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忌み子と呼ばれた僕は、世界の理を書き換える

作者:
掲載日:2025/12/16

※本作には「忌み子」としての差別・孤立、心ない言葉の描写があります。

ただし過度な暴力や残虐描写はありません。

現代異能×学園×成長の読切としてお楽しみいただけたら嬉しいです。

その子は、生まれた瞬間から「異物」だった。


 産声が上がらない。

 泣きも叫びもなく、赤子はただ静かに目を開いた。


 次の瞬間、分娩室の照明が、ひとつ残らず砕け散った。


 パァン、パァン、と乾いた破裂音が連鎖し、硝子片が雪のように舞う。

 機器の警告音が途切れ、心電図の波形が真っ直ぐになり——しかし母体の脈は、正常だった。


 停電ではない。病院の廊下は明るく、隣室も稼働している。

 異常が起きたのは、この部屋だけ。まるで、世界が「ここだけ」嫌がったみたいに。


 医師が震える声で呟いた。


 「……この子が、原因か?」


 赤子は、天井を見つめたまま瞬きもしない。

 泣かないのは、苦しくないからじゃない。

 その目は、世界の音を聞く前から、世界の“規則”を見ているようだった。



 少年の名は、真城ユウ。


 山と川に囲まれた小さな集落で育った。地図に載るかどうかも怪しい、昔ながらの村。

 その村には、昔から言い伝えがあった。


 ——災いは、人の形をして生まれる。

 ——異端は、村を喰う。


 ユウが生まれた日から、村の空気は変わった。


 まず、時計が止まった。

 村中の掛け時計が、同じ時刻で針を落とした。


 次に、窓が割れた。

 風もない夜、戸締りされた家の窓が内側から弾けた。


 そして、最も恐ろしかったのは——「理由が見つからない」ことだった。


 原因が分からない怪異は、人を壊す。

 人は、分からないものに名前をつけて安心しようとする。


 だから村人は、ユウに名前をつけた。


 「忌みいみご


 その二文字は、呪いみたいに、すぐに村の常識になった。



 幼いユウは、自分が“何か”をしている自覚がなかった。


 ただ、嬉しいときに空気が軽くなったり、

 怖いときに風が止まったり、

 泣きそうになると、ガラスが小さく震えたりする。


 最初は偶然だと思った。


 でもある日、五歳の春。

 ユウが転んで膝を擦りむき、堪えきれず泣き声を上げた瞬間——


 近くの電柱の変圧器が「パン」と破裂した。


 空が一瞬だけ暗くなる。

 遠くの犬が一斉に吠え、近所の家から怒鳴り声が飛んだ。


 ユウは涙を止めた。

 喉の奥に、泣き声を押し込んだ。


 (ぼくが、泣いたから?)


 翌日から、村の子どもたちはユウを避けた。


 砂場で遊んでいると、輪の外から石が飛んできた。

 「うつるぞ」と言われた。

 触れたら災いが移る、という大人の言葉を、そのまま繰り返す。


 ユウは何も言わず、砂を握った。

 握る手のひらが震えた瞬間、砂がさらさらとすり抜けていく。

 まるでそこに「握る」という結果が存在しなかったみたいに。


 怖くなって、ユウは手を開いた。



 家庭もまた、ユウの避難所にはならなかった。


 母は、ユウが小学校に上がる前に家を出た。

 理由を誰も説明しなかった。いや、説明する必要がないという顔を、村がしていた。


 父は、村の空気に押し潰された。


 酒が増え、口数が減り、最後には言葉が刃になる。


 「……お前さえいなければ」


 ユウはその言葉を何度も聞いた。

 最初は胸が痛かった。でも痛いときほど、何かが壊れる。


 だからユウは、痛くならないふりを覚えた。


 泣かない。

 怒らない。

 笑わない。


 感情を抑えれば、世界は静かになる。

 静かなら、誰も傷つかない。


 幼いユウは、そうやって生き延びた。



 それでも、完全に抑え込めるわけがなかった。


 村の空気は重く、視線は常に刺さる。

 ユウが通るだけで、井戸端の会話が止まる。

 神社の前を通ると、誰かが塩を撒いた。


 「見ちゃいけない」

 「近づいちゃいけない」


 それが、ユウの世界だった。


 そして十二歳の夏。


 その日もユウは、川べりの石に腰を下ろしていた。

 村の中に居場所がなくなると、自然と外に出るようになる。川の流れだけは、ユウを拒まなかった。


 ぼんやり水面を見ていると、足元の小石が、ふわりと浮いた。


 ——風もないのに。


 ユウが驚いた瞬間、浮いた小石はぽとりと落ちた。

 次の小石が、また浮く。


 (……ぼくが、見たから?)


