華鬼1
丘の屋敷。
家主よりあてがわれた部屋の窓辺に、ワイズは三年前の新聞記事を横目に佇んでいた。
品のいいテーブル一面に広げられた切抜きは、先日マリアに会ってすぐに『K』に揃えさせたものだ。
正面に座るクレスラスへ、ワイズは話し始めた。
「……マリアが死んだ。そのとき私は、F1の称号を授かった直後で、世界中を飛び回り、毎日仮眠も取れないないほどの多忙が続いて、滅多に家に帰ることができなくなっていた。もう何ヶ月ぶりかも分からないくらいぶりに家に帰ると、中は血だらけ。養い夫婦は顔以外原形を留めることなくばらばらに。マリアは心に杭を打たれて死んでいた……」
誰が見ても、強盗殺人だと思った。当時の警察は、押し入った家の夫婦を殺したときにマリアに見つかり、とっさに持っていた杭で刺したのだと。誰もがその見解を取り、結局犯人は見つからないままだった。
「なぜ、姉だけが杭などで殺されたのかと、理由を求めようとした。手術で時間を拘束されていては、どこにもたどり着けず、結局医者を辞めた。……結局、誰になんと言われようとも、私の心の拠り所は、あの家族だったのさ……」
―――……私、先代国王をこのくちびるで殺したの……。
「あんたの闇とは、それか」
クレスラスの言葉に、嗤いを浮かべただけでワイズは、
「疑問が湧いただろう?一つ目は、王はどうやって蘇ったのか。どうやら、『Я国王』は長い間眠りについていたらしい。そして、お前に目をつけた理由」
「蘇った?わからないな。死んでいた人間が蘇るなんて、そんな……だが」
バチカンからの帰り道。途中で急に脱力感に襲われたことを思い出す。そのときはまだ、ピアスをつけておらず。
「あの日、紅い月が自分に落ちてくるような感覚に襲われたが……」
「!それだ。では、マリアの言うとおり、ここに来たのはお前を追ってということになる」
「なぜ、俺なんだ……?」
「わからんな。ただ興味だけなのか。それとも他に目的があるのか……」
視線の先には、窓際に置かれている携帯。
「『K』に捜索させている。連絡待ちだ」
ワイズは立ち上がると、クレスラスの傍までやってくる。
顎を掴み、漆黒の瞳を覗き込んだ。
「……いつもの金輪が薄いのが難点だが……」
クッと嗤い、指を外す。
「マリアについては、女の色気に惑わされなければ良かろう……と。お前には不必要な助言だったな。まあ、何かあれば、黒耀石が護るだろう」
「……何を、疑っている?」
先代国王のことか。
それとも最近の不調の件か。
ではなくば、何―――?
「さあ」
背を向けるワイズの表情は、見えない。
ワイズの声色が固く、だが脆いと感じたのは、気のせいだろうか。
「ワイズ……」
「なんだ?」
「あ」
いや、と立ち上がった腰を沈めた。
まさか、闇にそのまま飲み込まれていくように見えたなど、とてもだが言えない。彼の鮮やかな色の瞳が、黒に染まるなど、見たくもない。
「神父。何を考えている」
「え」
顔を上げると、上からら青銀糸が垂れている。
電燈に反射して虹色に見える、不思議な髪色。神かと見紛うほどの姿だ。
「何を、その胸中で考えている?」
少し冷たい指が、左の耳朶に触れてくる。
最近少し重く感じるようになった黒耀石に、形よいくちびるが寄せられ、
「私を知りたいというのなら、教えてやらんでもないがな」
と、からだを震撼させてしまうような美声で囁かれた。
「あ……」
「どうしたい?神父……」
耳朶からうなじへと、滑らかに指が伝う。
「お前も、私やフロムローズのように、いちど闇に堕ちてみるのも悪くなかろう?」
その声に、はっとして、ワイズの手を払いのけた。
「俺は、あんたに協力をするとは言ったが、それ以外はごめんだ。俺が身も心もすべて許すのは、御神ただ一人だ」
「……欺瞞、だな」
「何とでも言え。俺は、あの女性があんたの姉君だからじゃない。教会を訪れる人の一人として、迷える人々に進むべき道を照らすだけだ」
立ち上がり、急いで部屋から出た。
「何を考えている……?ワイズ……!」
自室に戻り、着替えを手に浴室へと向かい、湯の溜まった浴槽に浸かる。教会の仕事を一人でやるには今までのようにはいかず、疲労も溜まっている。だが、頭の中はワイズとの会話の内容しか入ってこない。
