女の手足の自由を奪ったのだ。

 いくら暴れようとも、彼らはその手を離そうとしない。


「や、やめ――」


 時が止まったように感じた。

 少女のお腹には、ナイフが突き立っていた。


「あああ――」


 舌には鉄の味。

 喉の奥からは血が上がってきた。溜まらず吐き出す。

 痛みはあまりない。色々と麻痺しているようだ。


「んぐっ……!!」


 男にナイフを引き抜かれ、傷口から鮮血が飛ぶ。


「いいですねぇ。龍の哀れな姿と言うのは何度見ても快感だ。もっとやりなさい」

「ひやああああ!!」


 少女は何度も何度もその身をナイフに切り刻まれた。

 おびただしい量の出血は、雨に流され地に吸われていく。

 それでも彼女は死ぬことはない。

 彼女は無限の生命力を持つ者だから。


「そうでした。龍は死なないのでしたね。これは失敬。やりすぎましたね」


 最初から知っていた癖に、ラクドスはそんなことを抜かす。

 朦朧とする意識の中で、少女はその男を睨み付けた。

 その目に、ラクドスは怖い怖いとおどけてみせる。 


「怖いですねぇ、その目。龍の目というのは否応にも人を恐怖に陥れる。やはりこの世に存在するべき存在ではありませんねぇ」


 ラクドスの合図で、少女の手足は自由となった。

 重力に従い、自分の血まみれの地面に崩れ落ちる。

 ぴくりとも力の入らない体は、びちゃりと濡れた地面に這いつくばった。


「聞きましたよ? 貴方、ここの人達と相当仲良かったみたいですねぇ。この人達も可哀そうに。龍である貴方を庇ったばかりに、こんなひどい目に遭ってしまったのですから」


 そう、少女の周囲を取り囲む人達は、昨日はまで共に笑い、共に泣いてきた、とても親切な友人たちであった。

 教会の手から逃れてきた少女を、彼らは家族の様に迎え入れてくれて、そして守ってきてくれた恩人達なのだ。


「こ、この人、達を……元に戻せ……!! わらわは、どうなっても、いい……!!」


 少女は、プライドすらかなぐり捨てて、倒れた状態のままラクドスにそう懇願した。 

 だがラクドスは、その最後の頼みすら、一蹴して除けた。


「フハハハ!! これはいい!! あの大地を司る龍『ミルドガルズオルム』が、何とも情けない姿を晒すことか!!」


 少女はとにかく耐えた。

 自分は笑われてもいい。封印されても構わない。

 それでも、この親切な友人達だけは無事でいて欲しい。

 自分を受け入れてくれた仲間だけは――。


「お、お願いじゃ……!! この人達は、大切な人達なのじゃ……!!」

「大切な人達? …………フハ、フハハハハハハハ!! こりゃ傑作だ!!」


 そう願う少女の願いは、ラクドスの口から告げられた真実により、粉々に打ち砕かれた。

 ラクドスは大笑いしてこう告げた。


「良いことを教えておきましょう。貴方の居場所を我々に売ったのは、彼らなんですよ?」

「……え……?」


 この男は、一体何を言っているのか。意味が判らない。


「ん? 信じられませんか? そうですよねぇ。まさかこんな親切な人達が、自分を売るとは思いもしないでしょうからねぇ」

「……う、嘘を言うな!!」

「嘘ではないですよ? 貴方には多額の報奨金が掛けられているのは御存じでしょう? 彼らはその報奨金に目が眩み、コロッと簡単に仲の良かった貴方を売ったわけです。おかげで貴方の居場所を掴めた我々が、ここに派遣されることになったのですよ?」

「……そ、そんな……!? 嘘だ! さっきお前はこの人達はわらわを差し出すのを拒んだと言ったではないか!!」

「ええ、拒みました。ですが貴方の居場所を教えるだけでいい、居場所のヒントさえくれれば大金を渡そう。そう提案すると、案外簡単にヒントを教えてくれましたよ」

「……信じられぬ……!! わらわを惑わすための嘘だ!」

「嘘だったらいいのですけどねぇ。人間、金が絡むと誰しもが狂ってしまう。ここの連中だって、さほど良い暮らしをしているわけではなかったでしょう? 生活苦からつい出来心だったのじゃありませんか? 貴方だって、ここの連中の貧困っぷりは重々理解しているはずでは?」


 確かに彼らは貧乏だった。その日に食べるパン一つすら苦労して手に入れていた。


「だ、だったら、どうして洗脳なんか……!!」

「見せしめと言う意味もありますね。龍に関わった連中はこうなると、外に知らしめることが出来る。それともう一つ。こうする為です」


 ラクドスはニヤリと汚い笑みを浮かべると、親指を立てて首をなぞった。


「わかりぃましたぁあ」


 指示を受けた男は、少女を刺したナイフを手に取ると、それをそのまま自分の首へ向ける。


「な、何を……!?」

「やりなさい」

「や、やめて……!! やめろおおおお!!」


 少女の制止する声は、男の絶叫によって打ち消されていた。

 鮮血を激しく周囲にまき散らしながら、男は暴れ回り、そして倒れた。

 彼はもう二度と動くことはなかった。


「なんて、なんてことを……!!」


 怒りで体が焼け焦げそうだ。

 ラクドスに対する殺意に、爪は地面に食い込み、目には血が走り涙が止まらない。

 それでも、ナイフに刺された傷で体は動いてくれなかった。


「私は自分の手を汚さず、全てを終えたいのです。彼らは良い見せしめになってくれることでしょう。さあ、次です」

「ラクドス、貴様あああ!!」

「さあ、皆さん、後に続きましょう」

「止めろ、止めて、お願いじゃから……、止めて……」

 

