招かざる客2
アキン市北東に位置する、花の香りが漂う駅に、一人の青年が降り立った。
すらりとした体躯。肩すぎまで伸ばされた、この辺では珍しい漆黒の髪。両方の耳朶に、同じ漆黒のピアス。
整った顔たちは、”美少年”と呼ぶには遅く、”美青年”とまではいかない、不安定な年頃を想像させる。
「―――……さすがに……疲れたな」
慣れない長時間の電車での旅に、癖の無かった髪がぺたんとしている。
髪を手ぐしで整えながら、クレスラス=ハイドロヂェンは辺りを見回し、人気が無いことを確認すると、ゆっくり家の方向へ歩き出した。
長旅と極度の緊張に、全身が痛みを訴えている。
大きいキャリーバッグに大きい紙袋を上に乗せ、ガラガラと引きずっていると、前方より見慣れた俥夫がやってくるのが見えた。
スピードを緩めずに突進してくる俥を避けるようにして路肩に歩む。が、俥は突然青年の前で停まり、俥夫が声をかけてきた。
「あ?間に合った!お帰りなさいよ、神父様。教会まで遠いでしょ?乗ってください!」
迎えに来たのだと、にっこり笑って人一人がゆっくり座れる程度の座席を見せる。
「お仕事は……?」
平日の真昼間だ。いつもなら俥夫の彼は電車ではなく船乗り場にて客を待っているはずだ。
「私が乗せた客の中に、たまたまこれの一本前の電車に乗っていたご婦人がいらっしゃって、切符を買っている神父様を見かけたって言ってらしたんで?。そしたらその後婦人が神父様を迎えに行ってくれとチップ渡されてしもうて?」
笑いながら、そのチップを見せてくる。結構な貴族だったのだろう。
「……そのご婦人の名は控えていらっしゃいますか?」
「ああ……。すみませんね?。顔見たらわかるんでしょうけど」
「そうですか……。では、そのご婦人のご好意に甘えさせていただきます。お邪魔します」
苦笑しながら、黒髪の神父は荷物を載せ荷台に飛び乗った。
「飛ばしますぜ!」
「事故らないようにお願いします」
おう、とにこやかに後ろを向いて笑ってくるが、走っている最中なので前を向いてほしいと言うと、気がついたように前方を向き、だんだんとスピードを速めて走っていく。
自分がいない数日の間に急に温かくなったアキン市の花と緑を眺めながら、屋敷で持ち構えているだろう同居人と、新しい居候にどんな嫌味を言われるのやらと頭に浮かべる。
予定が大幅にずれ、一泊の滞在が四泊に延びてしまったことを必ず問い詰められるだろう。
バチカンの交通や通信手段が、季節外れの雪の影響で今まで回復しなかった為連絡ができなくなったことを、一番初めに弁解しなければならない。食糧は大量に買い増ししていたので餓死していることはないだろうが、不安だった。
『クレスの馬鹿!』
「……」
胸中でため息をつき、買い物をして帰ろうと、車夫に八百屋に寄ってくれるよう頼んだ。
「了解!」
俥夫は勢いよく旋回すると、西から南へ方向を替え走り始めた。
全人口の過半数を貴族たちで占めるアキン市は、北東にある駅から市の中央に向かって延びるメインストリートに沿うようにして、貴族たちの豪華で贅沢な屋敷が建ち並ぶ。アキン市一番の収入源である、貴族たちの税収の高さを象徴するように、彼らはこぞって贅を凝らした邸を建てているのだ。
そんなノーサロードを南下し、小道を一つ抜ければアキン市の南に位置する行きつけの八百屋が見えてくる。
俥夫に礼を言って降り立つ。店の中に入ると、馴染みの女主人が声をかけてきた。
「あら、神父様じゃないの。いらっしゃい。今帰りかい?今日は何を詰めようか?」
長旅ご苦労様、と労わりの言葉をかけてくれる。
「迷惑をかけてすみません。適当に……」
