またいつか
――三日後。
ハンダウクルクスの都市は混乱の極みにあった。
治安局、そしてプロ鑑定士協会がハンダウクルクスに一気に押し寄せ、人間為替市場を瞬く間に制圧していたからだ。
ウェイル達はルクセンクを気絶させた後、しばらくの間彼の屋敷に軟禁していた。
恐怖に支配されていた執事達も、ウェイルの指示に従い、ルクセンク軟禁に協力を申し出てくれた。
一部執事達の中には、怒りを隠しきれない者達もいたが、ルクセンクの考えや体験をウェイルが語ると、皆なにやら納得した表情を浮かべていた。
長年彼に付き添った老執事は言っていた。
『ルクセンク様は常に寂しさを感じていたのではないか、と』
ルクセンクは意識を取り戻し、軟禁されている事実を知ると、何故かその顔には憎しみと言った負の感情は全く見られず、どこかホッとした表情を浮かべていた。。
駅に集中していた人々だが、ウェイルがルクセンクの館を占拠してすぐゼーベッグ達が破壊行動を止めたので、各々自宅へと戻り、元の生活を再開させていた。
そこでウェイル達の仕掛けたもう一つの作戦が発動する。
駅に集中していた人々に、ピリアがとある噂を流していたのだ。
『ルクセンクが死んだ、と』
都市に住まう者でピリアのことを知らない者は少ない。
見せしめとばかりに奴隷になったピリアのことを、皆口には出さずとも同情はしていたのだ。
そんなピリアがルクセンクが死んだと叫んだのだ。人々は何の抵抗もなく話を鵜呑みにした。
このことはすぐに都市で噂となり、帰宅した人々は皆、近所に噂を話して回った。
次の日のこと、つまりは今から二日前のことだが、人間為替市場は、稀に見る大混乱が発生した。
何せこの都市ではすでにルクセンクは死んだものとして話が広がっていた。
死んだ人間に価値は付かない。
したがってあれほどまでに高騰を続けていたルクセンクの株価は、一気に地の底へと落ちてしまったのである。
人間為替市場が阿鼻叫喚に包まれる中、『無価値の団』の幹部三人は、腹を抱えて大笑いしてた。
「あーっはっはははは!! ほんと、あの鑑定士の作戦通りに事が運んでさ! 面白いったらありゃしないよ!」
「これはこれは笑えますねぇ! ……それにしても、私達、これからどういたします?」
「そうさな……。ルイには悪いが、ここいらで『無価値の団』解散としようや。俺らは都市で暴れ回ったところを住民に見られている。このままでは捕まってしまうからな」
「それはいいですねぇ! 私、物資調達の関係で、色んな都市へパイプがありまして! せっかくですので、皆さん、一緒に来ませんか?」
「むさくるしい男と行くなんてまっぴらさ……と言いたいけどね。この状況なら仕方ないね」
「よし、ファイラー、そうと決まったらさっさと行こうぜ」
『無価値の団』のゼーベッグ、ペルチャ、ファイラー。
この三人は、無駄に意気揚々と、この都市から姿を消したのだった。
――●○●○●○――
空前絶後の大暴落を味わった市場に、もはや誰も人間為替に興味が無くなっていた。
この制度自体を作ったルクセンクが死んだのだ。制度の崩壊を主張する人間も出ている。
そんなところへ来たのが治安局とプロ鑑定士協会。まさに止めを刺しに来たわけだ。
元々力を失っていた市場である。制圧には何の苦労もなかった。
人間為替市場はこの日、ついに完全崩壊を為した。
地下から脱出してきた警備隊連中も、何故かいる治安局の姿に驚き、なす術なく拘束された。
尋問には素直に応じ、これまでハンダウクルクスで何が行われてきたかなど、機密情報含め何もかも治安局にあっさりと自供した。
彼らの自供により明らかになった違法な制度の数々を受けて、これらがまたも再発しないようにと治安局はハンダウクルクスに支部を置くことを決定した。
もはやルクセンクのことを気にかける者はどこにもいない。
なにせ無価値の人間に成り果てたのだから。
ウェイルの目的は、ルクセンクを軟禁することで、ピリアが吹聴してまわった噂を、より真実に近づけることである。
その目論見も上手くいき、死亡説が流布する中、治安局はルクセンクの身柄の捜索を開始した。
「おらー! 絶対に私達がルクセンクを見つけるんじゃーーー!! 全ては私の出世のため!!」
毎度お馴染みステイリィもこの都市へ乗り込んでいて、今まさにルクセンク宅へと突撃を開始しようとしていた時だった。
「おい、ステイリィ。こいつがルクセンクだ」
心身共にかつての面影もなくなり、項垂れていたルクセンクを連れ、ウェイルが館から姿を現す。
「おっ! 気が利くねぇ! これで更なる出世も間違いなし…………って、ウェイルさん!?」
呆然と口を開いて驚くステイリィの顔は何とも間抜けで面白かった。
「ルクセンクって……。またウェイルさんがこの事件に絡んでいたんですか?」
「まあそういうことになるな」
「……事件に巻き込まれ過ぎてはいませんか? 何かに憑りつかれてますよ、絶対。例えば不細工な弟子とかに」
「全部聞こえてるよ!! 失礼な!!」
もはや見慣れたステイリィとフレスのいがみ合いに、思わす笑いが込み上げてくるも必死に堪える。