 不意に、背後から声がした。


 「それ、君がやってるの?」


 振り返ると、川辺に似合わないスーツ姿の女性が立っていた。

 髪をきっちりまとめ、目だけが異様に鋭い。


 隣には、同じくスーツの男性。黒い車が少し離れた場所に停まっている。

 都会のナンバーだ。


 村の人間じゃない。

 外の人間だ。


 ユウは反射的に立ち上がり、距離を取った。

 心臓が跳ねる。怖い。

 怖いときは——世界が揺れる。


 水面が一瞬だけ波立ち、川の流れが止まったように見えた。


 女性は目を見開き、それから確信したように言った。


 「……やっぱり。反応が強い」


 男性が小さく通信機を触る。


 「対象確認。レベル……計測不能。いや、これ……」


 ユウは逃げようとした。

 けれど、女性は慌てて手のひらを見せる。


 「待って。怖がらせるつもりはないの」


 その声が、妙に落ち着いていた。

 ユウの中の“揺れ”が、ほんの少し収まる。


 「君の名前は?」


 「……ユウ」


 「ユウ。私は綾瀬。こっちは相原。……君に、話がある」


 ユウは唇を噛んだ。


 (また、“忌み子”って言われるんだ)


 大人は皆そうだ。

 優しい顔をして近づいて、最後には同じ言葉で突き放す。


 ユウが視線を落とすと、綾瀬は静かに言った。


 「君、ずっと“封じ込めてる”よね」


 その一言で、ユウの息が止まった。


 封じ込めてる。

 抑えてる。

 感じないふりをしてる。


 誰にも言ったことがない。誰にも気づかれたことがない。

 なのに、この人は——まるで最初から知っているみたいに言った。


 綾瀬は続けた。


 「君は忌み子なんかじゃない。

  ただ……力が強すぎるの。強すぎて、周りが壊れる」


 ユウの喉が震えた。

 声が出ない。泣きそうになる。泣いたら、壊れる。


 でも綾瀬は、ユウの“怖さ”を見越したように、ゆっくり言葉を選んだ。


 「大丈夫。ここで壊れても、私たちなら止められる」


 その瞬間、ユウの胸の奥で何かが、ほんの少しだけほどけた。


 「……ぼくは、壊すだけだ」


 ユウが絞り出すと、綾瀬は即座に首を振った。


 「違う。君は壊してない。

  君は——世界の理に干渉してる」


 ユウは顔を上げた。


 「……り?」


 綾瀬は、川面を指さした。


 「今、川が止まった。普通はありえない。

  でも君が怖がった瞬間、“止まったことになった”。

  つまり君は、現実の結果を……上書きしてる」


 上書き。

 それは、ユウがずっと恐れてきた“説明のつかないもの”に、初めて与えられた言葉だった。


 綾瀬は、最後にこう言った。


 「ユウ。君の居場所は、ここじゃない。

  君を“忌み子”って呼ばない場所がある。

  そして、君自身が君を嫌わなくていい場所がある」


 ユウの視界が滲んだ。


 泣かない。泣いちゃいけない。

 でも、綾瀬は言った。


 「……泣いていい。壊れても、私が受け止める」


 その言葉に、ユウの胸の堤防が崩れた。


 涙が落ちた瞬間、川辺の空気がびり、と震える。

 だが今度は、何かが壊れる音はしなかった。


 綾瀬が一歩前に出て、静かに手を伸ばす。


 「行こう。君の力を、君のために使えるようにしよう」


 ユウは、震える手を——初めて、誰かの手に重ねた。


 その瞬間だけ、世界は優しく静かだった。



 黒い車に乗った瞬間、ユウは窓の外がどんどん遠ざかっていくのを見ていた。


 村の神社。

 川。

 錆びた自転車。

 そして、家。


 父は見送りに出てこなかった。

 それでいい、とユウは思った。思うしかなかった。


 ただ、車が坂を下り切る直前、ルームミラーの端に——誰かの影が映った気がした。

 玄関の前に立つ男の影。

 顔は見えないのに、なぜかそれが父だと分かった。


 ユウは、視線を窓の外に戻した。


 (……もう、戻らない)


 そう決めると、胸の奥が少し痛んだ。

 痛みは感情だ。感情は、世界を揺らす。


 けれど車内の空気は揺れなかった。


 綾瀬が、運転席の相原に目配せする。


 「安心して。もう、ここでは“壊れない”」


 ユウは「壊れない」という言葉を、口の中で何度も転がした。



 連れて行かれたのは、都心から少し外れた山間にある、巨大な施設だった。


 表札には、何も書かれていない。

 ただ、門の横に小さく刻まれているのは——見慣れない幾何学模様。


 「結界紋よ」


 綾瀬はユウの視線に気づいて説明した。


 「能力の漏れを外へ出さないための“境界”。ここは、能力者を守る場所でもあるし、一般社会を守る場所でもある」


 門が開く。

 中には、普通の学校のような校舎、寮、体育館のような建物。

 しかし空気が違った。


 見えない圧がある。

 濃い。

 ——それでも不快じゃない。


 ユウは自分の胸が少し軽くなるのを感じた。

 初めて、息を吸っても怒られない場所に来た気がした。


 「ここが中等課程——君の言う“中学”にあたる教育部門。正式名称は境界育成院」


 綾瀬は歩きながら続けた。


 「学力も教える。でも、主は能力制御。君みたいに“副作用”が強い子は、ここで生き方を学ぶの」


 ユウは言葉を飲み込んだ。


 (生き方……)


 今までの生き方は、感情を殺すことだった。

 それ以外を、彼は知らない。



 最初の数日は、寮の部屋からほとんど出られなかった。


 廊下から聞こえる足音が怖い。

 知らない人の気配が怖い。

 怖いと、世界が揺れる——はずだった。


 なのに、揺れない。


 それが余計に怖かった。


 ユウはベッドの上で膝を抱え、何度も自分の手を見つめた。

 今まで、感情が漏れるたびに外が壊れた。

 でもここでは、壊れない。


 (……ぼくの力が、弱くなった?)


