解放されし少女 サラー
はっと頭を上げると、そこには一人の少女が立っていた。
燃えるような深紅な髪と瞳に、思わずその光景が幻想ではないかと自問した。
「お前だな? 私の封印を解いた奴は」
「封印、ですか……?」
全く身に覚えのない、封印という単語。
「そうだ。お前は私の封印を解いたんだろう?」
「な、何の話ですか!? まったく話が見えないのですが」
「だから、お前、私の絵を焼いただろう?」
「絵……?」
絵で脳内を検索する。
すると出てきた、一枚の絵画。
「龍の、絵画……?」
「それだ。その絵には私が封印されていたんだ。その絵に、お前は火を放った。だから封印を解いたのはお前だ」
封印という現象については多少の知識があったが、まさか絵画に封印されている少女がいるとは、夢にも思わなかった。
「封印を解いたお前には、私を養わなければならないという義務がある」
「義務、ですか……。しかし、今の私にはどうにも……」
「お前の事情など知ったことじゃない。これは絶対の義務だ。だから、お前は生きなければならない。私のために」
あまりにも自分勝手な言い分だった。
それでも、今のイレイズには、その自分勝手さがどうにも心地よいと感じていた。
――「生きなければならない。私のために」。
この言葉に、何か救いを感じたのだ。
そう、私は生きなければならない。
民のためにも、そして私自身のためにも。
深紅の少女は、跪く私に手を差し伸べてきた。
「立ち上がれ。私のために」
我侭すぎるが、それがいい。
「ありがとうございます」
その手を、イレイズはしっかりと握り返した。
「私はイレイズと申します」
「イレイズか。分かった。しっかりと私を養え」
イレイズが少女の手を借りて立ち上がった時だった。
城下の方から悲鳴が聞こえる。
そしてイレイズに近づいてくる不愉快な姿。ギリカだった。
「まったく、まだ満足できんな……」
その手に握られていたのは、配下の兵士の生首。
それも一つや二つじゃない。数えると五つも握られている。
「おい、新入り。俺はまだ殺したりなくて不満なんだ。何人か兵士連れてこい」
その首を残らず握りつぶすギリカに対し、イレイズは心の底からどす黒い感情を放出させる。
「貴様だけは絶対に許さない……!!」
胸に忍ばせたナイフを抜き、ギリカへと向ける。
「はっ、その程度のナイフで俺に勝てるとでも思ってんのか!?」
正直な話、勝つ見込みなど皆無だと思っていた。
それでも、目の前で民を侮辱し殺害したこいつを許すわけにはいかなかった。
「なあ、イレイズ。あいつ、腹立つか?」
ナイフを握る手を少女はそっと握ってきた。
「え……?」
「だから、あいつだよ。あのでかい奴」
スラリと伸びた手を上げ、ギリカを指さす。
イレイズは無意識のうちに首を縦に振っていた。
「あのでかい奴は私が対処する。代わりに、おいしいご飯を食べさせろ」
「おい、なんだてめぇ」
幼い少女に指差されたのに腹が立ったのか、ギリカの額に血管が浮かんでいる。
「ガキを殺すってのも、たまにはいいか」
血まみれの腕を振るい、ギリカは体勢を低くした。
やはりギリカの跳躍力は目を見張るものがある。
一瞬のうちに少女の前へ移動し、少女を掴むため手を伸す。
「――遅い」
「――なんだと……!?」
だが、ギリカは何も掴むことは出来なかった。
「イレイズ、どうだ?」
少女は一瞬のうちにギリカの背後に回っていた。
無表情で提案する彼女に、イレイズはなんだか頼もしさを覚え、再び首を縦に振る。
その合図で、少女の表情は一気に冷たくなった。
「――焼き尽くす」
少女の目が真紅に光る。
次の瞬間、彼女の腕に、陽炎が現れ、激しく炎が踊り始めた。
「ほ、炎!? 腕に!? 神器か!?」
「そんなチャチなものと一緒にするなんて、腹立たしい奴だ」
少女は燃え盛る手で、ギリカの肩を掴む。
「うごああああああああああああああっ!!」
肉の焼ける音と共に、ギリカの絶叫がこだまする。
「はなせえええええ!!」
少女から離れようと必死に暴れるものの、少女は軽い身のこなしで攻撃を避ける。当然、その間手を離すことはない。
「イレイズ、こいつ、もういいか?」
ギリカが苦痛で顔を地面に伏した時、少女はそう尋ねてくる。
もういいか。それは当然、命を奪っていいのかという審判。
このギリカという男の命は、今イレイズに握られているということだ。
普段の、それも昨日までのイレイズなら、情けで生かしたかもしれない。
でも、今のイレイズはすでに王ではない。
故郷を捨てた経歴を持つ、非道な贋作士の一員なのだから。
「はい。もう構いません」
「分かった」
少女は炎を一層大きくさせた。
ギリカの体を消し炭にすべく、周囲を陽炎が包むほどの火柱が、天に向かって伸びた。
