忌み子と呼ばれた僕は、世界の理を書き換える
※本作には「忌み子」としての差別・孤立、心ない言葉の描写があります。
ただし過度な暴力や残虐描写はありません。
現代異能×学園×成長の読切としてお楽しみいただけたら嬉しいです。
その子は、生まれた瞬間から「異物」だった。
産声が上がらない。
泣きも叫びもなく、赤子はただ静かに目を開いた。
次の瞬間、分娩室の照明が、ひとつ残らず砕け散った。
パァン、パァン、と乾いた破裂音が連鎖し、硝子片が雪のように舞う。
機器の警告音が途切れ、心電図の波形が真っ直ぐになり——しかし母体の脈は、正常だった。
停電ではない。病院の廊下は明るく、隣室も稼働している。
異常が起きたのは、この部屋だけ。まるで、世界が「ここだけ」嫌がったみたいに。
医師が震える声で呟いた。
「……この子が、原因か?」
赤子は、天井を見つめたまま瞬きもしない。
泣かないのは、苦しくないからじゃない。
その目は、世界の音を聞く前から、世界の“規則”を見ているようだった。
◆
少年の名は、真城ユウ。
山と川に囲まれた小さな集落で育った。地図に載るかどうかも怪しい、昔ながらの村。
その村には、昔から言い伝えがあった。
——災いは、人の形をして生まれる。
——異端は、村を喰う。
ユウが生まれた日から、村の空気は変わった。
まず、時計が止まった。
村中の掛け時計が、同じ時刻で針を落とした。
次に、窓が割れた。
風もない夜、戸締りされた家の窓が内側から弾けた。
そして、最も恐ろしかったのは——「理由が見つからない」ことだった。
原因が分からない怪異は、人を壊す。
人は、分からないものに名前をつけて安心しようとする。
だから村人は、ユウに名前をつけた。
「忌み子」
その二文字は、呪いみたいに、すぐに村の常識になった。
◆
幼いユウは、自分が“何か”をしている自覚がなかった。
ただ、嬉しいときに空気が軽くなったり、
怖いときに風が止まったり、
泣きそうになると、ガラスが小さく震えたりする。
最初は偶然だと思った。
でもある日、五歳の春。
ユウが転んで膝を擦りむき、堪えきれず泣き声を上げた瞬間——
近くの電柱の変圧器が「パン」と破裂した。
空が一瞬だけ暗くなる。
遠くの犬が一斉に吠え、近所の家から怒鳴り声が飛んだ。
ユウは涙を止めた。
喉の奥に、泣き声を押し込んだ。
(ぼくが、泣いたから?)
翌日から、村の子どもたちはユウを避けた。
砂場で遊んでいると、輪の外から石が飛んできた。
「うつるぞ」と言われた。
触れたら災いが移る、という大人の言葉を、そのまま繰り返す。
ユウは何も言わず、砂を握った。
握る手のひらが震えた瞬間、砂がさらさらとすり抜けていく。
まるでそこに「握る」という結果が存在しなかったみたいに。
怖くなって、ユウは手を開いた。
◆
家庭もまた、ユウの避難所にはならなかった。
母は、ユウが小学校に上がる前に家を出た。
理由を誰も説明しなかった。いや、説明する必要がないという顔を、村がしていた。
父は、村の空気に押し潰された。
酒が増え、口数が減り、最後には言葉が刃になる。
「……お前さえいなければ」
ユウはその言葉を何度も聞いた。
最初は胸が痛かった。でも痛いときほど、何かが壊れる。
だからユウは、痛くならないふりを覚えた。
泣かない。
怒らない。
笑わない。
感情を抑えれば、世界は静かになる。
静かなら、誰も傷つかない。
幼いユウは、そうやって生き延びた。
◆
それでも、完全に抑え込めるわけがなかった。
村の空気は重く、視線は常に刺さる。
ユウが通るだけで、井戸端の会話が止まる。
神社の前を通ると、誰かが塩を撒いた。
「見ちゃいけない」
「近づいちゃいけない」
それが、ユウの世界だった。
そして十二歳の夏。
その日もユウは、川べりの石に腰を下ろしていた。
村の中に居場所がなくなると、自然と外に出るようになる。川の流れだけは、ユウを拒まなかった。
ぼんやり水面を見ていると、足元の小石が、ふわりと浮いた。
——風もないのに。
ユウが驚いた瞬間、浮いた小石はぽとりと落ちた。
次の小石が、また浮く。
(……ぼくが、見たから?)
