招かざる客3
「久しぶりに会うのに、その態度ってどうかな??って思うんだけど」
「……ギミングウェイ……。半刻以上遅れてきて何を言う……?」
「せっかくの美丈夫なんだから、笑って許してくれてもいいんじゃない?」
ねえ、ワイズ?と、隣に座る美女が覗き込んでくる。
ここは、アキン市のほぼ中央に位置する市役所の地下にある、シックなバーだ。日が暮れ、連絡をもらったワイズは呼び出し人の依頼に応じ、このバーに来ていたのだが、当の呼び出し人が職務の為に遅れたため、ワイズは一人、カウンターですでに五杯以上のアルコールを飲み干していた。
カウンターに座る、見慣れない美男美女の組み合わせに、数組いる貴族たちがちらちらとこちらを窺っている。
ワイズを呼び出したのは、ギミングウェイ・ケールロット。この春アキン市市長に就任した、金髪碧眼の美しい女性である。
表に立つようになれば、新任早々バーで男と飲んでいた、と市内で噂が飛び交うだろう。だが、そんなことはお構いなし、と視線を無視して二人は話を続ける。
「お前がこの都市の市長になったと『K』に聞いたときはさすがに驚いたぞ……」
「もともと英国本土の役所勤めしていたときに地方行政に携わることになってね。旦那が香港の警察官だから今まで辞退していたんだけど、アキン市には一度行ってみたかったっていうのもあって、話しがあったときに旦那にも相談せずに決めちゃった!うふふ……。まあ、携帯がかろうじて繋がるからっていうのと旦那もよく英国には出張やら何やらで行くことが多かったからまあ、ここならいいよって事後承諾。いざ来てみたら常識をいろいろ覆してくれちゃうもん。おまけに美人な神父様とあなたに会ったこと!これが一番の驚きね。宿を固定せずに地球上をふらふらしているあなたが間借りとはいえ立派な家を持っているとなれば、ここが安住の地なのかしら……?」
「……気に入らなければ出て行くさ……。まだ厄介になる主人にも間借りの挨拶をしていないが」
そう言って、ワイズはマティーニを飲み干した。
「あら、もう帰るの?まだ飲みましょうよ!待たせた分も合わせて奢るわ!」
立ち上がったワイズの腕をひしっと掴み、アルコールで赤らめた顔で誘う。
「……もう酔っているのか?」
「酔っていないわ。本題がまだ終わっていないからよ。マスター!ウィスキーロックとコスモポリタン」
「……かしこまりました」
「……」
目の据わった女に何を言っても無駄だと、諦めて再び椅子に座る。
「本題というのは、何だ?」
マスターに渡されたコスモポリタンを一口飲むと、ケールロットはワイズの肩に、頭を乗せた。カウンター越しのマスターにも聞こえないだろうトーンで、
「―――……一件目は、とても不可解な殺人事件がアキン市の近くの都市で起こっているってこと。若くて綺麗な男三人が、一緒に路地裏で干からびるように死んでいたの。そして、また別の町で婚儀寸前の女性たちが何人も乳房を引きちぎられて殺され、体中の血液も抜かれていた……。もしかしなくてもこの町は閉鎖的だから、あなたまで最新情報は流れてきていないと思って気になって調べてきたのと、二件目はあの方があなたを捜している……って」
「―――……そうか……」
「あなた、あの方に何かしたの?とってもお怒りですってよ」
「……何かしたかという問いなら、答えはNOだ。第一あれが死んで以来、あの国には戻っていないしな」
二人の姿を後ろから見れば仲睦まじい男女の構図だが、実際の表情は冷めている。偶然にもウィスキーをカウンターに置いたマスターが、それを見て凍り付いてしまった。
「里帰りしていないのが原因じゃないの?たまには顔見せてあげればいいじゃない」
「……構わない」
―――……顔を見せに行ったとしても、相手は死んでいるはずだからな……。
ワイズはウィスキーを一気に飲み干すと、情報料だと懐から紙幣を取り出し、ケールロットのこれ見よがしに露にしているふくよかな胸元に差し込むと、周りを見ることなく出て行った。
支えを無くしたケールロットは少しぐらついて、カウンターに伏せる。赤らめた顔は艶かしく、胸の谷間に挿まれた紙幣を見たマスターが思わず生唾を飲んだことに気がついた彼女は、妖艶を浮かべ、コスモポリタンを飲み干した。
店の外へ出たワイズは、地上に出ることはせず、地下道を進んだ。
このアキン市には、町の景観や建物の外装を壊さぬよう、市内中に地下道が張り巡らされている。縦横無尽に走る地下道をすべて覚えているのは、長年ここに住んでいる老人たちくらいだろう。そんな道を、ワイズは迷うことなくまっすぐに北へと向かう。役所から北へ向かえば、市唯一の教会にぶち当たる。そうすれば新しい宿もすぐそこだ。
