第二部 土佐の鬼 第7章 本山の影
秋の風が、土佐の山を鳴らしていた。
稲は実り、村々は収穫の時を迎えている。
だが、城下の空気は、どこか張り詰めていた。
元親は、評定の場の端に座していた。
もう、ただの同席ではない。
家臣たちの視線が、意識的に彼へ向けられている。
「本山が、動いております」
重臣の一人が、低い声で言った。
本山氏――
土佐中部に勢力を張る国衆であり、長宗我部家にとって最大の障害。
表向きは静かだが、裏では諸国衆と気脈を通じている。
「使者が、阿波へ入ったとの報せも」
その言葉に、場がざわめく。
阿波。
土佐の外――つまり、内紛では済まぬ兆しだった。
国親は、腕を組み、黙っていた。
老獪な沈黙だ。
やがて、その視線が元親へ向けられる。
「どう思う」
不意に振られた問い。
元親は、一瞬、言葉を探した。
だが、逃げなかった。
「……本山は、我らを試しているのだと思います」
家臣たちが、静かに息を呑む。
「若殿の考えを、聞こうではないか」
誰かが言った。
元親は、ゆっくりと続けた。
「こちらが弱ければ、攻める。
強ければ、裏から崩す。
戦を避けるふりをしながら、準備を整えている」
自分の声が、思いのほか落ち着いていることに、元親自身が驚いていた。
「ならば、どうする」
国親の問いは、試すようでもあり、託すようでもあった。
「……影を、影のままにしておくべきではありません」
場が静まり返る。
「動かぬなら、動かす。
正面からではなく、周囲から」
言い終えた瞬間、元親は気づいた。
それが、かつての自分なら決して口にしなかった言葉だということに。
国親は、目を細めた。
「よい。
では、その役を――元親、おまえが担え」
場の空気が、はっきりと変わった。
それは命令であり、宣言だった。
元親が、戦の中枢に立つという。
評定の後、元親は城の外れを歩いていた。
秋風が、草を揺らす。
平和な景色だ。
だが、その裏で、土佐は確実に割れつつある。
本山氏の名を聞くだけで、胸の奥が冷える。
それでも、もう目を逸らすことはできない。
「若殿」
背後から、家臣の声。
「本山の動きを探らせております。
いずれ、血を見ることになりましょう」
元親は、空を見上げた。
雲は低く、重い。
「……ならば」
静かに、言った。
「血を流す覚悟は、こちらが先に持たねばならぬ」
その言葉に、家臣は一瞬、言葉を失った。
姫若子と呼ばれた少年の面影は、もうない。
だが、豪胆な猛将でもない。
恐れを知り、
迷いを抱え、
それでも退かぬ者。
本山の影は、すでに土佐全土に伸びている。
そして同時に――
元親という存在もまた、
敵の目に映り始めていた。
土佐の鬼。
そう呼ばれる日は、まだ先だ。
だが、影は、確かに形を持ち始めていた。