 そう思った瞬間、胸が熱くなる。

 期待と不安が同時に湧いた。


 ノックが響く。


 「真城ユウ。入るぞ」


 低い男の声。

 扉が開き、がっしりした体格の教官が入ってきた。制服のようなジャケット。


 「俺は鬼塚。初等から上がってきた奴らの担任もやってる。……お前の担当教官だ」


 鬼塚はユウをじっと見た。

 その視線は、村の大人たちのそれとは違う。


 嫌悪でも、恐怖でもない。

 観察と、判断。


 「怖いか?」


 ユウは頷けなかった。

 頷くと、何かが認められる気がした。


 鬼塚は短く笑った。


 「結構。怖いなら、まず知れ。知らねえから怖い。お前の力を、俺が測る。……いや、“測れるところまで測る”」


 ユウは目を見開いた。


 測る。

 村では「呪い」として片付けられていたものを、ここでは測ろうとする。


 それは、恐ろしくもあり、救いでもあった。



 初日の能力測定は、体育館のような広い施設で行われた。


 同じ年頃の子どもたちが並ぶ。

 ユウは視線を落とし、誰とも目を合わせないようにした。


 しかし、周囲の“気配”は強烈だった。


 熱を帯びた気配。

 鋭い刃のような気配。

 水面のように静かな気配。


 能力の種類が、空気に滲んでいる。


 「次、真城ユウ」


 名前を呼ばれて、ユウは一歩前へ出た。


 計測機器が並ぶ。

 センサー、ガラス板、何かの術式が刻まれた床。


 鬼塚が言う。


 「まず、感情を動かせ。弱くていい。小さくでいい。……お前の“揺れ”を出してみろ」


 ユウは、喉が鳴るのを感じた。


 (感情を、動かす)


 今まで必死に殺してきたものを、今ここで動かせと言う。


 それは、火の中に手を突っ込めと言われるような恐怖だった。


 ユウは小さく息を吸って、思い出した。


 村の川辺。

 綾瀬の手。

 「泣いていい」という言葉。


 ……ほんの少しだけ。


 胸の奥に、温度を灯す。


 その瞬間、計測機器が一斉にノイズを吐いた。


 センサーが点滅し、表示が乱れる。

 ガラス板の表面が、まるで映像が歪むように波打った。


 そして、術式床の模様が——一瞬、別の模様に“書き換わった”。


 鬼塚が目を細める。


 「……干渉系。だが、質が違う」


 綾瀬がメモを取りながら呟く。


 「確率改変……いいえ、因果そのもの。これ、制御なしだと世界に穴が開くタイプね」


 相原が機器を叩き、焦ったように言った。


 「測定不能。出力上限の設定が無意味です。……数値化できません」


 ざわめきが広がる。


 「測定不能って」

 「なにそれ」

 「怪物じゃん」


 その言葉がユウの鼓膜を刺した。


 怪物。

 村で言われた言葉と同じだ。


 胸がざわつく。

 ざわつくと、世界が——


 「止めろ」


 鬼塚の声が、床を叩いた。


 「真城。呼吸しろ。……今はここだ。ここは“壊れない”。壊しても、受け止める仕組みがある」


 ユウは必死に息を吸い、吐いた。


 胸のざわつきが収まると、機器のノイズも静かに消えていった。


 鬼塚はユウに背を向けて、周囲に怒鳴る。


 「見世物じゃねえ! ガキども、余計な口を開くな!」


 ざわめきが引いた。


 ユウはうつむいたまま、拳を握りしめた。


 (……同じだ。どこに行っても)