不意に、背後から声がした。
「それ、君がやってるの?」
振り返ると、川辺に似合わないスーツ姿の女性が立っていた。
髪をきっちりまとめ、目だけが異様に鋭い。
隣には、同じくスーツの男性。黒い車が少し離れた場所に停まっている。
都会のナンバーだ。
村の人間じゃない。
外の人間だ。
ユウは反射的に立ち上がり、距離を取った。
心臓が跳ねる。怖い。
怖いときは——世界が揺れる。
水面が一瞬だけ波立ち、川の流れが止まったように見えた。
女性は目を見開き、それから確信したように言った。
「……やっぱり。反応が強い」
男性が小さく通信機を触る。
「対象確認。レベル……計測不能。いや、これ……」
ユウは逃げようとした。
けれど、女性は慌てて手のひらを見せる。
「待って。怖がらせるつもりはないの」
その声が、妙に落ち着いていた。
ユウの中の“揺れ”が、ほんの少し収まる。
「君の名前は?」
「……ユウ」
「ユウ。私は綾瀬。こっちは相原。……君に、話がある」
ユウは唇を噛んだ。
(また、“忌み子”って言われるんだ)
大人は皆そうだ。
優しい顔をして近づいて、最後には同じ言葉で突き放す。
ユウが視線を落とすと、綾瀬は静かに言った。
「君、ずっと“封じ込めてる”よね」
その一言で、ユウの息が止まった。
封じ込めてる。
抑えてる。
感じないふりをしてる。
誰にも言ったことがない。誰にも気づかれたことがない。
なのに、この人は——まるで最初から知っているみたいに言った。
綾瀬は続けた。
「君は忌み子なんかじゃない。
ただ……力が強すぎるの。強すぎて、周りが壊れる」
ユウの喉が震えた。
声が出ない。泣きそうになる。泣いたら、壊れる。
でも綾瀬は、ユウの“怖さ”を見越したように、ゆっくり言葉を選んだ。
「大丈夫。ここで壊れても、私たちなら止められる」
その瞬間、ユウの胸の奥で何かが、ほんの少しだけほどけた。
「……ぼくは、壊すだけだ」
ユウが絞り出すと、綾瀬は即座に首を振った。
「違う。君は壊してない。
君は——世界の理に干渉してる」
ユウは顔を上げた。
「……り?」
綾瀬は、川面を指さした。
「今、川が止まった。普通はありえない。
でも君が怖がった瞬間、“止まったことになった”。
つまり君は、現実の結果を……上書きしてる」
上書き。
それは、ユウがずっと恐れてきた“説明のつかないもの”に、初めて与えられた言葉だった。
綾瀬は、最後にこう言った。
「ユウ。君の居場所は、ここじゃない。
君を“忌み子”って呼ばない場所がある。
そして、君自身が君を嫌わなくていい場所がある」
ユウの視界が滲んだ。
泣かない。泣いちゃいけない。
でも、綾瀬は言った。
「……泣いていい。壊れても、私が受け止める」
その言葉に、ユウの胸の堤防が崩れた。
涙が落ちた瞬間、川辺の空気がびり、と震える。
だが今度は、何かが壊れる音はしなかった。
綾瀬が一歩前に出て、静かに手を伸ばす。
「行こう。君の力を、君のために使えるようにしよう」
ユウは、震える手を——初めて、誰かの手に重ねた。
その瞬間だけ、世界は優しく静かだった。
◆
黒い車に乗った瞬間、ユウは窓の外がどんどん遠ざかっていくのを見ていた。
村の神社。
川。
錆びた自転車。
そして、家。
父は見送りに出てこなかった。
それでいい、とユウは思った。思うしかなかった。
ただ、車が坂を下り切る直前、ルームミラーの端に——誰かの影が映った気がした。
玄関の前に立つ男の影。
顔は見えないのに、なぜかそれが父だと分かった。
ユウは、視線を窓の外に戻した。
(……もう、戻らない)
そう決めると、胸の奥が少し痛んだ。
痛みは感情だ。感情は、世界を揺らす。
けれど車内の空気は揺れなかった。
綾瀬が、運転席の相原に目配せする。
「安心して。もう、ここでは“壊れない”」
ユウは「壊れない」という言葉を、口の中で何度も転がした。
◆
連れて行かれたのは、都心から少し外れた山間にある、巨大な施設だった。
表札には、何も書かれていない。
ただ、門の横に小さく刻まれているのは——見慣れない幾何学模様。
「結界紋よ」
綾瀬はユウの視線に気づいて説明した。
「能力の漏れを外へ出さないための“境界”。ここは、能力者を守る場所でもあるし、一般社会を守る場所でもある」
門が開く。
中には、普通の学校のような校舎、寮、体育館のような建物。
しかし空気が違った。
見えない圧がある。
濃い。
——それでも不快じゃない。
ユウは自分の胸が少し軽くなるのを感じた。
初めて、息を吸っても怒られない場所に来た気がした。
「ここが中等課程——君の言う“中学”にあたる教育部門。正式名称は境界育成院」
綾瀬は歩きながら続けた。
「学力も教える。でも、主は能力制御。君みたいに“副作用”が強い子は、ここで生き方を学ぶの」
ユウは言葉を飲み込んだ。
(生き方……)
今までの生き方は、感情を殺すことだった。
それ以外を、彼は知らない。
◆
最初の数日は、寮の部屋からほとんど出られなかった。
廊下から聞こえる足音が怖い。
知らない人の気配が怖い。
怖いと、世界が揺れる——はずだった。
なのに、揺れない。
それが余計に怖かった。
ユウはベッドの上で膝を抱え、何度も自分の手を見つめた。
今まで、感情が漏れるたびに外が壊れた。
でもここでは、壊れない。
(……ぼくの力が、弱くなった?)
