豪華ホテルのオーナー
図書館都市シルヴァンに降り立ったフレスは、まず大きく深呼吸をした。
「すぅうううう、ふいぃいいいいいい」
「なんとも間抜けな深呼吸だな」
「フレスちゃんがそうする気持ちも理解できるよ。ここの空気は大陸随一においしいからね」
シルヴァンの駅に降り立った三人は、長旅の疲れを癒すため、宿へ向かうことにした。
「ウェイルは宿をとっているのかい?」
「実はまだなんだ。結構急いで出てきたもんだから準備すら適当で」
「変わらないね、君のそういう出たとこ勝負なところ」
「……けなしているな?」
「いやいや、誉めているんだよ。行動力があるってね」
「物は言いようだな」
「実は僕、良い宿を知っているんだ。君もくるかい?」
「いいのか? こっちにはもう一人おまけがついてくるんだが」
「ボクおまけなの!?」
人差し指を自分に向けて驚くフレス。
「大歓迎さ。二人を招待するよ」
「まるで自分の宿のような言い草だな」
「うん。だって本当に僕の宿だからね」
「……なんだと?」
テメレイアの解答に、一瞬間が空く。
「ウェイル、ボク、今なんだか変な事を聞いた気がするんだけど」
「俺もだ」
「別に変な事じゃないさ」
しれっと突っ込みどころ満載なことを言いのけるテメレイア。
表情を窺ってみるも、その整った顔は真面目そのもの。
「僕は色んな都市で宿を持っているからね。経営は人に任せてるけどさ。別荘と違って放っておいても管理や掃除をしてくれるし、お金も稼いでくれるし、いい事尽くめだよ」
テメレイアには非常に素晴らしい商才があったことをウェイルは失念していた。
そういえば以前ともに仕事をしたときも、その若さに似合わない大金を持っていた。
出張中の滞在費も全てテメレイアが出してくれたし、何かとテメレイアはウェイルに気を使ってくれていた。
どうしてテメレイアがここまでウェイルに親切にするのか、ウェイル自信よく分からない。
一度聞いてみたことがあるものの、テメレイアは笑いながら、
「それはね、ウェイルだからだよ」
と、意味の分からない答えを返してくるだけであった。
しばらく歩くと、シルヴァン市内が見えてきた。
シルヴァンが静かな都市というのは本当のことで、商売や競売に勤しむ商人たちの声など皆無。
商売に焦る人たちの姿もなく、道行く人達にも何となく落ち着きがあるように感じる。
「ほら、見えてきたよ。あれが僕の宿だ。なかなかに立派だろう?」
テメレイアが指差した先にあった宿は、ヤンクの宿とは似ても似つかないほど美しい装飾に彩られた、石造りの大きなホテルだった。
「こりゃ凄いな……。外の装飾は大理石か。それに、あの彫刻はもしかしてリンネのレプリカか?」
「さすがウェイル。その通りだよ。僕はリンネが大好きでね。業者に頼んで、無理やり僕の趣味に合うようにあつらえてもらったんだ」
「ここに泊まった後はヤンクさんの宿になんか行けないね……」
「言うな。俺はあの小汚いのが好きなんだから」
もっとも、テメレイアの宿に泊まった後、同じ感想が吐けるかと問われれば頷ける自信はない。
「本当にこんな豪華なホテルがお前のものなのか?」
「まあね。本当かどうかはすぐに判るよ」
テメレイアを疑うつもりは毛頭ないが、さすがにこのレベルになると疑いの一つや二つでてくるというものだ。
テメレイアを先頭にして宿に入ると、そこに待っていたのは想像通りの光景であった。
内装も言わずもがな豪華な装飾で彩られていし、ガラス細工の工芸品が並び、とにかく煌びやかであった。
テメレイアが受付に一言二言呟くと、受付嬢は血相を変えて出ていく。
代わりに出てきたのは、大層体の大きいちょび髭の中年男性だった。
手には葉巻を持ち、来ているスーツもぱっと見ブランド物だ。
「やぁ、テルワナ。久しぶりに泊まりに来たよ」
テメレイアは慣れたように軽く手を挙げると、それに対してテルワナと呼ばれたちょび髭の男は、腰を90度にひん曲げる。
「お久しぶりでございます、オーナー」
「「お久しぶりでございます!!」」
テルワナの後に続くように、他の従業員も挨拶をする。
「うん。みんなも久しぶりだね。少しの間お世話になりたんだけど、部屋は空いているかな?」