 そのとき、横から声がした。


 「おい」


 顔を上げると、同じ年頃の少年が立っていた。

 短い髪、切れ長の目。制服の襟をだらしなく開け、態度がやけに堂々としている。


 「真城ユウ、だっけ。お前、怖いな」


 ユウは固まった。


 怖い。

 またその言葉。


 だが少年は、次の言葉を続けた。


 「……でも、ちょっとワクワクする」


 ユウは瞬きをした。


 「俺、榊レン。覚えとけ。——いつか、勝負しようぜ」


 レンはそう言って笑った。

 嫌悪の笑いではない。

 挑戦状みたいな笑いだった。


 ユウの胸のどこかが、少しだけ軽くなる。


 怖がられたのに、突き放されていない。


 そんな経験は、初めてだった。



 授業は、普通の教科と、能力のための科目が半々だった。


 境界理論。

 出力制御。

 副作用学。

 対異能戦術。


 ユウは、教科書の文字を追うのが得意だった。

 言葉は、壊れない。

 少なくとも、彼の力では壊れない。


 一方、実技は地獄だった。


 感情を動かせば、空気が歪む。

 歪みの方向が分からない。

 勢いを間違えれば、何が起きるかも予測できない。


 鬼塚は容赦がなかった。


 「感情を殺す癖、やめろ。お前の能力は“恐怖”を燃料にすると一番暴れる。分かるか。恐怖の中で抑えようとするから、こじれる」


 ユウは歯を食いしばった。


 「じゃあ……どうしたら」


 「恐怖を、分解しろ。怖いって気持ちを、言葉にしてみろ。何が怖い。どう怖い。どこまでが怖い。——それを理解できれば、お前は初めて“操作”できる」


 ユウは言葉を探した。


 怖いのは、壊すこと。

 怖いのは、嫌われること。

 怖いのは、また一人になること。


 「……ひとりに、なるのが」


 思わず漏れた声が、自分のものと思えないほど小さかった。


 鬼塚は、少しだけ目を細めた。


 「それだ」



 数週間後、ユウには「理解者」が一人ついた。


 副作用学の講師——篠宮結。


 若い女性で、白衣の上からでも分かるほど姿勢がいい。

 だが目は柔らかく、言葉の端々に“人を壊さない”配慮があった。


 授業のあと、結はユウを呼び止めた。


 「真城くん。少し、話せる?」


 ユウは反射的に身構える。

 大人の呼び止めは、いつも悪い予感と結びついていた。


 しかし結は、机の上にノートを置いただけだった。


 「あなたの能力、“副作用”が強いでしょう」


 ユウの心臓が跳ねる。


 「でもね、副作用は“罰”じゃない。強い力には、強い反動がある。それだけ」


 結は、まっすぐユウを見た。


 「忌み子と呼ばれた原因。村で起きた怪異。あなたが自分を責める理由——全部、ここで整理していける」


 ユウは唇を噛んだ。


 「……ぼくは、世界を変えてしまう」


 結は頷いた。


 「そう。あなたは“結果”を触れる。だから幼い頃は、感情がそのまま現実に漏れた。泣けば壊れる。怯えれば止まる。……でもね」


 結は言葉を区切る。


 「それは同時に、“守れる”ってことでもあるの」


 守れる。


 その単語が、胸に落ちた。

 ユウが今まで一度も、自分に許したことのない役割だった。



 レンは、相変わらず距離の詰め方が雑だった。


 昼休み、ユウが一人で食事をしていると、当然のように向かいに座る。


 「お前、飯食うの遅いな」


 「……放っておいて」


 「無理。お前見てると落ち着かねえ。なんかこう、爆弾眺めてる気分」


 ユウはぎょっとした。

 嫌味かと思ったが、レンは悪びれもしない。


 「でも、爆弾って扱い方分かれば便利だろ? 俺はさ、強い奴好きなんだよ。ムカつくけど」


 レンは箸で唐揚げをつつきながら続けた。


 「俺の能力は“加速”。身体も思考も、局所的に速度を上げられる。強いけど、結局は“自分”の範囲だ。お前は違う。世界そのものが対象っぽい」


 ユウは黙って聞いていた。


 レンはふいに言った。


 「怖い」


 ユウの背中が硬直した。


 またその言葉。


 だがレンは、すぐに笑う。


 「怖いけど、羨ましい。——だから勝ちたい」


 その言葉は、ユウを傷つけなかった。

 むしろ、胸の奥で小さな火が灯る。


 (……勝ちたい)


 それは、ユウが初めて持った、前向きな欲望だった。



 初めての実戦訓練は、模擬都市区画で行われた。


 街並みの模型ではない。

 本物の建物、本物の道路、本物の信号。

 ただし住民はいない。結界の内側にある、訓練用の空間だ。


 課題は「暴走異能の制圧」。

 相手はダミー——だが、異能反応は本物そっくりに再現される。


 チーム分けが発表される。


 ユウ、レン、そしてもう一人。

 髪を短く切り揃えた女子生徒——朝霧ミナト。


 名前は中性的だが、声は落ち着いていて、目が冷静だった。


 「朝霧。能力は?」


 レンが尋ねると、ミナトは淡々と答えた。


 「固定。対象の状態を一定時間固定する。物でも人でも。……ただし、私の認識が曖昧だと精度が落ちる」


 レンがニヤリとする。


 「便利だな。ユウ、お前暴れたら固定してやるってさ」


 ミナトは即答した。


 「暴れたら固定じゃ済まないと思う」


 ユウは何も言えず、視線を落とした。


 怖い。

 また怖い。


 だが今回は、違った。


 (怖いなら、分解しろ)


 鬼塚の言葉が頭に響く。


 怖いのは、壊すこと。

 壊すと、嫌われること。

 嫌われると、一人になること。


 ——つまり、怖いのは「結果」だ。


 ユウは小さく息を吸った。


 (だったら、結果を……書き換えればいい?)


 模擬都市の奥で、暴走反応が膨れ上がる。

 火花。ひび割れる道路。落ちる看板。


 レンが加速して先行し、ミナトが固定で空間の揺れを押さえ、避難路を確保する。


 「ユウ! お前は!?」


 レンが叫ぶ。


 ユウは足を止めたまま、暴走の中心を見た。

 中心には、黒い球体のような異能核が渦巻いている。

 触れれば、爆発。

 放置すれば、街区が崩壊。


 ユウの心臓が跳ねた。


 怖い。

 でも今回は、逃げない。


 ユウは思い出した。

 自分が泣いたら変圧器が壊れた日のこと。

 自分が怯えたら川が止まった日のこと。


 どれも、“そうなった”。


 ——なら、逆もできる。


 ユウは、言葉にした。

 自分の中で、はっきりと言葉にする。


 (爆発しない)

 (壊れない)

 (終わる)


