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たとえ信頼されていても確認はして下さいね

作者: 猫宮蒼
掲載日:2026/06/20

 ここしばらく異世界恋愛ジャンル読んでないんですがエッセイジャンルでAIが作ったらしき作品にありがちな異世恋ジャンルの話の傾向、とかの単語を見てふわっとした印象で書いてみました。

 ミリしらなので恋愛要素はお察し状態です。



「はぁ……」


「リチェ、また溜息出てるわよ」


「あ……ごめんなさい、姉さま」


 リチェット・マルガルディは伯爵家の娘だ。

 今しがた吐いた溜息について言ったのは姉のアマリエ。

 二人は伯爵家の領地に関する書類を確認している真っ最中であった。


 将来的な話をするとマルガルディ家を継ぐのは姉のアマリエだ。

 リチェットは嫁に行く事が決まっている。既に婚約者も決まり、交流だって何度もしている。

 お相手はカイルロッド・エルセリオ。次期辺境伯である。


 リチェットが暮らすマルガルディ領とエルセリオ領とは距離があるためそう何度も頻繁に会う事はないが、それでも何度か顔を合わせ共に語らう事はしたし、逢瀬だって何度かはした。顔を合わせる事ができない時でも手紙でのやり取りを何度だって交わしている。


 辺境には魔獣が出没しそういった脅威が身近にあるため、老若男女問わず鍛えておかねばいざという時身を守れない。そう言われている。

 実際はそこまでではない、とカイルロッドは言っていたがしかしそれを言ったカイルロッドの体躯は見事に鍛え上げられていた。


 戦う者は確かに鍛えられるけれど、そうではない者だっている。


 そう言われてリチェットはその時少しだけ安堵したのだ。

 リチェットだって別に病弱であるだとか、そういうわけではないのだがそれでも。


 それでも、これから鍛えろと言われたところでカイルロッドのようにはなれないとわかっているので。


 カイルロッドも自分と同じくらい鍛え上げろと言われるとリチェットが思っているとは思っていなくて、そんな話が出た時に「そのような無茶は言わない」と戦々恐々としていたリチェットに対して笑い飛ばしたのも今となってはいい思い出だ。

 エルセリオ家は夫を支えてくれる妻を求めていた。

 カイルロッド自身も領内に魔獣が現れれば、場合によっては自らが戦いに赴く事もある。

 その間、カイルロッドの代わりに領内を纏め上げてくれる存在は確かに必要であるし、それに何より。


 事後処理などを含めた書類仕事までとなると、カイルロッドも手が回らないのだ。


 魔獣との戦いを他の者に任せて自分は屋敷で書類だけを捌いていればどうにかなるけれど、そうなればいずれ自分だけ安全な場所に引きこもって危険な戦いはこちらに押し付けられている、と思う者が現れるかもしれない。

 というか、過去そういった事があったらしいという手記が残されていたことと、エルセリオ家はそもそも代々騎士としての、武を重んじる家でもあるため。

 いざとなったら自身が率先して前線に赴く。戦わないという選択肢は存在しなかった。


 人任せにして犠牲が多く出るくらいなら、自分が行って少しでも被害を抑えたい、というのもあるらしい。

 その結果、細かな事は妻となる者に任せて頼ってしまうかもしれませんが……とどこか申し訳なさそうに言っていたのだってリチェットは憶えている。

 それでも、辺境伯となるカイルロッドを支えたいという気持ちがリチェットにはあるし、リチェットがそれに足る存在であると思われ、婚約の話が来た時にはリチェットだって自分の存在が認められたのだと思うととても誇らしく、また喜ばしい気持ちであったのだ。



