第四部 天下の下で 第33章 避けられぬ命
その命は、簡素だった。
「朝鮮出兵、第二陣。
土佐より、嫡子・信親、出陣せよ」
書状を読んだ瞬間、
元親の指が、わずかに止まった。
それだけだった。
声も、表情も、変えない。
だが、家臣たちは見逃さなかった。
その一瞬の静止を。
「……若殿を、ですか」
誰かが、かすれた声で言う。
元親は、うなずいた。
「名指しだ」
それは、命令であり、
同時に、試しだった。
評定の席は、凍りついた。
「殿が、出られるべきです」
「若殿には、まだ……」
元親は、首を振る。
「私では、意味がない」
皆が、言葉を失う。
天下は、
次の主を見ている。
信親を。
夜、元親は信親を呼んだ。
部屋には、二人だけ。
信親は、すでに知っていた。
覚悟も、できていた。
「行くのだな」
元親の声は、低い。
「はい」
迷いは、なかった。
元親は、しばらく黙ってから言った。
「死ぬな」
それだけ。
武将の父としては、
あまりに短い言葉。
だが、父としては、
それ以上、言えなかった。
「必ず、戻ります」
信親は、深く頭を下げる。
その夜、元親は眠れなかった。
――なぜ、止めぬ。
――なぜ、代わらぬ。
問いは、尽きぬ。
だが、答えは一つだ。
ここで抗えば、
土佐は終わる。
出立の日。
城下に、兵が並ぶ。
信親は、甲冑に身を包み、
若々しく、真っ直ぐだった。
元親は、城門まで出た。
二人は、向き合う。
言葉は、ない。
元親は、信親の肩に手を置いた。
重さを、確かめるように。
信親は、うなずき、馬に乗る。
列が、動き出す。
元親は、見送る。
追わない。
呼ばない。
ただ、立つ。
旗が見えなくなった時、
元親は、初めて目を閉じた。
――主である前に、
――父であった。
それを、
この時ほど、痛感したことはない。
空は、晴れていた。
あまりに、
残酷なほどに。