―――そんなに簡単に、家族を、血の繋がった姉を見捨てることができるのか。
自分のことに置き換えてみる。
確かに、父は自分を大学に売った。だが、それは会社が倒産に追い込まれ、自暴自棄になり酒やギャンブルに走った結果だ。母とて、そんな父を止めるようなことをせず、精神を病み離婚した。
今までのすべてを知っている人間に会いたくないためにクレスラスはこの封鎖的な町へとやってきた。今更自分を愛してくれていない両親の為にみすみすと自分から出て行くことはない。
フロムローズはどう思っているのだろう。父は金と欲に眩み、母をはじめ、屋敷の者をすべて殺そうとした。今でこそ元気に明るく振舞ってはいるが、まだその傷は深い。
ワイズも言っていた。姉の為に医者を辞めたのだと。
そんなに想っているのなら、彼女を救うことに協力したいと、諦めきれないのだ。
「ワイズ……いったい、あんたはどうしたい……?」
天に伸ばした手は、神には届かない。
日が傾き、黄昏のころに、ワイズは呼び出された店へと来ていた。数少ない、地上にある喫茶店。他の客はというと、白髪交じりの夫婦一組のみ。
仄かに焚かれている香の匂いが強くない席を選び、コーヒーを頼んだ。折りしもそこは、窓の外からは姿は見えない。
待ち合わせの時間からとうに半刻を過ぎているが、まだ相手が来る気配は無く。『K』から渡されていた報告書に目を通し始めた。
「お待たせ。会議長引いちゃった」
「構わない。敏腕市長殿」
ワイズが顔を上げた先にいた、ようやく来た相手―――ギミングウェイ・ケールロットは口を尖らせ、
「悪かったわよ。でも事件がらみだから許容してちょうだい」
ワイズの正面に座りアイスティーを注文する。
水を持ってきたマスターがすぐに踵を返すと、ケールロットは瞬く間に水を飲み干した。
「走ってきたのか」
「当たり前でしょう?あなたを待たせていい相手なんて、私はこの世の誰をも知らないわ。……それとも、あの黒髪の神父様は別格なのかしら?」
ワイズの表情は変わらず、ギミングウェイはつまらないと吐き出した。やってきたアイスティーを一口飲んで、
「さっそく本題に入るけど、……事件に進展があったわ」
「―――……」
ワイズの視線が、ギミングウェイを貫く。市長は思わず生唾を飲み込み、
「路地裏で干からびるように死んでいた男たちの方は、身元はわかったけれど、交友関係などは一切不明。多分、偶然にその近くにいて巻き込まれたと当局は見ているみたい。それで、花嫁たちには、共通点が見つかったの。フランスのとある病院で三人、イタリアのとある病院で五人。みんな、あなたの元患者だったわ。本土含め、国外ではこの事件の報道が熱を帯びていてね。あなたのことまでは伝わっていないみたいだけど、全員が脳や臓器に重い疾患を抱えていたことまでは公開されている」
「……その件については『K』からの報告にも上がっている」
ワイズが差し出した紙には、今までワイズが手がけた患者の名前と病名、術式が記されていた。その中には、ギミングウェイがまだ知らない、犠牲になった女性の名前がある。
「……婚期前というキーワードを外せば、まだいくらでも犠牲者がいたということだ。あまりにも全世界に広がっているために、警察などはいまだに気づいていないようだが」
冷たくなったコーヒーに顔を顰め、ワイズは一笑する。
「何度も死のうと苦しんだ彼女たちが、私と出会い、そのために訪れた幸せの過程で無残にも殺されるというのは、正直言い気持ちはしない。……なんだ?」
「だって、あのあなたがそんなこと言うなんて、と思って」
ポカン、と口をあけていたギミングウェイはニヤリと笑う。
「その話はもういいだろう。次のネタをよこせ」
「もう……。まあいいわ。あなたのことだもの。それ以上は絶対喋らないんでしょ?」
ため息混じりにバッグから書類を取り出して、
「忠告していたあの国の王様は死んじゃったみたいだけど……。新しい国王はあなたのお姉さまだって言うじゃない。世間の狭さを感じたわよ」
「『K』からの情報も、確実な証拠までは手に入れていない。周到な世代交代をしたようだ」
「会ったの?」
ガシャン、とテーブルのグラスが激しい音を立てた。目の端に見えていた客の夫婦が慌てて出て行く。痴話喧嘩と思われたようだ。