 彼らの自害を、少女はずっと見せつけられ続けた。

 狂気の宴は、この場に残る二人を最後に幕を閉じた。


「あ……、あ……」


 少女の目に、もう光はなかった。

 冷たくなっていく亡骸を、ただひたすら見つめるだけだ。


「これが貴方に関わり、貴方を裏切った人間の末路ですよ。彼らも可哀そうな方々だ。次に生まれる時は龍に関わらない生き方をすべきですな」


 ラクドスは亡骸を踏みながら、少女の前へやってきて、腰を落として視線を合わせてくる。


「さっきの続きです。彼らを洗脳した理由は、こうして死んでもらうこと。私はこの後、彼らの死を全て貴方のせいにして言いふらして回ります。これで貴方は二度と人間に助けてもらえなくなりますねぇ」


 フハハハハッとラクドスは雨降らす天に向かって高笑いした。


「ゆるさない……」


 ぽつりと、少女が呟く。


「許さない? ええ、そうでしょうね。知ってますよ?」


「ゆるさない」


「そりゃ許せないでしょうよ。しかし、どうする気です?」


「ゆるさない」


「私を殺す気ですか? ですがその体で、一体どうやって――!?」


「ゆるさない」


 ラクドスは絶句した。

 あれほど痛めつけた少女だ。立ち上がれるはずもない。

 だが、彼女は確かに、その場に立っている。

 凄まじい形相を浮かべてラクドスを睨みながら。


「ど、どうして立てる!? その怪我で!?」

「どの怪我じゃ……?」

「なに……!?」


 彼女の体を見る。

 服は血で染められていたが、その体にはかすり傷一つない。


「龍は死なない。そちも知っておろう」

「……まさか、回復したというのか!? この短時間で……!?」

「短時間? わらわには無限の時間に感じたぞ。無限に地獄を見続けさせられた」


 少女は腕を横に払った。


「あがっ!?」


 ラクドスは何が起きたかすらわからない。

 ただ自分が強い力によって吹き飛ばされたということだけ、瞬時に理解できていた。


「ま、まずい……!!」


 ようやく自分の目の前にいる存在の力の大きさを理解したラクドスは、指輪に力を込め始めた。


「誰でもいい! 私の盾に」

「もう誰も残ってはいないじゃろう」


 すぐ真下には、もう龍の少女の姿があった。

 指輪をはめた腕を取られ、そのまま指をへし折られる。

 それだけでは足りなかったのか、少女は指をねじ切りもぎ取った。


「ふああああああああああああ!?」

「良き悲鳴じゃ。こうではなくては、楽しめぬ」


 一本一本同じ要領で引き抜いていく。


「ふがああっ!!」

「ほう、まだ意識があるか。なら同じことを返してやろう」


 少女は自分を刺し、村人の首を掻っ切ったナイフを手に取ると、ラクドスの腹目がけて何度も突いた。

 あえて急所を外しながら、何度も何度も。

 もうラクドスに意識はなかった。

 呼吸もヒューヒューと絶え絶えだ。


「まだわらわの怒りは収まらんが、次を最後にしてやる。感謝しろ」


 少女の腕に緑色の光が集まると、周囲の植物がその腕に集まり始めた。

 その腕は、巨大な大木の腕となりて、ラクドスの顔を掴む。


「――死ね」


 パキッと、最後は情けない音だった。

 

 激しさを増す雨は、ラクドスの血も、安らかに洗い流していった。











 ――●○●○●○――










「ミル~~~、どこにいるの~~~? ミルってば~~~」



 森に、少女を探す声がある。


「うむぅ……。村には全然人がいないし……。ここにミルがいるって情報、嘘だったのかなぁ……」


 大きな蓮の葉を傘代わりに、地図を持った蒼い髪の少女が、きょろきょろと辺りを見回していた。


「……生臭い……?」


 雨の音以外聞こえぬほど、静かな森には不釣り合いな生臭い匂い。

 大半は雨に掻き消されていたが、彼女の鼻は人間のそれじゃない。


「こっちからだ!」


 匂いを辿ると、そこには目的の人物がいた。


「ミル! 久しぶり! ボク、ずっと会いたかったんだから!!」


 嬉さのあまり飛びついてしまおうかとも思ったが、どうも様子がおかしい。


「…………これって……!?」


 下を見ると、膨大な数の死体。

 その死体の山の頂上に、少女は立っていた。


「ミル、ここで一体何があったの!? それにミルも血が出てるじゃない!?」

「……フレスか……」

「うん、ボクだよ。ねぇ、ミル、ここで一体何が」

「フレス。わらわはもう、二度と人は信じない」

「……え?」

「二度と信じない。そして復讐する。神々とやらに、そして人間に」

「……ミル……?」


 呆気にとられるフレスを置いて、ミルはその場から去っていった。

 フレスがミルと会ったのは、これが最後であった。


 世界を滅ぼさんと暴れ回ったミルの存在は、後に『狂い荒ぶる大地の龍神』という伝承となりて、後世に伝わっていくことになる。





 ――










挿絵(By みてみん)

Illust:志乃

左がテメレイア、右がミルになります。




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