招かざる客1
シリーズ2作目です。 よろしければ1話目よりご覧くださいませ♪
……もう一度、奇跡が起こるのならば……。
***
バチカン市国。
臙脂色の衣装を身に纏った枢機卿たちの今宵の集まりは、新しくアキンタウンに唯一ある教会に就任させる、神父の選定決着をつけるためだった。
ほぼ九割の枢機卿たちが一人の男を支持しているのだが、残りの一割がなかなか承認を下さず、かといって新しい者を連れて来るわけでもないため、すでに三刻以上押し問答が続いていた。
そこへ、枢機卿の中でも最高位に位置する司教枢機卿であるラグルドが突然声を発した。
「今から配る資料の男を、私は推したいと思う」
最高齢の突然の発案に、今まで討論を繰り返していた枢機卿たちは言葉をなくした。
手元に来た資料には、候補者のプロフィールと顔写真。
「ラグルド様、かのような若すぎる男に、一つの都市を任せても大丈夫なのでしょうか?」
助祭枢機卿の一人が異論を唱えた。写真を見る限り、まだ二十歳にもなっていないのでは?
だが、高齢の枢機卿は、一人だけ身に纏っている黒いドレープの裾を引きずりながら定位置の椅子に座り、にっこりと笑った。
「今までそこを任せていた神父の、一番弟子だ。悪い男ではないよ」
「しかし……!アキンタウンの神父は、実は人間ではなかったと報告が来ています!我等バチカンの信頼が確実に低迷したのは顕著に現れている……!そんなところに……!」
「だからだ。だからこそ彼に任せたいのだ。彼なら巧くやってくれると思うぞ……」
「ラグルド様が……そうまでおっしゃるのなら……」
「そうだな。まあ、やらせてみてもいいんじゃないか?」
ざわざわと司教枢機卿らとその下の位の司祭枢機卿たちが承諾していく。そうなってしまえば、最下位の助祭枢機卿たちに勝ち目は無い。
結局、ラグルドが提案した男がアキンタウンの新しい神父に任命された。
かの名前は、クレスラス・ハイドロヂェン―――。
1 招かざる客
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春にアキン市と名を変えた市の北に位置する丘に、その屋敷は静かに佇んでいた。
教会の裏からひっそりと伸びる小道のみが、この屋敷への通路だ。生い茂る木々が影を落とす薄暗い小道へ入って行く、背の高い男が一人。
舗装されていない小道を上ると、厳重な格子門と石壁の先に、築十年くらいのレンガ造りのマナーハウスが姿を見せる。
屋敷では、つい先日大掛かりな引越し作業が行われたばかり。市中央に位置するホテルの最上階にあるスイートルームから、一人の紳士がこの屋敷の二階に越してきたのだ。
男の名前は、ファウンダー・W・F-1(フォーミュラー-ワン)。)
腰にまで届く、青銀の美しい髪。空とも海とも見える不思議な色の瞳の持ち主だ。
ワイズは、門の外から庭で満開に咲き誇る桜の木を眺めた。
引っ越してきた理由は、あまり本人の意思を尊重されてはいない。屋敷の持ち主とも仲睦まじく生活をすると、考えたことも無かった。ならば何故なのかというと、桜をちょうど見える位置にある部屋の住人が強く希望し、家主が強く反論できなかったためだ。
そのときの様子を思い出し、クッ、と一笑すると、登録したばかりのセンサーに掌をかざす。
門が自動で開くと、手荷物一つのワイズは軽々とその敷居を跨ぐ。入り口に案内役は居らず、ワイズは勝手に奥へと入って行く。
引越しの際に何度か通った通路を奥へと進み、扉が開放されてある部屋にたどり着くと、屋敷の住人である少女―フロムローズ・スピリット・M・ダラスがソファに寝そべって寛いでいた。
振り返るその顔には、翡翠の瞳と、赤いくちびる。純銀のロングヘアーが印象的な少女だ。
「いらっしゃい。ワイズ」
待っていたと言いながら近づいてくるからだを、ワイズは抱き寄せ両頬にくちびるを寄せた。
