第二部 土佐の鬼 第12章 離反の火
火は、夜にこそ目立つ。
長浜の戦から半月。
城下は落ち着きを取り戻したかに見えたが、
静けさの下で、小さな火種が燻っていた。
元親のもとに届いた報せは、短かった。
「……国衆の一人が、本山に通じました」
元親は、即座に名を問わなかった。
答えを、半ば知っていたからだ。
あの戦で功を挙げ、
恩賞に不満を抱いていた者。
「いつだ」
「三日前。
すでに、兵を動かしております」
部屋の灯が、揺れた。
――間に合わぬか。
元親は、拳を握る。
怒りではない。
悔しさだ。
国親は、沈黙のまま座している。
「攻めますか」
家臣の問い。
元親は、首を振った。
「火は、消す」
短い言葉だった。
「だが、延焼させぬように」
その意味を、誰もが悟った。
夜明け前、元親は少数の兵を率い、城を出た。
離反した国衆の館は、山あいにある。
霧が濃く、足音が吸い込まれる。
正面から攻めれば、血が流れる。
元親は、それを選ばなかった。
館の前で、元親は馬を止める。
「名を告げよ」
低く、しかし届く声。
ほどなくして、離反した男が姿を現した。
鎧は着ているが、目に迷いがある。
「……若殿」
「なぜだ」
元親は、同じ問いを、再び投げた。
「この家に、未来が見えなかった」
男の声は、かすれている。
「勝ったはずなのに、
若殿は、与えぬ」
元親は、一歩、前に出た。
「与えなかったのではない」
静かに言う。
「奪わせなかった」
男は、唇を噛む。
「勝てば、欲が出る。
それは、人の性だ」
元親の言葉は、責めではない。
「だが、欲で繋いだ国は、必ず割れる」
一瞬の沈黙。
風が、木々を鳴らす。
「戻れ」
元親は、はっきりと言った。
「今なら、戻れる」
男の目が揺れる。
「……本山は、許さぬ」
「わたしが、許す」
その言葉に、家臣が息を呑む。
元親は、続けた。
「だが、次はない」
重い沈黙の後、男は膝をついた。
「……お許しを」
火は、消えた。
だが、灰は残る。
城へ戻る道すがら、家臣が小声で言った。
「甘すぎます」
元親は、歩みを止めなかった。
「甘さではない」
振り返らずに言う。
「選択だ」
夜、国親が口を開いた。
「斬らなかったな」
「はい」
「後悔するかもしれぬ」
元親は、少し考えた。
「……それでも」
顔を上げる。
「信を捨てれば、
最後に残るのは、鬼だけです」
国親は、長く息を吐いた。
「おまえは、わしより厄介だ」
それは、苦笑だった。
翌日、噂は二つに割れた。
「若殿は、情がある」
「いや……もっと怖い。
人の心を縛る」
どちらも、真実だった。
離反の火は、消えた。
だが、その火が照らしたものは、消えない。
元親は、静かに知った。
――斬らぬ選択もまた、
――覚悟を要する刃であることを。