そう思った瞬間、胸が熱くなる。
期待と不安が同時に湧いた。
ノックが響く。
「真城ユウ。入るぞ」
低い男の声。
扉が開き、がっしりした体格の教官が入ってきた。制服のようなジャケット。
「俺は鬼塚。初等から上がってきた奴らの担任もやってる。……お前の担当教官だ」
鬼塚はユウをじっと見た。
その視線は、村の大人たちのそれとは違う。
嫌悪でも、恐怖でもない。
観察と、判断。
「怖いか?」
ユウは頷けなかった。
頷くと、何かが認められる気がした。
鬼塚は短く笑った。
「結構。怖いなら、まず知れ。知らねえから怖い。お前の力を、俺が測る。……いや、“測れるところまで測る”」
ユウは目を見開いた。
測る。
村では「呪い」として片付けられていたものを、ここでは測ろうとする。
それは、恐ろしくもあり、救いでもあった。
◆
初日の能力測定は、体育館のような広い施設で行われた。
同じ年頃の子どもたちが並ぶ。
ユウは視線を落とし、誰とも目を合わせないようにした。
しかし、周囲の“気配”は強烈だった。
熱を帯びた気配。
鋭い刃のような気配。
水面のように静かな気配。
能力の種類が、空気に滲んでいる。
「次、真城ユウ」
名前を呼ばれて、ユウは一歩前へ出た。
計測機器が並ぶ。
センサー、ガラス板、何かの術式が刻まれた床。
鬼塚が言う。
「まず、感情を動かせ。弱くていい。小さくでいい。……お前の“揺れ”を出してみろ」
ユウは、喉が鳴るのを感じた。
(感情を、動かす)
今まで必死に殺してきたものを、今ここで動かせと言う。
それは、火の中に手を突っ込めと言われるような恐怖だった。
ユウは小さく息を吸って、思い出した。
村の川辺。
綾瀬の手。
「泣いていい」という言葉。
……ほんの少しだけ。
胸の奥に、温度を灯す。
その瞬間、計測機器が一斉にノイズを吐いた。
センサーが点滅し、表示が乱れる。
ガラス板の表面が、まるで映像が歪むように波打った。
そして、術式床の模様が——一瞬、別の模様に“書き換わった”。
鬼塚が目を細める。
「……干渉系。だが、質が違う」
綾瀬がメモを取りながら呟く。
「確率改変……いいえ、因果そのもの。これ、制御なしだと世界に穴が開くタイプね」
相原が機器を叩き、焦ったように言った。
「測定不能。出力上限の設定が無意味です。……数値化できません」
ざわめきが広がる。
「測定不能って」
「なにそれ」
「怪物じゃん」
その言葉がユウの鼓膜を刺した。
怪物。
村で言われた言葉と同じだ。
胸がざわつく。
ざわつくと、世界が——
「止めろ」
鬼塚の声が、床を叩いた。
「真城。呼吸しろ。……今はここだ。ここは“壊れない”。壊しても、受け止める仕組みがある」
ユウは必死に息を吸い、吐いた。
胸のざわつきが収まると、機器のノイズも静かに消えていった。
鬼塚はユウに背を向けて、周囲に怒鳴る。
「見世物じゃねえ! ガキども、余計な口を開くな!」
ざわめきが引いた。
ユウはうつむいたまま、拳を握りしめた。
(……同じだ。どこに行っても)
そのとき、横から声がした。
「おい」
顔を上げると、同じ年頃の少年が立っていた。
短い髪、切れ長の目。制服の襟をだらしなく開け、態度がやけに堂々としている。
「真城ユウ、だっけ。お前、怖いな」
ユウは固まった。
怖い。
またその言葉。
だが少年は、次の言葉を続けた。
「……でも、ちょっとワクワクする」
ユウは瞬きをした。
「俺、榊レン。覚えとけ。——いつか、勝負しようぜ」
レンはそう言って笑った。
嫌悪の笑いではない。
挑戦状みたいな笑いだった。
ユウの胸のどこかが、少しだけ軽くなる。
怖がられたのに、突き放されていない。
そんな経験は、初めてだった。
◆
授業は、普通の教科と、能力のための科目が半々だった。
境界理論。
出力制御。
副作用学。
対異能戦術。
ユウは、教科書の文字を追うのが得意だった。
言葉は、壊れない。
少なくとも、彼の力では壊れない。
一方、実技は地獄だった。
感情を動かせば、空気が歪む。
歪みの方向が分からない。
勢いを間違えれば、何が起きるかも予測できない。
