悪魔の正体 ※
悲鳴が上がったのは、宿を出てすぐの路地だった。
明らかに人の姿ではない、異形で醜悪な魔獣が、男女二人の前に立っていた。
頭には曲がりくねった角を生やし、剣のような爪を持つ禍々しいその姿に、目の前の男女は震えて動けなくなっている。
魔獣に分類される代表的な種族"デーモン"で間違いないだろう。
体の大きさからおそらくは下級クラスだ。
襲われている彼らの傍らには、人間一人分の死体が散らばっていた。
見ると食いちぎられたのか、上半身が無くなっている。
ウェイルは助けられなかったことに小さく舌打ちをし、ナイフを抜くためにベルトへ手を掛けた。
――しかし、そこにナイフはおろかベルトすらない。
「ナイフがない……!?」
そこでウェイルは、先程のフレスとのやりとりを思い出す。
就寝前ということで、ベルトは外していた。
部屋の机の上に置きっぱなしにしてきた。
「クソ、ドジ踏んだか……!」
反省するのは後だ。
ウェイルはすぐさま思考を切り替え、生き残った二人を逃がす方法を考える。
「おい、早く逃げろ!!」
腰が抜けて立てない二人に叫んでも意味がないのは判っていたが、少しでもデーモンの気を引くためウェイルは声を張った。
ダメージには全く期待を持てないが、近くで拾った小石をデーモンに投げつけてやる。
敵のターゲットがこちらになればそれでいい。
その狙いは見事に成功したようだ。
小石をぶつけられたデーモンは鋭い眼光をウェイルへ向け、激しい咆哮を上げた。
どうやら無事こちらに標的を定めてくれたらしい。
彼らの逃げる時間を稼ぐため、ウェイルは一目散に駆け出す。
「こっちだ、かかってこい!」
武器の無い今、ウェイルに勝ち目はない。
デーモンは、その巨体には似合わないほど機敏な動きでウェイルを追いかけてくる。
追いつかれるのも時間の問題だ。
逃げる途中、ウェイルはまたやってしまったと心の中で後悔していた。
ウェイルはしばしば師匠や友人からこう言われることがある。
『お前の無駄な正義感は、いずれ自分を滅ぼすぞ』と。
今だって、本当に命が惜しいのであれば、悲鳴が聞こえたところで助けになど行きはしない。被害に遭うのが自分でなくて良かったと安堵し隠れるはずだ。
ウェイルはこういう自分の無駄な正義感が、あまり好きではなかった。
忠告通り、こうしていつも自らを窮地に追い込んでしまうからだ。
それでも体が勝手に動いてしまうのだから仕方ない。もうそういう性分だと諦めている。
「……今回は本当にやばそうだけどな……!!」
デーモンの爪の一閃を辛うじて避ける。
命中した木箱は爪の一撃によって粉微塵となった。
爪の斬撃は増す一方。止まることを知らない。
ウェイルの体を切り裂こうと、容赦もなく振り降ろしてくる。
逃げ始めた当初こそ、爪の間合いを見切り、寸前のところで避けていたウェイルだが、しばらく避け続ける内、体が一気に重くなった。
(クッ…、さっきステイリィに首を絞めらた時のダメージが……!!)
そのダメージはウェイルの足にとって重い枷となる。
じりじりと距離を詰められ、ついに壁まで追い込まれた。
「……クソ……!!」
死は目前だ。それでも死を受け入れる覚悟なんてあるわけない。
どうにか逃げようと道を模索する。
「グガワガアアアアガガガッ!!」
デーモンの咆哮に心臓が握られる感覚に陥る。
人間の神経を焼け焦がすような、戦慄の叫びがウェイルの体を貫いた。
(こんなところで死ぬわけにもいかないのだが……!!)
