神龍 『フレスベルグ』
――魔獣『ダイダロス』。
その姿は巨大で禍々しく、曲がりくねった角を六本も生やした狼のような姿である。
「ダイダロスか。贋作の成分が腐銀だったから予想はしていたがな。中々厄介だな」
ウェイルは護身用のナイフを取り出し、それをダイダロスに向けた。
「何してるの? ウェイル」
「このナイフは神器なんだ。氷の剣を作り出す短剣型神器『氷龍王の牙』という」
「『氷龍王の牙』だって!?」
「なんだ、知っているのか」
「……知っているも何も……。それはボクが昔……、やっぱりウェイルは……」
「話は後だ。さっさと片付けてシュクリアを助けにいくぞ」
ウェイルが力を込めるとナイフは蒼い光と冷気を放ち、ウェイルの腕と同化するように氷で覆われた。
そしてすぐに氷が割れ、ウェイルの腕からツララのような鋭い剣が出現した。
ダイダロスが勢いよくウェイルに突進してくる。
だがウェイルは避けようとはしなかった。
「――受け止めてやる!」
――ガキィィィィィンッ!!
氷の剣とダイダロスの角がぶつかり合い、激しい衝撃波が部屋中に走る。
突進するダイダロスを受け止めたウェイルに、凄まじい衝撃が襲う。
「流石に上級デーモンともなるとやけに硬いな……」
ウェイルが気合を入れてダイダロスの体勢を崩し、そのまま後ろに流した。
しかし受け流した先には、何故かフレスが立ちすくんでいた。
「……間違いないよ……。『氷龍王の牙』を持っているし、何より"フェルタリア"って……」
「フレス、何をやっているんだ!! 避けろ!」
「……ウェイルが……、本当に……、――――あっ!」
なんとか咄嗟に避けたようだ。だがバランスを失い倒れている。
「何を考えているんだ、フレス! 危ないだろ?」
「あ……ごめん! ……そうだよね、今はこっちに集中だよね!」
フレスは何かを考えていたようだ。気にはなったが、今はダイダロスの方へ意識を集中する。
ダイダロスは勢いのまま壁に突っ込んだが、このまま倒れてくれるとは考えにくい。ウェイルは油断せずに剣を構えなおした。
ダイダロスはやはり立ち上がった。その目は爛々と赤く輝き、口元を動かしていた。
「――ウェイル、胃液が飛んで来るよ!!」
フレスが叫んだのと同時に、ダイダロスは口から胃液を吐き出した!
フレスが教えてくれたので何とか避けることが出来たが、ダイダロスは攻撃の手を緩めない。
息つく暇もなく胃液を吐き続けるダイダロス。ウェイル達をはずした胃液は、音を立てながら当たったものを溶かしていた。
ウェイルも左右へと飛びながら何とかかわしていく。
だがウェイルが攻撃をかわしたとき、ふいにバランスを崩して体が宙に浮いてしまった。
そのタイミングを計って、ダイダロスが突進してくる! 逃げることすら出来ない!
「全く世話の焼ける師匠だよね♪」
と、フレスがウェイルの盾となる形でダイダロスとの間に入ってきた。
「ボクの師匠に傷つける奴は許さないよ!!」
以前デーモンを倒したときのように、手が青白く光りだす。
「――えいっ!!」
フレスは手から巨大な氷の刃を出現し、ダイダロスに打ち放った!
氷の刃はダイダロスに直撃、全身を貫いた。
「――グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!!!!!!」
ダイダロスは今のダメージで断末魔に近い、耳を焼き尽くすような咆哮をあげた。
「油断しちゃだめだよ、ウェイル♪」
「……お前が言うな。それでやったのか?」
「いや、まだ生きてるよ」
フレスの言う通り、ダイダロスにはまだ息があった。
ダイダロスは一撃で倒さない限り、どれほどダメージを与えても脅威的なスピードで回復してしまう。凄まじい生命力をもったデーモンである。
「俺がトドメを刺す!」
体制を整えたウェイルがダイダロスに詰め寄り、氷の剣で喉を掻っ切った。
渾身の一撃であったがダイダロスの動きは止まらない。どす黒い体液を撒き散らしながら、悶えている。
「まだ死なないのか……、流石はダイダロスだ……!」
普通の魔獣なら即死するほどの傷だ。その傷を負っていて尚、ウェイルへ鞭のような尻尾を振り下ろして攻撃を続ける。
ウェイルは渾身の一撃で仕留められなかったことに驚き、一瞬反応が遅れた。
「ちっ……!」
避ける時間は無く、氷の剣で受け止める。
「ぐ……っ!」
凄まじい衝撃がまたも体を走る。なんとか耐えることは出来たが、後の衝撃で腕が痺れた。
甘く見ていた。ダイダロスにこれほどまでに生命力があるとは思わなかった。
ウェイルがもう一度切り付けようとダイダロスに近づいたとき、
「――ウェイル、下がって!!」
