第二部 土佐の鬼 第13章 決戦前夜
夜は、音を呑み込む。
城下に灯は少なく、風が瓦を撫でる音だけが、やけに大きく聞こえた。
明日、戦が始まる。
本山氏――
土佐を二分した争いは、ついに終わりを迎えようとしていた。
元親は、城の最上段に立ち、闇を見下ろしていた。
遠く、敵陣の篝火が星のように揺れている。
――あの火の数だけ、人がいる。
――そして、明日には、減る。
胸が、静かに痛んだ。
恐れが消えたわけではない。
むしろ、はっきりと形を持っている。
それでも、逃げたいとは思わなかった。
「眠れぬか」
背後から、国親の声。
振り向くと、父は鎧も着けず、ただ一人の老武者として立っていた。
「……はい」
「それでよい」
国親は、元親の隣に立つ。
「眠れる者は、まだ戦を知らぬ」
しばし、沈黙。
「明日、勝てば」
国親が言う。
「土佐は、一つになる」
元親は、ゆっくりとうなずいた。
「負ければ」
「滅ぶ」
短い言葉だった。
元親は、闇の向こうを見つめたまま、言った。
「父上は……後悔しておりますか」
国親は、少し考えた。
「数え切れぬほどな」
即答だった。
「だが、やり直したいとは思わぬ」
元親は、父の横顔を見た。
そこには、長い戦の末に残った、静かな覚悟がある。
「おまえは、どうだ」
問いが、返ってくる。
元親は、息を吸った。
「……鬼になることを、選びました」
「それは、後悔か」
「いいえ」
首を振る。
「鬼にならねば、守れぬものがあると、知りました」
国親は、わずかに目を細めた。
「ならば、よい」
その言葉は、許しだった。
夜更け、元親は一人、兵の中を歩いた。
焚き火のそばで、誰かが剣を磨いている。
誰かが、空を見上げている。
皆、同じ夜を越えようとしている。
元親は、声を上げなかった。
励ましも、誓いも、不要だった。
彼らは、すでに知っている。
明日、何が起きるかを。
陣を抜け、元親は小さな社の前で足を止めた。
戦の神を祀る、古い祠。
手を合わせる。
願いは、一つ。
――勝たせてほしい、ではない。
――迷わぬように。
人を斬る。
決断を下す。
命を背負う。
そのすべてから、目を逸らさぬように。
社を離れ、再び城へ向かう途中、
元親は、ふと立ち止まった。
かつて――
姫若子と呼ばれ、
戦を恐れ、
血に震えた少年がいた。
あの自分は、もういない。
だが、消えたわけではない。
今も、胸の奥で、息をしている。
――だからこそ、鬼であれる。
夜明け前、東の空が、わずかに白む。
決戦の朝は、静かに近づいていた。
本山との戦は、
土佐の覇を決めるだけではない。
元親自身が、
何者として生きるかを決める戦でもあった。
彼は、剣を取り、立ち上がる。
迷いは、ある。
だが、退かぬ。
鬼若子は、
この夜、完全に目を覚ました。