 感情は、恐怖ではなく——願いに変える。


 次の瞬間、黒い異能核が、音もなく縮んだ。


 「……え?」


 レンが立ち止まる。

 ミナトが目を見開く。


 異能核は、まるで最初から存在しなかったみたいに、消えた。


 警報が止まった。

 街区は無傷。

 訓練システムが困惑したように、遅れて「制圧完了」を表示する。


 レンが叫んだ。


 「……お前、なにした!?」


 ユウは、震える手を見つめながら答えた。


 「……爆発するはずだったのを、爆発しなかったことに」


 ミナトが、息を吐いた。


 「因果……」


 レンは、しばらく黙っていた。

 そして、歯を見せて笑う。


 「やっぱり怖い。——でも、最高だ」



 訓練後、鬼塚はユウを呼び出した。


 「今のは、初めて“意図”が入った干渉だ」


 ユウは息を呑む。


 「……できた、の?」


 「できた。だが、代償もある」


 鬼塚はユウの胸元——制服の布越しに、指で軽く押した。


 「胸、痛くないか」


 ユウは気づいて、顔をしかめた。


 確かに、胸の奥が熱い。

 心臓の鼓動が、いつもより重い。


 鬼塚は言った。


 「お前の能力は、世界を“書き換える”。書き換えるってのは、帳尻合わせが必要だ。……お前自身が、その帳尻を払う可能性がある」


 ユウは、目を伏せた。


 「……じゃあ、使わない方が」


 「違う」


 鬼塚は、即座に否定した。


 「使わねえと、お前はまた自分を殺す。副作用よりそっちの方が危険だ。

  使い方を覚えろ。支払い方を覚えろ。——そして、仲間を持て」


 仲間。


 ユウの脳裏に、レンの笑顔と、ミナトの冷静な目が浮かんだ。



 夜、寮の廊下で、ユウは結に呼び止められた。


 「今日の訓練、見てたわ」


 結は静かに言った。


 「初めて“願い”で世界を触れたのね」


 ユウは頷いた。


 「怖かった。でも……逃げたくなかった」


 結は少しだけ微笑む。


 「それが成長。あなたが忌み子と呼ばれたのは、あなたのせいじゃない。強すぎる力が、幼い心に寄り添えなかっただけ」


 結はユウの目を見た。


 「ねえ、真城くん。あなたの力の本質は、“最強”よ」


 ユウの喉が鳴る。


 「……最強」


 「でも、最強は孤独を呼びやすい。怖がられる。羨ましがられる。利用される。

  だから、あなたが先に決めて。——何のために使うのか」


 ユウは、すぐには答えられなかった。


 でも、胸の奥に確かな像があった。


 村で、石を投げられた自分。

 “忌み子”と呼ばれた自分。

 泣くことすら許されなかった自分。


 (あんな子を、もう作りたくない)


