第三部 四国の夢 第18章 揺らぐ旗
土佐へ戻る道は、行きよりも長く感じられた。
兵の足取りは重い。
誰も口には出さぬが、胸に同じ思いを抱えている。
――退いた。
城に戻ると、城下は静かだった。
歓声も、出迎えもない。
それが、何より堪えた。
評定の席。
重臣たちの表情は、硬い。
「阿波では……成果が、見えませぬな」
誰かが、慎重に言葉を選ぶ。
元親は、否定も肯定もしなかった。
「失ったものは少ない」
「得たものは……?」
沈黙。
それが、答えだった。
城下では、噂が広がり始めていた。
「土佐殿は、四国では通じぬらしい」
「本当は、運が良かっただけでは」
元親は、それを止めさせなかった。
言葉は、押さえれば裏で増える。
夜、元親は城の裏手で、一人、酒を口にした。
酔うためではない。
考えるためだ。
そこへ、若い家臣が近づいてきた。
「……殿」
「どうした」
「兵が、動揺しております」
元親は、うなずいた。
「無理もない」
「ですが……殿が退いたと知り、
不安が広がっております」
元親は、盃を置いた。
「ならば、語ろう」
翌日、元親は兵を集めた。
城下の広場。
武具を身に着けた兵たちの前に、
元親は一人、立つ。
「阿波では、勝てなかった」
いきなりだった。
ざわめきが走る。
「だが、負けてもいない」
声を張る。
「無意味な戦をせず、
命を持ち帰った」
兵たちは、黙って聞いている。
「土佐を守るために、
外へ出た」
元親は、空を仰いだ。
「だが、外の戦は、
土佐の延長ではなかった」
ゆっくりと、視線を戻す。
「だから、学んだ」
その言葉に、ざわめきが止む。
「学ばねば、次はない」
元親は、頭を下げた。
将が、兵に頭を下げる。
その光景に、誰かが息を呑んだ。
「わたしは、完璧ではない」
元親は、続ける。
「だが、逃げはしない」
沈黙の後、
誰かが、膝をついた。
やがて、一人、また一人。
旗が、再び立ち始める。
すべてが、元通りになるわけではない。
だが、完全に失われてもいない。
夜、元親は一通の書状を手にした。
阿波の国衆からだ。
「土佐殿の退き際、見事なり」
短い文。
それは、皮肉か。
それとも、評価か。
元親は、そっと文を畳んだ。
――揺れた旗は、
――折れなければ、強くなる。
阿波で得たものは、
目に見えぬが、確かにあった。
元親は、再び歩き出す。
四国の夢は、
遠のいたのではない。
形を変えただけだった。




