第二部 土佐の鬼 第14章 土佐、ひとつ
朝霧が、戦場を覆っていた。
山と山の間、土佐の命運を賭けた地。
本山氏の本陣が、その奥に構えている。
法螺貝が鳴った。
低く、長く、腹の底に響く音。
それが、合戦の始まりを告げる。
元親は、前に出なかった。
丘の上、全体を見渡せる位置に立つ。
将として、ここに立つ。
「進め」
その一言で、兵が動いた。
長宗我部の軍勢が、霧の中へ雪崩れ込む。
鬨の声。
槍の林。
弓の雨。
本山方も、必死に応じる。
この戦に負ければ、すべてを失う。
刃と刃がぶつかり、
命と命が削られる。
元親は、戦場を睨み続けた。
一瞬の判断の遅れが、数十の命を奪う。
「右翼、下がりすぎだ」
即座に命を飛ばす。
「中央、押せ。
今だ」
兵が応え、戦線が動く。
やがて、本山方の陣に、揺らぎが生じた。
旗が乱れる。
伝令が走る。
「敵、後退の兆し!」
――崩れる。
元親は、深く息を吸った。
「追撃」
短く、だが重い命令。
「ただし、逃げ道は残せ」
完全な殲滅は、望まない。
恐怖だけが残れば、国は荒れる。
本山氏の旗が、ついに倒れた。
その瞬間、戦場の音が変わった。
抵抗は、次第に散発になる。
勝敗は、決した。
昼過ぎ、霧が晴れる。
山々が姿を現し、
血に染まった大地が、白日の下に晒された。
元親は、馬を降り、戦場を歩いた。
倒れた兵。
息絶えた者。
うめく者。
勝者も、敗者も、同じように横たわっている。
本山の当主が、引き出されてきた。
老いた武将だった。
その目には、悔恨と疲労が浮かんでいる。
「……これで、終わりか」
元親は、しばらく相手を見つめ、静かに答えた。
「終わりです」
剣は、振るわれなかった。
本山氏は、滅ぼされることなく、歴史の中へ退いた。
夕刻、戦場に静寂が戻る。
風が吹き、
血の匂いを、少しずつ運び去っていく。
国親が、元親のもとへ歩み寄った。
「終わったな」
「……はい」
その一言に、すべてが込められていた。
この日を迎えるために、
どれほどの血と決断があったか。
城へ戻る道、民が道の両脇に立ち、深く頭を下げた。
歓声はない。
だが、恐れと安堵が混じった沈黙があった。
それでよい、と元親は思った。
夜、城の上から、土佐を見渡す。
山が連なり、
川が流れ、
そのすべてが、ひとつの国として息をしている。
元親は、剣を置いた。
鬼であることを、選んだ。
だが、鬼のままでは、終わらない。
ここからは――
治める戦が始まる。
姫若子は、遠い過去になった。
鬼若子も、役目を終えつつある。
残るのは、
土佐の主・長宗我部元親。
夜空に、星が瞬いた。
土佐は、この日、
確かに――ひとつになった。