 ユウは小さく言った。


 「……守れるように」


 結は頷いた。


 「うん。それでいい」



 数ヶ月が過ぎ、ユウは「普通」に慣れ始めた。


 朝起きて、授業を受けて、訓練して、夜に眠る。

 それだけのことが、こんなに落ち着くなんて知らなかった。


 レンは相変わらず絡んできたが、最近は少しだけ真面目だった。


 「お前、感情出せるようになってきたな」


 ユウは眉をひそめる。


 「……嫌味?」


 「違う。……羨ましい」


 レンは視線を逸らして言った。


 「俺さ、速くなるほど、周りが遅く見えるんだ。分かるか? みんな止まって見える。

  その瞬間、世界から置いていかれた気がする。……お前の孤独って、たぶんそういうのに近いだろ」


 ユウは、初めてレンをちゃんと見た。


 ライバルだと思っていた少年にも、痛みがある。

 それを言葉にできる強さがある。


 ユウは、ほんの少しだけ口角を上げた。


 「……じゃあ、置いていかれないように、一緒に走ればいい」


 レンが目を丸くする。


 「お前、今の、口説いてる?」


 「違う!」


 ユウが慌てると、レンは腹を抱えて笑った。


 その笑い声が、ユウの胸を暖かくした。



 ——そして、中等課程の終わりが近づく頃。


 綾瀬が再び、ユウの前に現れた。


 「真城ユウ。君に、次の進路の話をする」


 ユウは緊張しながら椅子に座った。


 綾瀬は資料を差し出す。


 そこには、高等課程の名前——境界高等部と、特別進級枠の文字。


 「君は、ここから先が本番よ」


 綾瀬は静かに言った。


 「君の能力は“抑えれば安全”じゃない。“抑え続ければ暴発する”。

  だから高等部では、より実戦的な制御と……“真相”に触れる」


 ユウの指先が冷えた。


 真相。

 忌み子と呼ばれた理由。

 副作用の正体。

 そして——本当に自分は何者なのか。


 綾瀬は言った。


 「高等部では、君の能力の正式名称が付く。

  君が逃げないなら、私たちは全部教える」


 ユウは息を吸った。


 逃げない。

 その言葉は、もう彼にとって呪いではなかった。


 「……行きます」


 綾瀬は、少しだけ笑った。


 「うん。いい返事」



 高等部の門は、中等部よりも静かだった。


 同じ敷地内にあるのに、空気の密度が違う。

 結界が幾重にも重なっているのが、肌で分かる。


 「ここから先は、子どもの遊びじゃない」


 鬼塚が、校舎を見上げながら言った。


 「中等部は“生き残るための教育”。高等部は“使うための教育”だ。……覚悟はあるな」


 ユウは頷いた。


 怖さが消えたわけじゃない。

 でも今は、怖さを言葉にできる。


 怖いのは、失敗すること。

 失敗して、誰かが傷つくこと。

 傷ついて、自分がまた「孤独」に戻ること。


 だから、守る。

 守れるように強くなる。


 その願いを胸に、ユウは高等部の門をくぐった。



 高等部に入って最初の週。

 ユウは、ひとつの部屋に呼び出された。


 壁一面が白い。

 床には複雑な術式が刻まれ、天井には監視用のレンズが何十も埋め込まれている。

 空気が冷たい。静かだ。


 綾瀬がいた。

 相原がいた。

 そして篠宮結も、白衣のまま立っていた。


 最後に、見知らぬ老人が椅子に座っていた。


 「真城ユウ」


 老人は、名を呼ぶだけで場を支配した。


 「私は統括顧問、鷲尾だ。君の能力の“正式認定”を行う」


 ユウは喉を鳴らした。


 正式認定。

 能力に名前がつく。

 それは、ユウの人生に初めて「輪郭」が与えられる瞬間でもあった。


 鷲尾が言った。


 「君の能力はこれまで、干渉系としか分類できなかった。だが、高等部の結界と観測網なら、もう少し深く見える」


 老人が指を鳴らす。


 床の術式が淡く光る。

 同時に、ユウの背筋が冷えた。


 「……来る」


 何かが、ユウの中から“引き出される”感覚。

 胸の奥の扉を、誰かが無理やり開けようとしている。


 結が前に出た。


 「真城くん。呼吸。あなたが主導権を握って。観測されるだけにならないで」


 ユウは息を吸った。


 (主導権を、ぼくが)