鬼塚は容赦がなかった。
「感情を殺す癖、やめろ。お前の能力は“恐怖”を燃料にすると一番暴れる。分かるか。恐怖の中で抑えようとするから、こじれる」
ユウは歯を食いしばった。
「じゃあ……どうしたら」
「恐怖を、分解しろ。怖いって気持ちを、言葉にしてみろ。何が怖い。どう怖い。どこまでが怖い。——それを理解できれば、お前は初めて“操作”できる」
ユウは言葉を探した。
怖いのは、壊すこと。
怖いのは、嫌われること。
怖いのは、また一人になること。
「……ひとりに、なるのが」
思わず漏れた声が、自分のものと思えないほど小さかった。
鬼塚は、少しだけ目を細めた。
「それだ」
◆
数週間後、ユウには「理解者」が一人ついた。
副作用学の講師——篠宮結。
若い女性で、白衣の上からでも分かるほど姿勢がいい。
だが目は柔らかく、言葉の端々に“人を壊さない”配慮があった。
授業のあと、結はユウを呼び止めた。
「真城くん。少し、話せる?」
ユウは反射的に身構える。
大人の呼び止めは、いつも悪い予感と結びついていた。
しかし結は、机の上にノートを置いただけだった。
「あなたの能力、“副作用”が強いでしょう」
ユウの心臓が跳ねる。
「でもね、副作用は“罰”じゃない。強い力には、強い反動がある。それだけ」
結は、まっすぐユウを見た。
「忌み子と呼ばれた原因。村で起きた怪異。あなたが自分を責める理由——全部、ここで整理していける」
ユウは唇を噛んだ。
「……ぼくは、世界を変えてしまう」
結は頷いた。
「そう。あなたは“結果”を触れる。だから幼い頃は、感情がそのまま現実に漏れた。泣けば壊れる。怯えれば止まる。……でもね」
結は言葉を区切る。
「それは同時に、“守れる”ってことでもあるの」
守れる。
その単語が、胸に落ちた。
ユウが今まで一度も、自分に許したことのない役割だった。
◆
レンは、相変わらず距離の詰め方が雑だった。
昼休み、ユウが一人で食事をしていると、当然のように向かいに座る。
「お前、飯食うの遅いな」
「……放っておいて」
「無理。お前見てると落ち着かねえ。なんかこう、爆弾眺めてる気分」
ユウはぎょっとした。
嫌味かと思ったが、レンは悪びれもしない。
「でも、爆弾って扱い方分かれば便利だろ? 俺はさ、強い奴好きなんだよ。ムカつくけど」
レンは箸で唐揚げをつつきながら続けた。
「俺の能力は“加速”。身体も思考も、局所的に速度を上げられる。強いけど、結局は“自分”の範囲だ。お前は違う。世界そのものが対象っぽい」
ユウは黙って聞いていた。
レンはふいに言った。
「怖い」
ユウの背中が硬直した。
またその言葉。
だがレンは、すぐに笑う。
「怖いけど、羨ましい。——だから勝ちたい」
その言葉は、ユウを傷つけなかった。
むしろ、胸の奥で小さな火が灯る。
(……勝ちたい)
それは、ユウが初めて持った、前向きな欲望だった。
◆
初めての実戦訓練は、模擬都市区画で行われた。
街並みの模型ではない。
本物の建物、本物の道路、本物の信号。
ただし住民はいない。結界の内側にある、訓練用の空間だ。
課題は「暴走異能の制圧」。
相手はダミー——だが、異能反応は本物そっくりに再現される。
チーム分けが発表される。
ユウ、レン、そしてもう一人。
髪を短く切り揃えた女子生徒——朝霧ミナト。
名前は中性的だが、声は落ち着いていて、目が冷静だった。
「朝霧。能力は?」
レンが尋ねると、ミナトは淡々と答えた。
「固定。対象の状態を一定時間固定する。物でも人でも。……ただし、私の認識が曖昧だと精度が落ちる」
レンがニヤリとする。
「便利だな。ユウ、お前暴れたら固定してやるってさ」
ミナトは即答した。
「暴れたら固定じゃ済まないと思う」
ユウは何も言えず、視線を落とした。
怖い。
また怖い。
だが今回は、違った。
(怖いなら、分解しろ)
鬼塚の言葉が頭に響く。
怖いのは、壊すこと。
壊すと、嫌われること。
嫌われると、一人になること。
——つまり、怖いのは「結果」だ。
ユウは小さく息を吸った。
(だったら、結果を……書き換えればいい?)