「はい、オーナーがいつ来都しても問題のないよう、オーナー専用の部屋を一つ用意しております。もちろん、オーナーの意向通りスイートルームにございます」
「そう。助かるよ。そうだテルワナ。僕の親友を紹介するよ」
話の対象がウェイル達に移ると、従業員たちの目が一斉に二人へ向かう。
「ウェイル、な、なんだかすごいね……」
「テメレイアの商才は知ってはいたが、まさかここまでとはな……」
こそこそ話もそこそこに、テメレイアは二人を従業員たちに紹介し始める。
「こっちが僕と同じプロ鑑定士のウェイル。大親友なんだ。彼が少しでもこのホテルに不満を持ったなら、僕は君らを許さないよ」
テメレイアが今行ったのは、友人の紹介を兼ねた命令である。
従業員たちに緊張が走り、冷や汗をかきながらテルワナが代表してお任せくださいと宣言してくる。
「レイア、俺はそこまでしてもらわなくても……」
「いいのさ。僕はウェイルが嫌な思いをするところを見たくないだけだから」
その台詞に、ウェイルも苦笑しか出てこない。
何せテメレイアは昔からこの調子なのだ。
どうしたことかウェイルのことにとなると、やけに過剰反応する。
親友として気を使われるのは悪い気はしないが、度が過ぎないかと心配することは多々あった。
「そしてこっちが僕と同じ一人称のフレスちゃん。ウェイルの弟子なんだ。彼女のこともよろしくね」
「当然でございます。テメレイア様の親友は我らが主と同義。精一杯奉仕させていただきます」
「うん。期待してる。それと、彼らの宿泊代は全て僕が持つからそのつもりで」
「承知しました」
「おい、ちょっと待て」
さすがに今のは聞き逃せない。たまらずウェイルも口が開く。
「そこまでしてもらうわけにはいかない。元々俺たちはお前の部屋に間借りするだけだったはずだ」
「そうだね。だから何もおかしなことはないよ」
「おかしいだろう。宿泊代をテメレイアだけが持つのは。間借りなんだから、むしろ俺達の方が多めに出さないといけないのに」
ウェイルがそう提案すると、どうしてかテメレイアは悲しそうな顔を浮かべてくる。
「ウェイル。悲しいね。僕は君からお金をもらうことをこれっぽっちも望んでいないというのに」
「しかしなぁ……」
「ここは僕の城だよ。ルールは僕が決める。その僕がウェイルはお金を払わなくてもいいといっているんだ。僕の気持ちを汲んでほしいというのは、もしかして僕の我儘なのかな……?」
こんなことを本気で言ってくるのだからウェイルとしても対処に困る。
「だがなぁ……」
「僕は自分の家に友人を招いた。そう考えてほしい。それに間借りするのは本気だよ。生憎部屋は他に空いていないらしくてね。僕も立場上、一人の夜ってことが多かったし、たまには気兼ねなく親友と会話を楽しみたいのさ。だめかな?」
そんな上目づかいは反則だ。手を前にして願う仕草を取られては言い返すこともできない。
テメレイアは時々男であることを忘れさせる仕草を取る時がある。
最初はそうやってからかってきているのかとも思ったが、それは勘違いであることに気付いたのは出会ってすぐ判った。難儀なことに、これは全て素の行動なのだ。
おかげでテメレイアは多種多様の趣味を持つ連中から狙われているとの噂がある。
「判った。やっぱりテメレイアには勝てない。お世話になる」
「そうこなくてはね。さあ、それじゃ早速出かけようか」
テメレイアはテルワナに一瞥くれると、ホテルの従業員たちはそそくさとウェイルの荷物を預かりにきた。
「滞在用のお荷物はここでお預かりします。テメレイア様の部屋に置いておきますので、安心してください。身軽な格好の方が、図書館へは行きやすいので」
「え? どうして図書館に行くって知ってるの?」
「この都市を訪れる9割以上の方が図書館を利用しに来るわけですから。ましてや鑑定士さんが来る理由などそれしかございません。ささ、急がねば閉館時間になってしまいますよ?」
「そうだね。ウェイル、フレスちゃん。荷物は彼らに任せて図書館に行こうか。君たちにも手続きの時間がいるだろう?」
「そうだな。早いところ手続きを終えておきたい」
そういうわけで、何から何まで至りつくせりといった二人は、荷物を従業員に預けると、早速テメレイアの案内で都市へ繰り出すことになった。