「ステイリィ。今回の事件を告発した奴はどうなった?」
この事件を外へ告発したのはルイである。
彼はその後どうなったのか。このことだけが気がかりだった。
「彼ですか? 彼は貴重な告発者ですので、治安局が全力を挙げて警護していますよ。何でも彼自身も人間為替制度の被害者なそうで。調書を取り次第、再びこの都市で暮らせるように手配すると思います」
「……そうか」
それを聞いて胸を撫で下ろす。
「ウェイル、ルイさん、ピリアさんと一緒に暮らせるの?」
「そういうことになるな」
「そっかぁ! よかったね!」
「……そうだな」
「それではウェイルさん! 私はこれにて退散いたします! ……うっしゃあ! 何も苦労もなく手柄をゲット!! お前ら! 喜べ!」
「「「上官! おめでとうございます!!」」」
賑やかにもルクセンクを連行する治安局員に、思わずウェイルは大丈夫かと頭を抱える。
彼らが連行していくルクセンクの後姿だけが酷く印象的だった。
「……ルクセンクも、昔は人を信じることが出来たんだろうな……」
ぼそりと呟くウェイルに、フレスはそっと手を握ったのだった。
――●○●○●○――
ルクセンクをステイリィに預けた二人は、改めてハンダウクルクスの都市を見回っていく。
あちこちで飛び交う、奴隷達の歓声や、破産を嘆く声。
人間為替市場崩壊がこの都市に与えた影響を、崩壊させた張本人として肌で感じたかったのだ。
破産によって泣き叫ぶ声はやはり胸に刺さる。
それでもウェイルは耐えなければならない。それこそが背負う覚悟だと自分自身を戒めた。
全身が責任の重責に苦しむ中、ただ一か所暖かい所があった。
フレスの握る手だけは、やけに暖かかったのだ。
二人は当分無言で、ただひたすら都市を見回って回った。
しばらくの後、二人は戦友である『無価値の団』のメンバーを探した。
構成員の何人かと再会し、互いの無事を確認し合うことが出来たが、『無価値の団』幹部三人の姿だけは見つけることは出来なかった。
「あいつ等、やっぱり逃げたようだな」
「たっくさん暴れていたもんね♪」
ルクセンクの館の窓から、彼らの暴走を見ていた二人は、クスリと互いに笑いあう。
例え作戦とはいえ、あまりにも暴れすぎだ。
間違いなく顔を見られているだろうし、もしかしたら明日にでも手配書が出回るかもしれない。
そそくさと逃げたと見て間違いないだろう。
「あの三人、また会えるかな?」
「……出来ればあまり会いたくはないけどな」
「うう……確かに……」
そして二人は最後に人間為替市場へと訪れていた。
会場の周囲は治安局員が取り囲み、内部にはプロ鑑定士協会が調査の為入っていた。
警備する治安局員の一人に声を掛ける。
「プロ鑑定士のウェイルだ。この事件の関係者として、色々と話がある」
すぐさま中に通され、調査中のプロ鑑定士協会に事件のの真相を全て伝える。
その情報はすぐさまサグマールのところへ向かうことだろう。聞けば彼がこの制圧を指揮したそうだ。
また協会側の話によると、この人間為替市場はこれから普通の為替市場として経営をプロ鑑定士協会主導で行っていくことが決定したとのこと。
一通りの報告を終えると、ウェイルとフレスは、例の掲示板がたくさん置いてある会場へと再び足を踏み入れた。。
荒れ果てた掲示板。
怒り狂った人々が破ったと思わしき、ルクセンクの相場チャートグラフ。
破られていくつかの破片になったそれを集め見てみる。
そこには、『無価値の団』の作戦開始以降の、ルクセンクの相場推移が描かれていた。
「こりゃ、面白い推移の仕方だな」
「急降下だね♪」
実際の株式ではないためストップ安などもなく、ただ地の底へ向かって一直線のチャートに、思わず笑ってしまう。
そして二人は自分達の値段を見た。
「やっぱりゼロだね」
「……だな」
二人は互いに株を全て所有しあった。この都市では互いは互いの所有物であったわけだ。
したがって価値は付かない。
しかし、二人はもう互いに縛られる関係ではなくなった。
「……これでお前との婚約も破棄されたわけだ」
人間為替市場が崩壊したということは、互いの価値を持ち合うといった行動も全て無に帰したわけだ。
「…………そうだね……」
そう呟くフレスはどこか寂しげだった。
そんなフレスの頭を、無言でウェイルは撫でてやる。
「……まあ、またいつか、な……」
ポツリと呟いた一言。
「え? 何? 何か言ったの?」
「いや、なんでもないさ」
ウェイルはフレスから顔を背けて、一人でズンズン外へ向かって歩き出した。
「ちょっと、ウェイルってば!」
「何も言ってない!」
ウェイルの顔は真っ赤に染まっていて、それを見られるのだけは師匠としてプライドが許さなかった。
「ウェイル~~~!! 待ってよ~~~~~!!」
「ええい! くっついてくるな!」
甲斐甲斐しくついてくるフレスを背に走りだすウェイル。
フレスはそれを笑顔で追いかけた。
(…………ボクも、またいつか、ね……♪)
ウェイルはフレスが地獄耳だということを、この時失念していた。