浸食3
週末の教会である。
初めて、神父として祭壇に立つクレスラスの姿を一目見ようと、いつも以上の人数が教会に集まっていた。
「うわっ!こんなに人が大勢集まったミサって、クリスマス以来……それ以上じゃない?」
明らかに飽和状態の礼拝堂を、壇上の裾から覗いて、フロムローズが驚く。
いつもより少々テンションが高い少女に、参拝者に見つからないようにと釘を刺しつつ、クレスラスは着替えの最後に金の十字架を首にかけた。
聖書を片手に、壇上の中央へと歩む。
「みなさん、おはようございます。このたび、正式にこの教会に就任することになりました、クレスラス=ハイドロヂェンです。よろしくお願いします」
会釈し、静かになったところで聖書を開く。
「今日は、前回のミサで予告していたとおり、十戒についてお話したいと思います。
『1.私はあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したものである。あなたは私のほかに、何者をも神としてはならない。
2.あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水の中にあるものの、どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。
3.あなたは、あなたの神、主の御名をみだりに唱えてはならない。
4.安息日を覚えて、これを聖とせよ。六日の間、働いてあなたのすべての業をせよ。あなたもあなたの息子、娘、僕、婢、家畜、 またあなたの門のうちにいる他国の人々もそうである。あなたはかつてエジプトの地で奴隷であったが、あなたの神、主が強い手と、伸ばした腕ともって、そこからあなたを導き出されたことを忘れてはならない。それゆえ、あなたの神、主は安息日を守ることを命じられたのである。
5.父と母とを敬え。これはあなたの神、主が賜る地で、あなたが長く生きるためである。
6.殺してはならない。
7.姦淫してはならない。
8.盗んではならない。
9.隣人について偽証してはならない。
10.隣人の家をむさぼってはならない。』……」
一通り読み終わった後にクレスラスなりの解説を交え、朝から行ったミサは昼前に卒なく終わることができた。
ようやく椅子に座ることができて、今までなかった緊張感からようやく解放されたところ。
壇上横には、市内の女性たちからの就任の祝い、と、両腕で抱えきれないほどの花束が置かれている。大量の花をどこに飾ろうかと教会内を見渡すが、結婚式でもしない限り豪華に飾り立てることはないため、余ってしまうだろう。
生け花の練習でもしておけばよかったかもと思うが、一朝一夕ではできないようなことには手をつけないことにしているクレスラスの性格では、極めないと気が済まなくなることは必至。
仕方なく、半分は屋敷に持って帰ろうと、立ち上がった。
ふと、扉の方に、壁に寄りかかりながら、見慣れない女性が立っている。つばの広い帽子で表情は見えないが、弱っているようにも見える。クレスラスがバチカンに行っている間にやって来たという、新しい市長なのかと思い、
「いかがされましたか?」
そっと近寄り、問いかけた。
すると、女性はクレスラスの方を見て、
「すみません……。何でもありません。……失礼します」
と、頭を下げて出て行った。
あ、と手を伸ばしたときには遅く、代わりになぜか懐かしい、と思った。
「なんだ……?デジャブ……?」
頭の片隅に引っかかるが、どうしても思い出すことができなかった。
気分転換に食事を食べに行こうと、着替えて礼拝堂を出る。
中央まで下ると、さすが週末のランチタイムだ。ところかしこにあるレストランに、長蛇の列ができている。
並んでいる女性たちの視線が気になり、引き返そうかと踵を返した先に、見慣れた男の姿があった。
「ワイズ……」
ゆっくりと歩いて来る美丈夫に、女性たちが気づいたようだ。彼は誰なのか、神父の何なのかと、至るところから視線があたる。
「神父。ミサは終わったようだな。食事に付き合え」