模擬都市の奥で、暴走反応が膨れ上がる。
火花。ひび割れる道路。落ちる看板。
レンが加速して先行し、ミナトが固定で空間の揺れを押さえ、避難路を確保する。
「ユウ! お前は!?」
レンが叫ぶ。
ユウは足を止めたまま、暴走の中心を見た。
中心には、黒い球体のような異能核が渦巻いている。
触れれば、爆発。
放置すれば、街区が崩壊。
ユウの心臓が跳ねた。
怖い。
でも今回は、逃げない。
ユウは思い出した。
自分が泣いたら変圧器が壊れた日のこと。
自分が怯えたら川が止まった日のこと。
どれも、“そうなった”。
——なら、逆もできる。
ユウは、言葉にした。
自分の中で、はっきりと言葉にする。
(爆発しない)
(壊れない)
(終わる)
感情は、恐怖ではなく——願いに変える。
次の瞬間、黒い異能核が、音もなく縮んだ。
「……え?」
レンが立ち止まる。
ミナトが目を見開く。
異能核は、まるで最初から存在しなかったみたいに、消えた。
警報が止まった。
街区は無傷。
訓練システムが困惑したように、遅れて「制圧完了」を表示する。
レンが叫んだ。
「……お前、なにした!?」
ユウは、震える手を見つめながら答えた。
「……爆発するはずだったのを、爆発しなかったことに」
ミナトが、息を吐いた。
「因果……」
レンは、しばらく黙っていた。
そして、歯を見せて笑う。
「やっぱり怖い。——でも、最高だ」
◆
訓練後、鬼塚はユウを呼び出した。
「今のは、初めて“意図”が入った干渉だ」
ユウは息を呑む。
「……できた、の?」
「できた。だが、代償もある」
鬼塚はユウの胸元——制服の布越しに、指で軽く押した。
「胸、痛くないか」
ユウは気づいて、顔をしかめた。
確かに、胸の奥が熱い。
心臓の鼓動が、いつもより重い。
鬼塚は言った。
「お前の能力は、世界を“書き換える”。書き換えるってのは、帳尻合わせが必要だ。……お前自身が、その帳尻を払う可能性がある」
ユウは、目を伏せた。
「……じゃあ、使わない方が」
「違う」
鬼塚は、即座に否定した。
「使わねえと、お前はまた自分を殺す。副作用よりそっちの方が危険だ。
使い方を覚えろ。支払い方を覚えろ。——そして、仲間を持て」
仲間。
ユウの脳裏に、レンの笑顔と、ミナトの冷静な目が浮かんだ。
◆
夜、寮の廊下で、ユウは結に呼び止められた。
「今日の訓練、見てたわ」
結は静かに言った。
「初めて“願い”で世界を触れたのね」
ユウは頷いた。
「怖かった。でも……逃げたくなかった」
結は少しだけ微笑む。
「それが成長。あなたが忌み子と呼ばれたのは、あなたのせいじゃない。強すぎる力が、幼い心に寄り添えなかっただけ」
結はユウの目を見た。
「ねえ、真城くん。あなたの力の本質は、“最強”よ」
ユウの喉が鳴る。
「……最強」
「でも、最強は孤独を呼びやすい。怖がられる。羨ましがられる。利用される。
だから、あなたが先に決めて。——何のために使うのか」
ユウは、すぐには答えられなかった。
でも、胸の奥に確かな像があった。
村で、石を投げられた自分。
“忌み子”と呼ばれた自分。
泣くことすら許されなかった自分。
(あんな子を、もう作りたくない)
ユウは小さく言った。
「……守れるように」
結は頷いた。
「うん。それでいい」
◆
数ヶ月が過ぎ、ユウは「普通」に慣れ始めた。
朝起きて、授業を受けて、訓練して、夜に眠る。
それだけのことが、こんなに落ち着くなんて知らなかった。
レンは相変わらず絡んできたが、最近は少しだけ真面目だった。
「お前、感情出せるようになってきたな」
ユウは眉をひそめる。
「……嫌味?」
「違う。……羨ましい」
レンは視線を逸らして言った。
「俺さ、速くなるほど、周りが遅く見えるんだ。分かるか? みんな止まって見える。
その瞬間、世界から置いていかれた気がする。……お前の孤独って、たぶんそういうのに近いだろ」
ユウは、初めてレンをちゃんと見た。
ライバルだと思っていた少年にも、痛みがある。
それを言葉にできる強さがある。
ユウは、ほんの少しだけ口角を上げた。
「……じゃあ、置いていかれないように、一緒に走ればいい」
レンが目を丸くする。
「お前、今の、口説いてる?」
「違う!」
ユウが慌てると、レンは腹を抱えて笑った。
その笑い声が、ユウの胸を暖かくした。
◆
——そして、中等課程の終わりが近づく頃。
綾瀬が再び、ユウの前に現れた。
「真城ユウ。君に、次の進路の話をする」