 だが――


「姉さま、私やっぱり駄目なんじゃないかしら」

「そんな事ないわよ」

「でも」


 結婚する日が刻々と近づいてきている。

 それと同時に、本当に自分でいいのだろうか、という気持ちがリチェットの中で大きくなっていった。


 将来的に姉が家を継ぐのは確定事項だけれど。

 それでも姉アマリエの身に何かが起こらないとも限らない。


 だからこそ両親はアマリエとリチェット、どちらにも同じような教育を施した。


 最初の頃は姉に追いつきたい気持ちで必死だった。

 年の差はどうしたって埋まらないし追い付かない。スタート地点が同じでも、スタートするタイミングは違った。だからその差を埋めたくて、リチェットは寝る間も惜しんで学んだ。


 そうしてどうにか姉に追いついて、家庭教師に学ぶ際、隣に姉がいるというのがなんとも誇らしい気持ちになったのだけれど。



 そこでリチェットは、教師が出した問題に対し、致命的なミスを犯した。


 いや、致命的、というのは大袈裟かもしれない。

 教師が姉妹に対して出したテストの問題を間違えただけと言ってしまえばそれまでだ。


 だが、そのミスはもし実践であるのなら確かに致命的なものになっただろう。


 姉の隣に並び立った事で、そこで慢心してしまったが故の結果。

 ようやく姉に追いついて、そこからが本当のスタートだと思うべきだったのにゴールにたどり着いてしまったかのように油断した。


 別に今まで間違いがなかったわけじゃない。小さなミスは何度だってしてきた。そのたびに次は同じ失敗をしないようにやってきたのだ。

 けれどそのミスはどうしたってリチェットの中で残り続けている。


 同じ過ちを繰り返さない。


 そう心に刻んだところで、違う間違いであればやってしまうかもしれない。

 そう思うと、カイルロッドと結婚し、自分が辺境伯夫人となった時、また何かやらかしてしまうのではないか?

 どうしたってそんな不安がよぎるのである。


 領地の事はいっそ誰か他の人に任せてしまえたら……なんて考えた事もあった。


 けれど、そうやって任せ続けた結果それを悪用する者が現れた時、気付かぬままに年月が過ぎ気付いた時には領地に甚大な被害が及んでいた……なんて事も過去にあったらしいので。

 勿論領主だなんだと言っても人間である以上、怪我や病気になって自分でできなくなることだってある。

 そういう時は代理人に任せる事もあるが、しかし任せっぱなしというわけにはいかない。

 怪我が治る、または病気が快方した時点で、自分でも代理人に任せていた部分の書類や報告書を確認しなければならない。それを怠る者だと思われた時、甘い汁を啜る存在にいいようにされる事となるのだから。


 事実、そうやって適当に確認した結果代理人の悪事を見落とし、数十年にわたり領地から様々なものを搾取され続けたところがある。

 結果としてその家は没落し今はもう存在していないが、その家の話はだからこそこうして今、貴族たちの間で教訓めいた話として伝わり続けている。


 男当主の場合は事故や怪我といったものがなければ問題ないが、女当主の場合はどうしたって妊娠・出産からは逃れられない。だが、それを終わらせた後、しっかりと己の目でも確認するべきだ、とリチェットもアマリエもまだそんな事になる前から何度だって言われてきた。


 だからこそ、二人は確認を怠る事がないように、今現在任されている自身の領地での書類を見返していた。


 といっても二人が住むこの領地は代理人に任せたりしているわけではないので、任された者が悪事を働く事はない。それがわかっているからこそ、二人は今そこまで緊張もせず、書類や報告書、そして帳簿を見返しているのだ。見るべき部分、見落としやすい部分、そういったものを丁寧に見るだけではあるけれど。

 しかし見方がわからないままでは、いつかどこかで大事な事を見落としてしまうので。


「何度も言うようだけどリチェ、貴方は貴方が思っている以上に優秀よ。だからあまり自分を追い詰めたりしないでちょうだい」

「姉さま……気休めはいいわ。そう言ってくれるのは嬉しい、けど私……」

「貴方一人で何もかも確認するわけじゃないでしょう?