こうなった原因を作り出した奴の顔が脳裏に現れる。
二ヤつくステイリィの顔を思い浮かべながら死ぬのだけは御免被りたい。
追い込まれたウェイルに、デーモンは容赦なく襲い掛かる。
「――おりゃぁぁぁぁぁ!!」
突如轟いたその声と共に、ウェイルの目の前からデーモンの姿が消え去った。
デーモンが元いた場所には巨大なハンマーが地を割らんと振り降ろされていたからだ。
「躱されたか……!!」
巨大なハンマーを担ぎ直したのはヤンクだった。
「ち、逃げ足の速い奴だ! おい、ウェイル、無事か?」
「……あぁ、助かった。礼を言う……」
「ほら、さっさと立て。結構お疲れみたいだからな、お前はもう休んでろ」
「そうも行かないだろ。俺はプロ鑑定士なんだ。神器絡みの事件には介入しないとな」
「そうかい。ならば共に奴をブッ飛ばしてやろう」
ヤンクはハンマーを背負ってデーモンを追い掛ける。
ハンマーを振り回すその姿はまさに悪魔。
しかし本物の悪魔の素早い動きに翻弄されてか、次第にヤンクも息を切らし始めた。
「ちょこまかと……!! 大人しく潰されろってんだ……」
ハンマーを杖のように降ろし、一度息を整える。
その時こそ一瞬の隙。
これを好機と見たデーモンは、ここぞとばかりにヤンクへと襲い掛かった。
「ヤンク!!」
なんとか立ち上がったウェイルが、ヤンクへ襲い掛かるデーモンに体当たりを仕掛けた。
ふらふらの状態ではあったが、結果見事にヒット。
デーモンの移動する軌道をずらしてヤンクから逸らすことは出来のだが、体当たりの勢いで思いっきり地面に体をぶつけてしまった。
「――しまった……!」
ウェイルは逃げようとして起きようととするが、背中を強く打ってしまった様で、少しの間体が動かない。
動けないウェイルは逃げることすらままならない状況に陥った。
勝機とばかりに一歩一歩じりじりと近づいてくるデーモン。
「あらら、師匠ったらやられちゃってるよ」
血なまぐさい夜の都市に、のんきな声がこだまする。
「ふ、フレス……?」
「うん。ウェイル、大丈夫?」
声の主はフレスだった。
ウェイルを庇うかのように、フレスがデーモンの前に立ち塞がった。
「フ、フレス! 何やっているんだ!! 逃げろ!!」
「だからさ、ボクなら大丈夫なんだって。まあ見ててよ」
フレスはそう言って、デーモンに向かって手のひらを向けた。
気のせいか、フレスの手が光ったように見える。
「なんだ、ただの下級デーモンじゃない。それじゃあコレくらいでいいかな?」
フレスの手に何かが光る。
その光はひんやりと、周囲の温度を低くした。
「ウェイル、今助けるからね!」
フレスが囁いた瞬間だった。
強烈な光と冷気が放たれると同時に、何かが突き刺さるような生々しい音が轟いた。
それは一瞬の出来事だった。
そしてそこで見た光景は、にわかには信じ難い光景であった。
――デーモンから、大きな赤いツララが飛び出していたのである。
デーモンは叫び声を上げることも出来ずに息絶えていた。
「ただの下級デーモンだよ。人間はこんな奴にも勝てないの?」
フレスは笑顔のままウェイルに手を差し伸べた。小さな手を掴み、ゆっくりと立ち上がる。
「ウェイル、無事?」
「……ああ、無事だよ。そんなことよりフレス、一体今何をしたんだ? 神器でも持っているのか……?」
明らかに普通じゃない死に方をしているデーモンを見ながら、ウェイルは尋ねた。
「神器なんて持っていないよ? ボクの力であいつの体内の血液を氷結させたんだよ。そしたら血液がツララになって体内を切り刻み、突き破ったってこと。ほら、ボクって水を司る龍でしょ? これくらい朝飯前なんだよ」
さらっと、恐ろしいことを口にしたフレス。フレスは龍なのだという実感を、心の底から得たウェイルであった。
「おい、お互い命を助けられたな。ありがとよ、お嬢ちゃん」
ハンマーを杖代わりにしてヤンクが歩いてくる。
ヤンクは事の一部始終を見ていたはずだが、フレスのことについては何も言及してこなかった。
『客の詮索はしない』がモットーだからだ。もちろん女性関係の話以外ではあるが。
「ステイリィは?」
「あいつなら治安局へ通報しにいったぞ」
「そうか」
ウェイルはそのまましばし呆然としていたが、ある程度体が回復したところでラルガポットの噂を思い出し、襲われた二人に事情を聞くことにした。
「お前達はラルガポットを持っているのか?」
「持ってないですよ。買えるわけないじゃないですか! あんな高価なもの!!」
確かに今ラルガポットはかなり高騰している。一般市民が簡単に手を出せるほど安価ではない。
「どういう風に襲われたんだ?」
「どういう風に、って。本当に急に襲われたんですよ!! 赤い光の中から奴が急に飛び出してきて!!」
(赤い光から出てきた?)
