後10日
芸術大陸――『アレクアテナ』。
そこに住まう人々は、芸術や美術を嗜好品として楽しみ、豊かな文化を築いてきた。
そしてそれら芸術品を鑑定する専門家をプロ鑑定士という。
彼らの付ける鑑定結果は市場を形成、流通させるのに非常に重要な役割を果たしている。
アレクアテナにおいてプロ鑑定士とは必要不可欠な存在なのである。
――そのプロ鑑定士の一人、ウェイル・フェルタリアは、相棒である龍の少女フレスベルグと共に、大陸中を旅していた。
贋作士集団『不完全』と部族都市クルパーカーの大戦争は、大陸全土に知られることになり、各都市は犯罪組織に対する認識を大きく改めることになった。
治安局はこれまで以上に監視、規制の強化を行い、贋作絡みの犯罪はさらに影をひそめることとなった。
アレクアテナ大陸に、束の間の平和が訪れていた。
――●○●○●○――
「うわああああああっ!! 間に合わないよーーーーー!!」
目の下に、それはそれは綺麗なくまを作ったフレスが、絶叫していた。
「ううう……、どうしてこんなに貨幣には種類があるの……?」
「色んな都市が好き勝手に貨幣を造っていた時代があってな。いつの時代も貨幣は力の象徴だ。他都市に負けないよう、造幣ブームみたいなことがあったんだよ」
「それにしたって! ありすぎだよ!!」
為替都市ハンダウクルクスの事件から早二週間。
ウェイル達は本拠地である競売都市マリアステルのプロ鑑定士協会本部自室へと戻り、フレスが受けるプロ鑑定士試験の対策の為、猛勉強する日々を送っていた。
芸術品や美術品に関しては、これまで共に旅をした経験の中から、数多くの知識をフレスは得ていた。
ラルガポットや永久時計。希少な硬貨にセルクの絵画まで。
クオリティの高い芸術品を身近にしていたため、フレスの目は大いに肥えていると言っても過言ではない。
ウェイルの知識を与え、豊富な経験を積み、さらに龍としての目力まであるフレスは、そこそこの鑑定士と通用する潜在能力は秘めている。
だがしかし、フレスにはどうしても欠如しているものがある。
「うわああああん!! カラドナっていくらあればハクロアに替えれるか判らないよーーー!!」
それは人間の常識に関する知識である。
龍であるフレスに、人間の常識は通用しない。
それは身体的な問題もそうだが、今回の場合、社会的な部分で大いに苦労している。
共に旅をしてきた中で、フレスは「為替」、もっと原始的な言い方をすれば「お金」を用いることはほとんどなかった。
人間為替市場での事件の時も、フレスが直接お金に関わったことはない。
銭勘定をする経験が乏しく、お金にどうして価値があるかも、いまいちよく判っていないのだ。
端的に言えば、フレスは目の前に並べられている紙幣や硬貨に、価値を見出すことが出来ないのである。
「ええっと、これが32リュオウ硬貨で、これを100ハクロア硬貨と交換するには……えーっと、70枚要るの!?」
「違う。正確には71枚と16分の7。これが今日の相場だな」
「うむむむ……。どうしてこんなに細かいのだろうか……」
「それが為替ってもんだ。覚えないと仕方がない」
「…………よし、次の問題!」
二週間の間、こうしてフレスはウェイルに色々と勉強を見てもらっていた。
珍しく勉強熱心なフレスに、ウェイルも全力で答えてやっていた。
プロ鑑定士試験当日まで、後10日に迫った頃。
「フレス、プロ鑑定士試験の受験票が届いたぞ」
部屋に閉じこもりっぱなしのフレスの為に、ウェイルはフレス宛てに届いていた受験票を渡してやる。
「……うん……。ありがと」
「フレス、頑張るのは良いんだが、少しは寝た方がいい」
「うみゅ……。このページを読み終わったら寝るよ」
最近のフレスは、徹夜を続けていた。
重たくなった瞼を擦りながらも、本に没頭するその姿に、ウェイルは心配してしまう。
しかし、それと同時に懐かしさも感じていた。
揺れる蝋燭の火の影に映る、フレスの小さな後ろ姿は、なんだか微笑ましい。
そして自分もああやって勉強したことがあったなと、つい相好を崩してしまうのだ。
揺れる影の動きが止まる。
耳を澄ますと寝息が聞こえてきた。
「……頑張りすぎだ」
ウェイルはベッドから布団を持ってくると、フレスに被せてやったのだった。
「さて、俺も自分の仕事をしますかね」
蝋燭の火を消すと、ウェイルは静かに部屋を出る。
そうしてウェイルが向かったのは、様々な測量計器の置いてある部屋。
「カラーコインの鑑定を続けますか」
分厚い手袋をつけて、鑑定を開始した。
本章は従来の都市の話ではなく、プロ鑑定士試験の話です。
若干長いお話となりますが、お付き合いいただければ幸いです。