 代理として貴方がやった事も、最終的に貴方の夫になる人がきちんと確認をするわ。二人揃って見落とす事になったらその時はその時よ。その分慌てる事になるけど、でもその時は皆で協力して立て直す事になるだけ。でしょ?」


 楽観的とも言える姉の言葉に、リチェットはしかしそれでも笑えなかった。

 アマリエがリチェットの事を思って、少しでも気が軽くなればと思って言っているのはわかっている。

 それでも、愛想笑いの一つすら浮かべる事ができなかった。


 優秀な娘。

 彼女ならば自分の妻として申し分ない存在になる。


 そう期待されているのに、その期待を裏切るような事になるのではないか……?


 そう考えると、今から既に憂鬱で憂鬱でどうしようもないのだ。


 カイルロッドの事がイヤなのではない。むしろリチェットは結婚前からもうとっくに彼の事を愛していると言っても過言ではない。出会った当初は手探りにも等しい距離感であったが、思えばその頃から既にリチェットはカイルロッドに惹かれていた。


 だからこそ彼を支える妻となる事は喜ぶべき事だし、誇らしくもある。


 だから余計に思うのだ。


 もし、それなのにあの時みたいなミスをして、彼が守るべき領地に損害を出したり、あまつさえ彼に失望されるような事になったなら……と。


 がっかりした、なんて言葉だけで済めばいい。

 けれどいつか。

 自分より優秀な誰かに彼を奪われてしまうのではないか。

 そんな風に考えると、やっぱり最初からこの話はなかった事にした方がいいのではないかと。

 何度も何度も同じような事を考えては憂鬱になるのだ。


 この結婚無かった事にできませんか? とは言い出せない。

 いっそ言ってしまえば楽になれるのかもしれないけれど、両家の仲に亀裂を入れる事になるかもしれないし、両親に叱られるだけで済まないかもしれない。いや叱られるのは確実だろう。

 それもイヤだな、と我侭にも思ってしまう。

 それにもし本当にこの結婚がなかった事になってしまうのも、リチェットは嫌だった。

 自分からカイルロッドの事を諦める事もできず、まだしてもいない失敗を恐れている。


 そうしてグチグチめそめそしているのは、傍から見ればさぞや鬱陶しい事だろう。


 それをわかっているからこそ、なるべく使用人たちや親の前ではそんな振る舞いをしないように気を付けているけれど。


 自分よりも優秀な姉の前ではどうしたって甘えが出てしまっていた。



「カイルロッド様はあまり書類仕事が得意ではないと言っていたの。

 だから、私が婚約者になった時は頼りになると」

「えぇ、知ってるわ。その通りじゃない」

「でも、怖いの。またいつか、あの時みたいなミスをしたら、って思うと。

 あの時はただのテストの答案だった。でも次は? 次はそうじゃないのよ」

「リチェ、聞いて。あの時のあれは間違いよ。あの答案は本来私のだった」

「姉さま、気休めはやめて」

「気休めじゃない。違う。聞いて」


「思ったの。私の婚約者ももし、姉さまの婚約者みたいな人だったら、こんな風に悩む事はなかったんじゃないか、って」


「リチェ!」


「あ、ご、ごめんなさい……そんなつもりじゃなくて。姉さまの婚約者がいいとか、そういう話ではないのよ」

「わかってる。落ち着いて。自分を卑下し続けるのはやめてちょうだい」

「でも」


 でも、の先に続くはずの言葉は出てこなかった。

 わかっているのだ。自分でもいつまでもうじうじしているという事は。

 それでもどうしたって考えてしまうし悩んでしまう。


 どうして自分は姉みたいになれないのだろう。


 そんな風に思って余計に落ち込む。


 もっと幼い頃、ただ姉に追いつきたくて必死だった。

 隣に並べたと思った時は嬉しくて誇らしくて、同時に世界が輝いて見えたのに。


 それが今はどうだろう。

 隣にいたと思っていたのに、気付けば姉は遠くへ行ってしまったようでまた追い付かなければという気持ちが焦りを生んでいるのだろう。そうやって焦っている自分の事をなんて事のないように、姉は貴方は優秀よ、自信を持って、なんて言ってくるけれど。

 既に遠くへ、高みにいる相手に言われても同情にしか聞こえない。


 いっそ姉が自分に失望して見捨ててくれた方がもしかしたら、自分は奮起できるのではないか、とも考える。

 けれど想像しただけで、恐ろしかった。

 今はまだカイルロッドに見捨てられたわけではないが、姉に見捨てられたならそれはつまり、彼から見捨てられる事すら時間の問題になるのではないか?