 鷲尾が淡々と告げる。


 「感情を一点に定めろ。今、一番強いものを」


 ユウの脳裏に浮かんだのは、村の川辺だった。

 石を投げられた自分。

 泣けば壊れた世界。

 そして、綾瀬の手。


 ——守りたい。


 それが、今のユウの核だった。


 ユウはその願いに、意識を寄せる。


 途端、部屋の空気が震えた。

 監視レンズが一斉に焦点を結ぶ。

 床の術式が、別の模様へ変化しはじめる。


 綾瀬が呟く。


 「……空間の座標が、ずれてる」


 相原が叫ぶ。


 「観測値が二重化してる! 一つの結果に対して、複数の“ありえた経路”が同時に存在——」


 鷲尾が、うっすら笑った。


 「やはりな。真城ユウ。君の能力の正式名称は——」


 老人は、はっきりと言った。


 「因果上書いんがおがき


 その言葉が、ユウの胸に落ちた。


 因果。

 原因と結果。

 世界の道筋。


 それを、上書きする。


 鷲尾は続ける。


 「君は“起きた結果”を触れる。触れて、別の結果に差し替える。

  火が燃えたなら、燃えなかったことにできる。

  人が死んだなら、生きていたことにできる。

  だが同時に——世界は帳尻を求める」


 ユウの心臓が重く鳴った。


 「帳尻……」


 鷲尾は頷く。


 「因果をねじ曲げた分だけ、世界は“整合性”を取り戻そうとする。

  その反動が、君の副作用だ」


 綾瀬が、低い声で補足した。


 「君が生まれた日の分娩室。あれは、君が“世界を安定させよう”として起こしたものよ」


 ユウは息を呑む。


 「……安定?」


 結が、静かに言った。


 「あなたは生まれた瞬間、世界を“矯正”しようとした。

  赤ちゃんがそんなことをするのは異常。

  でも、あなたは——それができてしまった」


 ユウは耳を疑った。


 「ぼくは、壊してたんじゃ……」


 「違う」


 綾瀬ははっきり言った。


 「あなたは“壊れる未来”を、“壊れない未来”に変え続けた。

  ただ、そのせいで世界の整合性が足りなくなって、近くのものが壊れた」


 ユウは唇を噛んだ。


 副作用。

 村で起きた怪異。

 泣けば割れた窓。止まった時計。


 それらは、ユウが無意識に“守った結果”のツケだった。


 鷲尾が結論を言う。


 「真城ユウ。君は忌み子ではない。

  むしろ——世界を守るために生まれた“矯正装置”に近い。

  だが、装置は壊れる。使い続ければな」


 ユウの背中が冷たくなった。


 「……ぼくは、壊れる?」


 鷲尾は頷いた。


 「正確には、君の“存在確率”が削れていく。

  君が上書きを重ねれば重ねるほど、君の存在は“世界にとって説明しづらいもの”になる。

  説明できないものは、世界から弾かれる」


 ユウの視界が一瞬だけ暗くなる。


 怖い。

 でも、今度は逃げない。


 ユウは言った。


 「……それでも、使います」


 鷲尾は目を細め、微かに嬉しそうに笑った。


 「よろしい。ならば教えよう。

  君の力の“支払い方”を」



 高等部の訓練は、苛烈だった。


 災害級の暴走。

 対人戦。

 複数異能の連携。

 そして——因果上書の安全運用。


 ユウは学んだ。


 上書きには代価がある。

 小さな上書きなら、代価も小さい。

 しかし大きな上書きは、世界に歪みを残す。


 その歪みは、時に偶然として現れる。


 ユウが通ったあと、電灯が一つだけ切れる。

 ユウが眠った夜、夢の中で同じ風景を何度も繰り返す。

 ユウの名前を呼ぼうとすると、舌がもつれる生徒が出る。


 存在確率が削れていく兆候。


 結は、それを「欠け」と呼んだ。


 「欠けは、あなたが世界に支払ったもの。

  でもね、真城くん。欠けはゼロにはできない。

  だから、あなたは“誰か”と繋がる必要がある」


 「繋がる?」


 結は頷く。


 「あなたが世界に説明しづらい存在になるなら、

  誰かの心に説明を作るの。

  あなたはここにいる、って」


 ユウはその言葉を、深く胸に刻んだ。



 レンとの勝負は、自然と増えた。


 レンの加速は磨かれていた。

 身体だけじゃない。思考の加速。反射の加速。

 そして、加速した世界で孤独を抱える痛みも、彼は抱えたまま進んでいた。


 「ユウ。お前、最近たまに“薄く”なるよな」


 ある日レンが、訓練後に言った。


 ユウは息を止めた。


 「……分かるの?」


 「分かる。……怖い。けど、目を逸らしたら負けだろ」


 レンは歯を食いしばって笑った。


 「お前が消えるとか、ふざけんな。勝負する相手いなくなるだろ」


 その雑な言い方が、ユウには救いだった。


 ミナトも、静かに言った。


 「私は固定できる。……あなたが薄くなるなら、固定する方法を探す」


 ユウは喉が熱くなった。


 友達。

 仲間。

 繋がり。


 確かに、ユウの世界は変わっていった。



 高等部二年の冬。

 実戦任務が下りた。


 「災害級暴走。場所は——旧・真城村近辺」


 その地名が口にされた瞬間、ユウの体温が下がった。


 村。


 あの場所。

 忌み子と呼ばれた場所。

 泣けば壊れた場所。

 そして父がいた場所。


 綾瀬がユウの顔を見た。


 「行ける?」


 ユウは、深く息を吸った。


 怖い。

 でも、怖さは分解できる。


 怖いのは、昔の自分に戻ること。

 戻って、また壊すこと。

 壊して、また一人になること。


 だが、今は一人じゃない。


 ユウは言った。


 「……行きます」


 レンが肩を叩く。


 「当たり前。俺らも行く」


 ミナトが頷く。


 「チームで行く。あなた一人にしない」


 ユウは、小さく笑った。


 それだけで胸が少し軽くなる。



 現場は、地獄だった。


 山の斜面が裂け、道路が波打つ。

 空気がねじれ、霧のような黒い異能残滓が漂っている。


 綾瀬が通信で言った。


 「暴走の中心に、誰かいる。……能力者よ」


 ユウは、肌で感じた。

 この歪みは、自分と似ている。


 因果。

 世界の道筋を、ねじ曲げている。


 「同系統……?」


 レンが唾を飲む。


 「いや、違う」


 結が通信で言った。


 「真城くん、気をつけて。これは上書きじゃない。

  これは——書き換え続けた結果、破綻した空間よ」


 破綻。


 その言葉が、ユウの背中を冷たく撫でた。



 暴走の中心に近づくと、ユウは見た。


 崩れた神社。

 朽ちた鳥居。

 昔、塩を撒かれた道。


 村はすでに半分、避難していた。

 だが避難できない人間もいる。


 そして——視線。


 ユウを見て、怯える視線。

 囁く声。


 「……忌み子」

 「戻ってきた」

 「やっぱり、あいつのせいだ」


 胸が痛んだ。


 痛みは感情。感情は世界を揺らす。

 ユウの足元の砂利が、微かに浮いた。


 レンが前に出る。


 「黙れ!」


 怒号が響く。


 村人が驚いて後ずさる。

 レンは続けた。


 「こいつは、お前らを助けに来た! 怖いなら逃げろ!

  けど、石を投げる暇があるなら手を動かせ!」


 ユウはレンの背中を見て、息を整えた。


 (……ぼくは、今の自分でここに立つ)



 中心部にいたのは、一人の男だった。


 背中が曲がり、顔は土と血で汚れている。

 しかし目だけが異様に光っていた。


 「……矯正装置が、来たか」


 男が笑った。


 ユウは耳を疑った。


 矯正装置。

 それは鷲尾が言った言葉と同じだ。


 綾瀬が叫ぶ。


 「あなたは誰?」


 男は低く笑う。


 「俺も、忌み子だった。お前らが拾い損ねた、な」


 ユウの喉が鳴った。


 「……同じ力?」


 男は首を振った。


 「同じじゃない。俺は因果改竄だ。

  上書きじゃない。原因そのものを書き換える。……だから世界が壊れる」


 空気が裂けた。

 地面が波打ち、空間が捻じ曲がる。


 レンが加速して突っ込む。

 ミナトが固定で空間の揺れを押さえ、避難路を確保する。


 しかし、揺れが強すぎる。


 「ユウ! お前の番だ!」


 レンが叫ぶ。


 ユウは前に出た。


 怖い。

 でも分解する。


 怖いのは、これを止められないこと。

 止められないと、みんなが死ぬこと。

 死ぬ未来を、見たくないこと。


 ユウは目を閉じた。


 (止める)

 (壊れない)

 (みんな、生きる)