イレイズはこの時、初めて覚悟をしたのかもしれない。
この部族都市クルパーカーを取り戻すためなら、どんなことでもしてやると。
最後の喘ぎを、イレイズはただ黙って見下した。
「ギ、ギギギ、アガガ……」
「消えろ」
最後の一撃で、ギリカの姿は完全に消えた。
焼死体すら残さない、容赦ない地獄の業火。
文字通り炭となり、風に飛ばされていった。
「終わったな」
少女の言葉に、イレイズは首を縦に振ろうとしたが。
「……いいえ、始まりですよ」
そう、ここから始まるのだ。
故郷を取り戻すための、イレイズの戦いが。
焼け落ちた城を背に、イレイズは歩き出す。
その隣には、たった今出会ったばかりの少女がいた。
「そうそう、名前を訊いていませんでしたね」
「私の名前はサラマンドラ。サラーと呼べ」
「判りました。ではサラー。約束通り、私は貴方を養いましょう。何を食べたいですか?」
「くまのまるやき」
「……それはちょっと無理かもしれないですね」
イレイズはポケットの中をまさぐる。
そこにはルミナステリアから預かったメモがあった。
「さて、ギリカのことを隠ぺいしなければならないですね」
イレイズには才能がある。
その腹黒さは、『不完全』の参謀も舌を巻くほど。
「イレイズ、私はお前のことも、状況もよくは判らない。だがこれだけは覚えておけ」
サラーは一歩前に出て、振り返りざまにこういった。
「これからは私が一緒にいる。私がお前を守ってやる。感謝しろ」
その言葉は、これから大きな責任を負わなければならない私の心にスッと入り込み、なんだかとても頼もしく思えたのでした。
「はい。よろしくお願いしますね」
「うん」
人生で最も絶望を味わった日、人生で最も素敵な出会いがあった日なのでした。
――●○●○●○――
治安局幹部との会合は、新しくできたクルパーカー支部にて行われる。
つまり、二人が会合に参加するためには、必ず外に出なければならないわけで。
「……拷問だ……!!」
「何言ってるんですか。みんなサラーの事、可愛いって言ってくれてますよ」
普段の服装から一変、派手で煌びやかなドレスに身を包んだフレスは、大いに住民の目を集めた。
元々素材は良いサラーだ。
少し着飾れば、誰だってその愛らしさに思わず振り向いてしまうだろう。
「姫様、可愛い!!」
「サラー様!! こっち向いて!!」
黄色い歓声まで飛び交うほど。
もっともサラーにとってはあまり嬉しくのないことだったようだが。
「イレイズ! どうして馬車か何か用意しなかった!?」
「そんな贅沢をする余裕は、全て戦争の復興にあてていますよ。我々には足があるんですから、歩いていきませんと」
「……ちっ……」
顔を真っ赤にしながら歩くサラーは、本当に可愛らしい。
だからこそつい意地悪もしてみたくなる。
「サラー、そのドレス、気に入りましたか?」
照れで返答する余裕のなさそうなサラーだったが、しばらく俯いたのち、かすかにだが首を縦に振ったのだった。
「そうですか。それは本当によかった」
私の顔からも、当分笑顔が消えそうにありません。
――●○●○●○――
クルパーカーもだいぶ平和になり、私にも忙しい日々が戻ってまいりました。
それでも、サラーが隣にいれば、どんな苦難でも乗り切れる気がします。
そういえばウェイルさんには借りをまだ返していませんね。いつか必ずお返しいたしますので、ご期待ください。
最後に一つだけ、有益になりえる情報を。
他都市の情勢はあまり良くないと聞いていますが、最近特にそれが顕著です。
アレクアテナ最西端の都市『ソクソマハーツ』と、すぐ隣にある都市『アルクエティアマイン』の中が冷え込み、一部では一触即発の雰囲気となっているようです。
『アルクエティアマイン』といえば、最近大きな金脈が発見され、話題となりました。
他にも、大陸中で大規模な災害が立て続けに発生しているとか。
それがなんでも神器がらみという噂です。
プロ鑑定士のウェイルさんにこんなことを言うのはおこがましいと思いますが、十分気を付けてください。
それではウェイルさんの活躍、心よりお祈りしております。
ウェイル宛てへの電信を打ち終わったイレイズは、今度こそ電信のボタンを押した後、ギャーギャー喚く愛しい姫の元へ向かったのだった。
短編集2はこれで完結です。
イレイズとサラーの過去エピソードは、どうしても書いてみたかったので私としてもとても楽しく書くことが出来ました。
次章からは第三部になり新展開突入です。
これまでの龍と鑑定士にはいなかった新キャラクターも登場してくるので、ご期待下さい。
第三部 第九章 図書館都市シルヴァン編 『インペリアル手稿と神器暴動』
新展開もよろしくお願いします!