ユウは緊張しながら椅子に座った。
綾瀬は資料を差し出す。
そこには、高等課程の名前——境界高等部と、特別進級枠の文字。
「君は、ここから先が本番よ」
綾瀬は静かに言った。
「君の能力は“抑えれば安全”じゃない。“抑え続ければ暴発する”。
だから高等部では、より実戦的な制御と……“真相”に触れる」
ユウの指先が冷えた。
真相。
忌み子と呼ばれた理由。
副作用の正体。
そして——本当に自分は何者なのか。
綾瀬は言った。
「高等部では、君の能力の正式名称が付く。
君が逃げないなら、私たちは全部教える」
ユウは息を吸った。
逃げない。
その言葉は、もう彼にとって呪いではなかった。
「……行きます」
綾瀬は、少しだけ笑った。
「うん。いい返事」
◆
高等部の門は、中等部よりも静かだった。
同じ敷地内にあるのに、空気の密度が違う。
結界が幾重にも重なっているのが、肌で分かる。
「ここから先は、子どもの遊びじゃない」
鬼塚が、校舎を見上げながら言った。
「中等部は“生き残るための教育”。高等部は“使うための教育”だ。……覚悟はあるな」
ユウは頷いた。
怖さが消えたわけじゃない。
でも今は、怖さを言葉にできる。
怖いのは、失敗すること。
失敗して、誰かが傷つくこと。
傷ついて、自分がまた「孤独」に戻ること。
だから、守る。
守れるように強くなる。
その願いを胸に、ユウは高等部の門をくぐった。
◆
高等部に入って最初の週。
ユウは、ひとつの部屋に呼び出された。
壁一面が白い。
床には複雑な術式が刻まれ、天井には監視用のレンズが何十も埋め込まれている。
空気が冷たい。静かだ。
綾瀬がいた。
相原がいた。
そして篠宮結も、白衣のまま立っていた。
最後に、見知らぬ老人が椅子に座っていた。
「真城ユウ」
老人は、名を呼ぶだけで場を支配した。
「私は統括顧問、鷲尾だ。君の能力の“正式認定”を行う」
ユウは喉を鳴らした。
正式認定。
能力に名前がつく。
それは、ユウの人生に初めて「輪郭」が与えられる瞬間でもあった。
鷲尾が言った。
「君の能力はこれまで、干渉系としか分類できなかった。だが、高等部の結界と観測網なら、もう少し深く見える」
老人が指を鳴らす。
床の術式が淡く光る。
同時に、ユウの背筋が冷えた。
「……来る」
何かが、ユウの中から“引き出される”感覚。
胸の奥の扉を、誰かが無理やり開けようとしている。
結が前に出た。
「真城くん。呼吸。あなたが主導権を握って。観測されるだけにならないで」
ユウは息を吸った。
(主導権を、ぼくが)
鷲尾が淡々と告げる。
「感情を一点に定めろ。今、一番強いものを」
ユウの脳裏に浮かんだのは、村の川辺だった。
石を投げられた自分。
泣けば壊れた世界。
そして、綾瀬の手。
——守りたい。
それが、今のユウの核だった。
ユウはその願いに、意識を寄せる。
途端、部屋の空気が震えた。
監視レンズが一斉に焦点を結ぶ。
床の術式が、別の模様へ変化しはじめる。
綾瀬が呟く。
「……空間の座標が、ずれてる」
相原が叫ぶ。
「観測値が二重化してる! 一つの結果に対して、複数の“ありえた経路”が同時に存在——」
鷲尾が、うっすら笑った。
「やはりな。真城ユウ。君の能力の正式名称は——」
老人は、はっきりと言った。
「因果上書」
その言葉が、ユウの胸に落ちた。
因果。
原因と結果。
世界の道筋。
それを、上書きする。
鷲尾は続ける。
「君は“起きた結果”を触れる。触れて、別の結果に差し替える。
火が燃えたなら、燃えなかったことにできる。
人が死んだなら、生きていたことにできる。
だが同時に——世界は帳尻を求める」
ユウの心臓が重く鳴った。
「帳尻……」
鷲尾は頷く。
「因果をねじ曲げた分だけ、世界は“整合性”を取り戻そうとする。
その反動が、君の副作用だ」
綾瀬が、低い声で補足した。
「君が生まれた日の分娩室。あれは、君が“世界を安定させよう”として起こしたものよ」
ユウは息を呑む。
「……安定?」
結が、静かに言った。
「あなたは生まれた瞬間、世界を“矯正”しようとした。
赤ちゃんがそんなことをするのは異常。
でも、あなたは——それができてしまった」
ユウは耳を疑った。
「ぼくは、壊してたんじゃ……」
「違う」
綾瀬ははっきり言った。
「あなたは“壊れる未来”を、“壊れない未来”に変え続けた。
ただ、そのせいで世界の整合性が足りなくなって、近くのものが壊れた」
