華鬼3
結局、一晩を礼拝堂で過ごした。
いつの間にか眠っていた。起きてまず義務感に駆られたように灰を片付け、血の汚れをふき取る。日が昇るまでに掃除を終わらせ、奥のゲストルームでシャワーを浴びた。
雨は日の出前には止んだようで、少し肌寒いくらいだ。桜も散ってしまっているんだろう。花見をしようとフロムローズと約していたことを思い出し、来年に持ち越しになったと憤慨しているだろう少女の顔を浮かべて苦笑した。
独りだけの礼拝堂で、ミサを執り行う。
黒の通常服も洗ったが、血の臭いがこびりついて取れなかったので処分した。冬に貴族の女性たちが贈ってくれたミサ服に袖を通し、ただひたすらに聖書を唱え続ける。
マリアの魂が、無事に神の元へたどり着けるように、厳粛な面持ちで信強く祈った。
夜、眠っていたクレスラスに、神が囁いた。
『迷える仔羊を、救いなさい』
―――神よ、いったい誰のことを言っているのですか?
弱者など、いないではないか。
―――信じていた人に裏切られ、欺かれ、謀られ……他人を信じることができず、己の存在すら意味を失ったような人が言うのではないのでしょうか?
きっと、誰もが強いようで実は、弱い。
ワイズもフロムローズも、お互いが辛い過去を持っていることを知っている。
きっと、誰もが思っている。自分よりも辛い者などいないのだと。だから、あんなにも簡単に人を殺すことができるのだ。あんなにも嗤うことができるのだ。
「……浅ましいな……」
自分が一番、醜い。
仮にも神に仕える身であるというのに。
御神の元では信者は万物に平等だと、自分が説いているのに。
これでは、化け物と化した神父と、何も変わらない。
「いったい……俺は……どうしたいんだ……」
この数日で、自分の身の回りが急に変わりすぎて、感情に思考が追いつかない。
今までと同じではいけないのか。
そのままでいさせてはもらえないのか。
手を開くと、灰の中から見つけた、彼女の遺品。
小さな、琥珀だった。
彼に渡さないといけないのに、彼に会うこともできなくなってしまった。きっと、ワイズは軽蔑しただろう。こんなにも浅ましく、無機質な十字架に縋った自分を……。
もう、頼れるものは、神のみ。
今一度神の声を聴きたくて、指を組み、瞳を閉じた。
「御神よ……」
後ろの方で、扉が開く音がした。
「クレス!」
振り向くと、朝日に照らされた、フロムローズの姿。
「フローズ?」
駆けて来たらしい。方が上下に激しく動き、片手で心臓を押さえている。
「どうした?日の出過ぎに起きているなんて……」
朝早く起きられない彼女が、どうしてそんなに急いでいるのだろう。
「そ、それどころじゃないわよ!大変なのっ!」
フロムローズの元に駆け寄り、彼女の背を優しく撫でた。
「あ……ありがとう」
ようやく落ち着いてきた少女の顔は、それでも顔面が蒼白だ。元から色素が薄いため、こんなとき鮮やかに頬に赤みが差す。
「落ち着いたようだね。で、どうしたんだ?朝早くに」
彼女の翡翠の瞳から大粒の涙が溢れ、
「ワイズが……。ワイズが死んじゃう……っ!」
暗転。
―――……ワイズが、死ぬ……?
鮮やかな赤い、くちびるが嗤いながら、手招きをしている……。
彼の望みは、なに……?