「はい。ちょっと待っていておくれ」
ごそごそと野菜を袋に入れる女主人の姿をぼんやりと見ていると、奥の部屋から子どもたちが駆けてくる。
「クレス先生!」
「先生!お帰りなさい!」
二人同時に飛び込んできて、クレスラスのからだにタックルしてくる。
「うわっ!……元気だね。二人とも」
「ほら、お前たち!神父様は帰ってきたばかりなんだから!」
「だって!クレス先生とこんなに会えないの初めてなんだもん!」
「ねーちゃんはコイワズライなんだよ!」
「いや~ん!」
クレスラスの上着を掴んで、イヤイヤと照れている姉をからかい、弟も負けないと自分のほうに引っ張ってくる。
「あんたたちどきな!神父様のおしゃれな服が伸びちまう!」
子どもたちを押し分けるようにして、野菜を袋一杯につめた主人がやってきた。子どもたちはぶすーっと頬を膨らませる。苦笑しながら袋を受け取り金を払うと、姉弟の目線に合わせて腰を下ろした。
「気持ちは嬉しいけど、俺はこの町みんなのものだから一人を特別扱いすることはできない。わかるね?」
急に直視したクレスラスの顔を見て、頬を赤らめながら姉弟は頷く。
「じゃあ、週末のミサで会おう」
「はい!」
腰を上げ、女主人に会釈をすると、今日から赴任することになった教会を目指した。
アキン市北部に位置する市唯一の教会。
そんなところに、まだ成人してもいないなりたての神父が赴任することになったことで、市の住民は怒りや驚愕を露にするどころか大歓迎の姿勢を現した。一部を除いては。
もともと前任の神父の補佐的役割を持っていたクレスラスは、誰もが認める実力者でもあった。そのため、バチカン市国の枢機卿の推薦承認を得、かねてからの念願であった教会の神父として、その使命を全うすることに本人の町の住人も歓迎していたのだが、独身女性たちが猛反対した。なぜならば、眉目秀麗、羞月閉花、品行方正……数々の美辞麗句を駆使して喩えられるクレスラスと結婚できなくなったからだ。
神父は未来永劫、独身を貫く……―――。
そんなことになったら、今まで互いが互いを牽制し合い、彼を見守ってきたあの苦しみが水の泡になってしまう……。実際、クレスラスがバチカンに行く日も大勢の女性たちが集まって駅を封鎖してしまい、予定の電車に乗れず立ち往生してしまう騒ぎになった。
説得してようやく電車に乗れる頃には日は暮れていて。急遽遅れることをバチカンに連絡したのだが、バチカンが雪に見舞われたため電車をはじめとする交通機関がすべて駄目になりバチカンの駅で二泊。
ようやくサン・ピエトロ寺院にたどり着くと、まずクレスラスを推薦してくれたラグルド司教枢機卿に会い、ローマ法王と会話することができた。法王は温和だがやり手という印象を受けた。
ラグルド司教枢機卿は、何年か前に一度アキン市を訪れた際に会っていたので会話も弾み、バチカンにいる間は枢機卿の住まいに厄介になることにした。
念願の洗礼を受け、バチカン市国を出るときには雪は融けており、ようやく帰ってこられたのだった。
教会に到着し礼拝堂の扉を開けると、市の人たちが交互に清掃をしてくれていたようで、綺麗に整頓されている。
奥の居室に入り、角にある机の上にバチカンから持ち帰ってきた紙袋の中身を広げた。
これから毎日着ることになる服。
ミサや葬儀の時に着る白装束。
法王の手により、新しく賜った十字架……―――。
椅子に座り、今まで張り詰めていた気を緩めた。
「やっと……ここまでたどり着けた……」
長年の境地に足をつけることができたと実感し、涙が零れてくる。
「神よ……。ようやく、あなたのお傍に……」
そこはきっと、理想郷……―――。