ユウは唇を噛んだ。
副作用。
村で起きた怪異。
泣けば割れた窓。止まった時計。
それらは、ユウが無意識に“守った結果”のツケだった。
鷲尾が結論を言う。
「真城ユウ。君は忌み子ではない。
むしろ——世界を守るために生まれた“矯正装置”に近い。
だが、装置は壊れる。使い続ければな」
ユウの背中が冷たくなった。
「……ぼくは、壊れる?」
鷲尾は頷いた。
「正確には、君の“存在確率”が削れていく。
君が上書きを重ねれば重ねるほど、君の存在は“世界にとって説明しづらいもの”になる。
説明できないものは、世界から弾かれる」
ユウの視界が一瞬だけ暗くなる。
怖い。
でも、今度は逃げない。
ユウは言った。
「……それでも、使います」
鷲尾は目を細め、微かに嬉しそうに笑った。
「よろしい。ならば教えよう。
君の力の“支払い方”を」
◆
高等部の訓練は、苛烈だった。
災害級の暴走。
対人戦。
複数異能の連携。
そして——因果上書の安全運用。
ユウは学んだ。
上書きには代価がある。
小さな上書きなら、代価も小さい。
しかし大きな上書きは、世界に歪みを残す。
その歪みは、時に偶然として現れる。
ユウが通ったあと、電灯が一つだけ切れる。
ユウが眠った夜、夢の中で同じ風景を何度も繰り返す。
ユウの名前を呼ぼうとすると、舌がもつれる生徒が出る。
存在確率が削れていく兆候。
結は、それを「欠け」と呼んだ。
「欠けは、あなたが世界に支払ったもの。
でもね、真城くん。欠けはゼロにはできない。
だから、あなたは“誰か”と繋がる必要がある」
「繋がる?」
結は頷く。
「あなたが世界に説明しづらい存在になるなら、
誰かの心に説明を作るの。
あなたはここにいる、って」
ユウはその言葉を、深く胸に刻んだ。
◆
レンとの勝負は、自然と増えた。
レンの加速は磨かれていた。
身体だけじゃない。思考の加速。反射の加速。
そして、加速した世界で孤独を抱える痛みも、彼は抱えたまま進んでいた。
「ユウ。お前、最近たまに“薄く”なるよな」
ある日レンが、訓練後に言った。
ユウは息を止めた。
「……分かるの?」
「分かる。……怖い。けど、目を逸らしたら負けだろ」
レンは歯を食いしばって笑った。
「お前が消えるとか、ふざけんな。勝負する相手いなくなるだろ」
その雑な言い方が、ユウには救いだった。
ミナトも、静かに言った。
「私は固定できる。……あなたが薄くなるなら、固定する方法を探す」
ユウは喉が熱くなった。
友達。
仲間。
繋がり。
確かに、ユウの世界は変わっていった。
◆
高等部二年の冬。
実戦任務が下りた。
「災害級暴走。場所は——旧・真城村近辺」
その地名が口にされた瞬間、ユウの体温が下がった。
村。
あの場所。
忌み子と呼ばれた場所。
泣けば壊れた場所。
そして父がいた場所。
綾瀬がユウの顔を見た。
「行ける?」
ユウは、深く息を吸った。
怖い。
でも、怖さは分解できる。
怖いのは、昔の自分に戻ること。
戻って、また壊すこと。
壊して、また一人になること。
だが、今は一人じゃない。
ユウは言った。
「……行きます」
レンが肩を叩く。
「当たり前。俺らも行く」
ミナトが頷く。
「チームで行く。あなた一人にしない」
ユウは、小さく笑った。
それだけで胸が少し軽くなる。
◆
現場は、地獄だった。
山の斜面が裂け、道路が波打つ。
空気がねじれ、霧のような黒い異能残滓が漂っている。
綾瀬が通信で言った。
「暴走の中心に、誰かいる。……能力者よ」
ユウは、肌で感じた。
この歪みは、自分と似ている。
因果。
世界の道筋を、ねじ曲げている。
「同系統……?」
レンが唾を飲む。
「いや、違う」
結が通信で言った。
「真城くん、気をつけて。これは上書きじゃない。
これは——書き換え続けた結果、破綻した空間よ」
破綻。
その言葉が、ユウの背中を冷たく撫でた。
◆
暴走の中心に近づくと、ユウは見た。
崩れた神社。
朽ちた鳥居。
昔、塩を撒かれた道。
村はすでに半分、避難していた。
だが避難できない人間もいる。
そして——視線。
ユウを見て、怯える視線。
囁く声。
「……忌み子」
「戻ってきた」
「やっぱり、あいつのせいだ」
胸が痛んだ。
痛みは感情。感情は世界を揺らす。
ユウの足元の砂利が、微かに浮いた。
レンが前に出る。
「黙れ!」
怒号が響く。
村人が驚いて後ずさる。
レンは続けた。
「こいつは、お前らを助けに来た! 怖いなら逃げろ!