「……?……ああ」
彼は地下への階段を下りていく。女性たちに惜しまれながら、クレスラスはその後を追った。
春の陽気が降り注ぐ地上とは違い、地下道はまだ寒い。上着を持って来ればよかったと、微かに鳥肌が立つ腕を擦る。
「―――……病院?」
「私の職場だ」
地下道の中でも最も人通りが多い道に背を向けるように、その診療所はあった。
扉を開け、待合室に入るといい香りがしてくる。バチカンでも嗅いだことのある、アロマセラピーのような香り。
『関係者以外立入禁止』のプレートがかかっている階段を上がると、そこは喫茶ルームになっていた。
「……この店は、診療所からでないと入れないようになっている。お前を見た女たちが入ろうとしても、壁と重厚なガラスに阻まれて侵入できない。うってつけの食事場所だ」
「わざわざ屋敷を出て?フローズは?」
「……あいつはまだ寝ている。それよりも、素面のお前の話を聞きたかった」
陽光が当たる席に座ると、ウェトレスがメニューを運んでくる。
クレスラスの注文を聞くと、無表情な少女は去っていく。ワイズの方を向くと、彼は口元だけ笑った。
診療所の入口前にて、麗しきドレスを着ている女性たちが、先ほどからきょろきょろと辺りを見回していた。
だが、人通りはなく。彼女たちは寂しい気持ちを払拭するかのように話を再開した。
「お顔を拝見できまして?神父様と一緒に居られた、あのお方!」
「もちろんよ!素敵……。神父様が私たちを神の許に案内してくださる天使様ならば、あの方は紛れもなく神……!」
「美しい髪の色でしたわ……今もまぶたの裏に焼きついて、私の神父様に一途だった気持ちに陰りを作ってしまうほど……!」
地上で二人を見かけた貴族女性たちは、二人の美男を追いかけて、普段は通ることのない地下道へ。彼らと一緒に食事をと、レストランを遠巻きに見ていたのだが、慣れない薄暗い地下道のどこに店があるのか分からずに立ち往生してしばらく経つ。
「あの神々しいお方は、神父様の何なのかしら?」
「気になるわね~」
「まさか、神父様を囲っている男爵なのでは?」
「そんな!男爵ごときに?酷い辱めを受けていらっしゃるのかしら!ああっ……!」
「大丈夫よ。あの神父様が、男爵などになんてありえないわ!侯爵位ならありえるかもしれないけれど……」
「いや~ん!侯爵位なら太刀打ちできない!」
「疑惑を払拭するためにも、神父様と一緒にお食事したいわ~!」
「そうね!年末の神父様の快気祝いでは、途中から神父様……抜けられてしまったし……」
今度こそ負けない、と女性たちは拳を握り、辺りを見渡し、レストランらしきものに遭遇することを期待して奥へと進んでいった。
注文していたペンネグラタンの最後の一口を口に運び、クレスラスは一口水を飲んだ。
目の前ではワイズがペリエを飲んでいる。
「―――……ベッドの寝心地はさぞ快適だったようだな?」
「……おかげさまで、ご迷惑をおかけしました」
楽しそうに、ニヤニヤと嗤いを浮かべるワイズとは対照的に、クレスラスは視線を逸らす。
「『迷惑をかけている』と、自覚があるのか」
「いや」
「そうだろう……。私を楽しませられないなら謝られても仕方がないが……」
夕べの失態の話を逸らしたくて、クレスラスは店の外に視線を向ける。
「あれ……?」
「どうした?」
「あの女性は、新しい市長なのか?」
ワイズも窓の方を見る。なるほど、つばの広い帽子をはめた女性が道を歩いていた。
「教会にもいたから、新しい市長なのかもと思っていたが、市長ならこの辺は馬車を使うものじゃないのか?」
「……気にすることはないだろう」
そう言いながらも、ワイズの視線が外されることはない。睨みつけるような強さに、クレスラスは不安を覚えた。
「あ……ところで、この診療所はいつから開院なのかな?」
「明日からの予定だが。なんだ。お前も見て欲しいのか?特別に格安料金で診てやるぞ」
にやり、とからかいの笑みを寄越してくる性悪な医者に、クレスラスは
「あんたの、その性悪な性格を治してくれる妙薬でも開発してくれ」
と、ため息混じりに窓の外を眺めた。