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元親  作者: 劉・小狼☆
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第一部 姫若子  第4章 初陣

 夜明け前の空は、鉛色だった。


 城下を包む霧は重く、湿った冷気が肌にまとわりつく。

 元親は鎧を身に着けながら、その冷たさを骨の奥まで感じていた。


 鎧は、まだ体に馴染んでいない。

 肩が重く、胸が締めつけられる。

 一歩動くたびに、鉄が擦れる音が耳に響いた。


 ――これが、戦なのか。


 庭では、兵たちが集結している。

 槍を持つ者、弓を背負う者、太刀を腰に下げる者。

 誰もが口数少なく、冗談一つ聞こえない。


 元親は、その中に立たされた。


 視線が集まる。

 期待ではない。

 値踏みだ。


「本当に出すのか……」


 そんな声が、霧の向こうから聞こえた気がした。


 馬の嘶き。

 法螺貝の音。

 それらが重なり合い、胸の鼓動と同じ速さで鳴り響く。


 国親は、すでに前にいた。

 鎧姿の父は、これまでよりもさらに大きく見える。


「動揺するな」


 短い言葉だった。


「おまえは前へ出るな。

 まずは、生き残れ」


 それが、父からの命だった。


 元親は、深くうなずいた。

 声は出なかった。


 やがて、隊は動き出す。

 山道を抜け、境目の村へ向かう。


 霧が晴れるにつれ、土の匂いが強くなる。

 踏み固められた地面。

 草の中に残る、誰かの足跡。


 そして――


 矢が飛んだ。


 風を切る音。

 一瞬遅れて、悲鳴。


「敵だ!」


 怒号が上がる。

 霧の向こうから、人影が現れる。


 元親の視界が、一気に狭まった。


 槍と槍がぶつかる音。

 鉄が骨に当たる鈍い衝撃音。

 血の匂い。


 ――近い。


 戦は、思っていたよりも、ずっと近くにあった。


 前を行く兵が、倒れた。

 喉から赤いものを噴き出し、何かを掴もうとして、そのまま動かなくなる。


 元親の喉が、ひくりと鳴る。


(死んだ……)


 言葉にする暇もなく、現実が押し寄せる。


 誰かが元親の腕を掴んだ。


「殿っ!」


 振り向くと、敵兵が迫っている。

 顔が見える距離だった。

 同じ人間だ。

 恐怖に歪んだ目をしている。


 剣を、抜かねばならない。


 だが、腕が動かない。


 ――斬れば、この人は死ぬ。

 ――斬らねば、自分が死ぬ。


 その一瞬の逡巡が、命取りになる。


 敵兵が踏み込んだ。


 元親は、叫び声にもならない声を喉の奥で押し殺し、剣を振るった。


 手応えがあった。


 柔らかく、嫌な感触。


 次の瞬間、敵兵は崩れ落ちた。


 元親は、剣を握ったまま、動けなくなった。


 ――斬ってしまった。


 胸が、激しく波打つ。

 吐き気がこみ上げる。


「殿!」


 誰かが叫ぶ。


 我に返ると、周囲ではまだ戦が続いている。

 生きている者も、倒れている者も、区別がつかない。


 元親は、震える足で一歩下がった。

 だが、転ばなかった。


 逃げなかった。


 その姿を、遠くから国親が見ていた。


 戦は、やがて終わった。

 勝敗は、小さな勝利だった。


 だが、元親にとっては、それ以上の意味を持っていた。


 戦場の片隅で、元親は血に汚れた手を見つめる。

 震えは、まだ止まらない。


 それでも――


 自分は、生きている。


 恐れたまま、立ち尽くしたまま、

 それでも生き残った。


 国親が近づき、何も言わずに元親の肩に手を置いた。

 その重みが、すべてを語っていた。


 姫若子と呼ばれた少年は、

 この日、初めて血を知った。


 そして、

 もう、元には戻れない場所へ足を踏み入れたのだった。

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