「あの家庭教師が辞めた時の事は憶えている?」

「え? えぇ、確か……もう教える事は何もないから、と」

「えぇそうね、そこは事実よ。でも、それは表向きの理由なの」


 カタッと小さな音を立ててイスを動かし立ち上がると、アマリエはリチェットの所までやってくる。

 そうはいっても精々数歩分の距離だ。あっという間に近づいて、そしてアマリエはリチェットの肩を掴んだ。


「あの人は、貴方に嫉妬していたのよ」

「嫉妬? 一体何を……」


「憶えているかしら、貴方、あの人の出した問題を指摘したのよ。それは間違ってる、って。そこはこうではないのですか、って。

 小さなミスだったから普通に聞いていてもすぐに気付けないようなものだった。実際私は気付けなかったもの。

 そしてあの人も。リチェがそれにすぐ気付いた事に、私は凄いと思ったの。本当よ」


「え……? そんな事あったかしら……?」


 両肩を掴まれているせいで身じろぎもロクにできないせいか、妙に居心地が悪く感じる。

 それでも姉の言う事に、リチェットは記憶を掘り返すように当時の事を思い出そうとしたものの、しかしサッパリだった。質問をした事は憶えている。わからない事に対して問いかけて、これはこうですか? と確認するように聞いたこともあったのは憶えている。けれど姉の言うような問題の間違いを指摘、というのはまったく記憶になかった。


 姉のでまかせだと思いたいが、じっとこちらを見るアマリエの視線に嘘はない。

 であれば、その事実はリチェットの中では記憶するに値しないような、朝起きて部屋を出る時に右足から出たか左足から出たかを記憶していない時のような――どうでもいいもの、であるのかもしれない。


「あの人はね、そのせいでプライドが傷ついた。だから貴方に恥をかかせてやろうと思って、あの時答案を私とリチェのをすり替えたのよ。よく見れば字の違いだってわかったはずだけど、あの時のリチェは私の書く字を手本にしていたから……」


 それはそうだ。身近にいる手本にすべき相手。リチェットにとってアマリエは姉であると同時に尊敬できる存在なのだから。


「ねぇリチェ、貴方は私の事を凄い凄いと持ち上げてくれるけれど。でも本当に凄いのは貴方の方なの。

 私が学んでいるところまで追い付こうとして、努力を重ねてきたわね。そして本当に追い付いてしまった。私だったらきっとできない。私は大抵の事は貴方より先に学ぶから、だから貴方より最初の頃は少しだけできるってだけで、同じ位置に並んだら後は貴方に追い越されるだけだもの」


「そんなこと……!」

 姉の言葉に否定しようとしたけれど、アマリエはそっと首を横に振った。静かな、たったそれだけの動き。それだけでリチェットは何も言えなくなってしまった。


「私は優秀なんかじゃない。年相応なの。人並みと言ってしまえばそう。人より得意な事もあるけれど、不得意な事だってある。でもリチェ、貴方はそんな私に追いつこうとして苦手な事もどんどん克服していったわ。

 それは貴方の誇るべき部分よ。普通だったら苦手な事に長く関わっていこうとは思わないもの。苦手なものをそのままにしようとしないで、苦手じゃなくする。自分の得意な事だってそこで満足しないで更に上を目指している。