けど、石を投げる暇があるなら手を動かせ!」
ユウはレンの背中を見て、息を整えた。
(……ぼくは、今の自分でここに立つ)
◆
中心部にいたのは、一人の男だった。
背中が曲がり、顔は土と血で汚れている。
しかし目だけが異様に光っていた。
「……矯正装置が、来たか」
男が笑った。
ユウは耳を疑った。
矯正装置。
それは鷲尾が言った言葉と同じだ。
綾瀬が叫ぶ。
「あなたは誰?」
男は低く笑う。
「俺も、忌み子だった。お前らが拾い損ねた、な」
ユウの喉が鳴った。
「……同じ力?」
男は首を振った。
「同じじゃない。俺は因果改竄だ。
上書きじゃない。原因そのものを書き換える。……だから世界が壊れる」
空気が裂けた。
地面が波打ち、空間が捻じ曲がる。
レンが加速して突っ込む。
ミナトが固定で空間の揺れを押さえ、避難路を確保する。
しかし、揺れが強すぎる。
「ユウ! お前の番だ!」
レンが叫ぶ。
ユウは前に出た。
怖い。
でも分解する。
怖いのは、これを止められないこと。
止められないと、みんなが死ぬこと。
死ぬ未来を、見たくないこと。
ユウは目を閉じた。
(止める)
(壊れない)
(みんな、生きる)
そして——胸の奥の痛みを、受け入れる。
上書きは代価を払う。
なら、払う。
ユウが目を開いた瞬間、世界が静止した。
◆
因果上書は、結果に触れる。
崩れ落ちるはずだった斜面は、崩れなかったことになる。
裂けた空気は、裂けていなかったことになる。
だが男の因果改竄は、原因そのものを変えてくる。
上書いた結果の元が変えられれば、上書きは剥がれる。
互いの力がぶつかり、空間が軋む。
ユウは歯を食いしばった。
(このままだと、世界が——)
その瞬間、頭の奥に欠けが走った。
視界の端が、白く欠ける。
音が、遠のく。
自分の名前が、薄れる。
——削れている。
ユウは、理解した。
大きな上書きを重ねれば、自分が消える。
それでも——。
レンの声が響いた。
「ユウ! 戻れ! お前、薄いぞ!」
ミナトの声。
「固定する! ユウ、今のあなたを固定する!」
結の声。
「真城くん! 一人で払わないで! 繋がって!」
繋がる。
ユウは、目を見開いた。
(……そうだ。ぼくは、もう一人じゃない)
ユウは叫んだ。
「レン! ミナト! 結先生! ——ぼくを、ここに固定して!」
ミナトが術式を展開する。
「固定——真城ユウ!」
レンが加速し、ユウの手を掴む。
「お前、勝手に消えるな! 俺の勝負相手だろ!」
結が、静かに言葉を重ねる。
「あなたはここにいる。あなたは真城ユウ。守りたいと願った子。——あなたは説明できる存在よ」
その瞬間、欠けが止まった。
世界が、ユウの存在を“認めた”気がした。
◆
ユウは最後の上書きを選ぶ。
男の因果改竄の結果を、上書きするのではない。
男が歪ませ続けてきた破綻した現実を、ひとつの結末へ収束させる。
——これ以上、ねじ曲げられない形に。
ユウは、心の底から願った。
(終わってほしい)
(この人も、もう苦しまないでほしい)
(世界も、これ以上壊れないでほしい)
優しさは、時に刃になる。
だがユウはそれでも選ぶ。
世界が静かに揺れて、そして——止まった。
男が膝をついた。
「……っ、は……」
目の光が弱まる。
周囲の歪みが、霧が晴れるように収束していく。
男は、ユウを見上げた。
「……お前は、いいな。仲間がいる」
ユウは、息を吐いて答えた。
「……あなたも、最初から忌み子じゃなかった。
拾われなかっただけだ」
男は、苦笑いを浮かべた。
「……遅いよ。もう、手遅れだ」
ユウは首を振る。
「手遅れにしない。——これから先は、ぼくが拾う」
男の目から、涙が一滴落ちた。
◆
任務が終わったあと。
村の避難所で、ユウは一人の男と向き合った。
父だった。
老けた顔。
震える手。
目を合わせられない弱さ。
父は絞り出すように言った。
「……すまなかった」
ユウは、すぐには返せなかった。
許す、許さない。
そんな単純な言葉で片付く痛みじゃない。
でもユウは知っている。
感情を殺す癖は、もう捨てるべきだと。
ユウはゆっくり言った。
「……ぼくも、怖かった」
父が顔を上げる。
「怖くて、泣けなかった。怒れなかった。
泣くと壊れるから。怒ると壊れるから。
だからぼくは、ずっと自分を殺してた」
父の目が揺れる。
ユウは続けた。
「でも今は、壊しても止められる。
壊れないように守れる。
だから、もう……戻らない」
父の肩が落ちた。
ユウは最後に、はっきり言った。
「ぼくは忌み子じゃない。
忌み子って呼んだ言葉の方が、ぼくを壊した」
父は唇を震わせ、何度も頷いた。
「……ああ。……そうだ」
◆
帰りの車の中。
レンが窓の外を見ながら言った。
「お前、消えなかったな」
ユウは笑った。
「固定されたから」
ミナトが淡々と付け足す。
「固定は万能じゃない。……でも、あなたがここにいると私たちが認識していれば、欠けは遅くできる」
結が、後部座席から静かに言う。
「だから、これからも繋がり続けるの。
あなたが守った世界で、あなた自身も守られるために」
ユウは、胸の奥の痛みを感じた。
でも以前と違う。
それは恐怖ではなく、確かな実感だった。
自分はここにいる。
仲間がいる。
守りたいものがある。
◆
高等部の校門をくぐるとき、ユウは空を見上げた。
青い。
澄んでいる。
世界は、ちゃんと続いている。
忌み子と呼ばれた原因は、最強の能力の副作用だった。
だが副作用は、呪いではない。
代償であり、証明だ。
ユウは小さく息を吸って、前を向いた。
「……次は、ぼくが拾う番だ」
どこかで、かつての自分みたいに泣けない子がいる。
怖くて、怒れない子がいる。
世界に拒まれたと思い込んでいる子がいる。
なら——。
因果を書き換える力で、道を作る。
忌み子と呼ばれた少年は、
世界の理を歪める力で、世界を守る。
そしていつか、誰かの胸の中に“説明”を残すだろう。
——この世界に、君はいていい。
木々のざわめきが、優しくユウの背中を押した。