「マスター、ホットコーヒー二杯お願いできる?」
何事も無かったように二杯目をオーダーして、正面の男の顔を覗き込む。
「その嗤い……本当なのね。……どこで?」
「診療所の上だ。神父とフロムローズと食事をしていたらやって来た。神父に魅かれてやって来たというべきか……」
マリアはその気配すらワイズに知られないよう細心の気を配っていただろう。始めからクレスラスだけを狙っているようだった。
―――だって、綺麗だったんだもの。からだは陽の気に護られているのに、その中は陰の気で満ちている……。
―――私も彼が欲しいわ。
―――私、先代国王の本体を、このくちびるで殺したの。……わかるでしょう?私の力がどれほどに強大になっているかって……。
―――あなたも二の舞になりたくなければ、彼を渡しなさい……。
「くちびるで殺したって……そんなことができるの?」
「さあな」
その部分はワイズにも分からない部分だ。
「あの、神父様がね……」
ギミングウェイの頭の中に浮かぶクレスラスの印象は”この世に生まれ出た神”。アキン市に赴任する前には、”現代のジャンヌ・ダ・ルク”とも囁かれていた。
実際を見てみると、黒髪に金の縁取りのある黒目という、この辺りでは見かけない風貌。異常なまでの神への崇拝。そこらにいる男たちとは、極端に違う。誰もが羨む美貌。博学秀才。女性に優しい。貴族の女性たちが何度も争いを繰り返し、クレスラスを射止めようと争いが生じたという噂も、あながち嘘ではないと思った。
「……神父様を、侍らせてハーレム作るとか?」
「そんな幼稚なものではないだろう。なにしろ、クレスラス=ハイドロヂェンという男は、誰もがあいつを解明したくなる、謎の塊だ」
すでに冷えてしまったコーヒーを飲み、ギミングウェイはふと気づく。
「ねえ、口付けして精気を奪うことって可能なの?」
「口移し……。まあ、できなくもないだろうな。だが……」
「そうよ。きっとそう。いつだったか聞いたことがあるわ。世代交代をするときは、口付けをもって強大な力を持った者が弱者からすべてを奪い尽くした後ってね」
「ばかな。なら……」
「ワイズ?」
突然何かを思い出したように止まったワイズの顔を覗く。
「―――……そういう訳か……」
「何がそういう訳よ」
テーブルに『K』が用意した資料を探り、一枚を手に取った。
「約百五十年前に、時のЯ国王が突然倒れ、意識不明の重体になったという記事が出たのさ。代わりに新しい国王が立ち、Я国は再び静かな生活を送っていた。だが、その間Я国王は何らかの理由で今までの間目覚めることなく、紅い月の夜に何者かの手によって目覚めた。とするならば、マリアが関与している可能性が高い」
ギミングウェイは信じられないと呟く。
「お姉さまが狙っているのは、神父殿ではないの?」
「……最初から、ヒントを与えられていたというわけだ」
突然立ち上がり上着を手にした医師を、市長は引きとめた。
「教会に行くの?止めはしないけど、護りもしないわよ」
「……社会的な地位に、何の護りがいる?構わん」
それだけを言って、ワイズは店を出て行く。
残されたギミングウェイは、口につけられなかったコーヒーを一気に飲み干した。
「……なぜ、あんなに神父殿に執着しているの……?」
自分が知っているワイズは今よりもっと冷酷で。人のことなど歯牙にもかけないような男だった。
誰よりも、何よりも、闇に近い存在……。
ギミングウェイが知っているワイズの闇は、マリアによって作られたといっても過言ではない。だが、彼女が知っているのはそれだけだった。
ならば、今の彼にしたのは、本当にクレスラスなのだろうか。
窓の外を見ると、あたりはすでに暗くなってしまっている。まだ春先のため、日が落ちるのは早い。部下たちが今夜は雨になると言っていた。
「せっかくの桜も、今日が見納めかしら……?」
空調が効いた店内は、寒ささえも感じることは無い。
広げられたままの記事を、一枚手に取った。
結局、自分では彼の闇に手を伸ばすことすらできなかったと胸のうちで結論付けたとき、なぜだかホッとした自分がいた。
ワイズが、神父に何を求めているのか分からない。だが、彼の闇に一筋の光が通ることを、祈らずにはいられなかった。
「ねえ、コーヒーもう一杯!」
マスターに投げかけた。