 そんな頑張り屋さんな貴方の事をお父様もお母様も私だって誇らしいと思っているのよ」


 気休めだと思っていた言葉が、しかしそうではなく本当に心からのものだと知ってそこでリチェットはなんだかとても気恥ずかしくなってしまった。褒められた事がないわけではない。けれどもそれらは大抵幼い頃の思い出で、随分昔の記憶のように思える。


「あの家庭教師は貴方の才能を潰そうとしていた。つまらない嫉妬なんかでね。

 貴方はあの時致命的なミスをしたと思って、した覚えがないのにしてしまったと自分を責めていた。あの時私があの答案は私のものだと言っても慰めだと思って信じてくれなかったわね。その後の貴方は慎重に考えを重ねていくようになったから、そこだけは良かったのかもしれない。でもいつまでも自分のものじゃないミスを引きずるのは違うわ。


 あの時私、お父様に報告したの。家庭教師がした事を。

 お父様が調べたけど、あの人には他にもいくつかの問題が見受けられた。一つ一つは些細な事で問題にもならないようなもので、それら全部ひっくるめたって糾弾するにはちっぽけな材料でしかなかったけれど。

 元々私たちが学ぶ範囲はその時点ではほぼ終了していたのもあって、本当だったらもっと先の――専門的な事も教わるつもりだったけど、その契約を打ち切ったの。学ぶ手段は別にあの人から教わる以外にも色々とあるもの」


 あの人がいなくなってから、うちに専門書が増えたでしょう?


 なんて言われてしまえば、確かにそうだったとリチェットも思い至る。


 専門書だけではない。知識を持つ者との関わりも、思えばあの辺りから少しずつ増えていった。家庭教師から学ばずとも、別の方法で学んでいたのは確かだ。

 当時は教わるばかりだったが、今はもう違う。

 今は教わった事を糧にこの先どうすればより良くなるのか。それを思考し実践していく事になる。


 あの時とはもう違う。


 違うけれど。


 それでもふとした時にどうしたってリチェットは思い出すのだ。


 あのミスをした日の家庭教師の声を。表情を。


 だがそのミスが本当に姉のしたもので、リチェットではないのなら。


「囚われ続けちゃだめよ。あの人の思い通りになるだけだもの」


 そうは言われても、すぐに切り替えられるはずもない。

 あの頃からずっと引きずってきたのだ。それを今更簡単になかった事にできるわけがない。


「それでもそれが難しかったら?」


「その時は、貴方の夫になる相手を頼りなさい。

 あの人は細かな事は苦手かもしれないけれど、大したことがなければ笑い飛ばしてくれる人だもの」


 そう言われて。


 リチェットは脳内で婚約者であるカイルロッドの事を思い浮かべた。


 細かな事はどうにも苦手だと言っていたけれど、苦手だからやらないというわけでもなく、ちまちまと苦手なりに進めていく人だ。


「だからね、いつまでも昔の事に囚われてちゃいけないわ。そんなのはもっと年をとってからするべきよ」

「なにそれ」

「だって私たち、まだ若いんだもの。だったら後ろを振り返ってばかりより前を向かなきゃ」


 ふふ、と笑うアマリエはそこでようやくリチェットの肩から手を離した。

 そのまま右手の人差し指を口元へ運び、まるでこれから秘密を打ち明けるかのように声を潜める。


「なんてね。これ、私の婚約者様からの受け売りなの。私昔っからちょこちょこミスしちゃうから、ついその不安を漏らした時にね」


 リチェットが致命的なミスだと思っていたものは、本当ならばアマリエの誤答だった。だがあの時、家庭教師はその間違いがいかに致命的であるか、リチェットの考えの、詰めの甘さを徹底的に突いていた。

 自分でやった覚えがなくとも、しかし家庭教師がリチェットが間違えたのだと言い切って、リチェットのせいにした事で。いかに彼女が調子に乗っていたかを言われた事で、調子に乗った覚えがなくともそれ以来、リチェットは失敗を恐れるようになってしまった。

 何度も確認をして、間違いがないとなっても。

 それでも間違えているかのように思えてしまう。


 堂々と発表する事も、あれ以来難しくなった。

 その考えが間違っている、と言われる事が恐ろしくなったのだ。


 表向きは教える事がもうない、という理由で辞めさせたと姉は言っていたけれど。

 だが、予定を切り上げて早い段階で雇った際の契約を終わらせるのであれば、その分何らかの補填はあったはずだ。だが、実際そうでなかったのならば。


(……あの人がやった事を公にしないかわりに……ってところだったのかしら……?