「それはすまなかったな。ホテルの支配人から引き止められていた」
「宿泊費のこと?」
「前払いしていたからな。特に金が戻らなくても差し支えないと言うと、あっさり退いたが」
「超お得意様だったからね?」
「そういうことだ。ところで、屋敷の主人は?」
荷物を置き、辺りを見渡すが、目立つ容貌の家の主が見当たらない。
するとフロムローズは興味が無いように、
「バチカン」
とだけ答えた。
バチカンということは、念願の司祭にでもなれたのだろう。
あるときよりキリスト教を誰よりも愛し、その教えに忠実にして生きていた青年ことクレスラス・ハイドロヂェン。
優しい神父のもと、現代のラ・ピューセルとまで謳われたクレスラスは、つい先日長年連れ添っていた神父の手酷い裏切りに遭い、記憶を摩り替えていた。
そんな彼を見ておくことは出来ず、かといって何かが出来るわけではなかったフロムローズは、クレスラスのためにワイズを呼び寄せた。少しでも、以前の彼に戻って欲しくて……。
ワイズがここに越してくることに顔を顰めただけで、クレスラスは、たくさん空き部屋になっている内の一番広い部屋を彼に提供し、家具家財の搬送の指示をした後ローマ教皇の命に従いバチカンへと旅立った。
二日ほどで戻ると言って出て行ったので、戻ってくるのは今日のはずだった。が、昼を過ぎても帰ってこない。飛行機にトラブルがあったのだろうかと思っても、連絡を取る術は無かった。
「あの男が任命されたことを気に食わない枢機卿たちに詰られていたりしてな」
「そんなことしたって無駄よ。クレスの姿を見ただけで、声を聴いただけでそんな気持ち吹き飛んじゃうわ」
「それならば、上等」
部屋へ案内すると、少女の後ろから絨毯が敷かれた階段をあがる。
角部屋の扉を開くと、そこはホテルにいたときと同じようにセッティングされていた。
「念のためきちんとそろっているか見ておいてね。では、ごゆっくり」
扉を閉めて廊下を歩く足音が聞こえなくなるのを確認したワイズは、手に持っていた荷物を床に置くと、その中から小瓶を取り出す。キャップを開け、中に入っている透明の液体を部屋に振りまいた。
「кровь луна ночь・・・・・・」
紡ぎだされる言葉に液体は反応し、それは空中で消える。
「浄化完了」
空になった瓶をテーブルの上に置くと、ワイズは座り心地のいいソファに沈んだ。
ちらっと窓の外を見ると、少し離れたところに満開の桜とその先にチューリップが一面に広がっている。
この市の春は、いたるところに貴族たちが志向を凝らして育て上げた花々が咲き誇る。他市に聳える山から見下ろすと、都市全体が鮮やかな色に染まるのを見ることができた。
「……たいくつ……」
ホテルにいたときは、ホテルだったからそんなものだと思っていたのだが、何もないような処でこんなにゆったりとしていたことがないため、何か物足りない。
そこへ、バックの中から呼び出し音が鳴った。電化製品の使用を望めない環境で、唯一携帯の電波だけは届くのが助かった。
「……」
取り出した携帯の液晶には、見慣れた男の名前。
「私だ」
『『K』です。お疲れのところ、申し訳ありません。前任の町長が撤退し、新しい市長にケールロット氏が就任されるそうです。一度、挨拶に来たいと連絡が入りましたので』
「……ケールロット……?ああ……ギミングウェイか……」
とぼけたような返答に、相手は抑揚のない声で続ける。
『いかがなさいますか?先方はなるべくなら数日の間がいいと……』
「構わん。勝手にするといい」
『御意。それと、私も近日中にはアキン市入りできそうです』
通話を切ると、携帯をベッドに投げ飛ばし、再び本を読み始める。
「……退屈だぞ……クレスラス……」
私をそろそろ楽しませてくれ……。
その口元は、嗤いのそれ。