フレスの警告が耳を入る。同時にダイダロスの尻尾がウェイルへと振り下ろされた。
氷の剣で受け止めはしたが、今度は腕の痺れの影響で吹き飛ばされてしまった。
「大丈夫!? ウェイル!」
「……ああ、大したことはない!」
「良かった」
フレスが安堵したその時――
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!!!!!!」
ダイダロスの咆哮が部屋中に響きわたった。
――まずい、鼓膜が破裂する。
ウェイルは必死で耳を塞いだ。
その瞬間、地面から白い光が瞬いた。部屋中の至る所からである。
「まさか――」
――白い光。
赤い光の転移術に対して、その白い光は召喚術で召喚を行う際に発生される光だ。
白い光が消えた場所には、下級デーモンが十体以上も召喚されていた。
「下級デーモンを召喚だと!? なるほどな、外で出現したデーモンを召喚したのはこいつか……っ! もはや反則だな……、さすがに厳しいか……」
召喚された下級デーモンは容赦なく、途切れることなく二人に襲い掛かってくる。
今は何とか凌げているが、何しろ数が多すぎる。いつか限界が来るだろう。
「んも~、きりが無いなぁ!!」
フレスは軽々といなしてはいたが、その数の多さにうんざりといった表情だ。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!!!!」
またもダイダロスが吼える。
殺人的な咆哮に耳を塞ぐだけで精一杯だ。
しかしその間にもデーモンは容赦なく襲ってくる。この間はとにかく逃げるしかない。
吼えた後には、やはりというべきか、デーモンが召喚されていた。
本当にきりが無い。このままではいずれやられてしまう。
「ウェイル、ちょっと来て!!」
フレスがウェイルを呼ぶ。何事かと思いつつも、襲ってくるデーモンを避けながらフレスの元へ駆けつけた。
「どうした、フレス」
「さすがにきりが無いよ。こうなったら最後の手段を使おうと思って」
「最後の手段だと?」
「うん、昨日ウェイルに見せたよね。ボクが龍であるっていう証拠」
「ああ、それがどうかしたか?」
「実はあれ、途中なんだ。何しろ本当のボクを引き出すためにはある条件があって」
「何だ? その条件ってのは――」
――こんな状況だ。奴らを倒すためならどんな条件でも呑んでやる。
「あのね……ボクが龍に戻るにはボク自身がかなりの興奮状態にならないといけないんだ」
「興奮状態?」
「うん……だからね……」
そこまで説明するとフレスは急に黙ってしまった。
この間にもデーモンは襲ってきている。なんとか防いでいるがそろそろ限界に近い。
「おい、フレス! どうすればいいんだ?」
「――あのね、ボクとキス、して……?」
フレスは小さな声でそう呟いた。言ってる本人も恥ずかしかったのか耳まで真っ赤になっていた。
(――キスだと!? こんな状況でキス!?)
「な……何言ってるんだよ、フレス! 意味が分からないぞ!」
「言ったでしょ! ボクが本来の力を取り戻すには多少の興奮が必要なんだ! ――もしかして……ウェイルはボクとキスするの、嫌なの……?」
フレスはさらに顔を赤面させ、上目遣いでこう言った。
(……上目遣いは反則だ)
確かにキスというのは互いの感情を奮わせる行為であろう。
だがこんなことでキスしても良いものか? それでフレスは傷つかないか。
確かにフレスは龍である。人の常識は考慮外かも知れない。
だが、見た目だけで言えば、フレスは年頃の少女なのだ。
キスして良い理由などどこにも見当たらない。ウェイルの葛藤は冷め止まない。
「――ウェイル、お願いだよ……」
今はフレスの言うことを信じるしかない! そう自分に言い聞かせた。
「……わかった。やるならすぐやるぞ!!」
デーモンは、このやり取りの中でも襲い掛かってきていた。
何とか凌いではいたものの、数が数である。ウェイルはもはや限界だと悟った。
ダイダロスが二人に向かって胃液を吐き出だそうとしたその時、ウェイルは腹を括った。
「覚悟しろよ、フレス!」
「うん!」
――二人は唇を重ねた。
――お互いの歯がぶつかる。激しく、下手糞なキスだった。
その瞬間、ウェイルはフレスと力の流れを共有しているような感覚に陥った。
不思議と違和感がなく、むしろ心地良いとさえ感じる。
フレスとは昨日出会った。
だがずっと昔に出会っていたような、そんな気がする。
――懐かしい。
この感情を例えるに相応しい言葉は、これしかないとウェイルは結論つけた。
フレスが蒼白く輝いている。
この光だった。初めてフレスを美しいと思った光は。
昨日、彼女に見せてもらった、彼女が龍たる証の光。