 どこにいってもやらかすようならどうしようもないけれど、私以外には真面目に教師を勤めていたわけだし)


 家庭教師がいなくなった後、それでもリチェットは引きずり続けていた。姉がリチェットは優秀だと言っても素直に信じられなかった。


 それでも何度だって諦めずに伝え続けてくれたのだから。


 だったら、いい加減自分もその言葉を素直に受け入れるべきなのだろう。

 ずるずると引きずり続けてもいいものでも無し。


「急に気持ちを切り替えるのは難しいけど……でも、そうね。私この家を出て嫁ぎに行くんだもの。過去を引きずるのはそろそろ終わりにしないといけないわね……」

「そうよ。過去を思い出すのはいいけど引きずるのは駄目。どうしても引きずりそうになったら遠慮なく貴方の夫になる人に頼って、悩みなんて吹き飛ばしてもらいなさい」

「でも、いない時は? そういう時はきっとあるでしょう?」


 たとえば魔獣の討伐戦。

 たとえば城へ行かねばならなくなった時。


 リチェットが共に行く事ができればいいが、そうできない場面は確実にある。


 もしそんな時に不安に押しつぶされそうになったなら。

 そういう時こそ夫の代わりとなって支えなければならないというのに、それができなかったら。


 考えれば考える程不安になる。

 自分に果たしてできるだろうか?

 できなかったら。自分には無理かもしれない。


 まだそうなってすらいないうちから『こう』なのだからどうしようもない。


「なんだそんな事」


 しかしアマリエはあまりにも簡単に言うものだから、リチェットは思わず目を瞬かせてきょとんとした表情を浮かべてしまった。


「向こうで他に頼れる人もきっといるはずだけど、それでも駄目そうならその時は」

「その、時は……?」

「私に手紙を出しなさい。離れているからすぐに飛んで行って助けてあげる事はできないけど、貴方の不安を受け止めるくらいはできるわ」

「手紙……」


「それとも、私じゃ頼りないかしら?」

「ううん、そんな事ない。でも姉さまも忙しい時だったりしたら?」

「なぁに? 今からそんな事まで気にするの? 妹が悩んでるのに話を聞く……この場合は手紙だから見る、よね。ともあれ手紙を読んで、励ましの返事を書くくらいしかできないかもしれないけど。

