一枚の龍の絵画
「ねぇ、クルパーカーの王子様? そろそろダイヤモンドヘッドを譲っていただきたいのだけれど」
とても不快感を煽る香水を身に着けた、腹立たしい声の主。
「これだけの金額を提示しているのよ? 一般レートを考えても破格でしょ。さっさと売ってしまった方が得策だわ」
彼女の名前はルミナステリア。
贋作士集団『不完全』に所属する、ダイヤモンドヘッドの取引担当の使者だという。
「その話は何度も断っているはずです」
ルミナステリアの訪問は、すでに一度や二度ではありません。
彼女の訪問の度に、私は断りの宣告を下していました。
私の部下達もいい加減いつになればこの連中が諦めるのか、繰り返される催促から解放されるのか、気が気ではなかったようで。
なので、今回は少しきつめに断ることにしたのです。
「もう来ないでいただきたい。こちらはダイヤモンドヘッドを販売する気は一切ないのですから。例えどんなことが起きようとも」
「そんなこと言って。困りますわよ? 私としてはどうしても契約していただけなければ困るのですから」
「貴方の事情には興味ありません。とにかく、一つたりとて売るつもりはないのです。どうか、お引き取りを」
私の強い宣告に、彼女は不気味にニヤリと笑いました。
このとき、体に激しい戦慄が走ったのを今でもよく覚えております。
「そう。なら、もういいわ? こっちもこっちのやり方でやるだけだし。それに今おっしゃいましたわよね? たとえどんなことが起こっても、と。その言葉、期待していますわ」
それはすでに脅迫罪が適用されるレベルの強い返事。
戦慄に刃を突き付けられていた私は、この女を帰してはならないと、とっさに判断したのでしょう。
「この者を拘束しなさい。今の言葉は脅迫罪に相当する。帰すわけにはいかなくなりました」
命令を受けた兵士5人が彼女の周囲を取り囲みます。
それぞれが槍の刃を彼女に向けると、なんと彼女は笑い始めたのです。
「アハハッ!! これは面白い! これはつまり、これ以上の交渉は必要ないってことですね?」
「最初からそれは申し上げたはず。交渉の意思はないと」
「そう。なら仕方ないわね。こんな状況にまでされて、こっちもいい加減下手にでるのは止めましょうか」
ルミナステリアは懐に手を入れました。
これは何かがある。無意識に指示を出していました。
「何か来ます! 気を付けてください!」
私の指示を受け、兵士たちは一旦彼女から距離を置きました。
「……なんてね」
しかし、それはなんとただのブラフだったのです。
「さようなら。後悔することになりますよ?」
彼女の足は速かった。
咄嗟のことに立ち竦む兵士らの間をすり抜け、窓を破って外へと飛び出していったのです。
「早く追いなさい!」
城の兵士を総動員させ、その夜は彼女を探索に費やしました。
結局、ルミナステリアの足取りを掴むことは出来ませんでした。
――●○●○●○――
それから二週間。
あれほどしつこかった『不完全』からの催促もピタリと止み、部下達は安堵していました。
もっともバルバードなどの幹部たちは一抹の不安を拭えずにいたそうです。
その不安は当然私の中にもありました。
「イレイズ様、面白いものを見つけましたぞ?」
「なんですか?」
そんな中、気分の優れない私の元へ、バルバードは一枚の絵画を持ってやってきたのです。
その日、城は年に二度ある大掃除の日。
なんでも部下の一人が倉庫を掃除していた時に、奥の方で埃を被っていたこの絵画を見つけてきたとか。
「見てくださいよ、この絵画。素晴らしい絵ではありませんか。私はこのような力強い絵画が大好きでして」
「ドラゴンの絵画ですか。確かに美しい絵ですね。この描かれた炎なんて、本当に燃えているようで」
「でしょう? 部下が持ってきたとき、正直驚きましたぞ。城にこんな作品が埋もれていたなんて」
「作者は誰なんです?」
「それが判らないのです。作者のサインもありませんし。一度プロ鑑定士に鑑定を依頼してみてはいかがですか?」
「そうですね。私の目から見ても、この絵画は素晴らしいものだと思います。結構いい値がするかもしれませんよ」
偶然見つけたこの絵画に、大の大人が二人して心躍らせていた頃。
クルパーカー南地区最前線では、大変なことが起こっていたのです。
「おい、何者だ、お前達は!?」
「この都市への入都許可はとっているのか!?」
都市の周囲を警護する兵士達は、目の前の異質な連中に激しい声をあげました。
「入都許可、か。別にいらんだろ、こんなところに」
背中まで髪を伸ばした、筋肉の塊のような大男が、兵士たちに詰め寄ります。
「どけ。さもなくば死ぬぞ?」
「ふざけるな! 入都許可がない連中を入れるわけがないだろう!?」
「そうかい。なら死ね」
その兵士は、視界が突如90度曲がったそうです。
大男に、首を軽々と折られたのですから。
「私分も残しておいてよ?」
「そっちは任せる」
「ありがと♪」
他の兵士達は、大男の容赦のなさに怖気づき、一斉に逃げ出したのですが、それも間に合わず。
「これで七人目ぇ!!」
楽しげな声と共に、鮮血が飛び交います。
血の付いたナイフをペロリと舐める、この女はルミナステリアでした。
「ギリカ、私の分、少ないじゃない」
「いいじゃねえか、七人も殺したんだろう? 俺なんて十二人だぞ。全然足りねぇ」
「私よりも多いくせに全く我が儘なんだから」
「どうせこれから腐るほど殺せるんだ。そう僻むなよ」
「それもそうね」
この二人組を含む不審な集団が攻めてきたことを、この時の私はまだ知らなかったのです。