小さな体から、三対六枚の大きな翼が現れる。
光を纏うその姿はまるで天使のように神々しい。
眩い光が辺りを照らし、フレスはその光に包まれていく。
完全にフレスが光に包まれた時、そこからフレスの気配が消えた。
すると次の瞬間、想像を絶するほどの巨大な気配がこの場を支配した。
だがそれは恐怖を感じるような気配ではない。
フレスに触れているような、そんな暖かみのあるオーラだった。
光が弾け、気配の主が現れた。
しかし、ウェイルの目の前にいたのは、いつものフレスの姿ではない。
――フレスが封印されていた絵画、それに描かれていた龍そのものがいたのだ。
透き通る蒼い目、氷のような牙。
ダイヤモンドで出来ているのかと見間違えるほどの美しい大きな翼、ふかふかな毛並み。
そして翼の後ろには――それはまるで天使の光輪のような――大きな青白い光のリングを纏っていた。
「……フレス、これがお前の真の姿か――」
『――ウェイル。これが我の真の姿、水を司る神龍『フレスベルグ』だ。我の姿に畏怖したか?』
青き龍は凄みを込めてそう言った。だがウェイルは動じない。動じる理由がなかった。
「龍になってもフレスはフレスだ。怖い訳がないだろ?」
『この世界を滅ぼすかも知れんぞ?』
「俺の弟子がそんなことするものか」
弟子、という言葉を聞いて、フレスベルグが少し間を置いた。
『――そうだな。我は鑑定士になったのだったな』
「まだ弟子だがな!」
フレスベルグは大きな口で笑っていた。
『さて、こいつらを一掃してくれよう。ウェイル、少し下がっておけ』
フレスの体が青白い光で包まれる。光が強すぎて、ウェイルは思わず瞼を閉じた。
周囲の温度がだんだんと下がっていくのを感じる。
ダイダロスは龍になったフレスに恐れることなく突進してきた。
『ダイダロスよ。全く愚図な魔獣だ。神獣の中でも最強と謳われた、我ら龍族に逆らおうというのだからな』
ダイダロスがフレスベルグに向けて、口から胃液を吐き出した。
――その瞬間だった。
『――無に帰れ!!』
フレスベルグの声がこだまする。
翼の後ろに纏った光のリングから青白い光が、ダイダロスに向けて放たれた。
――それは一瞬だった。一瞬でフレスの前にいた全てのデーモンが消滅していた。
「――なっ……」
『終ったぞ。ウェイル』
「……なんだ今のは……」
『今のか? 奴らの周りの空気だけ"原子が存在できないほど冷却"したのだ。原子が存在出来ないのだから奴らも存在出来ない道理だ」
つまり絶対零度より低い温度の空間を、一瞬だけ作り出したということだ。改めて龍の強さと恐ろしさを実感した。
開いた口が閉まらない、そんな表現がふさわしいほど驚き、そして畏怖した。
『おい、ウェイル。終ったと言っておろうが』
「あ、ああ、終ったな」
言葉を返すのが精一杯だった。
だがウェイルはプロの鑑定士だ。すぐさま次に何をすべきかを考えていた。
「いや、まだ終わっていない。シュクリアを助け、バルハーを捕まえるまでが鑑定士としての仕事だ」
この都市に現われていたデーモンの駆除は完了した。
後はシュクリアを救出し、バルハーを捕らえ『不完全』について知っていることを吐かせるだけだ。
『そうだな。では鑑定士の仕事をしよう。この姿では動きづらい。元に戻るぞ』
フレスベルグの体が再び光に包まれる。
その光が消えたとき、フレスは元の人の姿に戻っていた。
「やっぱりこっちの姿のほうが楽だね♪ この姿じゃないとウェイルに抱きつけないし♪」
「お前、本当にあの龍なのか?」
――フレスは龍。それは分かっていたつもりだった。
しかし実物は想像を遥かに超えていた。あの龍がフレスだなんて信じられない。
「もちろんボクだってば。……もしかしてウェイル、やっぱりボクが怖かったの……? そうだよね、ボク、龍だもん……」
フレスがシュンと俯く。自分の事を怖いと思われるのは誰だって怖い。
怖くなかったといえば嘘になる。
しかし同時にフレスが隣にいるという安心感があった。
やっぱりフレスはフレス、俺の弟子だ。
だからこそ、こう答えてやった。
「怖かったわけないだろ? ――俺とフレスの仲じゃないか」
この言葉で俯いていたフレスに笑顔が戻った。
こんなに良い笑顔をする弟子は世界中探しても俺の弟子以外いない。
「何言ってんの、ウェイル。ボク達、出会ってまだ二日目だよ♪」
フレスはお約束のツッコミを入れ、ウェイルの腕に抱きついた。
腕に抱きつかれたウェイルは振り払うことなく――
「全部終ったら何か食べるか?」
「熊の丸焼きね♪」
「それは勘弁してくれ!」
――などと、とても戦闘後とは思えない平和な会話を楽しんでいた。