第四部 天下の下で 第35章 断たれた光
雨だった。
朝鮮の空は、重く低く、
地を泥に変えていた。
信親は、濡れた陣羽織のまま、前線に立っていた。
敵は退かぬ。
味方は疲れている。
「押し返せ!」
声を張る。
若い声。
だが、兵は従う。
その時だった。
銃声。
乾いた音が、雨を裂いた。
信親の身体が、わずかに揺れる。
一瞬、何が起きたか分からなかった。
胸に、熱。
次に、冷たさ。
膝が、崩れる。
「若殿!」
叫びが、遠い。
泥が、近い。
空が、遠ざかる。
――父上。
声にならぬ声が、胸をよぎる。
まだ、やることがある。
土佐を、守る。
戻ると、言った。
だが、身体が動かない。
視界が、暗くなる。
最後に見えたのは、
灰色の空だった。
雨は、止まなかった。
土佐。
その報せは、静かに届いた。
元親は、広間に座していた。
使者が、膝をつく。
言葉は、短い。
「……戦死」
それだけで、足りた。
誰も、声を出さない。
元親は、動かない。
書状を受け取る。
信親の最期の様子が、淡々と記されている。
勇敢。
奮戦。
討死。
美しい言葉。
だが、どれも、
息子を返さない。
元親は、目を閉じた。
涙は、出なかった。
鬼は、泣かぬ。
だが、父は。
夜、元親は一人、庭に立った。
風が、冷たい。
――なぜ、止めなかった。
――なぜ、代わらなかった。
問いは、答えを持たない。
空を見上げる。
そこに、信親はいない。
ただ、星が、遠く瞬いている。
光は、届かぬ。
断たれた。
元親は、初めて、膝をついた。
声は、出なかった。
だが、その背は、
かつて見せたことのないほど、
小さかった。
土佐の夜は、深い。
鬼若子の名を持つ男は、
この日、
一人の父として、
光を失った。