 たった一人の妹だもの、どれだけ忙しくたって向き合うわ。

 ……まぁ、向き合うつもりでこっちももしかしたら悩み事とかぽろっと漏らすかもしれないけど、その時は……聞いてくれる?」


「も、勿論! 姉さまが困ってるなら力になるわ」

「貴方の方が困っていても?」

「あ」

「そういう事よ。だから下手な遠慮はしないでね。そっちの方が心配になるもの」

「……えぇ、わかったわ」


 姉の優しさに甘える形になってしまう事に多少の心苦しさがないわけではないけれど。

 それでも、その気持ちを否定して振り払うなんてできるはずもなく。

 困ったように眉を下げながらもリチェットは笑みを浮かべた。きっといつも以上に下手くそな笑い顔だ。そんな顔を見て、アマリエも「仕方のない子ね」なんて言って笑う。



 正直なところ、不安が完全に消え去ったわけではない。


 嫁ぐ以上家族とは遠く離れた地で暮らす事になるわけで、頼れる人は限られる。

 その限られた相手に見限られたり失望されたりしないように、とまだそうなる前から色々と背負い込みすぎていたことも否定はしない。

 それらをひっくるめた不安が大きくなりすぎて、この婚約はやっぱりしない方が……なんてどうにかしてなかった事にできないだろうかなんて考えていたくらいなのだから。


 そんな自分を見捨てなかった姉の言葉を何度も聞いていたくせに、それでも信用できなかった。自分ができない子である、と思っていたが故に。


 だがその前提が本当に違うのであれば、いつまでも過去を引きずるわけにもいかない。


「あの人は、その後どうなったか、とか」

「家庭教師? さぁ? どこかの家でまた働き始めたとかうちを辞めた直後には噂も耳に届いたけれど。

 今は何も」


「そう」


「だって、噂を作る事すらできなくなってしまったら、それ以上は、ね?」

「あ」


「そういう事よ。だからどこかでばったり遭遇するような事にもならないわ。

 あの人はうちで特に問題にならなかったから、きっとこの程度ならやっても問題はないって思っちゃったのね。そうしてうちよりも上の家に取り入ろうとして――その後は私も知らないわ」

 そう言うアマリエの表情は、笑っているようで笑っていなかった。

 あんな人のために微笑むなんて無駄な事するわけないじゃない。

 そんな声が聞こえてきそうな綺麗な作り笑いだった。


 もっと早くにかつての家庭教師のその後を知っていたならば、果たしてリチェットの心はもう少し早く立ち直れただろうか?

 ふとそんな風に考えてみたが、しかしそうはならないだろうなと思い直す。

 今だからこそ、前を向こうと思えたのだから。


 今になってようやく、とも言えるけれど。


「リチェ、周囲に迷惑をかけないように一人で解決しようとするのもいいけれど、それでもやっぱり周囲の人をもっと頼るべきよ。貴方の夫になる人も、その家の人たちも。

 私も勿論、お父様やお母様だって嫁いだ後貴方からの手紙を心待ちにしているわ。

 だって家族ですもの。皆、貴方の事が大好きだもの」


「う……はい、いっぱい手紙書きますね」

「えぇ、そしたら返事を必ず書くわ。私から手紙を出す事もあるかも」

「楽しみに待ってますね」

「えぇ、えぇ、そうね……!」


 マリッジブルーもあったのかもしれない。

 不覚にもうるっと目に涙が溢れ、既にこの先の別れを考えてしまったせいで甘えるように姉に抱き着いてしまったが、アマリエもまた同じように抱きしめ返してくれた。


「貴方と会えなくなるのは寂しいわ」

「私も……っ、寂しいです……!」


 涙がこぼれて泣いてしまったけれど、それは僅かな時間だった。少しだけ泣いて、それから互いに顔を見合わせて笑う。人前では見せられないような状態になってしまったけれど、それが余計におかしく思えて気付けば声を出して笑っていた。





「――なんて事があったのです」

「そうか」


 結婚前の姉妹の話だ。

 だがその言葉はその場限りのもので終わらせなかった。


 リチェットはまだ馴染めない新生活に慣れようと努力していたし、そういった些細な日常の事についてアマリエに手紙を書いたりもした。

 そして姉からも返事が届いた。

 それがあったから、リチェットはエルセリオ領での生活に思っていたよりも早くに馴染めるようになっていった。

 カイルロッドやエルセリオ家に仕える者たちの心遣いがあったからこそでもある。


 カイルロッドには兄弟がいないのでリチェットとアマリエの手紙のやり取りの回数が多いのか少ないのかはわからない。けれども、カイルロッドから見てもそれなりに頻繁にやり取りをしているようには見えた。


 姉と仲が良いのはいいけれどやはりここでの暮らしに不満があったりするのだろうか、と思ってしまったが故に、カイルロッドもこの話題を口にするまでに少しばかり躊躇いを持ったし、実際に口に出すのに数日ばかりかかった。