 そして——胸の奥の痛みを、受け入れる。


 上書きは代価を払う。

 なら、払う。


 ユウが目を開いた瞬間、世界が静止した。



 因果上書は、結果に触れる。


 崩れ落ちるはずだった斜面は、崩れなかったことになる。

 裂けた空気は、裂けていなかったことになる。


 だが男の因果改竄は、原因そのものを変えてくる。

 上書いた結果の元が変えられれば、上書きは剥がれる。


 互いの力がぶつかり、空間が軋む。


 ユウは歯を食いしばった。


 (このままだと、世界が——)


 その瞬間、頭の奥に欠けが走った。


 視界の端が、白く欠ける。

 音が、遠のく。

 自分の名前が、薄れる。


 ——削れている。


 ユウは、理解した。


 大きな上書きを重ねれば、自分が消える。

 それでも——。


 レンの声が響いた。


 「ユウ! 戻れ! お前、薄いぞ!」


 ミナトの声。


 「固定する! ユウ、今のあなたを固定する!」


 結の声。


 「真城くん! 一人で払わないで! 繋がって!」


 繋がる。


 ユウは、目を見開いた。


 (……そうだ。ぼくは、もう一人じゃない)


 ユウは叫んだ。


 「レン! ミナト! 結先生! ——ぼくを、ここに固定して!」


 ミナトが術式を展開する。


 「固定——真城ユウ!」


 レンが加速し、ユウの手を掴む。


 「お前、勝手に消えるな! 俺の勝負相手だろ!」


 結が、静かに言葉を重ねる。


 「あなたはここにいる。あなたは真城ユウ。守りたいと願った子。——あなたは説明できる存在よ」


 その瞬間、欠けが止まった。


 世界が、ユウの存在を“認めた”気がした。



 ユウは最後の上書きを選ぶ。


 男の因果改竄の結果を、上書きするのではない。

 男が歪ませ続けてきた破綻した現実を、ひとつの結末へ収束させる。


 ——これ以上、ねじ曲げられない形に。


 ユウは、心の底から願った。


 (終わってほしい)

 (この人も、もう苦しまないでほしい)

 (世界も、これ以上壊れないでほしい)


 優しさは、時に刃になる。

 だがユウはそれでも選ぶ。


 世界が静かに揺れて、そして——止まった。


 男が膝をついた。


 「……っ、は……」


 目の光が弱まる。

 周囲の歪みが、霧が晴れるように収束していく。


 男は、ユウを見上げた。


 「……お前は、いいな。仲間がいる」


 ユウは、息を吐いて答えた。


 「……あなたも、最初から忌み子じゃなかった。

  拾われなかっただけだ」


 男は、苦笑いを浮かべた。


 「……遅いよ。もう、手遅れだ」


 ユウは首を振る。


 「手遅れにしない。——これから先は、ぼくが拾う」


 男の目から、涙が一滴落ちた。



 任務が終わったあと。


 村の避難所で、ユウは一人の男と向き合った。


 父だった。


 老けた顔。

 震える手。

 目を合わせられない弱さ。


 父は絞り出すように言った。


 「……すまなかった」


 ユウは、すぐには返せなかった。


 許す、許さない。

 そんな単純な言葉で片付く痛みじゃない。


 でもユウは知っている。


 感情を殺す癖は、もう捨てるべきだと。


 ユウはゆっくり言った。


 「……ぼくも、怖かった」


 父が顔を上げる。


 「怖くて、泣けなかった。怒れなかった。

  泣くと壊れるから。怒ると壊れるから。

  だからぼくは、ずっと自分を殺してた」


 父の目が揺れる。


 ユウは続けた。


 「でも今は、壊しても止められる。

  壊れないように守れる。

  だから、もう……戻らない」


 父の肩が落ちた。


 ユウは最後に、はっきり言った。


 「ぼくは忌み子じゃない。

  忌み子って呼んだ言葉の方が、ぼくを壊した」


 父は唇を震わせ、何度も頷いた。


 「……ああ。……そうだ」



 帰りの車の中。


 レンが窓の外を見ながら言った。


 「お前、消えなかったな」


 ユウは笑った。


 「固定されたから」


 ミナトが淡々と付け足す。


 「固定は万能じゃない。……でも、あなたがここにいると私たちが認識していれば、欠けは遅くできる」


 結が、後部座席から静かに言う。


 「だから、これからも繋がり続けるの。

  あなたが守った世界で、あなた自身も守られるために」


 ユウは、胸の奥の痛みを感じた。


 でも以前と違う。

 それは恐怖ではなく、確かな実感だった。


 自分はここにいる。

 仲間がいる。

 守りたいものがある。



 高等部の校門をくぐるとき、ユウは空を見上げた。


 青い。

 澄んでいる。

 世界は、ちゃんと続いている。


 忌み子と呼ばれた原因は、最強の能力の副作用だった。


 だが副作用は、呪いではない。

 代償であり、証明だ。


 ユウは小さく息を吸って、前を向いた。


 「……次は、ぼくが拾う番だ」


 どこかで、かつての自分みたいに泣けない子がいる。

 怖くて、怒れない子がいる。

 世界に拒まれたと思い込んでいる子がいる。


 なら——。


 因果を書き換える力で、道を作る。


 忌み子と呼ばれた少年は、

 世界の理を歪める力で、世界を守る。


 そしていつか、誰かの胸の中に“説明”を残すだろう。


 ——この世界に、君はいていい。


 木々のざわめきが、優しくユウの背中を押した。

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