赤い光。その言葉にウェイルは心当たりがある。
「……そうか、その手があったか……」
発想の転換だ。というか今まで気が付かなかった方がどうかしていた。
「ねぇ、ウェイル。ラルガポットって何?」
「知らないのか?」
「それって結構最近の神器でしょ? ボクが詳しいのはもっと昔の神器だから」
「そうか、そういえばラルガポットは人工神器だったな。お前が知らないのも無理はないか」
考えてもみればフレスには悪魔の噂事件について、何の事情も話していなかった。
フレスもすでに事件の当事者なわけだし、何より弟子である。事件解決に一役買ってもらわねばならない。
現代のことに疎いフレスに、ラルガポットおよび人工神器について説明してやる。
「ラルガポットというのは、ラルガ教会が製造している真銀で出来た神器だ。持っていると魔除けになるとされている」
「本当にそんな力があるの?」
「一応あるようだぞ。これでもラルガポットは人工神器だからな」
「人工神器? 人間も神器を作れるんだ」
「旧時代の神器に比べたらおもちゃみたいなものだ。ラルガポットだってそれほど強い力はない。精々呪いや悪霊を払う程度だろう」
「へぇ、人間はそんなものが欲しいの?」
「色々とあってな」
徐々に事件の全貌が見えて来た。魔獣を召喚して得をする連中。
そいつらは、召喚術自体は行えない。容疑者は限られる。
この『奴隷首輪』を使い効率的に悪魔の噂を流すのであれば、必ずもう一つ、とある神器が必要になってくる。
そしてその神器は、とある組織が頻繁に使用している。
「しかしまさかな……」
ウェイルにはとても信じられなかった、正しく言えば信じたくはなかった。
しかし状況が状況だけに、その疑念はもはや確信へと変わっていた。
「何か気がついたの?」
「ああ、お前のおかげだ。フレス」
ウェイルはフレスの頭の上に手を置き褒めた。
頭の上に?マークを浮かべているフレスだったが、次第にくすぐったくなったのか、
「むぅ、ボクを子供扱いするのは止めてよ! これでもウェイルより年上なんだから」
と、頬を染めながら手を払ってきた。
「あの死骸、どうするの?」
「治安局が秘密裏に回収するだろう。住民に動揺を誘うのは、現時点では得策ではないからな。だが回収される前に確かめたいことがある」
ウェイルはデーモンの死体をくまなく調べ、そして発見した。
「――あった。これだ」
ウェイルが手に持っていたのは、デーモンが付けていた首輪だった。
「フレス、これ知ってるか?」
「ちょっと見せて」
フレスはウェイルから首輪を受け取るとしげしげと見定め始める。
「これなら見たことがあるよ。神獣や魔獣を無理やり制御する神器だね。確か『従属首輪』だったかな。奴隷商の人間達がよく用いていた奴だよ。嫌な神器だよ」
もしこのデーモンが召喚した者に使役されているのであれば、こんな神器は必要ない。
何故なら召喚という行為は、召喚対象と召喚者の間に絶対的な上下関係を成り立たせるもの。
召喚獣は召喚者に絶対服従なのである。
では何故、このデーモンにはこんな神器がついていたのか。
簡単なことだ。これを用いるということは、誰かが召喚したデーモンを、これまた別の誰かが使役していたということ。
つまり、このデーモンをこの都市に放した犯人は、デーモンを召喚することが出来ない立場の者ということになる。
そして証言者の口から出た「赤い光」。
これは『転移系の神器』特有の発光現象だ。
召喚術とは、次元超越をする術式である。
それに対し転移術とは空間超越をする術式のことだ。
似ているような両術式だが、その用途は大きく違う。
召喚術のほとんどは、召喚獣を労働力として用いるものだが、転移術はもっぱら移動に使われる。
大陸内を布教してまわる為の能動的な移動手段の一つとして、教会が頻繁に用いる術式の一つでもある。
「あ、ウェイル。ここに誰かのサインがあるよ? たぶんこのデーモンの使役者だね」
『従属首輪』は支配系の神器に属する。
支配系の神器を使用する際、必ず制御を行う者の直筆のサインが施される。
そのサインが契約の証であり、対象者を縛る鎖となるわけだ。
そしてウェイルはこのサインに見覚えがあった。
今しがた見たばかりだからだ。
「間違いない。デーモンを転移させ、人々を襲わせていたのは――ラルガ教会だ」