夜も遅いからか、地下道には疎らに人がいるだけで、己の足音だけが響くくらいに静寂を纏っている。
しばらく歩くと、地上に上る階段と、レンガ壁にかかっている『地上 教会』とテンプレートが見えてくる。それを上ると教会前に出るというわけだ。
階段を上り、ようやく星空が綺麗な地上にたどり着いた。春前の、まだ冷たい風が、熱のこもった体温を冷ましてくれて気持ちがいい。
ワイズは教会の敷地を抜け、裏にある細い小道に向かうところで足を止めた。
「……神父……?帰ってきていたのか?」
ステンドガラスの奥に、仄かに輝きが見える。近くに寄ると、奥の部屋に人影があった。
なぜこんな遅くに教会にいるのだろう。邸へは帰ったのか。いや。帰っていたとしたらフロムローズが放さないだろう。
「・・・・・・」
中に入ろうとドアノブに手を伸ばしたが躊躇する。あまり遅いと自分も地雷を踏みかねない。
ワイズは丘の上を見上げると、力強く踏み込んだ。
着ていたコートが夜風に靡き、長身のからだは宙を飛んでいた。
両手を鳥のように広げ、目的地の丘の屋敷を目指した。
小道を歩くより早い時間で門前へ到着したワイズは、面倒な警備を解除しまっすぐ自分のあてがわれた部屋へ入った。
コートとジャケットを脱ぎ、クローゼットへ入れているとドアをノックする音。
「ワイズ、私よ。入るわ」
返事をする前に入ってきたフロムローズは、いつもの幼い姿ではなかった。
背も高く、胸や腰も膨らみ……そしてそれらを強調するような服でゆっくりと入ってくる。
「……疲れているんだ。休ませてくれ」
「嘘。……楽しそうな目をしてる……。私もその中に入れて欲しいわ……」
ため息交じりの皮肉を軽く交わし、美女の指がワイズの首筋をなぞる。それはワイシャツのボタンを一つ、二つと外していく。その仕草は手馴れたものだ。 現れた厚い胸板に手を滑らせ、ピンクのくちびるを寄せるフロムローズの銀糸を、ワイズは黙ったまま指に絡ませた。
「……帰ってきたようだぞ」
遠くに、扉が開閉された音。
「……止めてもいいの?」
まだ続けようとする細い腕を署ルまれた。
「困るのは私ではなくお前だろう?こんな姿をあの男に見られてもいいのか」
こちらは構わないのだと言外に含ませると、フロムローズはため息をついてワイズから離れた。
クレスラスを大好きな彼女にとっては、この姿を見られるとまずい。彼は、成人ごろの女性を拒絶した。
フロムローズはドアノブを持ち、振り返ると、
「あなたもクレスのこと気に入っているんじゃなくて?」
そう言って出て行った。ぱたぱたと階段を駆け下りる音がする。足音が軽くなったということは姿も幼くしたようだ。
翡翠の瞳は侮れない。
普段は十三、四の姿の子どもとして見られるが、実際は十八歳の充分な女性だ。貴族出にしては世間を良く知っているし、男の誘い方も巧い。ワイズが事に運ぼうとしなかったのはこの家の主人に申し訳が無いとか、彼女がクレスラスに片思いをしているから……という訳ではなく、ただ単に乗り気ではなかったからだ。それはフロムローズのボディランゲージのせいではなく、バーで一緒にいたギミングウェイのせいだった。
今でもはっきりと分かるほどのフレグランスに纏わりつかれて、すでに気づいていただろうフロムローズに詮索されたくない。だから教会にも寄らなかったのだ。早くこの匂いを落としたくて堪らなかった。
廊下の奥にあるシャワールームに行き、再び部屋に戻ると、携帯に着信が入っていた。
履歴を見ると見慣れない番号があった。
「……」
記録を消し、机に置く。この携帯は仕事のときにしか使わないものだ。彼―――『K』の着信以外ではワイズは動かない。
窓の外をふと見ると、夜の底。何かが起こりそうな……そんな闇だった。
「―――……入って来い。……構わん」
気配を感じ、扉の外にいる訪問者に声をかけた。
「……」
ワイズが開けるまで待っているつもりなのか。仕方なくドアノブに手を掛け、手前に引いた。
「入って来いと言ったが……?」
「……」
扉の外には、帰ってきたばかりの屋敷主人が、青ざめた顔色で立っていた。
訝しい目で見ていると、クレスラスはとろん、とした目で見上げてきた。
「……神父……?」
いつもの彼とは思えない雰囲気に嫌な予感がして、ワイズは痩せた背中を押し、部屋へ招き入れた。
ふらふらと部屋の中央へ歩き、すとん、とその場に座り込む。そして、
「ワ……イズ……」
床へ倒れこんでいくクレスラスを床擦れ擦れで抱きとめると、軽く揺さぶった。
「神父、何があった?」
「……紅い……月……見……えた……」
―――……紅い、月……?
「神父!」
それだけを呟いて意識を閉ざしたクレスラスの顔を、窓の外にいつの間にか現れていた紅い月が照らしていた……。