 だがそんなカイルロッドの心配も杞憂であった。

 既にリチェットの中では当時の事はすっかり思い出へ変わっていたようだし、別に生家に帰りたいなんて思っているわけでもないようだったので。


「てっきりきみは故郷に帰りたいのだとばかり」

「まぁ。まさかそんな。そう思わせてしまったのならごめんなさい。

 でも私、貴方様と離れるつもりはないのですよ」


 エルセリオ領はリチェットの生家がある場所と比べれば王都から離れているわけだし、都会というには無理がある。退屈な暮らしに嫌気が差しているかもしれない、なんて思ったりもしていたが鈴を転がすように笑うリチェットは、だって、と言いながらそっと右手で腹部を撫でた。


「確かにたまに家族に会いたい気持ちはありますけれど。

 でも今は、この子が無事に産まれる事が一番重要ですわ」


「それはそうだが」


「子どもが成長したら一度くらいは会いに行っても?」

「それは勿論」


「でしたら、今から執務を滞らせるわけにもいきませんね。安静にしつつもできる範囲で頑張らないと」

「頑張るよりも安静を優先してほしいんだが」

「何もしないもの辛いのですよ。ご安心を。引き際は心得ております」


 そう言われてしまえば、カイルロッドは何もしなくていいからとにかく休め、とは言えなかった。

 むぅ、と唸り声のような小さな声を発し、ややあってこれまた小さな溜息を吐いた。


「確かに、書類関連はリチェに任せた方がこちらとしても安心だから何もするな、と言うのには少し……言うための度胸が必要になるな」

「あら、それはそれは。必要とされているのっていいですね。今ならとても頑張れそう」

「程々にしてくれよ」

「勿論ですわ。あぁ、でも」


 ふふ、と弾むような笑いを零しながらも、リチェットは先程の話なのですが、なんて言うものだからカイルロッドは結婚前の姉妹の話を思い返す。

 今ではすっかり過去を乗り越えて自信に満ち溢れていると言ってもいい妻ではあるが、結婚前にそうまで引きずっていた事があったなんて思いもしなかったのだ。

 婚約を結んでいた時だって控えめに笑う人ではあったがその控えめさが、自信の無さからくるものであったとまではわからなかった。リチェットがそうと悟らせないようにしていたからというのもあるが、だからこそ余計に姉との手紙のやりとりなども、この生活に不満を抱えているのではないか……と思った原因でもある。


 そんなリチェットが更に何かを言おうとしていたので、カイルロッドは思わず姿勢を正していた。

 なんとなく、軽口ではない雰囲気を感じ取ったからだ。


 これからまるで任務でも言い渡されそうな夫を見て、リチェットの笑みはより深くなる。


「私の事、信じて下さいますか?」

「勿論信用も信頼もしているとも」


「嬉しいわ。私も旦那様の事、信じていますよ」


 ところでこれはそんな旦那様へのお願い事なのですが。


 なんて言われて、カイルロッドは即座に自分にできる事なら、と返した。

 即答と言ってもいい。


 一瞬の躊躇も何もないくらいの速度だった。

 そこまで無茶振りをされないと思っているのか、それともどんな無茶がきても応えるつもりでいるからなのか……リチェットにはわからなかったが、自分がこれから口にする願いはそう難しいものではない。


「書類についてですが。

 たとえ信頼されていても確認はして下さいね」


 そう言えば、カイルロッドが考えていた願いとは違うものだったのだろう。

 ぱちくりと音がしそうな勢いで瞬いて。


「に、苦手ではあるが最大限努力はしよう……」


 カイルロッドはまるで熟す前の酸っぱい果物を何の心構えもしないままに齧ってしまった時のような――なんとも言えない表情と声とで応えたのであった。

 AIの作りがちらしい「書類」「整う」とかそこら辺だけで書いたんだけどこういう事で合ってます?


 次回短編予告

 妻は夫の浮気に気付いていた。だがその程度で離縁など、簡単にできる話でもなく。

 故に妻は離縁するしかない状況を作り上げたのだ。


 次回 やる気もないくせにできるだなんて大口叩くからそうなるのです

 ※微妙な下ネタが含まれます。

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